第53話
『赤コーナ~……十七戦九勝七敗一引き分け、九勝の内二つがナックアウト~……みうらぁ~こうぞう~!』
『青コーナ~……十戦九勝一敗、九勝の内三つがナックアウト~……現在日本ライト級十一位、森平ボクシングジム所属、地方の星!とおみやぁ~とういちろう~!』
知らぬ間に愛称みたいなものが付けられている。
俺をよく取り上げてくれる番組のコーナー名なのだが、まあ悪くはないか。
▽
「特に戦術らしい戦術は無し。統一郎君が油断しない限り大丈夫な相手だよ。」
逆に言えば、油断すれば負けるかもしれないという事。
とは言え、俺に油断するほどの過信などある訳もない。
いつも通り、普通に持ちうるものを十全に出し白星を勝ち取るだけだ。
「後、チャンスがあれば試してみて。」
最近は色々と新しい事に挑戦しており、やはりそれらは実戦で使ってこそ初めてその実もしれよう。
カァ~ン!
第一ラウンド開始のゴングが鳴り、いつも通りグローブを合わせ挨拶。
そこから主導権を握るべく、左を突いていく。
頭の中にある相手のデータと実物を見比べながら。
「シッ!…シッシッシッ…シィッ!」
(反応…映像で見たのと変わりなし。早さ、タイミング、射程どれも予想通り…問題ない。)
相手は基本に忠実なサウスポー。
小さくリードブローの右を伸ばし、隙あらば左を強く振るというスタイル。
強い選手がやれば非常に厄介なスタイルだが、今一つ迫力が足りないのは何故か。
それは恐らくハンドスピードの無さと、距離感の悪さ。
「…シッ!」
(差し合いは厳しいかと思ったが、意外によく当たるな。)
サウスポーが相手の場合、横の動きを混ぜないと差し合いは少々やりにくい。
理由としては左を伸ばしきる前に、前に突き出た相手の右に当たってしまう事が多いから。
しかし今日は当たる。
小細工などは殆どせず、単純な回転力の差で正面からごり押し出来ているのだ。
手応えを感じ、徐々にプレッシャーを強め相手を下がらせながらの立ち回り。
そして終始主導権を握ったまま、第一ラウンド終了のゴングを聞いた。
▽
自陣に戻るも会長からは特に何も無し。
試合の組み立て自体はもう頭の中で出来ているので、次のラウンドで流れを確立させよう。
牛山さんが差し出して来るマウスピースを銜えると同時、立ち上がり第二ラウンドの開始と相成った。
「…シッシッシッシッ!」
(主導権は渡さない。この試合は俺がコントロールする。)
能力で上回っている以上、奇抜な作戦や一か八かはそれこそ悪手。
一つ一つを確実に積み重ね、勝利へ繋げるのが本道である。
相手もこのままでは不味いと分かっているようで、少々強引に振ってくるようになった。
(ガードで受けるよりも、空振りさせて疲れさせるか。)
この相手は、体もパンチもさほどスピードが無く見極め易い。
ならば良いタイミングを持っているかと言えば、そういう訳でもない。
一言でいえばバランスよく、けれども小さく纏まった選手。
(パンチに伸びが無い。でもガードだけは常に高いな。)
この辺りからもわかる通り、非常に練習熱心なんだろう。
その事実には世の残酷さを感じる。
持って生まれなかった者は、どんなに努力しようとも届かない。
そんな現実を見せつけられている様だ。
「…シッシッシッ!…シィッ!」
(この人から見れば、俺も持っている側の人間って事か。)
いくらかの雑念が混じるも、集中自体は良く出来ていた。
自分の距離を確保し、強振は空振りさせ、隙あらばパンチを上下に打ち分け、一発を狙うのではなくコツコツと積み重ねる。
自分が今出来る事を最大限に、やるべき事はそれだけ。
▽
二ラウンドをこなし、ここまでは完璧な出来。
そろそろ新しい武器を試す頃合いかもしれない。
陣営からの指示も特になし、俺に任せるという感じだ。
そしてゴングが鳴り、第三ラウンドの開始を告げる。
直後見やれば、相手は強気に距離を詰めてくる様相。
この流れでは当然の戦術だが、それはこちらも重々承知。
「…シュッ!」
(まずは強く右、動きを止める。)
俺にとって右ストレートはいつも目立たない存在、しかしサウスポー相手だと急に光り輝く。
いつどんな風に打てば当たるのか、それが何となく分かるのだ。
何故かと問われても、感覚的なものなので言語化できない。
そして強めの右で動きをとめると同時、狙っていた一発を解き放つ。
「…ヂッ!」
(グッと溜める…当たる直前に握り込み、捻りを加え突き進む…ドリルのイメージ!)
その一撃は、速射性などまるで無視した一発。
ダンッと力強く踏み込み軸足でマットを蹴る、そして腰の回転と共に肩を入れ、軌道は少し内側を抉り走る。
【左コークスクリューブロー】
これは動きを止める右とセットで放たれる、KО狙いのコンビネーション。
しかし難点もあり、一発に力を籠めるので次弾が直ぐに放てない。
つまり躱されたら一転、隙を晒すという事。
使い所が本当に難しい一発だ。
(ちっ、浅い!)
まだまだ修練が足りないらしく、躱されはしなかったがガードの上から仰け反らせるに留まる。
しかし十分な効果は見て取れた。
ダメージと言う意味ではなく、心理的圧迫と言う意味で。
こんな強打があったのかと、不用意に踏み込むのは不味いと思わせる事が出来たのだ。
そうなれば更にこちらの独壇場。
得意な中間距離から左でコントロールし、隙を見ては右を伸ばす。
完全にこの試合の主導権を確立した瞬間だ。
▽▽
最終第八ラウンド、向こうが勝つにはもうKОしかない。
だが分かっていても、どうにもならない事はあるのだ。
俺はもうこの選手の呼吸やタイミング、得意なコンビネーションから距離まで全て見切っている。
ここまでくれば、どうあがこうと引っ繰り返る事はない。
俺がとんでもないポカでもやらかさない限りは。
(以前の俺なら、KОしたい欲に駆られてそう言う事もあったかもな。)
いずれも楽ではなかった十戦、それらの経験が俺を成長させてくれた。
現実は甘くない。
油断した奴、努力を怠った奴、判断を誤った奴から落ちていく。
天才でもなく、環境にも恵まれてない奴は特にだ。
だから俺は徹する、勝つ事に微塵も妥協しない。
「シッシッシッ!…フッ!」
(相変わらずガードは固い。ん?これ…下入るな。)
ジャブ三発から、踏み込んでみぞおちを突き上げる右ボディブロー。
綺麗に入った、続き相手の体勢を見ながら返しを放つも空振り。
「…ダウンッ!」
相手は膝をつき、腹を抑えてうずくまっている。
流石にもう心が折れたと確信したが、カウントエイトで立ち上がってきた。
微かでも勝ち目があるなら諦めない、こちらを見定める瞳にはそんな強い意志が宿っている。
(その通りだ。試合終了のゴングが鳴るまで、何が起こるか誰にも分からないもんな。)
もう勝ったと、そんな事を一瞬でも考えた自分の甘さを恥じた。
この甘さがある限り、王者など夢のまた夢。
最後まで気を引き締め、完全な勝利を掴まなければならない。
▽
『…以上三対〇の結果を持ちまして勝者、青コーナー遠宮統一郎。』
小さな歓声に応え、相手陣営に挨拶してから医務室へ向かう。
診察を終えシャワーで汗を流したら控室へ。
なるべく早く帰路に就きたいので、手早く帰り支度を済ませ外に出る。
外ではカメラを向けられた状態で、後援会の人達と応援に対して感謝のやり取り。
こういう絵は結構評判がいいらしい。
それらを済ませたら、もう慣れた数百キロという道のりに耐え帰宅。
到着すると、家の前で会長たちにお礼を告げ別れる。
時刻はもうすぐ日付が変わる頃、亜香里は流石に寝ているだろう。
そう思ったのだが、居間から光が漏れている。
「…おかえり。お風呂入る?」
「ただいま、向こうでシャワー浴びてきたからすぐ寝るよ。」
こんな風に出迎えてもらえると、家族なんだなという実感が沸く。
そう遠くない未来、うちのジムが主催となって興行を打つ時も来る筈だ。
その時は、是非会場で頑張っている兄の姿を見てもらいたい。
本人は嫌がるかもしれないが、これは俺の我が儘だ。
時が来たら強引にでも押し通してしまおう。




