25 幼い者たちのために アレクサンドル
それは、やっと首が座ったという孫娘を連れて、真ん中の娘がアレクサンドルを訪ねてくれた時のことだった。
「お父様、折角孫を連れて来たのですからもっと喜んでくださいませ」
「む……?」
相好を崩して赤子をあやしていたところへその母から掛けられた言葉に、彼は首を傾げた。口では苦言めいたことを言ってはいるが、娘の表情は笑っている。だから、本気で怒っているという訳ではないようだが。それでも、孫と会えて喜ばない爺などいるはずもない。どうしてそのようなことを言われなければならないのか、彼としては少々不本意だった。彼にとって最初の孫ではないから、多少の慣れはあるのかもしれないが。
「……喜んでいるぞ」
何が悪かったのか、と思いながらとりあえず弁解を試みる。だが、娘は許してはくれなかった。軽く眉を上げて父に威圧感を与えてから、駄目押しのように唇を尖らせて訴えてくる。
「というか、王子様や王女様、公子様方と比べないでくださいませ、と言いますか」
「そんなことをしていたか……?」
彼が揺らすのに合わせて孫が高い笑い声を聞かせてくれるのが楽しくて、娘とのやり取りは確かに疎かになってしまっていた、かもしれない。それに、現在のミリアールトで最も幼い王族であるシャスティエ王女を抱かせていただいたのもごく最近のことで、まだ記憶にも新しい。だが、我が孫と高貴な方々を比べるのはあまりにおこがましいこと、するはずもないこと――と、冷静な頭では思うのだが。
「ええ、先ほどもシャスティエ様よりも重くなっているようだ、と」
「いや、それは」
事実、娘に王女の名を挙げられて、どうやら無意識に――王家に対しても娘や孫に対しても――無礼を働いてしまっていたらしいと知って、アレクサンドルの背に冷汗が浮いた。と、揺れが収まったのに不服を訴えるように孫もぐずり出す。娘の目を気にしつつもまたあやしてやると、何とか機嫌を直してくれたが。そして娘も赤子を取り戻そうとはせず、寛容な笑みで父の失言を許すと伝えてくれた。
「お父様が王家の覚えがめでたくていらっしゃること、娘としても誇らしくはありますけれど。でも、王女様ほどの美貌には恵まれずとも、この子も見守ってくださいませね」
「無論だ。容姿がどうであろうと娘や孫は可愛いものだ」
「まあ、お父様ったら」
娘が軽やかに笑って流したので、アレクサンドルは自身が失態を重ねたことにその場では気付かなかった。粗忽な父に対して、娘が驚くべき心の広さを見せてくれたと知らされたのは、実に彼女たちが帰った後、妻にやんわりと指摘されてのことだった。
「――ご家族へは? ご挨拶には、いらっしゃらないのですか」
「そうだな……」
総督のエルマーに問われた時、アレクサンドルはそんな遠い昔の――二十年近くも前のことを思い出した。ブレンクラーレ遠征の結果と、通過してきたイシュテンの様子を慌ただしく伝えた後、シグリーン公爵夫人を訪ねると言ったところ、不思議そうに首を傾げられたのだ。彼がミリアールトにいた頃、何度か家族のことを語ったのを覚えてくれていたらしい。
「早く公爵夫人にご子息を会わせて差し上げたい。後回しにさせてもらおう」
「お孫様の中には幼い方もいるのではないのですか。寂しがっておられるのでは……?」
あるいは、彼が公爵夫人による裁きを受ける覚悟であることを、悟られているのかもしれなかったが。暗に家族との別れは済ませないのか、と言われているのに気付かない振りをして、アレクサンドルはあくまでも首を振った。
「そもそもそう頻繁に会うものでもなかったのに、寂しがったりするものか。それよりも陛下から仰せつかった務めを果たさねばならぬ」
エルマーが言う通り、あの日娘に連れて来られた女児の後にも、彼は孫に恵まれたのだが。その子はイシュテンの侵略に際しても戦場に出ることはなかったほど、確かにまだ幼いのだが。
だが、今や祖国の裏切り者として憎まれる彼が顔を見せるのは、子供たちやその配偶者たち、孫たちにとって良い結果を生まないだろうと思えた。それに、もしも血の繋がった者たちに詰られたら、彼の覚悟も鈍ってしまうかもしれない。ならば、彼らは分かってくれていると信じたままにしておきたかった。
いや、多分アレクサンドルの思い上がりなどではなく、彼の思いは近しい者には伝わっているだろうとは思うのだが。彼が常にミリアールトのために戦ってきたことは誰もが知っているはずだ。私利私欲のためにイシュテンに寝返ったのだ、などと――真に受ける者がいるはずはない。妻と育てた子供たちのこと、子供たちが選んだ妻や夫のことを、アレクサンドルは信じている。
――結局、身内よりも忠誠を取るのだとは、思われるかもしれないが……。
昔、娘に苦言を呈された時と変わっていない。肉親と言葉を交わす時間も惜しんで祖国と女王のために命を捧げようとする自身の決意を、決して間違っているとは思わないが――情が薄いと責められれば返す言葉もない。シャスティエを孫のように思っていると、僭越ながら考えることもあるのだが、彼には実の孫も何人もいるのだ。シャスティエのために心を砕くのと同様に、本来ならば実の孫たちの幸せも願ってやらなければならないのだろうが。
――だが、ミリアールトの平穏はあの者たちのためにもなることだ。
中には数年も会っていない者もいる子らや孫たちの顔をひとりひとり思い浮かべて、アレクサンドルは自身に言い聞かせた。
「――役目を終えたら、夫人のご様子をクリャースタ様にお伝えせねば。だからすぐにイシュテンに戻らねばならない。私事を頼んですまぬとは思うが、家族のことを気に懸けていただけるとまことに嬉しく思う」
「陛下のために尽くしてくださる伯爵のことです。お身内の方々のことも、必ず危害など加えられることのないように致しましょう」
夫人の元から戻ってから頼めば良いはずのことを今言い出す奇妙さを、気付いたのかどうか。エルマーは力強く快諾してくれた。王とティゼンハロム侯爵の争いを控えて緊迫する状況のイシュテンのため、ミリアールトを背かせないのがこの男の役目。ならば、ミリアールトの者同士であっても争いが起きるような動きは抑えてくれるだろう。――彼に何があろうとも。身内の者たちが何を言っても言われても。全ては、彼で終わらせなければならないのだ。
「よろしく頼む」
このエルマーといい、イシュテンで会ったアンドラーシやグルーシャ、その弟のカーロイ。さらに王と共にブレンクラーレから帰る途上にいるはずのジュラといい。祖国と女王を託すことができる者と出会うことができたのは、全く得難い幸運だった。
その幸運を噛み締めながら、アレクサンドルは総督の邸宅を後にした。