第23話
十一月二十四日、前日計量。
場所はいつも通り、会場の隣にある協会の事務所。
自分としては、今回の調整も上手く行ったと感じている。
「…六十一,二㎏、ライト級遠宮選手OKです。」
台から降りると、経口補水液をもらい多少の脱水症状を改善させた。
なんだかんだ言っても、それなりにギリギリの調整ではあるのだ。
故に、思い切った筋力増強なども行えないのが悩み所。
「…六十一,一五㎏……相田選手OKです。」
チラリと体付きや仕草を眺め見る。
体格リーチ共にほぼ変わらず、動きは少し気怠そう。
目元が垂れているので眠そうに見える事も相まってか、そこまで万全の状態とは思えない。
「統一郎君、ご飯にしよう。」
「あ、はい。」
まあどちらにせよ、実際の能力は直に向き合って初めて分かるものだ。
試合映像などのデータも無いらしいので、今うだうだ考えても無駄なだけである。
外に出ると牛山さんが車を回してくれており、いつも通りというべきか全国チェーンのレストランへ向かう。
「月見そばとカツサンド、後はカルボナーラとチョコレートパフェ下さい。」
本当はもっと食えるのだが、腹八分目にしておくべき。
「坊主、相手どんな感じだった?」
「え~っと、何か眠そうな目をした人でした。あまり早く動きそうな印象はないですね。」
「ほぉ、でも油断すんなよ。それさえなきゃ早々負けやしねえ筈だ。」
会長のみならず、牛山さんからの評価もそれなりに高いのは意外。
今まで憎まれ口を叩く事はあっても、手放しで褒めてくれた事はなかったから。
俺は軽く頷いてから、目の前に並ぶ料理に箸を伸ばした。
▽▽
当日計量はプラス五,二㎏。
いつもよりちょっと増えた感じだが、特に不調はなく通常通り動けそう。
そして少し早めに控室に向かうと、傍に地元局のカメラマンが張り付く。
「調子はどうですか?」
「問題ないですよ。可もなく不可もなくって感じです。」
この状態が一番安定している。
良すぎると功を焦るきらいがあるからだ。
「今日勝てば六回戦進出ですね。応援してます。頑張ってください。」
「有り難うございます。頑張ります。」
他の選手との兼ね合いもあり、カメラマンはこれで退室。
俺の出番は以前と同じく二試合目なので、そろそろ集中すべき時間でもある。
「どう?固すぎない?」
「いつも通り、問題ないです。」
係員が見つめる中巻きつけられギュッと手を締め付けるバンテージの感覚、これを感じると心が戦いを覚悟するのだ。
そして体を解しつつ待つと、差し出されたのは青いグローブ。
ここまで来るともうあまり言葉を紡ぐ気にはなれない。
「ワセリン、塗るね。」
べチャッとあの嫌な感覚が顔を覆えば、気持ちは完全なる闘争状態に移行する。
日常では絶対に許されない、力一杯人を殴るという行為。
その非現実の空間に己を同調させていくのだ。
▽▽
『只今より本日の第二試合、ライト級四回戦を始めます。』
客の入りは以前より更に少ない。
三割も入っていないのではないか。
『赤コーナ~百三十四ポンド四分の三~美浜ジム所属~六戦三勝二敗一引き分け、三勝のうち一つがナックアウト~あいだぁ~おさむぅ~。』
パチパチとまばらな拍手。
応援団らしき人達もいないらしい、俺と同じく地方出身なのだろうか。
『青コーナ~百三十五ポンド~森平ボクシングジム所属~四戦三勝一敗、とおみやぁ~とういちろう~。」
こちらも同じく立ち消えそうなほどまばらな拍手。
そして毎度同じくリング中央で、レフェリーの言葉に耳を傾ける。
この時間はどう過ごすのが正解なのか、今でも全く分からないが今日は相手を見つめてみた。
すると、計量の時は眠そうだった目がカッと見開かれており、戦う男の顔になっている。
▽
「データ無いからね、丁寧に左突いて組み立てていこう。一つ一つ確実に、慌てないでだよ。」
二度ほど頷きながら、マウスピースの噛み合わせを確かめる。
同時に頭の中では、これからやるべき事を整理していた。
カァ~~ンッ!
ゴングが鳴り、強襲に警戒しつつグローブを差し出す。
パシンと軽く当てた後、相手は軽くバックステップ。
(距離が欲しいタイプか。俺と同じだな。)
これは好都合。
俺としては、強引にグイグイ出てこられるのが最も困る。
まあいつかは、そういった苦手意識も克服しなければならないが。
「…シッ!」
強めの左、様子見ではなくこちらの武器を見せつける威嚇だ。
相手は更に後退しこちらを誘う構え。
何となく分かった、この人はカウンターが得意なのだろう。
「…シッシッシッシッ…」
カウンターを取れるものなら取ってみろ。
俺の左は、打ち始めと打ち終わりの隙を極力省く為に特化した特別製。
もしこれに合わせられるのなら、正直今の俺が相対すべきレベルの選手ではない。
(…おっと、前に出てきたな。)
この選手、思ったより切り替えが早い。
開始から三十秒に満たないやり取りで、後手を引く展開を避けるようになった。
つまり、俺のリードブローを狙い撃つのは諦めたのだ。
戦績からそこまでではないだろうと思っていたが、それは甘く見過ぎの様だ。
恐らく先の二敗は、偶々相手が強すぎただけの事。
(射程は…ほぼ同じ…でもパワーは俺の方があるか?)
相手が放ったワンツーの右、それを狙い叩き落とした時ふとそんな事を思う。
タイミングが良かったにせよ、予想より簡単に捌く事が出来たのだ。
「…シッ……シィッ!」
伸ばされたリードブローに軽く左を当て、間髪入れず更に左ストレート。
相手は反射的に仰け反るも、俺は更に踏み込み左を伸ばす。
力が乗った一撃かと言われれば否だが、取り敢えずファーストヒットはもらった。
「…っ!」
(強引に返してきた。これは…狙えるか?)
直後飛んで来る、崩れた体勢のまま強引に振り抜くスウィングブロー。
見るからに大振りだが、一瞬迷いが生じカウンターチャンスを失した為、俺は仕方なく回避に専念。
(くそっ…折角のチャンスを…消極的過ぎるな。)
悔しさから多少感情が高ぶるも、これを引き摺っては元も子もない。
俺は一度冷静になるべくトンとバックステップ、両腕を下ろすと深呼吸し落ち着いた。
(どうした?来るかと思ったが来ないな。)
隙を見せたつもりだが、向こうはしっかりガードを上げた構えのままこちらを見定めるだけ。
と、思った矢先、
「…ちっ!?」
(今来んのかっ!?何か呼吸合わねえな…)
こちらから行こうかなと踏み出す直前、逆に向こうから力強く踏み込んだワンツーが飛んで来る。
俺としては出端を挫かれちょっと嫌な感じ。
(でもやっぱりパンチは軽いな。インファイト…行ってみるか。)
これは勝負を決するというよりも、相手の反応を見る為の行動。
クリンチでお茶を濁すなら、その距離が嫌いだという証明になる。
なればこの先の戦術も、俄然考えやすくなるというものだ。
「…シッ…」
(クリンチ…手慣れてる。つまりそう言う事か。)
案の定、懐に飛び込んだ瞬間迷いなくクリンチへと移行してきた。
これでこの先の指針は決まり。
恐らく会長も同じ事を思っているだろう。
しかし、かくいう俺もインファイトは得意ではない。
(それでも、上を目指すなら出来なきゃ話にならないよな。)




