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21 冒険の帰結 黒松館近郊の子供

残酷な描写があります。

「お妃様のお姿を見に行こうぜ。お姫様も!」


 友人が言い出した提案は、ひどく魅力的だった。黒松館に滞在しているという側妃は大変に美しいと評判で、目通りが叶った村の主だった者たちは一様に夢見るような目で語っていたものだった。あれほど美しい方は見たことがない、若様が惚れ込むのも当然だ、と。




 彼らのような子供には今ひとつ分かりづらいのだが、大人たちは国王陛下のことを国の主君というよりは一帯を治める領主の若君として捉えているらしい。王の母君である先王の側妃がこの地の出身で、幼い王子を連れて王宮から戻り、そして残りの生涯を黒松館で過ごしたのだとか。だから、大人たちは王の成長を見守って来たような気分になっているのだろう。


『先代様のお嬢様も大変だったから。今回の方もお守りしなくてはねえ』


 彼の祖母も、枯れ枝のような指で糸を紡ぎながらそんなことを言っていた。王の生母である側妃も、上の世代の者にとっては先の領主の息女と見なされているのだ。やはり美しく、それに優しかったというその人は、意地悪な王妃に虐められて実家に難を逃れたのだとか。その人の御子、今はこの国の王である方がこの辺りで親しまれてるのも、王宮ではなく黒松館で育ったからだ。

 だから、先日黒松館に当代の王の側妃と王女が入った時も、大人たちは歓迎し、大いに盛り上がった。王がまたこの地を頼ってくれた、館にいらっしゃる方々には安心して過ごしていただかねば、と。側妃の姿を見た者がいたのも、何か不便なことがあればお申し付けを、とわざわざ出向いて挨拶に行ったからだ。


 彼は、大人たちの黒松館への思い入れを共有してはいない。物心ついた時には館に住む者はなく、王というのは遥か都にいる縁遠い人に過ぎなかったからだ。ただ、親たちのように敬いつつ親しむ存在がいるというのは何か羨ましい気もしていた。


 ――そんなに綺麗な方なら、会ってみたいな。


 まだとても小さいという王女にも。そうすれば、貴い方たちがすぐ傍にお住まいだということをもっと名誉に思えるかもしれないし、親たちのように守って差し上げたいという心構えも出るかもしれない。


「見つかったら怒られないかな」

「大丈夫だって。物陰からこっそり見るだけだから」


 彼が言ったのは仕事を怠けたことについて親たちに怒られないか、ということだったのだが、友人は館の者についての懸念だと取ったらしかった。親に叱られるのと、知らない大人に叱られるのと。どちらもできれば避けたい事態ではあったけれど――それならやらない、ではなくてどうすれば見つからないか、に彼の関心は傾いていた。


「館の奥にいらっしゃるんじゃないの? どこから見るつもりだよ」

「じいちゃんが館にお使いに行ったことがあるんだって。館の裏手に使用人の家があって、そこに通されたって。今は誰もいないはずだから、隠れるのにちょうど良い」


 友人の証言が本当ならば、それは確かに良い案のように思えた。誰も使っていない家――中に入れるかどうかまでは分からないが、その周辺にはいくらでも隠れる場所があるのだろうし、館への出入りもしやすい立地になっているのだろう。たとえ側妃や王女の姿を見ることができなかったとしても、貴族の豪奢な館を、庭先だけでも間近に目に収めることができると思うと心が弾む。


「じゃあ……行こう! いつにする?」

「明日。晴れるみたいだし……森に茸を採りに行くとでも言えば良い!」


 そうだ、家に役に立つことをすれば父も母もうるさく言わないだろう。主な目的は茸採り。ちゃんと籠いっぱいに採って帰ろう。でも、ついでに黒松館を守る松の木の間から、中を覗いてみたとしても、貴い女性たちの姿を窺ったとしても、大人たちに知られることはないだろう。


「誰にも言うなよ」

「そっちこそ」


 大したことではないはずだった。ただちょっと、いつもの仕事から外れたことをするだけ。ほんの、ちょっとした冒険で、ちょっとした秘密のはずだった。なのにどうしてこんなに待ちきれないと思うのだろう。


 彼は友人とくすくすと笑い合うと、翌日の約束をして別れた。家に帰って、両親やきょうだいたちにどうしてそんなに訳もなく笑っているのかと不審がられたけど。でも、約束通り誰にも何も言わなかった。寝床に入ってからも心臓がうるさくて、翌日のことが楽しみで、まともに眠れるか不安なくらいだった。でも、そこは一日働いて遊んだ後だったからか、彼はいつしか夢の世界に遊んでいた。そして翌日――




 彼の足元には、茸を詰めた籠が転がっていた。


 家族への体面を守るために、ちゃんとひと仕事してから黒松館へ向かったのが、つい先ほどのこと。友人が言っていた通りに、館に近づくと古びた家を見つけて、彼らは歓声を上げて走り出した。更に昼なお薄暗い森の中で金色の煌きを見て、彼は思わず叫んだのだ。


『クリャースタ様ですか!?』


 異国から嫁いできたという側妃は、世にも珍しい金色の髪を持っていると聞いていたから。葉についた水の雫でもない、白っぽい鳥の羽根が光に当たったのとも違う、その眩さは噂の人に間違いないと思ったのだ。


『……!?』


 彼の呼び掛けに振り向いたのは、果たしてすらりとした人影だった。驚いたように瞠られた目も、見たことのない碧い色だった。肌の色も白く、細い鼻筋も尖った顎も、村の女たちとはまるで違って非の打ちどころなく整っている。美しいとはこういうことを言うのだ、と。大人たちのうっとりとした表情も今ならもっともなことだとよく分かる。


『あれ……?』


 だが彼は友人と共に首を傾げて立ち止まってしまった。金の髪を冠のように戴いたその人は確かにこの世のものとは思えないくらいに綺麗だった。ただ、同時に間違えようもなく男の人だった。当然のことながら男は側妃にはなりえない――でも、側妃のほかに金の髪の人などいるはずがない。


 ――なんで……?


 何かおかしい、と思いながらもどうしたら良いか分からなくて。バカみたいに突っ立っている子供ふたりに、その美しい人は低い声で詰問してきたのだ。


『誰だ。何をしに来たんだ』


 その人の声があまりに険しく、怒りすら滲んでいるようだったので彼らは急に怖くなった。さっきまで前のめりになって駆けだそうとしていたのに、もうじりじりと後ずさろうとして。でも、碧く鋭い目に縫い止められたように、背を向けて逃げ出すこともできなかった。


『あ、あの……クリャースタ様のお姿が見たくて……』

『ふたりだけか? 他の者は? 親には知らせているのか』


 次々と問い詰めてくる金の髪の人は、その目は声は、明らかに彼らの存在を咎めていた。軽く細められた目が怖くて口を聞くこともできず、彼らはただ激しく首を横に振った。この人がここにいることは知られてはならないことなのだ、と何となく察することができた。だから、決して誰にも言わない、とどうにか舌を動かそうとした時――


 白い閃光が、視界を横切った。


『――余計なことをしなければ良かったのに』


 閃光が目を射るのと同時に舌打ちが聞こえた。そして同時に熱い飛沫が頬を濡らすのを感じた。

 一体何が、と思って飛沫が飛んできた方へと目を向ける――その動作が、ひどくゆっくりとしたものになったのが不思議だった。ほんの瞬きほどの短い時間に過ぎなかったはずなのに。


 とにかく、ひどく長い時間が掛かったような気がするけれど、彼は目と首をぎくしゃくと動かした。そして見た。傍らの友人が、首を半ば断ち斬られ、その断面から血が噴き上がっていたのだ。まるで屠殺される鶏のような。でも、はるかに血腥く恐ろしい。あまりに恐ろしいものを目にして彼の手は勝手に動き、茸の詰まった籠を投げ出した。せっかくの収穫が地面にばら撒かれて友人の血に塗れる。


 身じろぎした足が血だまりを踏むべちゃりとした感触に、彼は絶叫しようとして――でも、できなかった。


 閃光がもう一度走ったから。




 彼は濡れた地面に横たわっていた。冷たい泥の感触が不快だったが、起き上がることはできない。彼の傷口から流れる血が生んだ泥なのだと、さすがに分かっていた。


「長いこと空き家だと思って油断しておりました。申し訳もございません」

「子供だけだったから良かったようなものの……見張りを増やさなければな」


 彼の頭上で、幾人かが会話を交わしている。美しい人の怒ったような、でも冷え冷えとした声と、あと何人か、異国の訛りを感じさせる男たちの声。


「この子たちはどうしましょうか。親が探すのでしょうが……」

「ここが見つかると面倒だな。どこか……崖から落ちた風にでも見せかけられないか」

「傷は誤魔化しが聞きません。ひと晩放っておけば狼が喰らってくれるでしょう」

「ならば粗方骨になったところでその辺に転がしておくか」

「そのように。狼に襲われたとなれば親も諦めがつくでしょう」

「まったく余計な手間を掛けさせる……!」


 ――何なんだろう。この人たちは、何なんだ……!?


 彼の後始末の方法を、男たちが平然と相談しているのが恐ろしくてならなかった。黒松館の、側妃と王女の住まいのすぐ傍で何を企んでいるのかも。


 ちょっとした冒険のつもりだったのに。どうしてこんなことになったんだろう。


 泣きたいような気分になったけれど、既に血で濡れた頬に涙が伝ったのかどうか分からなかった。




 やがて男たちの相談はまとまったらしく、誰かの手が彼の足首をぐいと掴んで引きずり始めた。それが何者で、どこに運ばれていくのか――彼の目も耳も鼻も、その時にはもう働くことを止めていたから分からなかった。

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