第16話
用語解説
WBC:世界ボクシング評議会。加盟国が主要四団体のうちで最も多く、本部はメキシコにある。設立は1963年。WBA同様王座乱立が目立ち、筆者自身ダイヤモンド王座とフランチャイズ王座の違いが良く分からない。
「父さんが亡くなったのは、中一の終わり頃なんだ。」
「そっか…じゃあ中二からこっち?」
肯定の意を示すと、次に問い掛けるのは南さん。
「あの辺りだと森中か。部活は?」
「部活は将棋部でした。」
その返答に二人供が意外そうな顔を覗かせる。
確かに俺は将棋という柄ではない。
「大会とかは?出たりしなかったの?」
「一度だけ出たんですけど、一回戦で簡単に負けましたね。」
「そうか。じゃあ良ければまた続き聞かせてくれる?」
こんなつまらない長話を良く聞いていられるものだ。
語りも決して上手いものではないのに。
だが、知りたいと思ってくれること自体は正直嬉しく、俺は今一度語り出した。
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それなりに満ち足りた生活を送れていた。
自分のやりたい事を出来る環境があり、それを理解し支えてくれる人がいる。
自分の未来はこの先に続いているのだと、そう信じて疑わなかった。
しかしそんな日々は、突然終幕を告げる事になる。
中学一年も終わりに差し掛かった二月中旬、父が他界したのだ。
原因は運転中に脳卒中を引き起こした事による事故らしい。
不幸中の幸いというべきか、巻き込まれた人はおらず、犠牲者は父だけとの事。
報告を聞いた瞬間、まるで体から熱が抜け落ちる感覚に襲われた。
悪い夢ではないかと、何かの間違いではないかと、何度もそう思った。
しかし目の前の棺で人形の様に眠っている父の姿が、現実であることを物語っていた。
茫然自失とする俺を気遣うように、葬儀やそれにまつわる手続きなどは、全て叔父が取り仕切り、俺は訳も分からず遺影を持って立っていた事しか覚えていない。
そして何もかも理解出来ず、受け入れる事も出来ないままに、日々だけが目まぐるしく過ぎていった。
正直、この辺りの記憶は朧気である。
その後、叔父が後見人となり俺を引き取る事となった。
なれば当然引っ越し作業が必要になる。
それらは叔父の気遣いもあり、気持ちが落ち着くのを待つと言われていたのだが、部屋片付けの最中荷物を段ボールに詰める度、父と過ごした思い出が湧き出してきてはその度に手が止まる。
葬儀の時には出なかった涙が、その時初めて涙腺が壊れたようにとめどなく溢れたのだ。
そして引っ越し業者のトラックに荷物が運び込まれ、部屋の中が空っぽになったのを確認すると、何とも言えない切なさに襲われた。
『おい、そろそろいくぞ。』
父の使っていたグローブを抱えたまま動かない俺に、叔父が急かすように呼び掛ける。
無視する訳にもいかず、軽く返事をして叔父の待つ玄関先へ足を向けた。
そんないかにも足取りの重い俺を見て、叔父は少し溜息をつくと、
『環境が変われば気持ちも少しは落ち着くはずだ。少なくともここよりはな。』
確かにその通りだろう。
ここには思い出がありすぎる。
そして車に乗り込んでからふと思った。
叔父と二人きりで話した事など、今まであっただろうかと。
確かに最近は一緒にいることも多いが、微妙な空気が漂っており殆ど会話はない。
これからはその叔父と一緒に住むのかと考えるだけで、不安が心を満たし気持ちは沈んでいった。
そうして俺が俯いていると、
『そういえば、お前とこうやって話をした事ってねえな。』
突然叔父がそんな事を告げる。
恐らく重苦しい空気に耐えきれなくなったのだろう。
心を見透かされたようでドキッとしたが、会話があると少しは空気も和むものだ。
人見知りの俺から切り出すのはハードルが高かったので、寧ろ助かったと言えよう。
いや、大人として気を使ってくれたのだろうか。
『隠さなくていいって、お前俺のこと嫌いだったろ?』
軽く否定はするが、苦手だった事は認めておこう。
これから一緒に住むうえで、ずっとこの空気なのは精神的にきついものがあるからだ。
『はは、正直に言うんだな。でも何でだ?』
そう聞かれ返答に困る。
一度今までを振り返ってみると、理由は一つしか思い浮かばない。
そもそも叔父と会うのは精々一年に一度くらいの為、思い出す出来事自体少ないのだ。
その思い出の中で俺が不快に思っていたのは只一つ、父に対しての言動くらいだろう。
理由らしきものを伝えると、叔父には身に覚えがないらしく首を傾げるので、更に詳しく状況やその時の叔父の言動を伝えていく。
『ああ~、あれはなぁ。』
叔父がなんだか言いづらそうに口を開く。
『あれはなあ、羨ましさもあったんだよ。』
予想外の答えが返ってきて、意味が分からず聞き返してみると、
『実はなあ、ボクシング始めたのは俺のほうが先だったんだよ。』
今の叔父からは想像も出来ない言葉に、目を見開いてその顔を見やる。
だが驚く俺を尻目に、叔父は構わず話を続けた。
『事実だよ。同じ時期にプロテスト受けて俺は落ちた。言い訳すると結構忙しかったってのもあるんだけどな、その後はもう時間も取れなくて…な。』
不思議なものだ、好きな物事が重なるという一点だけで、これほど親近感を覚えるのだから。
さっきまで凄く遠い人だった叔父が、初めて近くに感じた。
そして今はどうなのかと問い掛ける。
『ボクシングか?…今でも好きだし、何だかんだで関わってるだろうが、お前はどうすんだ?人生ボクシングだけじゃない、辞めても誰も責めねえぞ。』
叔父の口振りからして、これから住む事になる町にボクシングジムはないのだろう。
だとすると、出来る事は限られる。
勿論辞めたりはしないが、恐らく本格的に指導を受けられるのは高校に入ってからになる筈。
しかし自主トレくらいはしておきたいと思い、良い場所はないかと問うてみた。
『まあそう言うと思ってたからな、それについては多少考えがある。任せろ。』
叔父の口ぶりからは自信が伺え、もしかしたら近くに何らかの施設があるのかもしれないと、そんな風に思った。
だが期待に膨らむ表情を読み取ったか、叔父が申し訳なさそうに口を開く。
『期待してるとこ悪いんだが、ジムもねえし近くの学校にもボクシング部はない…まあ、ないなら作ればいい。丁度良い場所があっからな、そこ借りればなんとかなるさ。』
そんな場所があるなら是非とも使わせてもらいたいが、遠慮もあり多額の費用が掛かるのであれば無理はしなくてもいいと、そう伝えてみる。
すると、
『大丈夫だ、そこの地権者はうちの患者だった爺さんだからな。それに今は使ってなかったはずだし、格安で借りられると思うぞ?必要な物も出来るだけ揃えようとは思うが、そこはあんま期待すんなよ。』
そうは言うが、俺としては場所を提供してくれるだけで有難い。
高校に上がるまでの二年間、基礎練習でもしていればいいのだから。
それにしても、まさか叔父がここまで協力的だとは思いもしなかった。
正直、中身が入れ替わっていると言われても、信じてしまいそうだ。
それだけこの人の一面しか見えていなかったという事なのだろうが。
その後もボクシング談議に花を咲かせながら、車はこれからのホームに向かって行く。
そしていつの間にか苦手意識も消え失せ、叔父に対し父に似た親近感を感じ始めていた。
『…おい、起きろ、着いたぞ。』
ラジオに耳を傾けている内に、どうやら眠ってしまっていたようだ。
車から降りると肌寒い風が頬を撫でる。
広がるのは見慣れぬ景色、だが来る前に感じていた不安はあまりない。
『ここが俺のマンションだ。遠慮なく入れ、どうせ独り身だからな。』
始めて入る部屋に少し緊張しながら、小声でお邪魔しますと言い足を踏み入れる。
『…お前これから帰ってくる度にそうやって入るのか?』
そう言われ初めて、ここが自分の家になるのだという意識が涌いてくる。
気持ちを切り替え取り敢えず部屋を見回してみると、かなり広い物件である事が分かった。
六畳の洋室が二部屋と、和室が一部屋。
八畳ほどのリビングに広めのダイニングキッチン。
これは中々に高そうな物件、やはり父とは稼ぎが違うのだろうか。
しかし見渡せば見渡すほど、勿体ない使い方をしている。
何故なら、折角の良い部屋が台無しになるほど汚れていたからだ。
そこら中に燃えるごみの袋が置きっぱなしになっており、洗い物もそのまま。
床は所々黒く変色し、何だろうと思い注視すると、どうやらシミだ。
『こっちがお前の部屋だ…ん?どうした?汚いって?まあ気にすんな。』
俺の様子に反し叔父は全く気にしていない様子。
しかしそちらが良くてもこちらはきつい為、まずは部屋の大掃除をする事に決めたのだった。
因みにあてがわれたのは和室の部屋で、少し埃が積もっていたが掃除をすればいい部屋に生まれ変わるだろう。
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俺の生い立ちに関する話は、これで終わり。
二人供が只静かに聞いていてくれた。
「その時に用意してもらった練習施設が今のジム?」
「うん。父さんの保険金、その殆どを使って今の形になったんだ。」
「うわぁ…思い切った事するね。叔父さんは何も言わなかったの?」
「ううん、散々言われたよ。絶対後悔するから止めとけって。」
これに関しては、一時口論にまで発展した。
それでも俺が折れないと知るや、叔父は方々に働きかけ会長まで連れて来てくれたんだ。
「バンテージとか買う店は決まってて、いつしかそこの店主である牛山さんも加わってくれて、今はもう欠かせないジムの仲間になったよ。」
閉店後の喫茶店で自分語り。
しんみりとした雰囲気が漂い、僅かな静寂が満ちる。
だが長くは続かず、南さんが小さく呟いた。
「…何だか凄いな。ドラマみたいだ。」
「うん、悲劇もあるけど、何だかキラキラ輝いて見えちゃうな。」
残念ながら、今の俺は輝きを放てる原石かどうかすら分からない。
「まだ…まだだよ。これから輝ける様に頑張っていくんだ。」
そう、悩む必要なんてない。
もう走り出したんだから、この道を行くと自分で決めたんじゃないか。
こうしてみると、自分語りも存外悪く無い。
いつもは意識しない内面と、じっくり向き合う事が出来るのだから。
次の試合からは父が歩んだスーパーフェザー級ではなく、会長が歩んだライト級が主戦場となる。
強豪ひしめく中量級、俺の様な凡夫に迷う暇などありはしない。
「二人供、本当にありがとう。何か元気出たみたい。」
「「…?ふふっ、どういたしまして。」」
流石親友同士というべきか、二人供が全く同じ仕草とセリフ。
そんな二人に笑顔を向けられた俺は、何故か無性に体が動かしたくなった。




