第103話
一月三日火曜日、三が日の最終日。
俺も明日から仕事初めとなる。
まあずっと練習をしていたので、正月気分などあってないようなものだが。
そしてこの日の練習終わり、及川さんから後輩の試合結果が伝えられた。
「二人供勝ったってさ。古川君は粘って判定勝ち。奥山君は一ラウンドKО。流石だね。」
勝ったのはめでたい事。
だが試合内容が分からないので、何とも言えない所だ。
特に奥山君の場合、これでますます戦術や立ち回りを疎かにしてしまいそう。
持って生まれたものが強烈すぎるせいで、彼は我慢が出来ない選手になりつつある。
特に今年から日本ボクシング界はちょっと制度が変わり、その辺りが不安材料になるかもしれない。
「確か今年からはアマチュアの経歴問わず、プロの戦績だけで出場資格が決まるんですよね?新人王戦。」
「そうそう。アマチュアの強豪でも、C級からスタートなら普通に出られるからね。叩き上げにはきつい時代になったよ…本当。」
とはいえ、そうなってしまったものは仕方ない。
現状を踏まえやっていく事しか、選手には道が無いのだから。
彼らがそれを乗り越えてくれることを信じるしかあるまい。
▽▽▽
一月も十日を過ぎた頃、漸く試合の日取りが正式決定。
その日は二月十九日の日曜日となった。
会長はどうしても日曜日に拘りがあるらしく、それで折り合いがつくまで時間が掛かったとか。
挑戦者側は計量日の前日に現地入り予定で、結構良いホテルを用意するらしい。
会場は当然泉岡アリーナ。
規模と使用料金の安さから考え、もうここ一択しかないと会長は言っていた。
県としても使い道のない施設を運用出来、万々歳と言った所か。
当日は午前中からテレビ局のイベントも同時開催する予定であり、BLUESEAの三人がサイン会も開くとか。
とまあ、そんなこんな考えているうちに自宅へ到着。
「お帰り~。お風呂準備できてるから先に入っちゃって。」
「うん。じゃあ先に頂くよ。」
現在、春子は実家とここの往復生活。
南さんも卒業を控えこちらに戻ってきており、借りていたマンションは来月で解約との事。
「義姉さん、私も何か手伝おうか?」
「いいって。今は独り立ちの試験期間だから。先生はジッとしててくださいな。」
「先生は流石にやめて…」
春子の要望で、亜香里は彼女を義姉さんと呼ぶようになった。
つい最近の事である。
呼ぶ方も呼ばれる方も恥ずかしそうにしているのは少し滑稽だ。
そんな俺達は、もうすぐ本当の家族になる。
如月両親とも話はしており、卒業したら取り敢えず籍だけ入れておけばいいとの事。
お義父さんもすんなり認めてくれたのは意外だった。
式も当然挙げるが、時期はまだ未定。
俺達にとって一番良い時期にしようと、二人でそう語っている。
この様に今年は特別な年、必ず良い一年にしよう。
その為にも、結果を出さなければ。
▽▽▽
翌週の日曜日、春子と二人で父の墓参りにやってきた。
俺は月に一度訪れているので感慨も何もないが、春子にとっては違う様だ。
手を合わせ目を瞑ると、長い事そのままの体勢で近況報告。
その横顔を眺めながら思う。
父は今の俺にどんな言葉を語り掛けてくれるだろう…と。
まあ予想では【良い嫁さんみつけたじゃねえか!】といった感じか。
もう十年近く前の事だというのに、その声が鮮明に思い出せる。
思い出の中にある細かな情景は流石に朧気だが、あの豪快な笑い声はずっと記憶に残り続けるはずだ。
何故ならボクサーとしての俺、その芯に宿っているのは、今も変わらずかつて見上げた父の背中なのだから。
▽▽▽
試合まであと一月となり、練習後のクールダウンの最中、ミットを嵌めたままの会長が相手の情報を紐解いてくれていた。
「サウスポーで左のパンチのKОが多い。でもここ見て。」
「…?普通にガードの隙間を左で撃ち抜いてる…ように見えますけど。」
「そう、じゃあ何でガードに隙間が出来たと思う?」
「えっと、右のフェイントに反応してますね。」
「それが肝だよ。左の警戒が疎かになるほど右が怖いって言うのは、ちょっと普通じゃない。」
「…つまり?」
「彼は右の方が強いんだ。でも足運びや重心を見るに、生来の左利きではあると思う。」
生まれついて左利きのサウスポースタイルなのに、右のパンチの方が強い?
不思議な選手だなと、そう思った。
「で、要注意はこれ。大きなストライドで踏み込んでの右スウィングブロー。」
これは先の中村選手との一戦でも多用した動き。
一緒にその試合映像を確認すると、しっかりガードしているのに上体が仰け反るほどの威力が見て取れた。
多少の被弾などお構いなしにこれを振って来るので、相手は段々思い切ったパンチを打てなくなってくる。
「中村君もカウンター狙ってるし、良いタイミングで打ててるんだけど、獣染みた反射速度で急所を外されるんだ。」
「何かそっぽ向きながらでも平気で打ちますね。」
「うん。しかも振り切るんだよ。普通一度でも合わせられると怖くなるもんだけど、彼にはそれがない。」
イメージとしては、ガードの向こう側まで打ち抜かんとしているかの様。
この強気は何となく、昔の高橋選手と被る。
まあ流石にあそこまで人間離れはしていなさそうだが。
「この右のスウィングブローは確かに怖い…でも、だからこそこれを狙おう。」
「やっぱり…言うと思ってました。」
怖いから狙う。
打ったらやられると思わせる事が出来れば、当然軽々には打てなくなる。
結果的に封じる事に繋がるのだ。
勿論、かなりリスキーではあるが。
「今日からはこのタイミングを体に覚え込ませていこうか。」
「分かりました。」
▽▽▽
日々をつつがなく過ごしている。
暦は二月初め、試合まであと二週間余りという時期。
俺は毎日の練習に打ち込み、支援者各位の声に耳を澄ませ、取材にもいつも通り対応し、帰り着けば家族が待つ。
そんななか目を通した今月のボクシング雑誌でも、外間選手は相変わらずのビッグマウスを披露していた。
彼は俺など眼中にないと語り、この試合を越えた先の景色ばかりを見ているらしい。
取材は当然チャンピオンサイドであるこちらにも訪れており、俺はいたって優等生な返答に終始する。
そんなやり取りの中、一つのフレーズが心を大きくざわつかせた。
【三流ボクサーの息子】
これは彼がSNSで発した言葉。
インタビューなどで語った訳ではないが、言動が面白いので何となく追い掛けていたら、思わず発見してしまったという流れである。
しかし会長か誰かに怒られたのだろう、数日後には削除した様だ。
だがそれでも俺の記憶には深く刻まれてしまった。
流石にこれはちょっと行き過ぎた発言だが、こちらが反応しないので特に大きな問題にはならず、俺もパフォーマンスの一種と捉えている。
一時はやり返した方が盛り上がるかとも思ったが、そもそもSNSは性に合わず、アカウントは持っていても見る専門、書き込んだことは一度も無い。
そんな俺が現代の舌戦に参戦すれば、恥を掻くだけなのは想像に難くないだろう。
結果、チリチリと胸の中に火種を燻らせたまま調整する事となってしまった。
▽▽▽
試合まであと一週間、この時期は言葉少なになる。
だが親しい人の話を聞くのは嫌いではなく、夕食時に春子と亜香里の会話に耳を傾ける時間はどこか安らぐひと時であった。
「式はウエディングドレスでって思ってたけどさ~、結構白無垢も悪く無いって思ってきたよ。」
「確かに義姉さんはあれ似合いそう。」
「あ、本当?亜香里ちゃんが言うなら、じゃあ森平神社でもいいかな~。」
こちらに意見を求めないのは彼女たちの配慮。
そんな心遣いを受けつつ俺は、食事を終えると無言で立ち上がり風呂へと向かう。
いつもこの時期は多少ピリピリするが、ここ迄なのは流石に初めてだ。
原因が何かなど分かり切っているが、どうしようもない事も世の中にはある。
そして空腹と乾き…そして不安を紛らわせるように、布団の中で彼女を抱きしめ夜を過ごすのだ。
「…そろそろ寝よ。電気消すね。」
彼女の熱は俺に安息をもたらしてくれる。
このぬくもりがあれば、我を失う事など有り得ない。
きっと次の試合も、今までの様に自分の力を発揮し乗り越える事が出来る筈だ。
そう信じている。
▽▽▽
二月十八日計量日当日。
「じゃあ皆さん、よろしくお願いします。統一郎君、頑張ってね。」
ジムまで一緒に来てくれた春子が、そんな言葉で俺を送り出してくれる。
だが頑張るも何もない。
数時間もすればまた戻ってくるのだから。
車内は俺の空気に引き摺られてか、誰も口を開かなかった。
佐藤さんと明君には少々申し訳なく思うが、この試合だけは絶対に負けたくない。
今までは『負けられない』だったが、この試合は『負けたくない』だ。
気負い過ぎてるのも認めよう。
それでも俺は勝つ、何が何でも…絶対に勝つんだ。




