第104話
今回の興行では、清水トレーナーが育ててきた選手が二人デビュー戦を迎える。
二人供社会人であり一人は二十歳、もう一人は二十九歳という年齢。
彼らはもう計量を済ませており、頃合いを見て佐藤さんと明君も済ませた。
そして俺も秤に乗る。
「…リミット丁度、仕上げてきたね~。」
今日の係員は結構軽めな口調の人だ。
それはそれとして計量も無事終わり水分補給しながら見回すと、漸く挑戦者のお出まし。
見た感じ結構頬がこけており、それほどの余裕は感じられない。
「…二百アンダー、余裕持たせてきたね。」
意外にも、結構余裕を持った仕上げ。
だがモニター越しに見るよりも胸板が厚く全体的に筋肉質だ。
公表データでは身長百六十九とあるが、俺(百七十一)と同じか少し高く見えるのは気のせいか。
黒々日焼けした肌も、彼の雰囲気と相まって威圧感を感じる。
「並んで一枚お願いできますか?」
注文通りポーズを決めフラッシュを浴びる。
彼は舌をビロ~ンと出し、如何にも悪ガキと言った態度を貫いた。
これはキャラでやっているのか地なのか、判断つきかねる所。
そして記者から意気込みを聞かれ、互いに一言ずつ述べる事に。
「そうですね。強敵ですがベストを尽くして、チャンピオンらしく勝ちます。」
流石に本心は言えない。
例えパフォーマンスでも、父を馬鹿にしたこいつを血祭りにあげてやる等とは。
何故ならそれはあまりにも、俺のイメージとは掛け離れた言葉だから。
隣を見やると、悪ガキは欠伸をしていた。
「あ、俺っすか。何か優等生すぎる発言で、ちょっと眠くなっちゃいました。」
少しカチンときたが、記者たちの笑いを誘えているのでこれはパフォーマンスで許される範囲。
それに事実でもある。
だが次の発言が問題。
「まあチャンピオンつっても三流だと思うんで、五ラウンドくらいまでには終わるかな~って感じ?」
三流、それは今の俺には言ってはいけない言葉。
しかも俺を見る目が案に語っている。
お前の親父も含めての事だぞ、と。
思わず頭が沸騰し、掴みかかりそうになったその時だった。
「統一郎君、終わったし帰ろうか。」
グッと強めの力で俺の肩を掴んだのは会長。
それで我に返り、何も語らず足早に会場を後にする。
一瞬振り返った時に見えた彼は、トレーナーらしき男性に滅茶苦茶怒られていた。
どうやら手綱を握れていないらしい。
一方の俺は車に乗り込んでも苛立ちを引き摺ってしまい、佐藤さん達にまで嫌な思いをさせてしまっている。
これは駄目だ。
俺だけならまだしも彼らのコンディションに影響してしまったら、本当に取り返しがつかない。
「いや、ちょっとカチンと来ちゃいましたよ~。すいません。」
「いいって坊主、自分の事だけ考えてろ。」
「そうそう、幸弘君も明君もそのくらいで崩れたりしないよ。」
会長たちの言葉を受け二人に視線を送ると、乾いた笑いが返って来る。
でも確かにその通りかもしれない。
何だかんだ彼らだってそれなりにやってきたのだから。
迷惑かけている俺が心配するのもおかしな話か。
▽
家まで送ってもらった後は、取り敢えず居間で横になる。
そうしているだけでご飯が運ばれてくるのだから、良い身分になったものだ。
現在の時刻は十四時、二人も俺に合わせてちょっと遅めの昼食。
「亜香里ちゃんと一緒にショートケーキ買ってきたから。三人で食べようね。」
「うん。二つ食いたいな。ある?」
「あるよ~。ホールで買ってきたから。」
「兄さん、まさか全部は食べないよね?」
「流石にね。でも夜も食べるから。」
因みにだが、春子には俺名義のクレジットカードを渡しており、少なくとも俺の為に使う出費などはこれで買ってほしいと伝えているのだ。
だが商店街では使えない所が殆どの為、いくらかの現金も渡してある。
それと亜香里のお小遣いは、本人にもういらないと言われ今は受け取ってもらえてない。
何でも家事は殆ど春子がやっているから、もらう道理が無いとか。
何とも律儀な事である。
▼
その夜、俺は寝つけなかった。
試合前はいつもの事だが、今回はいつも以上に神経が張りつめている。
負けたくない負けたくないと、頭の中はそれで一杯だ。
だから変な事まで呟いてしまうのだろう。
「…父さんは凄いボクサーだったんだ。俺なんかよりもずっと。」
「うん。そっか。でも自分を『なんか』何て言ったら駄目だよ。」
「ああ…でもあの背中を追いかけてやってきたんだ、ずっと。」
「知ってる。頑張ってるよね。」
「確かにもう立ち位置で言えば越えたけど…それでも…」
「うん。大丈夫だよ。大丈夫。」
何が大丈夫なのか分からないが、少しだけ落ち着く。
春子はずっと俺を抱いていてくれたが、それでも結局一睡も出来ずに朝を迎える事になった。
▽▽
泉岡アリーナ、赤コーナー側個人用控室。
室内にはモニターから響く歓声だけが反響し、そんな一室で及川さんと二人それを眺めていた。
現状清水トレーナーの教え子がどちらも勝ち星を逃し二連敗、そして今は明君の試合。
しかしどちらとも明確に言えないラウンドばかりが続き、試合は最終第六ラウンドへ。
明君の出来は決して悪く無いのだが、相手方の誤魔化し方が上手くどうにも波に乗れていない感じを受ける。
そして判定はドロー。
あと一歩という所で勝ち星を逃した。
六回戦に上がってから結果が出ていない。
だがここが踏ん張りどころ、頑張り続ければきっと芽が出るはずだ。
そう信じてやるしかないんだ、続けるならば。
それから二試合挟んで第六試合は佐藤さん、相手はまたノーランカーの選手。
会長もマッチメイクに苦労している様だ。
「佐藤君は相変わらずだね。誰が相手でも勝つ為のボクシングに徹してる。」
かと言って、決して退屈な試合という訳ではない。
何と言えばいいのだろうか、結構ギリギリを見極め躱すので展開がスリリングなんだ。
そして回避が最小限であれば、当然カウンターは取りやすくなる。
「わぁ、倒した。」
「倒し方覚えたって感じですね。感覚的に。」
見ただけで分かる。
自信を持ってパンチを繰り出しているのが。
今までも知っていたつもりだったが、改めて見ると本当に強い。
少なくとも国内ランカーというレベルの選手ではないだろう。
「頑張ってるけどそろそろかな。」
「あ…棄権しましたね。」
第七ラウンド開始前、相手側から棄権の申し出。
手を出しても僅かに届かず、その度に自分だけが刻まれる。
そりゃ心も折れるだろう。
次の試合がセミファイナルなので、俺も本格的に準備しなければ。
そう思うのだが、何だか今日は色々なものがちぐはぐだ。
気ばかりが急いているというか、心と体が乖離している様な感じ。
まあ泣き言なんて言っても始まらない。
とにかく勝つ、それだけ。
▽
セミファイナルが終わった。
俺を眺める同門達は、どこか不安そうな目を向けて来る。
会長たちは一見していつも通りだが、内心はどうだろう。
さっき及川さんにミットを持ってもらったが、やはりパンチが切れていない。
調整にミスは無かった。
力みがあると言われたが、自分では全く分からない。
でももう試合が始まるから、行かなくては。
通路にはいつも通り沢山の人達がいたのだろうが、ガウンを深めに被り下を向いていたから分からない。
何故顔を上げられなかったのか、その理由は俺にも分からなかった。
▽
『只今より、本日のメインイベント、チャンピオンカーニバル日本ライト級タイトルマッチ十回戦を行います。』
ライトが眩しい。
今日は強くそう思った。
対角線で軽快に動き回る挑戦者を視界に収めると、気持ちばかりが逸る。
奴が後悔するまで叩きまくる、そんな思いで満たされてしまうのだ。
この感情は闘争心とはまた違う何か。
これは良くない。
『……二十戦十九勝一敗……………地方の星!とおみや~とういちろう~っ!』
拳を掲げ歓声に応えるが、どこか気持ちが乗ってこない。
『青コーナ~……十一戦十一勝十KО無敗、今宵王者に牙を剥くは琉球からの刺客。日本ライト級一位、琉球拳闘会所属…ワイルドっ!ディビッドォ~ほかまぁ~っ!』
始まってしまう。
気持ちだけが前のめりになっているこんな状態で。
だがそれでも勝たなければ、何とかしなければ。
どんな状況でも乗り越えてこそ、初めて本物と言えるのだから。




