第102話
一月二日の午前、古川君と奥山君が陸前県へと旅立つ。
数日前に行われた吉田君のデビュー戦は、全ラウンド取っての判定勝ち。
会長曰く派手さはないが、堅実な試合運びで安心して見ていられたとか。
続く二人にも期待したい所だ。
ジムの駐車場は広いので、雪かきなどは業者にお願いしておりさっきまで重機が走り回っていた。
しかしそれらを操るおっちゃんも一旦手を休め、今は俺達を眺めている。
「正月休みも無しに大変だけど、これが終わればゆっくり休めるから。頑張って。」
「「はいっ!」」
大変なのは会長たちも同じだ。
今の彼らには年末も正月もあったものではない。
これが終わったらすぐに次の興行である、俺の防衛戦が控えているのだから。
同道するのは吉田君の時と同じ男衆三人組だが、及川さんも見送りに来てくれている。
そしてこちらも同じく、試合当日には陸中テレビのカメラが張り付く様だ。
三人共が幼馴染という関係性は、打ち出し方によって大きな金を産むと思っているのだろう。
試合映像を番組で流す前には彼らの生い立ちなどにも触れるようで、完全に俺の流れを踏襲する気らしい。
だがこれはうちのジムにとっては良い形。
最近は佐藤さんなど他のプロ選手にも触れてくれる様になってきており、ゆくゆくは俺以外をメインに据えての興行も考えられる。
なれば二か月に一回くらいの割合で興行が打てるかもしれない。
しかしアリーナで採算が取れるのは今の所俺だけであり、それ以外は二千人くらいの会場でやる筈。
結果会長はますます多忙になり、少し体が心配だ。
そんな事を考えている内に、いつの間にか車が目の前から消えていた。
どうやらもう出発してしまったらしい。
「どうしたの遠宮君。何か考え事してたみたいだけど。」
「いや、どんどんプロ選手も増えてるし、俺がメインの興行だけじゃ厳しいなあって。」
「そんな事考えてたんだ。でもそれは選手が考える事じゃないよ。成瀬君に任せなきゃ。それでなくても来月の中頃には決まりそうなんだよ、三度目の防衛戦。」
確かにその通り。
選手は結果を出すのが仕事だ。
「じゃあ私達も帰ろう。佐藤君は初詣行った?」
「いえ、これから会社の新年会あるんですよ。練習あるのでお酒は飲みませんけどね。」
「偉いねぇ~。吉田君は?」
「いつもは行かないんですけど、そうですね…今年は行ってみましょうか。」
「うん。行った方が良いよ。菊池君は?」
「はい、昨日行ってきました。両親と一緒に。」
「へぇ~孝行息子だね。でも彼女は?」
「好きな人はいたんですけど…恋人がいたみたいで。それ以来は…」
「あちゃ~悪い事聞いちゃった…よしっ!うちの娘紹介するよ。彼氏いないしそれなりに美人だよ?今看護学校行ってる。」
「え?でも…その……良いんですか?」
まさかまさか、明君は乗り気の様だ。
もしかしていつか、彼が及川さんをお義母さんとか呼ぶ日が来るのだろうか。
ちょっと想像しにくい。
そんな事を語り合っていると横から保護者の人達も参戦し、寒空の元暫しの歓談。
「流石にそろそろ解散。大事な時期だから体冷やしちゃ駄目だよ。」
「あ、はい。じゃあ、また夕方に。」
「うん。今日の練習は私が見る様言われてるから、よろしくね。」
▽
家に帰ると、迎えてくれたのはスイを胸に抱いた笑顔の春子。
彼女の年越しは家族とだったが、それからはこっちでくつろいでいる。
ちなみに亜香里は実家に帰省中、明後日に戻る予定だ。
「お雑煮食べる?用意してるけど。」
「うん。直ぐ出来るなら食べる。」
正月でも規則正しい生活を心掛けねばならず、大晦日も十時には寝た。
今回の対戦相手である外間選手は相変わらず、時が経てば経つほど、舐められている現実が俺の中で苛立ちとなり積もっていく。
しかしそれを良い方向の力に変換できれば、きっと次の試合も勝てる筈だ。
「お餅は二個くらいでいい?」
「うん。本当はもっと食いたいけどね。」
「ふふっ、試合を控えたボクサーが正月太りじゃ締まらないよね。」
二人で炬燵に入り、テレビを眺めながらお雑煮を頬張る。
なんて幸せな時間なんだろう。
ここに亜香里や、いつかは俺達の子供も加わればもっと幸せなはず。
そんな事を思っていると、
「…ミャァ…」
「はは、ごめんごめん。スイも大事な家族だよ。こっちおいで。」
まるで俺の考えが分かっているかのようなタイミングでスイが一鳴き。
呼ぶと応え膝の上で丸まった。
「少し寝たら?朝早くからロードワーク、そのあと直ぐに見送りで疲れたでしょ?」
「うん…そうさせてもらうよ。」
「スイはこっちおいで。よしよし。」
▽
バタバタと忙しなく歩く誰かの音で目が覚め、何をしているのかと思い見回せばどうやら掃除。
そういえば亜香里が二十九日に帰省したので大掃除も出来ていない、なので汚れている所もあるだろう。
俺は横になったままの体勢で語り掛ける。
「…春子、俺も手伝おうか?」
「あれ?起きちゃった?もしかして煩かったかな?」
「ううん、掃除してるんでしょ?手伝おうか?」
「別にいいよ~。旦那様はお休みになっていてくださいませ。」
お言葉に甘え、今一度夢の中へ。
▽
「統一郎君、そろそろ四時になるよ。練習行かなくていいの?」
「…ぅん…ん~今起きる…」
上体を起こしてから、数分はぼ~っとして過ごす。
そしていくらか頭が覚醒したのを感じてから動き出した。
「車で行く?」
「いや、今日は眠気覚ましに軽く走っていくよ。」
雪道は中々良い鍛練になる。
感覚的には砂浜を走るのに似ているだろうか。
なので足を取られない様に、一歩一歩確実に踏みしめて進む。
ジムにたどり着くと、既に佐藤さんと明君がシャドーを始めていた。
当然だが他の人達はお休み、及川さんもこれからの様だ。
「ゴメン遅れた~。あ、もう始めてるんだね。」
「俺は今来たとこですよ。バンテージもこれからです。」
「そっかそっか。でさ、スパーリングはどうする?やっても良いって言われたけど。」
「じゃあ佐藤さんと明君で。俺は遠慮します。」
言ってしまえば、今日はそういう気分じゃない。
練習自体のやる気はあるのだが、スパーはなんか違うという微妙な感じ。
「了解。二人はそれでいい?やらないならやらないでもいいよ?」
「どうしようか菊池君?」
「えっと、自分は出来ればやりたいです。佐藤さんさえよければ…ですが。」
決まった所で俺は柔軟、そしてシャドーから入る。
二、三ラウンドこなした所で、二人の準備を手伝いスパーを眺めながらサンドバッグ。
今日の明君はやけに気合が入っている様だ。
踏み込む時の気迫がいつもの三割増しに見える。
でも悲しいかな相手が悪い、追い詰めても巧みなボディワークでパンチを殺され、フックを引っ掛けられては位置を入れ替えられる。
そこからまた追い詰めなければならないのだから、これはキツイ。
「あざっしたっ!」
「うん。ありがとね。今日の動き切れてたよ。なんか良い事あった?」
俺と及川さんがグローブを外してやると、二人はそんな事を語り合いながらマウスピースを洗いに向かう。
何か良い事、その響きに心当たりがあったので及川さんに問うてみた。
「あ、やっぱり分かっちゃう?スマホの写真見せたら気に入ったみたい。」
「娘さんのですか?俺も見たいです。」
「え~?美人って言ったけど、実はそこまでじゃないよ?」
予防線を聞き流しつつ見せられたその人は、目の前にいる女性をそのまま若くしたような感じ。
間違いなく美人の部類に入るだろう。
これでやる気を出すとは、明君も意外に現金な所がある。
「でね、冗談で言ったんだよ。娘は強い男が好きなんだって。」
「それは気合も入りますね。でも本当に紹介するんですか?」
「うん。付き合う付き合わないは本人たちの問題でしょ?娘も彼氏と別れて直ぐの時期だから丁度良いと思うし。」
二人が戻ってきたのでこの話は終わり。
二人にはそれぞれのメニューこなしてもらい、俺はリングに上がりミット打ち。
パンッパンッパシィンッ!
及川さんのミットは、何というかしなやかな感じだ。
しっかり良い音を響かせてくれるので気分もいい。
だが、厳しいのは会長譲りか。
「…ワンツースリーフォーファイブまでっ!もう一回っ!もう一度っ!更にもういっちょっ!まだ終わらないよっ!」
まるで無限地獄。
終わる事無く要求されるコンビネーションの嵐。
そしてラストには当然無呼吸連打が待つ。
俺の後には当然二人も同様のしごきを味わい、三人共が終わって直ぐは動く事も出来ないほど疲れ切ってしまった。
でもこのくらいで丁度いい。
何故ならきっと、次の試合も厳しいものになるから。
それを越えるには、もっともっと自分を苛め抜かなければ安心できない。




