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番狂わせ・終 ファルカス

 祖父の部屋に呼び出された時、ファルカスはその理由を探して頭の中を探った。


 王都から帰って数日、堅苦しく何かと気を遣う王宮から逃れて、やっと実家で寛いでいるところだというのに、何か叱られるようなことをしただろうか。どうせ王が――父とは呼ばない、彼の裡ではたまたま血が繋がっているというだけの相手に過ぎない――死ねば何かと厄介ごとが起きるのだ。今くらいは気楽に過ごさせて欲しいものだった。


 何か失言でもしたか、態度に不遜なところがあったか。そしてそれを祖父に告げ口する者があったのかと考えた結果――ない、と結論づける。正確に言うならば心当たりがひとつないでもなかったが、あれはアンドラーシがやったこと。彼に咎はないし、何より関係した者が余所に漏らすとは思えなかった。


 ならばなぜ、と警戒しながらファルカスは祖父の部屋の扉を叩いた。


「殿下。お呼びだてして申し訳ございませんでした」

「いえ」


 ――いつからこのように堅苦しい言葉遣いになったのだったか……。


 立ち上がって迎えた祖父に、内心でふと首を傾げる。恭しい態度といい、実の孫に対するものではないと思う。武術も一通りの学問も、彼に教えてくれたのは祖父だった。だから彼はずっと祖父を敬ってきたし、以前は祖父からも厳しく扱われていたはずなのだが。

 幼い頃に亡くした母の記憶はほとんどない。ならば祖父は彼の唯一の血縁のはずで、その相手に隔意を持って接せられることに、ファルカスはほのかな寂しさのようなものを感じていた。


「王都ではつつがなく過ごされたと伺っておりましたが――」

「事実、そうです。何も不始末などしていないと思いますが」


 席に就くや否や切り出した祖父の声は穏やかだったが、内容はそうではなかった。ほぼ確実に小言へと繋がるのを予想して、ファルカスはやや早口に弁解した。


「殿下からお伺いした範囲では、そうでしたな」

「隠し事などは――」


 アンドラーシの一件を思いながら、口ではあくまで否定する。他人に漏れるはずがない、と言い聞かせながら。ついでに表情や態度の緊張を祖父に悟られないように、と願いながら。

 とはいえ孫の悪あがきは祖父にはお見通しだったらしい。ついで祖父が浮かべたのは、どこか悪戯っぽい雰囲気のある微笑みだった。このような顔をされるのは、叱られるよりなお悪い。何しろ心当たりは何もないのだ。


 次の言葉を発する前にたっぷりと間を置いたのは、彼に居心地の悪さを感じさせるために違いない。あるいは苛立ちを隠すための忍耐力を培わせようというのか。茶を供しにきた使用人も、祖父の意を受けているように思えてならない。

 とにかく、日頃から言い聞かせられている通り、ファルカスは自制心を呼び起こして祖父の言葉を表向きは平静に待った。


「ティゼンハロム侯爵のご息女とご縁があったとは聞いておりませんでした」

「――は?」


 しかしあまりにも思いもよらないことを告げられて、間抜けな声を出してしまう。祖父が声を立てて笑ったのを見て、ファルカスは妙に悔しい思いを味わった。それに、やはり心当たりは全くなかった。ティゼンハロム侯といえば権門だ。その息女ともなれば、今は次の王妃の位を狙って年長の王子たちに売り込んでいる最中ではないのか。絶対に、好んで近づきたい相手ではない。


 祖父も彼の置かれた立場はよく承知しているだろうに、なぜか妙に嬉しそうなのも不可解だった。恐らくはティゼンハロム侯からなのだろう、書状を示しながら頬を緩ませて祖父は続ける。


「危ないところを殿下に助けていただいた、是非その礼がしたい、と……。このようなことは教えておいていただかなくては。殿下は決まった方がいらっしゃらないようで心配――」

「待ってください」


 祖父に遊びのことを知られていたと気付いて体温が上がるのを感じながら、ファルカスは遮った。このように揶揄われる謂れはないのだ。甘やかされて取り澄ました女など、彼の好みではないし――第一、そのような娘に会った記憶が本当にない。


「俺には覚えがありません。何かの勘違いか、嫌がらせの類ではないのですか」

「そのようなことをするほど、あちらも暇ではないでしょう」


 権力者に対しての辛辣な物言いはいつもの祖父のもので、わずかながら安心できる。しかし一方で、ティゼンハロムからの書状については解決していない。


 確かにわざわざ側妃腹の第三王子などに関わっても何の利益もないはず。上の王子たちに取り入ることを考えているなら、ファルカスの存在など無視した方が良いのだろう。勘違いにしろ嫌がらせにしろ、敢えて彼に接触しようとするのは、それなりの確信と裏がある……のだろうか。


 ――リカードと言ったか……? 何を企んでいる!?


 会ったこともない男の思惑に苛立ちつつ、ファルカスには繰り返すことしかできない。対する祖父が探るような目を向けてくるのも煩わしかった。


「現に手紙が来ているのですよ」

「本当に心当たりがないのです」

「暴走した馬から助けてくれた、とありますが」

「あ――」


 言われて初めて思い出す。馬にしがみついていた娘のこと、彼の馬に引っ張り上げた時の身体の熱さと柔らかさ。迎えに来た者たちがやけに権高だとは思っていたが、若い女のことだからそんなものかと思っていた。王妃候補の侯爵令嬢となれば、あの態度にも納得がいく。


「思い出されたようで、良うございました」


 祖父の全てを見透かしたような笑顔が妙に腹立たしかったが、ファルカスは渋々と認めた。


「……ティゼンハロムの娘と知っていれば関わろうとは思いませんでした」

「では、なぜ?」


 問い掛ける祖父の声も表情もひたすら優しくて、それが逆にファルカスを戸惑わせる。王宮、ことに王位に近い者や権力を握る者の前での立ち居振る舞いには気をつけるよう、口うるさいほど行って聞かせたのは祖父のはずなのに。よりによってティゼンハロムと関わりを持ってしまったなど――叱られた方が落ち着くというものだ。


 しかも、問われたことも厄介だった。あの娘を助けた理由を自身に問うてみても、明確な答えなど返ってこない。そもそも顔もよく覚えていないのに、何を期待されているのか分からない。


「たまたま、近くにいたからです」


 しばらく考えてみても、そうとしか言いようがない。


 あの時は、自身の無力と王の言葉の実のなさ、勝手に動いていく周囲の状況に苛立っていた。荒れる感情に任せて馬を駆らせても何が変わる訳でもなく、虚しさが募るだけ。馬を痛めつけることになる分、愚行でさえあると自分でも分かっていた。

 そこに目に入ったのが、あの娘の馬だった。馬を走らせるのが無為なことではなく、何か意味がある目的のためになるならば気も晴れるかと――あの一瞬に思ったのだ。例え見も知らぬ娘を助けるという程度のことでも。

 だからあれは打算でも恩を売ろうということでもなく、だからこそ供の者たちの態度に腹も立たなかった。今の今まで忘れていたのも、ファルカスの裡では既に終わったこととして片付いていたからなのだろう。


 ――別に礼が欲しくてやったことではない。


 あの時告げた言葉に嘘はない。むしろあの娘は彼の鬱憤の捌け口にされたようなもの、それで礼など言われてはかえって居心地が悪い。


「そうですか」


 答えにもなっていない答えに、祖父は笑顔で頷いた。いつもならば、曖昧な回答には眉を顰めるところだろうに、おかしなことだ。

 いまだ警戒を緩めることができないファルカスを他所に、祖父は茶器を口に運んだ。先ほどから、孫の忍耐力を試すためにわざと間を空けている――というのは穿ちすぎだろうか。


「ともあれ、侯爵も令嬢も大層感謝しているとのことで、屋敷に招待したいとのことです。王都から戻られたばかりではありますが、すぐに支度を――」

「断らないのですか!?」


 だとしたら思わず叫んだのは失態だったのかもしれない。しかし、祖父の言葉はそれほど意外だったのだ。


「令嬢は殿下に大変感謝しているとか。ティゼンハロム侯爵家に恩を売っておいて悪いことはありますまい。令嬢も未婚ということですし――幸運を、掴まれたのかもしれません」

「バカな!」


 憤然として、ファルカスは椅子を蹴立てて立ち上がった。


 ――なぜ王と同じことを……!?


 祖父は彼のことを厳しく躾け、育ててくれた。それは彼が政争の中で生き抜くことができるように、だと理解している。その意思を裏切らぬよう、己を磨いてきた自負もある。妻を得てその実家を後見としろ、などという王の()()を不快に感じたのは、祖父の思いも彼の努力をも踏み躙るものとしか思えなかったからだ。


 なのになぜ、当の祖父にまでこのようなことを言われなければならないのか。彼の力を信じていないのか。野心を持った臣下に媚びて生き延びろとでも言うのか。そう思うと、怒りに眼前が白く灼ける思いがした。

 目つきも険しく睨むものになっているだろうに、祖父は取り合わないとでも言いたげに微笑んだままだ。


「臣もいつまでも殿下のお傍にいられるものではございません。安心して戦馬の神の御許(みもと)に召されたいものですからな」

「そのように弱気な……!」

「殿下はお気が短くていらっしゃる。そのようにすぐ激昂なさるようではとても安心などできません」

「――――っ!」


 彼自身の行いによって、祖父の懸念を裏付けてしまったことに気付いて、ファルカスは歯噛みした。(ファルカス)のように牙を剥く、と。祖父にはよく呆れられるのだが、まさにそのような短気な獰猛さを見せてしまったことになる。


「会って見るだけ会ってみても良いでしょう。名目は礼ということなのですから」


 祖父の穏やかな微笑みを、揺るがすことすらできないというのに。気の短さは何も利することはないと、常々言い聞かされているのに。


 ――これだから、俺は信用されないのか……。


 理性では納得しても、感情を収めるのは難しくて、ファルカスはじっとりと祖父を睨んだ。


「……会うだけです。ティゼンハロム家の娘など面倒なだけ」

「そう仰いますな」


 祖父も立ち上がると、ファルカスの肩に手を置いた。昔は随分と大きく見えたそれも、今の彼の体格に比すると縮んだような気がする。祖父が老いたということもあるのだろうが、それを認めるのも何か業腹だった。祖父の身体は頑健そのもの、余命を仄めかすのは質の悪い冗談か脅しとしか思えないのだ。


「愛する者がいるというのは良いことです。娘には与えてやれませんでしたが、今回のことは臣の手柄ではございませんが――孫には幸せになって欲しいのです」

「親の権力を笠に呼び立てるような女ですが」

「それでも。難しい立場にも関わらずお前を求めてくれた。千載一遇の好機かもしれぬのに、逃してくれるな――ファルカス」


 祖父の手に力が篭った。老人のはずなのに、若いファルカスでも振り払い難いほどに、強い。間近に見る――いつの間にか彼の背丈は祖父に追いつき、追い越していた――瞳は彼と同じ青灰の色。顔貌も彼と、そしておぼろげに記憶する母との繋がりを感じさせてどこか似ていて。何より久しぶりに彼を名で呼んでくれた。


 ――ずるいな……。


「……分かりました。お祖父様」


 何となく負けたのを悟りながら、ファルカスは頷いた。というか、頷かざるを得なかった。彼が身内と呼べるのは祖父ただひとりなのだ。それも、ここのところ臣下のような態度で隔意を感じさせておいて、ここぞという時に孫扱いとは。老獪とはこういうことを言うのだろう。


「ただ、本当に会うだけです。ティゼンハロム侯爵が何を企んでいようと、加担してやるつもりはありません」

「おや、殿下も存外弱気でいらっしゃる」


 祖父の口調はまた恭しいものに戻っていた。何、と睨んだ先では、彼と同じ色の瞳が笑っている。


「ティゼンハロムという強力な駒を手に入れたとお思いになれば良いのです。侯の企みに乗る必要がないのはもちろんのこと、逆に利用するつもりでいらっしゃらなくては」

「……まだまだ適わないようです」

「そう易々と越えられては困ります。臣の寿命が尽きるまでに、今少し教えることがございます」


 不敵な笑みを見せる祖父は、厳しい教師の顔をしていた。教え残されたことの中には、ティゼンハロム侯爵のような権力者とやり合うことも含まれているのだろう。


 ――武術の方がよほど簡単そうだな。


 恐らくは性に合わない授業なのを予想しつつ――それでも、ファルカスは祖父からの最後の教えに真摯に取り組むことを決めた。

文中で言及しているアンドラーシの件は「09 消したい記憶 アンドラーシ」(http://ncode.syosetu.com/n3584cw/16/)で描写しています。

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