115話。足柄会談の後
キングクリムゾンッ
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相模・足柄城。
「なんと。では連中は初めから我らに伊豆と相模を任せる気だったのか?」
何を考えているかわからない上に、会談の場でさえも「えぇ(御託は良いからさっさと相模と伊豆を治めてよね)」だの「そうですね(もう、面倒だなぁ。早く越後に帰って誰かに家督を譲って三河に行きたいのに)」だのと一言二言しか口にしないせいで意志の疎通さえ難しかった自称軍神様との極めて不毛な会談を終えた義元は、両者の会談の陰で実務者協議を行っていた雪斎に、協議内容の確認を取る。
「はっ。それどころか『出来たら治部様に武蔵も治めて欲しい』とまで言われましたぞ」
すると雪斎は雪斎で困ったような表情を浮かべて、宇佐美定満や直江実綱との会談の内容を義元に報告する。
「武蔵も? それを関東管領や古河公方も認めていると?」
「はっ」
「……ふむ」
言葉通りに受け止めれば『此度の北条攻めに参加している全ての勢力が、北条家が治めていた所領の全てを今川家が治めることを承諾した』と言うものであった。
この言葉が本当なら『今川家が治める土地に越後勢は乱入してこなくなる』と言うことなので、普通に考えれば非常にありがたい申し出である。
しかし、義元も雪斎もそのような上辺だけの言葉に騙される程、青くはない。
「連中め。自分たちで荒した土地を我らに復興させるつもりか?」
「おそらくそうでしょうな。関東管領にも古河公方にも、荒れた土地を改善できるほどの銭も能力も有りませぬ故、連中と比べて余力がある我らに銭を出させたいのでしょう」
「……はぁ」
豚は太らせてから食え。そう言うことだ。
越後勢の思考は、義元も思わず溜息を吐く程の山賊思考であった。
「そもそも連中に余裕が無いのは、毎年毎年自分たちで土地を荒したからだろうに」
「その通りです」
最近の関東は、関東管領と古河公方がいがみ合い、両者の争いの隙を突かれては北条に負けて土地を取られ。北条を追い払う為に越後から山賊を呼ぶ。と、大まかに言えばこのような流れが出来ている。
ただでさえ戦続きの中で疲弊しているところに、定期的に山賊が現れて、徹底的に土地を荒らしていくのだ。
そんな土地に余裕など有るはずがないし、余裕がなければ税だって取れるはずがない。
税が取れなければ収入も無くなってしまうので、ますます困窮することになる。
それでは復興どころではない。
「なんでも、今年の関東での乱捕りが振るわなかったことで、越後勢の中から「しばらく関東への遠征を控えた方が良いのではないか?」との声が上がっているようですぞ」
「……休耕のつもりか?」
「それに近いかと」
休耕とは、簡単に言えば田を休めることで連作障害を防ぐことである。この時代、明確な理論が知られているわけではないが、経験則で時には土地を休ませることが必要であることは知られている。
閑話休題
「休耕と言ってもな。連中、自分たちが売った民がどこに運ばれているのかすらも知らんだろう?」
「で、しょうな」
これまでは関東で売られた民は、基本的に北条を始めとした関東の大名が買っており、越後勢らが帰った後でその民を放出して、土地の復興にあてていた。
こうすることで、北条家は自分たちに親しみを覚える住民を増やせるし、関東の人口も減らないので、荒された土地の復興も比較的容易に出来たのだ。
しかし現在、関東で叩き売られた民は、大部分が尾張や三河に運ばれている。これにより関東の人口は減る一方となっており、それが越後勢の言う『回復力』が落ちている原因となっているのだ。
ちなみに今後は関東で売られた民を今川にも回してもらうことが確約されており、その今川では買った人手を甲斐や相模の開発に使う予定なので、純粋にマンパワーが不足することが予想されている。
よって、今後は越後勢が想定するように『数年略奪をしなければ元通りに回復する』などと言ったことにはならない。
「ではやはり連中の狙いは、私に土地を復興させてから略奪を行うこと、だな?」
「で、しょうな」
越後勢はもとより、古河公方や関東管領には、休耕中の土地を管理するだけの銭もなければ、自分たちで略奪する予定の土地を復興しようとする気もないのだ。
そこで休耕させている土地を耕す人間として白羽の矢が立てられたのが、今回の戦で火事場泥棒的に(古河公方や関東管領はそう思っている)相模と伊豆を手に入れることになる今川家なのだろう。
彼らの価値観からいけば『関東の外から来た今川家が武蔵の復興のために予算を使っても、そう簡単に武蔵の住民や国人が靡くことはない』と言う、良く分からない関東武士の理屈が最初にある。
そして関東管領や古河公方にとって、今川は駿河守護でしかない。よって『自分たちの為に身を粉にして働け』と言う、足利家や管領特有の理屈もあると思われた。
さらに、荒れ果てた武蔵の為に無駄銭を使わせることで今川家の財力を圧迫することが出来れば、自分たちが侵略をするときに楽になる。
その上で、今川家が耕してくれた武蔵の地で収穫を行えば、関東管領も潤うし、古河公方も潤うし、越後勢も潤う。これぞまさに三方良し。と言ったところだろうか。
これに対して義元が文句を付けようとしても、
今川家の統治を認める? 知らんな。
それは長尾が勝手に言った事だろう?
長尾には関東の統治に口を出す資格など存在しないぞ? その程度の事も分らんのか?
このような感じで『長尾が言ったことだから自分たちは知らん』と言うスタンスを取って義元からの反論を潰すつもりなのだろうと思われる。
この場合越後勢(と言うか景虎)が完全に面目を潰される形になるが、元々古河公方がそんなことを気にするはずも無ければ、景虎もそのようなことは気にしないタチの人間だ。また越後勢にとっても、今川家が関東に居座ることは決して無意味なことではない。
よって雪斎は、越後勢の中で多少の不満は出るかもしれないが、実利を優先するだろうと推察していた。
「伊勢の分家でしかない『北条』では古河公方に成り代わることが出来んが『今川』ならば可能だからな。それを名目に、連中から関東への戦への助力を受けても『足利の内輪の問題』として無関係を主張することも出来る。そう言うことか?」
「はっ」
そう。今川家の存在は、越後勢が関東管領や古河公方からの援軍要請を断る口実として使えるのである。
なにせ、今川家は『足利が不甲斐無いなら、足利に代わることを認められている家』だ。
この理屈で言えば、義元が「古河公方(古河足利家)が不甲斐無いので、これからは今川家が彼らに代わって関東を治める」と言っても、それは叛乱でもなければ下剋上でもなく、正当な権利の行使となる。
長尾家にとっての主筋である関東管領山内上杉家が騒ぐかも知れないが、関東管領と古河公方と言う言葉からも分かるように、本来は管領は公方の下にあって公方を支えるべき存在だ。
ならば関東管領にすぎない山内上杉家には、足利と今川の争いに関与する名分がない。少なくとも越後勢はそう言って遠征への参加を断ることが出来るのである。
……実際に断るかどうかは別としても、『断ることが出来る』と言うのと『断ることが出来ない』ではまるで違うと言うことは、言うまでもないことであろう。
あとは景虎の胸三寸。
「加えて、我らが土地を復興させれば、連中が関東管領か古河公方に呼ばれた際に「今川が復興したから武蔵で略奪が出来るぞ」と言って国人を説得できるな」
「左様です」
「……つまり連中からすれば、我らに相模と伊豆を渡すのは武蔵を復興させる為の餌。いや、駄賃か?」
「その通りかと」
「風前の灯火である北条はともかく、私もこの扱い、か。随分と舐められたものよなぁ」
長尾風情が何様だ! そう吐き捨て、手にしていた扇子をベキッとへし折る義元と、その義元を見て眉を顰めるものの、最近の自身の状況を省みて『感情を表に出すな』とは言えず、なんとも微妙な表情をする雪斎。
そんな両者の内心はともかくとして、義元は向こうの連中が張った稚拙な罠に憤る。
(どこに略奪されることを前提にして土地を治める大名がいると言うのか!)
北条の場合は、古河公方や関東管領に代わって土地を治める名目が無かったがために『彼らに対して住民たちの悪感情を煽る』と言う長期戦略的な目的が有った。
しかし、足利の連枝衆である今川にはそのような回りくどい方法をとる必要性はないのだ。
であれば、現時点で今川が武蔵を得ても利益はない。それどころか、数年かけて復興したところを狙って、古河公方らがちょっかいを掛けて来る可能性が極めて高い。
ただでさえ甲斐に続き相模と伊豆を得た今川家は暫く内政に専念する必要があると言うのに、わざわざ武蔵で戦線を構築する? 有り得ない。
そんなことをするくらいなら、今まで通り関東管領と古河公方に武蔵を巡って睨み合いをしてもらい、その間に伊豆の統治や、相模と甲斐の復興を急がせる方がよっぽど建設的と言える。
長尾は今川が相模や伊豆の所有を認める事を『武蔵の復興に対する対価』のように言ってきているようだが、そもそも現状では今川家以外に治めることが出来る大名が存在しないではないか。
よって長尾の要請を無視して武蔵を放置し、相模と伊豆の復興だけを行えば良いのか? と言うと……これまた微妙な問題となる。
「舐められているのは事実でしょう。しかしながら、連中にはそれだけの実績がございます。故に、向こうの思惑を頭から否定をするのは危険を招く可能性がございますぞ」
雪斎が言う『危険』とは、今川が相模や伊豆だけ復興し武蔵に手を入れなかった際に、長尾が『今川に騙された』もしくは『今川が約定を破った』と怒り狂い、後先考えずに侵攻をしてくる可能性のことを指している。
「……ちっ。どう転んでも厄介とは、心底面倒な連中よな」
「誠に」
武蔵を獲れば後で略奪を受ける。
獲らなければ約定違反を咎められて侵攻を受ける。
武蔵を獲っても復興を行わなければ今川家の名に傷が付く。
雪斎の懸念は、景虎と会談を行った義元もヒシヒシと感じていることでもあった。
長尾景虎と言う人物は独自の判断基準を持っているが故に、状況が彼女の思う通りにならなかった時にどのような行動を起こすのか、実際に景虎を見た義元にも予想が付かない。
更にタチが悪いのが、長尾景虎が率いる越後勢は周囲が見ても『そんな無茶な』と言う理論ですら押し通す力があることだろう。
連中は『権力も財力も全ては腕力の代替品である』と言う、生物としての原初のルールを体現する存在であるが故に、伝統や格式、そして常識を念頭に置いて動く義元とは極めて相性が悪い相手なのだ。
(いや、まぁ、アレと相性が良いヤツなど……居たな。尾張に)
長尾景虎が『常識と言う道を外れることを厭わぬ真正の外道』であるなら、自国の国人を『邪魔だから殺してくれ。あぁ、そっちにも邪魔なのがいたら殺してやるぞ?』などと提案してきた信長とて、その外道っぷりは負けてはいない。
むしろ両者を見比べれば、自身を『将』と割り切り、戦に特化した思考を以て敵地や戦場で外道働きを行う景虎よりも、自身を『為政者』として定義付けているにも関わらず、主に自領で外道働きを行う信長の方が同じ為政者として理解するのが難しいかもしれない。
なにせ信長には、尾張であれだけの外道働きを行っておきながら所領の運営に成功しているという実績もあるのだ。
義元は軍事も政治も結果が全てであると理解している。理解しているが故に、軍事で成功している景虎や両方で成功している信長の行いに文句を付ける気はなかった。
しかし、自身の常識が一切通用しない織田信長と言う大名を、完全に理解の埒外の存在として認識することを止めるつもりもない。
そんな義元が恐れる二人の外道が率いる勢力は、信濃でその領地を接しているのだが、今のところ争うような雰囲気は見られないのが残念なところである。
(いっそ奴らが戦ってくれれば……煽るか? いや、駄目だな)
外道同士が争うのは良い。
両者が疲弊して終わるのなら最良だ。
しかし、両者が争って長尾が勝った場合、次は自分が治める領地が長尾と接してしまう。
同じ外道であっても、思惑や行動基準が全く理解出来ない長尾よりも、将来的に今川に降る気があることが判明している織田の方が隣人として望ましいのは当たり前の話だろう。
「殿?」
「……あぁ、済まぬ。武蔵云々よりも、相模で北条を打ち破らねばならん。そう思ってな(ここで織田にちょっかいを出そうと考えておった。などと言っては、間違いなく説教を喰らうだろうな)」
「ふむ。確かに連中は両足どころか肩まで棺桶に入っておりますが、まだ死んではおりませぬ。瀕死の窮鼠に噛まれて傷を負うのも馬鹿らしい話ですし、取らぬ狸の皮算用とならぬよう気を配るのは間違っておりませぬな」
「うむ。連中はこれまで散々辛酸を舐めさせてくれた相手だ。油断は禁物よ(よし、誤魔化せた!)」
自身の目の前に放り投げられた武蔵と言う名の稚拙な罠。
この罠を連中の墓穴とする為にはどうするべきか。
自分を舐め腐ってくれた連中にはしっかり落とし前を付ける。
自身が先走っていたことを反省して頭を下げる雪斎を眺めつつ、義元は「どうやれば古河公方や関東管領を効率的に苦しめることが出来るか?」を真剣に考えるのであった。
義元と景虎の会話をバッサリカット。
まぁ多少はね?
この時代、大名同士の話し合いよりも、重臣同士の話し合いで決まることは多々あります。と言うかほとんどそれですので、定満や雪斎の話し合いは非常に重要なのです。
重要なんですけど、前から長尾の方針は書いているので、ここではあえて書きません。
今川は関東勢が用意した武蔵と言う沼に嵌るのか、それとも逆に関東勢をその沼に叩き込むのか。
「をろあ!」ってお話
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