112話。北畠家の都合
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南伊勢・大河内城
六角家に於いて織田家との戦いを決定する軍議が行われていたころのこと。
一〇代で従五位下侍従となり、三十と少しで従四位下参議に叙任されて公卿に列し、つい先ごろ父の北畠晴具の隠居に伴い家督を相続。さらに今年の中頃には従三位権中納言に叙任された、日ノ本の武家の中でも有数の名家である伊勢国司北畠家の当主にして、塚原卜伝に剣や兵法を学び、奥義である一の太刀を伝授されたともいわれる剣豪でもある男、北畠具教の下にも、北伊勢の国人たちからの援軍要請が届けられていた。
「織田弾正め。……斯波を討ち果たした成り上がり者風情が、朝廷の庇護者を気取り荘園の回復などと、増長も甚だしいわ!」
ただ国人からの援軍要請に対する反応は、大名として信長に近い思考を持った義賢とは違い、国人に寄った反応になってしまっているのは、やはり彼が伊勢の大名だからだろうか。
『伊勢のことは伊勢国司である自分が決める』
具教にそういった思いがあるのは確かだ。
それに、先代の晴具が未だ在命であり、元々北伊勢や志摩への圧力を強めようとしていた彼ら北畠家は、先代の定頼が死んでから数年の時間を使って家中を掌握し、これから近江の外に目を向けようとしていた六角家とはその思考が根本から違う。
具体的に言うならば、六角家は越前の朝倉家や、親族である土岐の人間を追い出した美濃の斎藤家。さらに先代から因縁のある三好家に囲まれていたので、彼らがこれから目を向けようとしていた『外』の範疇に、北伊勢など入っていなかった。
そんな感じである意味で伊勢を軽視していた六角家に対し、長年伊勢国司として伊勢の統一を目論んでいた北畠家は、北伊勢に根を張る宿敵の長野工藤氏や、元は北畠の一族でありながら今や六角家に臣従している神戸氏を主敵としており、これまで着々と彼らを討伐するための準備を整えていたのだ。
そこにいきなり『伊勢神宮と朝廷の荘園の回復』と言う、文字通りの錦の御旗を持って現れたのが、北伊勢のさらに北(東)に位置する尾張の織田信長である。
「なにより忌々しいのは、これが『織田づれが勝手にほざいていることではない』と言うこと! 何故禁裏は織田なんぞにこの役目を与えたのかッ!」
そう声を挙げた具教とて、朝廷が正式な勅を下したわけではないことくらいは知っている。三好あたりが六角や自分たちの目を北伊勢に向けるように企んだ結果がコレなのだと言うことくらいは理解している。
だが同時に、朝廷も伊勢神宮も荘園の回復を望んでいるのは確かであるし、大名なら誰だって欲しがるであろう領土拡張の名分を与えられた織田家が、この名分を利用しない可能性は極めて低いと言うことも理解しているのだ。
その証拠に、商人たちからも織田家が伊勢への出兵の準備を進めていると言う報告も上がってきているし、尾張に面しているが故に嫌でも織田の情報が手に入る北伊勢の国人たちも、本気で自らの身を守るために救いを求めてきているではないか。
……ついでに言えば、関家や神戸家あたりからの要請を受け、近江の六角家も口や兵を出して来る可能性が極めて高くなったと言うことも、彼は十分以上に理解している。
これらの事情を鑑みれば、今後具教が率いる北畠家が取るべき行動は、大きく分けて三つ。
一・一時は勅命に従ってる織田を認め、織田と共闘して六角に阿る北伊勢の国人を攻め滅ぼした後、織田を叩き出して、手に入れた北伊勢の地の一部を朝廷と伊勢神宮に返却する。
二・六角と共闘して織田を叩き出した後、六角も叩き出して自分たちで北伊勢を攻略し、その一部を朝廷と伊勢神宮に返却する。
三・初めから織田・六角と争い、両者を伊勢から叩き出した後で北伊勢を攻略し、その一部を朝廷と伊勢神宮に返却する。
以上となる。
……三つの選択肢のうち、どれを取っても朝廷や伊勢神宮へ土地を返却しなくてはならないのが癪に障るところだが、もし北伊勢を制圧した後にこれをしなければ『北畠家が国人に代わって荘園を横領している』と非難されてしまい、北畠家の名が地に落ちることになるので、これに関してはどうしても避けては通れない道であった。
(あと一年、否、半年もあれば自分が長野工藤家を打ち負かし、北伊勢を掌握出来ていたであろうに……何が悲しくて我らが血を流して得た地を、無駄飯喰らいの公家どもに分けねばならんのだ)
父ですら成し遂げることができなかった伊勢統一の大望。
その実現を目の前にしておきながら、こうして望まざる未来を押し付けられた具教。そんな彼の心境をストレートに言い表すならば『公家どもに持ち上げられて調子に乗った田舎の成り上がり者め。貴様が三好や公家どもの掌の上で踊るのは勝手だが、こっちを巻き込むな!』と言ったところだろうか。
ただ、伊勢は尾張と隣接しているが故に、耳が利く者たちは尾張を短期間で統一した織田弾正忠家の情報を知っている。
「侮るなよ具教。成り上がり者とは、言い換えれば新興の勢力じゃ。古来より勢いのある新興の勢力に滅ぼされた伝統ある勢力は枚挙に暇がないのだぞ」
「ですな。相手は周囲に尾張の虎と恐れられた先代信秀すら成し得なかった尾張の統一を短期間で成しただけでなく、あの今川家から三河を奪取し、今もそれを維持している俊英にございます。伊勢国内で戦えば負けることは無いでしょうが、美濃の青大将が如く相手を『うつけ』と侮れば、無用の犠牲を生むことになりますぞ」
織田に対する憤りを隠そうともしない具教に対し、家督を譲ったとは言え、未だ家中に強い影響力がある晴具が軽挙妄動を慎むよう諌めれば、国人からの書状を持ってきた重臣の鳥屋尾満栄も同じように具教に自重を促す。
両者は突如として現れた(先代は有名だったが、晩年は落ち目であったので気にも止めていなかった)織田弾正忠家の力を正しく理解しているわけではなかったが、伊勢湾を挟んだ向かい側にいる今川家の力は正しく理解しているつもりであった。
故に、彼らはその今川家と戦っている織田弾正忠家も侮ってはいない。さらに厄介なのが、自分たち同様に北伊勢に勢力を伸ばす六角家の存在である。
「加えて此度の戦では六角も手を出してくるだろう。連中は織田以上に侮れぬぞ」
「左様。先代の管領代、六角定頼は亡くなり申したが、彼を支えていた家臣団は未だ健在にございます。こちらは侮るどころか、死力を尽くしても『勝てる』と断言できぬ強敵にございます」
こちらが南朝の名家にして伊勢国司なら、向こうは宇多源氏佐々木氏の流れを汲む名家。さらに数年前までその威を奮っていた先代は管領代として公方を支えてきたと言う実績がある相手なのだ。
ただでさえ強敵なのに加え、官位はともかくとしても実際の幕府や朝廷との関わりと言う点に於いては、代々伊勢守護や伊勢守の干渉を許さなかった北畠家よりも明らかに上。
そのような相手と正面から戦えばどうなるか。
「……儂とて織田も六角も侮れぬことは分かっております」
いくら具教が己に自信があるとは言え、足利の連枝衆であり、駿河・遠江・三河を支配していた今川家を侮るような真似はしないし、出来ない。それと戦い続けている織田も当然警戒すべき相手だと認めている。六角に至っては言わずもがな、だ。
「そうか。それなら……「ですがッ!」……なんだ?」
晴具は少なくとも息子が「織田などと言った出自が怪しい連中に、名門の北畠家を統べる自分が負けるはずがない!」などと言った、幕臣や細川管領が言うような妄言を吐かなかったことに安堵を覚えつつ「無用の心配だったか」と内心で胸をなでおろすも、具教はその内心の憤りを隠しもしない剣幕で、父である晴具や重臣の満栄に己の思うところを吐き捨てる。
「ですが、その今川と遠江で睨み合いながら、この伊勢に手を出そうとする小娘や、三好や朝倉と敵対しながらも伊勢に食指を広げんとする六角に負けるとは、この具教。微塵も思っておりませぬッ!」
((……あぁ。そういうことか))
顔を真っ赤にしながら『伊勢など片手間で獲れる。そのようなことを、家督を継いだばかりの小娘や、周囲を敵に囲まれた六角に思われるのは、伊勢に生きる者にとって屈辱以外のなにものでもない』そう告げる具教の姿を見て、晴具や満栄はようやく具教の中にあった感情を理解した。
具教が内心で抱えていたのは、織田家や六角家に対する侮りではなく、両者に侮られていることに対する憤りなのだ。
それを捨てては伊勢国司ではない。
それを捨てては武士ではない。
若き当主の思いを感じ取った晴具と満栄は、これ以上具教を諌めようとは思わなかった。
「その意気や良し! 満栄よ、我らを見縊った六角と織田の者どもに、伊勢者の意地を見せてやろうぞ!」
「はっ!」
むしろ両者は『この憤りを持ったまま戦に臨ませることで、北畠家の家臣や伊勢の国人たちを奮い立たせることが出来る』と伊勢の国人たちを率いて戦う具教の姿を幻視し、更には『具教(殿)ならば北畠家の悲願である伊勢の統一が出来る!』と確信するに至っていた。
――こうして直接統治している南伊勢だけでなく、志摩、伊賀の南部、大和の南部、紀伊の東部にまで影響を及ぼす一大勢力、北畠家が伊勢統一に向けて動き出す。
織田。六角。そして北畠。
三つの大勢力がその存亡を懸けてぶつかる舞台は、北勢四八家と呼ばれる多数の国人たちが割拠する地である。
そのような地であるが故に、各勢力が本格的にぶつかる前に、より多くの国人を味方に付けることが出来た勢力が有利となるのはもはや常識。
よって、伊勢に援軍を出さんとする六角家の面々も、伊勢を統一しようとする北畠の家臣たちも、戦支度を整えながら、北伊勢の国人たちに自分たちの味方をするよう、大量の書状を出すことになるのだが……
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尾張那古野。
「とりあえず先陣は利家と成政な。率いるのは其々一〇〇〇じゃ」
「「えぇ?!」」
「いちいちやかましいわ! つーか、貴様らはさっさと兵の指揮に慣れんかッ! で、副将に真田と三枝をつけるから後は貴様らでなんとかせい。……お主らはよもやこやつらの副将となることに異論はなかろうな?」
「「ございませぬ!」」
「うむ。良い返事じゃ。そんでもって、本隊の三〇〇〇を率いるのは信光殿か信広殿じゃな。副将には内藤をつける故、こき使ってやってくれい」
「「えぇ?!」」
「……かしこまりました」
「ん? 内藤はともかくお二人とも嫌そうじゃのぉ。じゃが流石に本隊は一門衆にしか任せられんのじゃよ。どっちが行くかは……籤でも引いて決めるか?」
「「……ハイ」」
「うむうむ。納得したところで次じゃな。あ、言っとくが伊勢の国人どもを味方に引き入れる必要はないぞ。もし戦う前に降伏してきたなら生かしても良いが、所領の安堵は認めん。よって相手から使者が来たなら『降伏した場合は南信濃あたりに行ってもらう』とでも伝えよ」
「殿~。そんなんじゃ誰も降伏なんかしませんよ~?」
「ふっ。恒興とて理解しておるじゃろうに。まぁ良いわ。お主らも聞け。元々儂らが動く名分は『国人によって不当に横領されていた土地の回復』じゃ。故に伊勢の土地に拘る国人に降伏されても困るんじゃよ。……儂の言いたいこと、わかるな?」
「「「「はっ!」」」」
「ならば良し。本格的な戦は六角や北畠の動きを見てからじゃが、とりあえず数ヶ月は国境で彷徨くことになるじゃろうから、そのつもりでの。ちなみに伊勢に赴かぬ者たちも、いつ美濃の青大将が動くとも限らん故、いつでも動けるよう支度はしておけよ」
「「「「はっ!」」」」
「特に聞きたいことがないならこれにて軍議は終了じゃ。各々、励めよ」
「「「「はっ!」」」」
……こうして、多数の国人たちが割拠する北伊勢の地に於いて、六角も北畠も、彼らを動かした三好すら想定していなかった凄惨な戦が引き起こされようとしていた。
しかし織田家の者以外でそのことを予見出来た者は、遠く相模に侵攻中のヤバい目をした僧だけであったと言う。
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「さて、アレと敵対することになる六角や北畠の連中がどうなることやら……。フフフ。いやはや、楽しみですなぁ」
「……うむ(こやつ。目がイッておるわ。この戦が終わったら休ませ……無理だな。すまん)」
六角の都合があるなら北畠の都合だってあるよね!
そんな感じで北畠のお話でごわす。
時系列は前回と同じ頃なので、関東に於ける越後勢の描写は無し。
伊勢国司と伊勢守と伊勢守護はそれぞれ別なんですよね。
飛騨で大納言を自称した、とある無位無冠の自称国司とは違い、具教は本当に伊勢国司で権中納言です。
北伊勢に吹き荒れる大乱の予感。勝者は誰に? ってお話
―――
肩がー。肩がー。
寝てる時にちょっと体勢を崩したら、我が左肩に封じられている朱雀と白虎が大暴れ。
最近大人しかったのになぁ。
……どんどん眠りが浅くなるのを実感する今日この頃。
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