???話。那古野の一大事
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尾張・那古野城
「う~! う~! まだかや? まだなのかや?」
相模は足柄城にて今川義元と長尾景虎が無駄な緊張感をまき散らしながら不毛な会談を行ってたころのこと。
今川義元に『景虎に匹敵する』と評された外道こと尾張の織田信長は、伊勢や美濃の対処とは比べ物にならない程の難題を前にして、慣れない者が見たら即座に土下座を敢行するほどの緊張感をまき散らしながら、とある部屋の中を行ったり来たりしていた。
「うるさいですねぇ。少し黙りなさい。もし黙れないと言うならさっさと出て行きなさい」
「なんじゃとぉ?!」
「だ~か~ら~ここで大きな声を上げないでくださいって。貴女は基本的にうるさいんですから」
「あぁん?!」
信長の居城で、殺気を撒き散らす信長に対し、静かに、だがはっきりと「部屋から出て行け」と言い放ったのは、姫様の第一の従者を自認する雷神が娘誾千代である。
普段の言動からイメージすれば、彼女は信長と一緒になって騒いでいそうな印象があるのだが、今回はそうなっていない。
なぜか? 簡単だ。
忘れがちになる時もあるが、元々誾千代は姫様こと義鎮のお産を手伝うために、ある意味大友家の代表として派遣された少女だからだ。
男性よりも女性の方が役に立つと言うのはもちろんのことだが、そもそも誾千代はこれまで数回他の者のお産にも立ち会ったことがあるし、子供にも出来る手伝いをやらせてもらったこともある。(……逆に言えば、その経験がなければ戸次鑑連や吉弘鑑理も誾千代を義鎮の下に派遣しなかった)
さらに言うなら、今も自身を大友家の家臣と定義付けている誾千代からすれば、姫様のお産は間違いなくお家の一大事である。
そんな一大事を前にして無闇矢鱈と騒ぐなどありえないことだ。それなのに、わざわざお産をしている部屋の隣に来て殺気を撒き散らして邪魔をするとは何事か。
これ以上姫様の邪魔になる前にさっさと死ね。いや私が殺す。
今の誾千代の気持ちを言語化するとこのような感じとなる。
本当なら自分も部屋に入ってお産を手伝いたい気持ちもあった。しかし望月某が用意した産婆から『慣れた人員だけでやりたい』と言われてしまった誾千代は、泣く泣く手伝いを諦め『本職の産婆が居る以上、自分がすべきは部屋の外で外敵から義鎮を守ることだ』と判断するに至ったのだ。
そして彼女は、いまや一番の外敵になりつつある信長に対して牙を剥く。
「少し考えればわかることでしょう? お産を控えている姫様の部屋の隣でそんな大声を上げたり殺気を撒き散らすことが、姫様や稚児にとって良いことだとでも思っているんですか?」
「うぐっ!」
そう。現在那古野では、産気づいた義鎮の為、彼女に何不自由なく出産に挑んでもらおうとした信長の命で、超級の厳戒態勢が敷かれていたのだ。
自身との面会停止は当たり前。
その他にも、走るの厳禁。騒ぐの厳禁。たとえ緊急事態の報告であっても静かにしろ。と、万全の態勢を築くことを徹底するよう厳命を下した信長が、一番騒いではいけないところで一番騒いでいるのだから、誾千代としても突っ込まずにはいられない。
「大体信長殿は慌てすぎです。ここで私たちが慌てても迷惑にこそなれ、良いことなどありません。私たちは部屋の中から「あぁしてほしい」とか「こうしてくれ」と言われたら、それを素早く行えば良いんです」
「そ、そういうものなのかや?」
「そういうものです。大体信長殿には弟や妹がたくさんいるでしょう? それなのに出産に立ち会ったことがないのですか?」
「……」
誾千代の突っ込みは、信長の家族構成を鑑みれば至極尤もであろう。
なにせ尾張のマダオこと先代織田信秀にはその身代に見合わぬほど沢山の子供がおり、夭逝せずに成長している者だけでもその数は20人を超えるのだ。
その中には当然信長の姉や兄もいるのだが、ほとんどは弟や妹である。
ならば出産に立ち会ったことくらいはあるだろう? 幼少のころから(今も子供だが)家中の者たちのお産の手伝いをしてきた誾千代からすれば、たとえ相手が姫様だからといって、ここまで信長が騒ぐ理由がわからなかった。
しかし、信長の事情を知る者からすれば話は別。
「……誾千代殿。実を言いますと、殿は弟様や妹様のご出産に立ち会ったことは無いんですよ」
「はぁ? 10人以上の弟さんと10人以上の妹さんが居て、一度も出産に立ち会ったことがない?」
「……うむ」
恒興からのフォローを受け、なんとも言えない表情をする信長と、そんな信長の表情を見てなんとも言えない表情をする誾千代。
誾千代からすれば何がどうなればそんな状況になるのかがわからない。
いや、これが今の信長や、かつての義鎮のような立場であるならわかるのだ。そりゃ国を治める主君や、それに準じる立場の者が、配下のお産の現場を訪れるなど迷惑以外の何者でもない。
激励のつもりなのかは不明だが、ともかく主君が訪問したせいで周囲に気を使わせてしまい、一番気を使わねばならない相手をおざなりにしてしまった結果、母子を危険に晒したとなれば、当の家臣からは感謝されるどころか恨まれてしまう。しかも、その恨みは絶対に晴れることはないのだ。
双方のためにも来訪はお断りするし、サプライズでこられてもお引取り願うのがこの時代の常識であった。
古今を問わず、主君は出産に立ち会うのではなく、子供が生まれた後に何かしらの祝い品を渡す程度が君臣共にちょうど良いのである。
故に、だ。
誾千代は義鎮になら「これまで他人の出産に立ち会ったことがない」と言われても納得出来る。むしろ当然の話だと思うだろう。
だが信長の場合は別。
義鎮を通じて織田家に仕えることになった誾千代が調べたところ、今でこそ尾張や三河を統べる信長は、ほんの数年前まで尾張でも有名な『うつけ』であり、信長が名乗っている織田弾正忠家という家も、元は守護代の家老の家に過ぎなかった家だ。
その家の格は、言ってしまえば誾千代の実家である戸次家と大差ない、否、むしろ積み重ねた歴史や、主君を含めた周辺への影響力を考えれば戸次家よりも下かもしれない。
この程度の家の娘が、跡取りとは言え家臣や弟妹の出産に立ち会ったことがない?
それがどれだけ歪なことか。もっと言えば、この程度の家の分際で20人以上も子を為す時点で、子がいなくて養子を貰った経緯のある戸次鑑連の娘としては理解出来ないところであるのだが。
(一体どうやったら嫡子がこのように育つのか……流石はあの姫様から死してなお『マダオ』と酷評されるマダオですね)
全盛期は戦にはそこそこ強かったようだが、それだけだ。
内政では非情に徹しきれず親族に足を引っ張られ、得意の戦も最終的には戦に負けまくって領地を失い、最期は命惜しさに坊主に祈祷するために散財しまくって死んだという印象しかない誾千代であったが、ここにきて『子育ても出来ないロクデナシ』と言う印象が加わることになる。
そんな誾千代のマダオ評はともかくとして。
「話はわかりました。では信長殿」
「お、おう」
「正直に言って今の貴女は邪魔です。ここに居たいなら黙って座っていてください。それが出来なければそこな池田殿と共に馬場を走るなり練武場で鍛錬するなりしていてください」
「え? 私もですか?」
信秀の駄目さ加減や、そんな親を持ってしまった信長に対する同情もないわけではないが、そんなの今の姫様には関係のないこと。『信長がお産に立ち会ったことがないこと』を知った上で、誾千代は信長が姫様の邪魔にならないよう隔離する方針を固めた。
恒興? 信長に同情して注意していない時点で同罪である。
「ぐがっ!」
真正面から『邪魔だ』と言われ凹む信長だが、今の自分が姫様の役に立っていないことは紛れもない事実である。いや、それどころか、出産を控えた姫様の部屋の前で殺気を撒き散らすなど言語道断であることは言われるまでもなくわかっている。
しかし、まさか厳戒態勢を命じた自身がそんなことをしていたことなど自覚もしていなかった信長にしてみれば、誾千代から言われた『姫様の邪魔だからどっか行け』と言うツッコミは「その忠義天晴れ也」と褒めたり「気付かせてくれてありがとう」と感謝することはあっても、怒るようなことではない。
怒るようなことではないのだが、凹む。
今ここにいるのは、周辺から外道と恐れられる尾張の主、織田弾正大弼信長ではなく、ただ叱られて凹んでいる赤毛の少女であった。
「……是非もなし。行くぞ恒興」
「え? やっぱり私も一緒なんですか? ……私は別に騒いでませんよ?」
「いいからお前も行け」
「うぅぅ~」
場を弁えずに殺気を撒き散らしていた主君と一緒にされ、流石に不満そうな雰囲気を醸し出す恒興。そんな彼女を連れて、信長が部屋を後にしようとしたその時、
『オギャー! オギャー!』
「「「?!」」」
肩を落とし、トボトボと歩を進めていた信長や、巻き込まれた恒興、そしてその両者が出ていくのを見送ろうとしていた誾千代がいる部屋に「戒厳令? そんなの関係ねぇ!」と言わんばかりの大声が鳴り響く。
「お、おぉ! 産まれたか! 姫様は無事なんじゃろうな?! すぐに確認を……ぶぎゃ!」
「うるさいです! 姫様はお疲れなのですから黙りなさい! と言うか池田殿、これをさっさと運んでくださ……「姫様、体調は大丈夫ですか?なにか欲しいものとかありますか?!」いって、えぇぇ?!」
声が聞こえたとほぼ同時に、落としていた肩を上げ、180度回転をして姫様の部屋に突っ込もうとする信長を誾千代が横からタックルして止め、無防備だった脇腹を突かれて悶絶する信長を恒興に託そうとするも、その恒興が信長や自分に先んじて姫様のいる部屋に突入していると言う事実に驚愕する誾千代。
そんな混沌とした状況にあって、彼女たちからの心配を一身に受けていた義鎮はと言えば……
「姫様、元気な男の子ですよ!」
「そう、男の子……元気ね(よかった! 本当によかった!)」
望月が取り上げてくれた我が子を抱きながら、自身の腕に抱かれて元気に泣き喚く千寿との間に出来た子の存在を感じて、ただ涙していたと言う。
後日、この時信長が殺気を撒き散らしていたことを思い出した義鎮や、それを聞いた千寿により、信長や恒興、ついでに成政や利家が折檻と教育を受けることになるのだが、それはまた別のお話である。
『姫様出産する』の巻。
これにて五章終了です。
次は長尾勢が帰ったあとの関東や北伊勢や遠江、さらに美濃あたりが関わってくるでしょうか。
幕間としては、FUJITAKAとかKUGEが出てくるかもしれません。
他の作品の更新や、諸作業をしつつの執筆になりますのでこれからも更新は不定期となってしまう予定ではありますが、今後とも拙作をよろしくお願い致します。
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