111話。六角家の都合
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近江・観音寺城
年の瀬も近い12月下旬。
「今年の乱取りは思った以上に成果が上がらなかった。もしかしたら一年くらい休耕する必要があるかも知れねぇな」と越後の国人たちが酒を飲みながら今年の収穫量に文句をつけていた歳晩の候。
これから来る年末や年始の行事に備えていた近江守護にして六角家の当主である六角義賢の下に、伊勢の国人たちから救援を要請する書状が届けられていた。
「はぁ……」
上座に座り、その要請が記された書状を読んだ今年で三四になる壮年の男性は、溜息を一つ吐き、その内容について呆れた様子を隠そうともせずに己の所感を述べる。
「尾張の織田弾正殿が伊勢に侵攻の兆し有り、だとよ。これが「今で良かった」と安堵するか、それとも「何故今なのか?」と恨み言を述べるかは微妙なところよな」
父である六角定頼が没し、義賢が家督を継いでからおよそ二年。ようやく大名としての足場固めが終わり、これから外に目を向けようとしていた矢先にこれである。義賢でなくとも思わずため息を吐きたくなるところだろう。
「……はっ」
ちなみに義賢は屋形号を許された名門六角家の当主であり正式な近江守護でもあるので、幕府の序列で言えば兵部少輔の権官でしかない信長よりも格は上だ。しかし官位を見比べれば、従五位下・左京大夫である義賢に対して、信長は正五位上・弾正大弼。よって朝廷の序列に於いては信長の方が上となる。
禁裏はある意味で有名無実の存在であるが、それは元々そのような立場だから仕方ない。
対して幕府は有名無実どころか、周囲の足を引っ張り続ける災厄である。先代定頼の頃から散々足を引っ張られてきたことを痛感している義賢は、幕府の序列よりも朝廷の序列を優先し、信長に対して敬称を付けることにしたようだ。
加えて最近の義賢は、守護大名にとって主な仕事である『国人たちの利害調整』をこなしている中で、その煩雑さや、問題が発生した際に『自分たちが有利になるように解決するのが当然』と言った顔をして調整を依頼してくる国人たちの態度に嫌気が差してきており、普段は『自分は六角家に臣従しているわけではない』と嘯きながら、自分の都合が悪くなればこうして臆面もなく援軍を要請してくる伊勢の国人たちよりも、それを片付けてくれそうな信長の方に良い感情を抱いているようで、どうにも危機感がわかないと言うのもある。
「そもそも伊勢の連中は『織田家による伊勢への侵攻』と言うがな。織田殿が掲げる名分は『国人によって不当に横領された伊勢神宮や、朝廷の荘園の回復』だぞ? 儂らがそれに対抗出来ると思うか? むしろ織田殿に協力して国人を討ち、その後、織田殿と協議して北伊勢を当家と織田家で分割すべきではないか?」
法に則って考えれば、朝廷によって認められた幕府に任じられた守護が土地を治めるのとは違い、国人が勝手に土地を己のものと主張する行為は、不当な行為であることは間違いない。
そんな不当な行為をしている連中を糺さんとして兵を興した織田に対して、真っ向から対抗すると言うことは、そのまま六角家が朝廷に弓を引くのと同義となる。
そんなことをしてしまえば、今もこちらの隙を伺っている三好や北近江の京極、浅井。越前の朝倉や美濃の青大将がどう動くかわかったものではない。
さらに、だ。
織田と戦をして国人を助けたとしても、六角家になんの得があると言うのか。もし大勝したとしても、尾張に攻め入ることは周囲の状況からして不可能なので、戦の後に得るものがまったくないと言うことが、今の段階でもわかりきっているのだ。
まぁ、一応、国人たちからの表面上の感謝くらいはあるだろうが、義賢はそのようなものに価値があるとは思っていない。
それくらいなら『織田に協力して北伊勢の国人を片付ける』というのが、今後の六角家の影響力の強化などを鑑みれば一番無難な方策ではないか? と、考えるのも無理はない話である。
そして、もしもこの『織田と協議する』と言う義賢の思惑を実行に移した場合、伊勢を治めたくない信長は彼らに対し『協力するなら北伊勢の半分以上を六角家に進呈しても良い』との提案をしていたはずだ。
それが実現できていれば、義賢は口煩い木っ端国人の整理が出来ると同時に、六角家の直轄領を増すこともできただろうから、六角家は大名としての影響力を強化することにも繋がっただろう。
しかし、今のところ織田家の思惑を知らない六角家の重臣は『六角家が頼ってきた国人を見捨てる』ことで、六角家の名と威信に傷が付くことがなによりも恐れており、伊勢の国人らを見捨てることを前提とした織田との協議を認めるつもりはなかった。
「いや、流石にそれは控えるべきかと」
「左様。後藤殿が申す通りです。禁裏の思惑を重視したいとする御屋形様のお考えもわかりますが、流石に織田と協力をして伊勢の国人を攻めるのは控えたほうがよろしいかと某も愚考致します」
「そうですな。伊勢の者たちは先代様から六角家に従ってきた者たち。それを杓子定規な理屈で見捨てては人心が離れてしまいますぞ」
思わず本音を出した義賢に、傍に居た後藤賢豊だけでなく彼と共に『六角の両藤』と謳われる進藤賢盛や、伊勢の国人である関氏らと縁戚関係を結んでいる蒲生定秀も、国人として反対意見を述べる。
実際のところ、彼らは六角家中に於いて名だたる重臣とは言え、究極的には国人に過ぎない立場の人間なので『大名の都合で国人を見捨てること』に対して本能的な忌避感があるだけなのだが、彼らがそれを自覚しているかどうかは定かではない。
「ふむ。そうか(何が人心だ。連中に六角家の持つ力に対する遠慮はあっても、忠義などはないわ。……家督争いに乗じて尾張の国人どもを大量に滅ぼしたと言う織田殿が羨ましい)」
少なくとも、彼らが持つ国人根性とも呼べるような国人同士の仲間意識と、それによって繋がった彼らの影響力をどれだけ薄めることが出来るかが、守護大名と戦国大名を分ける大きな要因の一つである。
この、守護大名から戦国大名へ脱却する為に何が必要かと言う論議はさて置くとしても、現在の義賢には重臣たちの意見を無視するだけの力はない。
よって義賢は「国人の数を減らしてその影響力を削ぎたい」と言う本心を抑えながら、彼らの意見に耳を傾けなければならない己の現状にもどかしさを覚えると同時に、家督を継いでから一年と少しで尾張を統一した信長の苛烈とも言えるやり方に、羨望と嫉妬の念を覚えていたりするのだが……それは六角家の中でも当主である義賢か、その息子である義治にしかわからない感情かもしれない。
そんな義賢の気持ちを知ってか知らずか、家臣(国人)を代表する重臣たちは口々に伊勢への援軍についての規模や名目を語っていく。
「かと言って、正面から援軍を差し出せば御屋形様が懸念されるように、禁裏や公家、伊勢神宮を敵に回すことになります」
「ですな。その場合、公方様はともかくとして、三好や朝倉が動きましょう」
「それが連中の狙いでしょう。そもそも織田が伊勢に食指を伸ばしたのは三好の差金であると聞いておりますし」
「蒲生殿の言う通りよな。しかし、だからと言って援軍を出さぬと言うわけにも行くまい」
「それはそうです。となれば、援軍は六角の兵ではなく、国人の兵と言う形になりますか?」
「ふむ。それでしたら、その役目は是非某にお願いしたい。向こうには娘婿もおりますでな」
「なるほど。では援軍の将は蒲生殿にお任せするとして、規模は……織田が五〇〇〇と言うことですから、三〇〇〇から四〇〇〇程で良いでしょうか?」
「防衛戦ですし、南伊勢の黄門(権中納言の唐名)殿も兵を出すでしょうから、そのくらいで良いかと存じます」
「ですな。あとは現場での判断となるでしょうから、多少の裁量権は頂きたいところです」
「「ごもっともですな」」
「終わったか?(ようやく決まったか。……当主だ守護だ御屋形だと言われようと、此奴ら無しではまともな統治も覚束ぬ。大名とは、まこと難儀なものよな)」
――結局、織田の伊勢侵攻に対抗する為、六角家は援軍として四〇〇〇の兵を派遣することを決定する。ただし朝廷や幕府の顔色を伺う必要が有るということで、この軍勢は『あくまで伊勢に娘婿がいる蒲生定秀が、娘婿からの救援要請に応える為に用意した軍勢であって、六角家は関与していない』と言う形を取ることとなった。
後世『両藤が六角家を腐らせた』だの『これこそが国人に権力を持たせることの弊害である』だのと酷評されることになった観音寺の軍議はこうして幕を閉じた。
後日、彼らは「御屋形様が言ったように、織田と協議をしていれば良かった」と心から後悔することになるのだが、それはまだ先の話。
後悔は先に立たぬから後悔なのだ。
近江に覇を唱え、一時は三好すら上回る権勢を誇った六角家。
その斜陽は、先代である定頼の死からではなく、この時から始まったと言われている。
ノッブも義賢も具教も大体似たような時期に家督を相続してるんですよね。
ただ、ノッブの場合はマダオが死んでから家督争いがあり、それに勝利して家督を得たのに対して、義賢は元々定頼から家督を譲られていて、彼が死んでから本格的に大名としての実権を得ていますし、具教は家督を譲られたものの、未だに父親が生きているので実権は持っていないって感じの差異はありますが。
まぁ実権を持とうがなんだろうが、敵よりも味方の重臣(国人)に気を使う必要が有るってのが、一般的な大名の辛いところです。
六角家の明日は如何に! ってお話
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