マユとレイブ
気がつけば、わたしは真っ白な空間にいた。目の前には外の景色が見えていて、マユとレイブが映っていた。
「ここは、どこだろう」
確かわたしは、レイブに近づこうとしていたはずだ。彼に触れたかったのだ。
「そうか、あのあと魔王に」
魔王が持つ水晶に吸い込まれてしまったのだ。わたしはどうにかここから脱出しようと、目の前の外の景色に向かって歩くが、わたしと彼らの距離は一向に縮まらず、疲れたわたしはその場に膝をついた。
「どうすればいいの」
こんな時、隣にマユかレイブがいれば少しは心強いだろう。でもわたしの隣には、誰もいない。
「マユ、ごめんね」
あの時、マユの止める声を聞かずに、レイブの方へ向かってしまった。彼を一目見て、生きていたのが嬉しくて、抱きしめたくなった。結果、こんなことになったのだ。
「ごめん」
結局、わたしは自分勝手なのだ。レイブを見捨てた時と何も変わってない。そして今度はマユまで、後悔からかわたしの目からは涙が溢れてくる。
「今さらもう」
そうだ、今さら泣いたって遅いのだ。彼女はきっとわたしに幻滅してしまうだろう。
「もういい、もういいの」
わたしは次第に、この空間から出ようとは思わなくなった。
レイブとの戦いは防戦一方だった。
彼がマユに攻撃して、マユがその攻撃を避ける。その繰り返しだ。
「どうすれば」
マユは必死になって考える。その気になれば、彼を倒すことは可能だ。
でもそれは、出来れば最後の手段にしたかった。なぜなら彼が傷つけばリーゼが傷ついてしまうからだ。
(わたしって、最低だ。魔族は殺すのに彼を殺すのを躊躇ってるんだから)
それは命に優先順位をつけるということだとマユは思った。彼女は躊躇いながらではあるが、多くの魔族の命を奪ってきたのだ、なのに目の前の彼の命を奪えないのでは、そう思ってしまっても仕方ない。
(ちゃんとやらなきゃ)
そう思ったマユが、左の腰にある鞘から剣を抜こうとする。
だが剣の柄を握った瞬間、彼女の脳裏にリーゼの顔が浮かび上がる。
「どうすればいいんだろう」
マユは柄を握っていた右手を離し、再びレイブの攻撃を避ける。
(やっぱりわたしは……)
攻撃を避けながらマユは、自己嫌悪に陥る。いま彼女は孤独だった。今までの戦いならばリーゼや村で出会った人達がそばにいた。だが今の彼女の周りには誰もいない。
なので、彼女は自己嫌悪からなかなか立ち直ることができない。
そのまましばらく攻撃を避け続けるマユだが、次第に動きが鈍くなり、そしてついにマユはレイブに左肩から腕を切り落とされてしまった。
「っ!」
マユはそのあまりの痛みに、その場に膝をついてしまう。
(もうダメだ。やっぱりわたしにはみんなを守るなんて、リーゼ……)
『何をやってるんだ』
マユが諦めかけた時、どこからか声が聞こえた。
「誰?」
マユはなんとか立ち上がり、辺りを見回す。そんなマユの様子を見たガレムは笑い声をあげる。
「フハハハハ、死ぬのが怖くて幻聴でも聞こえたか?」
そんなガレムの言葉は、マユの耳には入らない。彼女はただ声の主を探していた。
『俺だ、お前に最初に倒された魔族だ』
声の主は、一番槍と呼ばれていた魔族だった。
『お前はなぜ戦わん』
「リーゼが悲しむから」
もし彼がリーゼの大切な人でなければ、マユは戦えていただろう。
『そうか、ならば声をかけてみたらどうだ』
「えっ!」
『彼を殺したくはないのだろう?ならば彼を正気に戻すしかない』
「正気に?」
『そうだ、彼はまだ生きている。ただあの人に洗脳されているだけだ、だから何か強いショックを与えて、きっかけを作り、そこから語りかけろ』
強いショック、それは恐らく肉体に与えるのではなく、精神に与えなければいけないのだ。そう思ったマユはその方法を考え、ある方法を思いつく。
「わかった、それからごめんね」
『なぜ、謝る』
「命に順位をつけてるみたいで」
『気にするな、俺たちだってそうだ』
「そっか」
『頑張れよ、マユ』
「うん、ありがとう」
マユを応援する声を最後に、彼の声は聞こえなくなる。
マユは鞘から剣を抜くと、眼前に構えて、レイブの攻撃を捌きはじめた。
「っ!」
刃と刃がぶつかり、火花を散らす。
相手が上段から剣を振り下ろせば、マユはそれを右側に半歩移動して避け、そのまま相手の左足を彼女の左足で払うと、レイブはそのまま転けてしまう。
「くっ、くそっ!」
そんな攻防を繰り返し、頭に血の登ったレイブは剣を真正面に向け、マユ目掛け突進してくる。
(この攻撃!)
レイブがこちらに突進してくるのを見たマユは、持っていた剣を投げ捨てた。レイブはそれを不思議に思ったが、頭に血の登っていた彼は、それ以上のことは考えない。
「はやい」
彼は勇者だけあり、凄まじい速度でマユへと迫る。
(来る!)
マユがそう思ったのと同時だった。レイブの剣がマユのお腹を刺し貫いたのだ。
彼女はあえてその攻撃を避けなかった。なぜならこれが彼にショックを与える方法だからだ。
「なっ、なぜ!」
現にレイブは、困惑したような表情をしている。
マユを刺したことで、少し落ち着いた彼は、なぜ避けないのだと思った。
それはそうだ、さっきのレイブの攻撃は避けてくれと言っているようなものだ。
「えへへ」
痛みを誤魔化すように笑ったマユは、剣の柄を握っていたレイブの右手を引き剥がし、握りしめる。
「わたしたちが戦えばリーゼが悲しむよ」
「リー……ゼ……」
レイブはその名を聞いた時、自分でもなぜだかわからないが、涙が溢れてきた。
「リーゼ、リーゼ、リーゼ……」
そしてその名を確かめるように何度も呟く。
(そうだ、なんでこんな大切なことを)
レイブは全てを思い出した。魔王を倒すために旅に出た事やその旅の中でかけがえのない人を見つけた事、そして魔王に敗れてしまった事を、みんなを逃したあと、彼は魔王に洗脳されてしまったのだ。そう自らの愛する者が次の勇者とこの城へ来た時、その手で殺すために。
「すまない、君には迷惑をかけたみたいだ」
「もういいよ、それより今はリーゼを助けないと」
そう言って2人はガレムの方を見る。すると彼は目を見開きこちらを見ていた。
「驚いたな、まさかあんな方法で余の洗脳を破るとは」
ガレムはマユのお腹を見ながら言った。彼女のお腹には未だ剣が刺さったままだ。
「そんなことはどうでもいいよ。それよりリーゼを返して」
「ハハハハハ、それは無理だ」
そう言ってガレムは持っていた水晶を、マユへと掲げてみせた。
「どういうこと」
「この水晶から出る方法は2つある。それは余が出してやるか、自分で出るかだ」
しかし、自分で出るにはガレムのかけた魔法を打ち破るだけの力が必要だった。
「奴は、弱いだろう」
「なら大丈夫だね」
「なに?」
「だって、リーゼはすごく強いから」
マユはいつだってリーゼに助けられてきた。だから彼女があそこから出てくると信じることができた。
『なにを大した力も持たないクズではないか』
そうだ、あいつのいう通りだ。わたしは戦う力も持たない。それだけじゃないマユの怪我だって治してあげられなかった。
『強いよ』
それでもマユは、わたしのことを信じているのかその顔には自信が溢れている。
『だって、リーゼはまたここに来たんだから』
『そうだな、この子の言う通りだ魔王よ』
マユのその言葉に同意するレイブ。
わたしには意味がわからない。なぜここに来たら強いの?なぜ2人はわたしを信じてくれるの?
『この場所に来たから強いだと、訳のわからないことを言うな』
『この場所は、リーゼにとって辛い場所なんだよ。そんな所に来るのはすごく勇気がいることなんだよ』
『そう、それに僕たちは一度お前に負けている。それは恐怖となってリーゼの心を苦しめていたはずだ』
そうだ、怖い。
今わたしは恐怖を感じている。この恐怖は神殿でいつも感じていたもので、でもマユと旅に出てからは、そんなものは微塵も感じなかった。
『リーゼ』
だがその恐怖も次第に感じなくなってくる。わたしはそれが不思議だった。
(なんでだろう?)
それはきっと2人がわたしのことを、信じて待ってくれているからだ。
2人のことを思うと、心の底から勇気が湧いてくる。
「ありがとう、マユ、レイブ」
そうだこんなところに、閉じこもっていても仕方がない。いつまでも挫けてなんていられない。
わたしは立ち上がり、2人の方へ向かって手を伸ばす。
だがその手は届かない。
「もう少し、もう少しなのに!」
だがわたしは諦めない。2人の待つ場所へ帰りたかった。
やがてその願いは聞き届けられる。
なんとわたしの荷袋からミリー達からもらった女神像が突然浮かび上がったのだ。
「なに?」
わたしが女神像を見上げていると、像は神々しい光を放ち始める。
そして光がこの空間に広がっていき、わたしは眩しくなってわたしは思わず目を瞑った。
突如、ガレムの持っていた水晶が、音を立て始めた。水晶に少しずつひびが入りはじめていた。
「なっ、なにっ!」
そしてそのひびは少しずつ水晶全体へと広がっていき、しばらくすると水晶は音を立てて割れてしまい、その水晶の残骸からまばゆい光の球体が現れ、それがマユの方に向かって飛んでくる。
その光はマユの隣で停止すると、徐々に人型へと変わっていく。その背格好はマユ達の見慣れたものであった。
「リーゼ!」
「2人ともありがとう」
やがて光がおさまると、そこにはリーゼが立っており、彼女は2人に向かって笑顔を向けていた。
「なっ、なぜだ!」
ガレムの表情は困惑で染まっていた。彼にはわからなかった。大した力も持たないリーゼがなぜあそこから出られたのか。
「言ったでしょ、リーゼは強いって」
笑顔でそう言ったマユだが、彼女の体はもう限界だった。
左肩の傷口からの出血で、彼女の体内の血が足りなくなり、次第に体がいうことを聞かなくなってしまう。
「あれっ?」
そしてマユはとうとう、その場に膝をついた。
(意識が……)
膝をついたマユの側にリーゼとレイブが寄り添い、倒れそうな彼女を支える。
「大丈夫か!」
「マユっ!」
マユを支えている2人は、彼女に必死に呼びかける。ここで彼女が意識を失えば、もう2度と目覚めないような気がしたのだ。
しかし2人の呼びかけも虚しく、やがてマユは貧血によって意識を失ってしまった。
そしてその機を逃すガレムではない。彼は少しの間、自身の魔法が破られたことに衝撃を受けていたが、しばらくして立ち直ると意識を失ったマユとそれを支えるリーゼとレイブ目掛けて雷魔法を放った。
もしマユが怪我をしていなければ、彼女には通用しなかっただろう。そしてマユがリーゼを抱え、魔法を避けることが出来ただろう。
だが今は、マユにそれを耐えるだけの力は残されていない。
もしマユが一度でも雷魔法を受けていたならば、耐性が少しはついていたかもしれないが、彼女は今まで一度も雷魔法を受けていなかった。
「仕方ないか」
「レイブ!なにを?」
「僕に任せてくれ」
そう言ってレイブは、マユの腹に刺さっていた自身の剣を抜いた。剣が刺さっていた場所からはマユの血が溢れ出てくる。
「消えろ!」
「あとは任せる」
そう言ってレイブは、刃を上向きにして剣を持ち上げる。彼は自身の剣を避雷針にするつもりだった。そしてそれは雷魔法唯一の欠点であり、雷魔法を知り尽くした勇者だからこそ取れる手段だ。
ガレムが作った黒雲から黒い雷が落ちてくる。そしてそれはレイブの剣へと吸い込まれるように落ち、そしてその剣を持っていたレイブにも、雷が落ちる。
「ぐっ!」
並の人間ならば、一回受ければ炭化してしまう攻撃も、勇者である彼には何回か耐えることができた。
「もうやめて死んじゃう」
しかし、攻撃を受け続ければ流石の勇者でも死んでしまう。現にレイブの体は数カ所が焼けただれていた。
「……マユ」
そんな彼の姿をこれ以上見ていられなかったリーゼは、思わずマユの顔を見る。
こんな時、彼女ならすぐに彼を助けてあげられるのに、リーゼはそう考えた瞬間、かぶりを振る。
(いや、それじゃあいけない)
そうだ、マユにばかり頼っていてはいけない。自分でなんとかしなければ、マユはこんな自分を強いと言ってくれたのだから。
「レイブ、今助けるわ」
一言だけ呟いたリーゼはその場にマユを寝かせると、レイブ目掛けて走り出し、そして彼に抱きついた。
「なにをするんだ、離れろ!」
レイブはリーゼに向かって叫ぶが、彼女はレイブから離れず、それどころかより一層抱く腕に力を込める。
「わたしも戦う」
そうだ、もし彼がマユのような体質ならば、この方法は使えない。だが彼は耐性持ちではないのだ。
「こっ、これはっ!」
レイブの焼けただれた肌は、元の綺麗な肌へと治っていく。
「こうすれば、あなたは死なないわ」
当然、この方法を取ればリーゼも、ガレムの魔法を受けてしまうだろう。
だが彼女は治癒魔法の使い手なのだ。ダメージを受けてもその度に治せばいいのだ。
「わたしも頑張るから、だから死なないでマユ」
自身の後ろに倒れているマユのことを思うと、リーゼの心に恐怖はなかった。




