114話。足柄会談
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越後勢が関東での農作業(農地破壊)に飽き、そろそろ越後での農作業(田植え)について思いを馳せはじめた二月中旬。
駿河守護今川治部大輔義元は、小田原を囲む関東勢を実質的に率いている長尾景虎との会談を行う為、小田原からそれほど遠くない地に建てられた足柄城へと入城していた。
ちなみに今川勢は、先々月の時点で北条勢が戦力を集中するため敢えて空にした伊豆に対し一万二千の軍勢を以て侵攻し、すでに伊豆の攻略を完了している。
当初、彼らを越後勢と勘違いして激しく抵抗しようとした住民と多少のいざこざは有ったものの、越後勢と違って乱捕りや農地の破壊を行わなかったことで民の信頼を得た今川勢は、短時間で伊豆の攻略に成功している。
北条家としては「期待はしていなかったが、せめてもう少し粘って欲しかった」と言ったところだろうが、伊豆の民にとって重要なのは、北条家の存在ではなく、彼らを守ってくれる領主の存在である。
それを考えれば、住民の視点から見て彼らは北条家に『見捨てられた』ことに違いはない。そして北条家にどのような策が有ろうと、見捨てられた住民が、見捨てた領主の為に戦うことなどありえないのだ。
また伊豆の民が、相模や武蔵で越後勢がどのような行為を行っていたのかを事細かに知っていたことも、今川勢が早期に伊豆を攻略出来た要因の一つであった。
具体的に言えば、伊豆の民は『越後勢がきたらやばいことになる』と、彼らの存在とその侵攻を恐れていた。
そんな民が抱える恐れの根元を見抜いた黒衣の僧は、軍勢を率いる者には『乱暴狼藉の禁止』を。従軍する僧たちには『住民への説明』を行うよう指示を出す。
その指示を受けた者達は、伊豆の民に対する乱暴狼藉を行わぬよう徹底しつつ『今川勢の庇護を受けていれば長尾勢に襲われない』と民に囁くことで、静かに、かつ着実に彼らの中から今川勢に抵抗する気力を奪って行ったそうな。
義元にしてみれば『これから自身が治める土地を自分で弱体化させてどうする』と言う、非常に常識的な判断からきた行動でしかなかったのだが……この義元の行動は、本来この地を治めるはずの古河公方や関東管領ですら率先して略奪を行っている現状に絶望していた民から『仏の如き有情』と受け止められることとなる。
そうこうして有情の軍勢である今川勢が本当に乱暴狼藉を行わないことを知った伊豆の民は、すぐに反抗することを止める。否、抵抗をしないどころか、率先して今川家に恭順の意を示したと言う。
と言っても、彼らは今川家に忠義を誓っているわけではない。もし今後、北条家が今川勢を伊豆から追い出すことに成功したならば、彼らは全力で北条家に尻尾を振ることになるのだが、それはそれ。
民がそういう強かさを持っていると言うことは、義元を始めとした今川勢も理解している。故に彼らは現時点で伊豆の民からの絶対の忠誠など求めてはおらず、ただ『北条との戦を邪魔さえしなければ良い』と割り切っていた。
この割り切りの良さだけでも『海道一の弓取りは戦だけの人間ではない』と言うことが良く分かるだろう。
少なくとも義元は、領地を経営するつもりが全然ない自称軍神様とは比べ物にならないくらい優秀な為政者であることは間違いない事実であり、そのことに関しては景虎本人も、彼女を軍神と崇める宇佐美定満や直江景綱とて全面的に認めるところである。
ただ、その認識がこれから始まる会談にどのような影響を及ぼすのか? と言う点については、当事者たちにも知り得ないことであった。
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相模・足柄城
「治部殿におかれましては、お初にお目にかかります。越後守護代長尾家が当主、長尾弾正少弼景虎にございます(ふぅん。これが治部か。中々の雰囲気だね。実際この人のせいで雌猫は駿河に手を出せなかったって言うし、今も三河守さんと戦って負けないだけのことはある、のかな?)」
自身をただの将帥と定義付けているが故に、己が目の前に座る男に為政者として劣るのは当然のことと割り切っている景虎は、格の上では遥かに格上の相手を前にしても特に気負いもせず、挨拶と品定めを行い、かなり失礼な感想を抱いていた。
しかし、自分が相手を見ているときは、相手も自分を見ているものである。
「丁寧な挨拶痛み入る。私が今川家当主、今川治部大輔義元である(これが軍神を自称する長尾景虎か。何を考えているのかさっぱりわからん上に、無駄に剣呑な雰囲気を纏っておる。……晴信はこれを『処女を拗らせた自称軍神』と評したそうだが、それも納得できる。と言うかこれの相手が務まる男など然う然うおるまいよ)」
「……何か?(コイツ、今、なにか失礼なことを考えたな?)」
「……いや、なに。お主の将器を見定めんとしただけよ。不躾な視線を感じたのであれば謝罪しよう(危うい危うい。無駄に鋭いな。しかしまぁ、この程度で不快に思う情緒があり、それを隠せんと言うのならまだまだ未熟。織田の鬼畜と比べて遥かにマシな相手よな)」
景虎がかなり失礼なことを考えていたとき、義元もまた、かなり失礼なことを考えていた。
……思わぬところでとばっちりを受けた『織田の鬼畜』が誰の事かはさて置くとして、両者の関係で言えば、守護で治部大輔で屋形号を許された足利の連枝衆でもある今川家の当主である義元に対し、景虎は守護代で弾正少弼でしかない。
よって格の上で上位者となる義元が、景虎に不躾な視線を向けてその器を量ろうとするのは、社会通念的には間違いではないし、無礼でもない。
「……そうですか。初対面の将の器を確認するのは、必要な事と存じますので、特に謝罪の必要はございません。(いや、コイツ、絶対別のこと考えてたよね? けどまぁ、今は見逃してやる。……私はこの戦が終わった後で家督を誰かに譲って三河に行くし。ふっ。あとで三河守さんと一緒に痛い目を見せてやるからなッ!)」
間違いでも無礼でもないのは事実だが、不躾な視線を向けられた乙女(今年で19歳)が内心で不満を抱くのも、これまた人としては当然のことと言える。
「で、あるか(む? 許したにも関わらず景虎が発する剣呑な雰囲気が増した? しかしこやつにはここで我らと敵対する理由はないはず。で、あれば、これは一時の感情の発露と見るべきか? ふむ。……想定していたよりもかなり単純、いや、純粋な輩のようだ。こう言った輩は下手に口先で転がせば『騙した』などと逆恨みして敵になりかねん怖さがある。はてさて、これはどう説得したものか)」
今回の会談で今後の関東を見据えた会談を行おうとしていた義元は、自身に頭を下げる景虎を見ながら剣呑な気配を隠そうともしない景虎を見据え『どう話を進めればこれを敵に回さずに関東を獲れるか?』を考え、言葉を探す。
そうして将来を見据えた一手を探す義元に対し、当の景虎は、
「はっ。(で、挨拶は済んだでしょ? さっさと本題に入ってくれないかなぁ。どうせ相模と伊豆の分配に関する話だろうし。……もう全部治部が治めて良いから。欲しいなら武蔵もあげるし。大体さぁ、今川は足利の連枝衆なんだから、ちゃんと憲政(関東管領)様とか晴氏(古河公方)様の面倒も見てよね!)」
と、この機を利用して家督と一緒に関東の柵も投げ捨てる気満々であったと言う。
……流石の義元も、越後の龍と呼ばれている景虎が『さっさと家督を放り投げて三河に行きたい』などと考えていることや、もしもこの場で義元から『関東は自分が治めたい』と提案された場合には『構わない。しっかりと関東管領の手綱を握って欲しい』と、応援までするつもりがあろうことなど、完全に想像の埒外であった。
海道一の弓取りと、毘沙門天の化身。
戦国に名だたる両雄の会談は、未だ始まったばかりである。
今川の動きの簡単な解説と、越後の軍神様久々登場回。
これまで冒頭で越後勢が目立ってたから久々と言う感じはしませんが、まぁ多少はね?
多数の人間を生き地獄に叩き落としている景虎は、無事幸せを掴めるのか? ってお話
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