夏の夜の夢 レフ
北欧に伝わる夏至のおまじないに着想を得て、活動報告に掲載していたSSです。
本編開始数年前、11~12歳くらい? のシャスティエとレフのエピソードです。
夏至の夜は少女たちが騒がしい。七種類の草花を集めて枕の下に置いて寝ると、将来の伴侶が夢に出る、などというおまじないのせいだ。レフは男に生まれついたからよく分からないが、ミリアールトの女の子なら誰でも一度はやるものらしい。
それは下々だけの話ではなく、王宮でも変わらない光景だ。庭師が丹精した庭園も、今日ばかりは貴族の令嬢たちが自由に立ち入り――節度を保つ限りにおいて――花を摘むのも許されている。令嬢たちの華やかな笑い声は蝶も小鳥も追い払い、花の色さえ霞ませるようだった。
そしてこういう場面において、恋愛の対称にならない男というのはしばしば良いように使われるものだ。
「もっと上よ、レフ!満開のを取って頂戴!」
「はいはい」
とある令嬢に言われるがまま、レフは木に登って花を摘み取ろうとしていた。これは流石に怒られるのではないだろうか、と思いながら。
しかし令嬢は彼より年上だったので、逆らうことなど思いもよらない。ここは見つかる前に済ませるのが得策だろう。
――何で僕が……。
心中溜息を吐くが、答えは分かりきっている。全て彼の容姿がいけないのだ。高い声も、華奢な手足も。女の子のような男の子、というのはどう扱っても良いものと思われているらしい。
兄たちのように背が伸びて声変わりしたらまた扱いも変わるかもしれないが、レフにとってそれは遥か遠い未来だった。
――せめてシャスティエの頼みなら良かったのに。
樹上からある東屋を見下ろすと、従姉の金の髪が揺れているのがわずかに見えた。彼女は他の少女たちと違ってこの手のことには一切興味がない。今も、白夜でいつまでも明るいのを良いことにひたすら読書に勤しんでいる。可愛らしくおねだりをしてくれるなどとは期待できそうになかった。
「そう、それよ! 早くして!」
「はいはい」
令嬢たちは彼の鬱屈にはまるで無頓着らしい。この花を取っても、また違う令嬢にまた違う木に登らされるのだろう。
言いようのない虚しさを噛み締めつつ、彼は令嬢が指差す花に手を伸ばした。
そして一通りの命令をこなした後に、令嬢たちがレフに差し出すものがあった。
「ありがとう。これ、あげるわ」
「僕は女の子じゃない!」
見れば、彼が取った草花を七種類集めて色も形も美しく整えたものだった。少女たちはこういうものを枕の下にしまって未来の夫を夢見るのだ。だが、彼は断じてそんなことをしたりはしない。見た目はどうでも、彼はれっきとした男なのだから。
「違うわ、シャスティエ様に献上するのよ!」
「シャスティエに……?」
依然として警戒しながら少女たちの様子を窺うと、彼女たちは満面の笑顔で頷いた。
「そうよ! あの方、恋の話は全然してくださらないのですもの」
「シャスティエ様と同じ方を好きになってしまったら勝ち目がないわ」
「頑張ってどなたを夢に見たのか聞き出してね」
「案外、貴方かもしれないじゃない」
――多分、本当に興味がないだけだと思うけど。
心の声を口にすることは、令嬢たちの勢いの前には無理な話だった。何より、最後に言われたことが彼の胸に留まった。従姉の相手が自分ではないであろうことに気づき初めてはいるけれど、もしも彼女の気持ちが彼にあるなら……?
「分かった、やってみるよ」
気がつくと、レフは花を抱えてしっかりと頷いていた。
「興味がないわ」
だが、思った通りと言うべきか、従姉の答えは冷淡なものだった。本から顔を上げることさえしてくれない。
「他の子はみんなやってるそうだけど」
「だって、私の結婚相手はお父様が決めるもの。知ったところでどうなるものでもないでしょう」
「全然、気にもならないの?」
「あんまり」
「試してみるのも、イヤ?」
「……しつこいのね」
食い下がると、従姉は不思議そうに彼を眺めた。宝石のような碧い瞳に見つめられて――いつものように――レフの鼓動は少し早くなる。
「気になるなら貴方がやれば良いじゃない」
「僕は女の子じゃない」
「でも、女の子みたいだもの。未来の奥様が見えるかもしれないわ」
従姉はひどく残酷なことをとても楽しそうに言った。どうやら自分の思いつきに興味を持ったようだった。よくあることだ。そしてこういう時、彼は必ず実験させられるのだ。
「やっぱりレフが試してよ。本当にどなたかが夢に出たら、来年やってみても良いかも」
従姉の命令は絶対、というのもまた、彼にとってはよくあることだった。
その夜、レフは両親や兄たちに見つからないように枕の下に花を隠した。いつもよりも寝付くまでに時間が掛かったものの、こき使われて疲れた身体はやがて泥のような眠りに落ちた。そして見た夢に現れたのは――
「君の夢を見たよ!」
翌朝、レフは声を弾ませて報告した。従兄姉たちとは、勉強で毎日顔を合わせるから。もちろん兄たちには見つからないように、多少声を落としてはいたが。
だが、従姉の反応は非常にあっさりとしたものだった。
「ふうん。やっぱりおまじないなんてないのかしら」
「……どうして?」
頬を染めてはにかんでくれるのを期待していた訳ではない。だが、それにしても、この態度は冷たすぎるように思われた。恨めしく唇を尖らせて睨めつけると、従姉はさらりと答えを教えてくれた。
「寝る前に会ったからというだけでしょう。印象に残ったことは夢に見やすいじゃない?」
自分自身が彼の相手かもしれない、という可能性は端から頭にないようだった。どこか勝ち誇ったような従姉の微笑みは、彼の心を手酷く抉った。
「じゃあ、君は何の夢を見たの?」
「寝る前に読んだ本の内容だったわ」
「……ふうん」
「ブレンクラーレのウィルヘルミナ妃の逸話よ」
「……ふうん」
傷ついた彼には、滔々と語る従姉に適切な相槌を打つ気力もなかった。まともに聞いていないことは敏い彼女にはすぐ明らかになり、すぐに彼は機嫌を取るのに汲々とすることになった。
更にはことの首尾を聞き出そうとする令嬢たちにしばらく追い回され、レフはこの季節がすっかり苦手になった。その認識が改められるのは、この数年後。やはり従姉の気まぐれで、最も長い昼を高らかに祝う城下の祭りへ、お忍びに連れ出すように命じられた時だった。
だが、それはまた別の話――。