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08 冷たい女 リカード

本編開始の約10年~5年前のリカードとエルジェーベトのエピソードです。


【注意】

寝取り・性的暴行・育児放棄・子供への残酷行為の(を匂わせる)描写があります。苦手な方はご注意ください。

「孕んだだと?」


 年若い末娘と同い年の愛人が告げたことに、リカードは眉を上げた。


「はい。もうしばらくしたら腹も膨らんでくるかと。ですからお召しにはお応えできなくなるかと存じます」


 主の声に潜む疑念に気づいているのかいないのか、女は淡々と答えて身支度を整えている。


「本当だろうな」


 その冷淡さが気に食わなくて、力づくで引き寄せる。

 この女は昔から感情を露にすることが少なかった。末娘への忠誠が本物なのはよく知っているし、娘に対しては笑顔を見せることもあるようだが、その他の人間に対しては無関心を貫いていた。泣き顔が見たくて最初に犯した時も唇を噛んで耐えるぱかりで、少々期待外れだと思ったものだ。


「本当でございます」

「嘘に決まっている。夫に操立てしたくなったのだろう」


 そんな女だから、嫁ぎ先を勝手に決められても何も文句は言わなかった。王妃となる彼の娘に仕えるためには必要だからとむしろ喜んでさえいるようだった。処女ではない娘を押し付けられた男が彼に不満をこぼすことは――命が惜しいだろうから――なかったが、その分鬱憤は妻に向けられたことだろう。この女が頻繁にリカードのもとで夜を過ごすのも、夫としては屈辱に違いないのだ。だから、この女が彼と縁を切って夫に擦り寄ろうと考えたとしても無理はない。


「逃げようなどとは考えるなよ、エルジェーベト。お前は儂のものだ」


 半ば着付けられた衣装を、再び解く。責める言葉とは裏腹に、リカードは上機嫌だった。何かと取り澄ましたこの女が、彼に逆らおうとするなど面白い。狩りの獲物を仕留めるように、はかない抵抗を踏みにじるのは血が沸くものだ。

 あえて婚家名でなく元の名前で呼んだのも、夫の存在を軽んじるもの。他人の妻を奪う楽しみがやっとできたとばかりに、女の素肌に掌を這わせる。


「弁えております。この身は殿様と……ミーナ様のもの」

「ならば孕んだなどと嘘は吐くな」


 閨で娘の名を出す無粋に興を削がれながらも、女の滑らかな肌を、白い乳房を堪能する。既に日は高くなってはいるが、彼は女を逃がす気はなかった。だが――


「本当だと申し上げました。私だとて好き好んで孕んだ訳ではございません」

「……何?」


 女の、ほとんど吐き捨てるような不機嫌そうな口調に、リカードは思わず手を止めた。見下ろすと、上体を露にしたしどけない姿の女に欲情の色も恥じらいも一切見えない。それどころか心底不本意だとでも言いたげに眉を寄せ、唇を歪めている。


「ミーナ様にご懐妊の兆しはまだございません。そして王はまた自ら乱の鎮圧に出向くとか。ミーナ様の御子の乳母になれないのでは、孕んだところで無駄ではありませんか」

「……そうか」


 リカードは思い出した。この女は、命令次第で幾らでも嘘を吐くし本心を隠すことも手慣れたものだが、末娘への忠誠だけは常に真実だ。

 ならば妊娠したのも、それを喜んでいないのも事実だろうし、夫のことなど全く気にも留めていないのだろう。


「もう良い。下がれ」


 さすがにやる気をなくして突き放すように身体を除けると、女は何事もなかったかのように再び身支度を始める。顔かたちは整っているが――だからこそ手を出した――この女はどこか冷たく情がなく、時につまらないとさえ思う。ならば相手にしなければ良いのだが、常に平静に見えるからこそ乱れたところが見たい、乱してみたいという欲が出るのだ。


「……で、父親はどちらだ?」


 だから、少しでも女を動揺させようと、リカードはしつこく食い下がった。


「儂の子だというならそれなりに扱ってやろう。私生児とはいえ侯爵家の後ろ楯は心強かろう?」


 もちろん彼が愛人の子を我が子として愛おしむことはあり得ないが。しかしもしこの女が夫ではなく彼の子だと認めるならば、その子供はまたとない戦利品となるはずだった。女を妻として下げ渡しはしたが、真の主はあくまでも彼なのだ、という。


「夫の種に決まっております」


 しかし女はまた嫌そうに顔を顰めただけだった。


「私生児など聞こえの悪い……! それでは王宮にいられなくなってしまいますし……何よりミーナ様が奥方様のために悲しまれます」

「……そうだな」


 娘と正妻を持ち出されては、リカードもそれ以上言えなくなる。女の小賢しい物言いも憎らしいし、結局娘が第一なのだと思うと面白くない。

 若い女の身体を楽しんだ翌朝だというのに、リカードの胸中は晴れやかさとは程遠いものになってしまった。




 その後二、三年は何事もなく過ぎた。


 女は男児を産んだがさほど顧みることもなく変わらず娘に仕え、リカードが求めるままに閨を訪れた。


 娘は王妃として、王の唯一の妻として王宮の主を務めているが、まだ懐妊の兆しはない。王の祖父の地位を狙うリカードとしてはもどかしいところではあるが、まだ焦ることもないとは思う。乱の鎮圧で王と過ごせない時間も長いのだから。とにかく娘は少女時代と変わらず悩みのない日々を過ごしている。父親としては娘の幸せは何ものにも代え難い。

 そして王は――表面上はリカードに従う姿勢を見せている。だが、強情な目に、あるいは引き結んだ口元に反抗の色を見ることがしばしばある。リカードの孫を王位につけるまでの繋ぎに過ぎないというのに生意気なことだ。世継ぎを作る前から自ら戦陣に赴きたがるのは、単に若者らしく功を焦るというだけでなく、臣下に自身の力を見せて従わせようという意図もあるに違いない。


 この夏にあった叛乱でも、王は例によって自ら鎮圧の指揮を執った。死んだ第一王子、ザルカンの遺児と称する子供を擁立した者たちによる乱だった。

 鎮圧後、乱を企てた者たちはともかく、子供も殺さなければならないというのが王には気に入らないようだった。


「本当にザルカンの血を引いているかも怪しいというのに……! 愚かな真似をしてくれた」

「では手足の一、二本も斬り落としますか。ティグリス王子のように」


 イシュテンでは戦えない者は王足る資格を持たない。王の異母弟であるティグリス王子は片脚と引き換えに命を長らえた。今回の子供もそうすれば助けてやれると、リカードは提案したのだ。


「バカげたことを」


 無論、王が賛成しないのは承知の上で。この若者は一瞬の死より苦痛と屈辱に満ちた生をより残酷に思うだろうから。子供に罪はないのは分かってはいるが、娘が将来産む子を脅かすものは全て排除しておかなければならない。


 結局、子供は寝ている間に窒息させられた。


「子供を殺したのは娘には黙ってくださいますように。悲しむでしょうからな」

「当然だ」


 王は不機嫌も露に吐き捨てたが、リカードは大変満足していた。


 まず、王は子供を哀れみはしても判断を誤ることはしなかった。次に、娘を気遣うことを当然と言い切った。リカードの目をはばかってのことかもしれないが、無知で無邪気な娘が傷つくことがなければそれで良い。愛する男に愛されていると、信じ続ければ良いのだ。

 そして何より重要なのは、王を操るのは――容易くはなくても――不可能でないのを改めて確認したことだ。

 王は強情で矜持高く我を曲げることを嫌う。大人しく傀儡にならないという点では扱いづらいとも言えるが、しょせんは綺麗事しか知らない若造だ。誇りを第一に置く者が選べる道は驚く程に少ないもの。まして王の位にある者ともなると立場といい臣下の目といい気にかけなければならないものが多すぎる。そこへ青い自尊心を刺激してやれば、思った方向に動かすのは簡単だ。


 王の権力はリカードの手中に。そして娘は王妃の地位と愛する夫を手に入れた。全ては彼の思い通りに動いている。




 将来に不安がないとなれば、心置きなく今を楽しむことができよう。乱の鎮圧が無事に済んだ安堵もあって、リカードは例の女を招くことにした。

 今夜は単に若い愛人の身体を楽しむというだけではない、別の種類の悦びがある。

 女の夫が今回の乱で死んだのだ。あの女はさすがに多少は悲しんでいるだろうか。それともやはり冷たい表情を崩していないだろうか。いずれにしても喪服姿の女を組み敷くのはきっと新鮮に感じられるだろう。


 だが、リカードの下劣な類の期待が叶えられることはなかった。


「……エルジェーベト?」


 姿を見せた女は、思い描いた通りに漆黒の喪服に身を包み、白い首筋が匂い立つようだった。しかし、その表情は想像とまるで違って、涙の跡も明らかに憔悴しきった様子だったのだ。


「何があったのだ……?」


 夫を亡くしたばかりの妻なのだから、本来ならば愚問のはずだった。だがこの女に限って夫の死をそこまで悼むとは信じがたいことだった。リカードも、先ほどまでは当然のように女を抱けるものと――その程度には平静を保っているだろうと考えていたのだ。


「殿様。いえ、何事もございません……」


 細い身体を腕の中に収めると、言葉とは裏腹に女は力なく彼の胸にもたれてきた。


「何もないということはないだろう。お前がそのように涙を流すとは何事だ。夫を、そこまで――?」

「いいえ。夫の死を悲しんでいるのではないのです」


 それでも即座に否定する声ははっきりと力強いものでリカードを困惑させた。


「ならば何故……」

「夫がいなくては子を産めません。この先ミーナ様に御子がお生まれになっても、私の乳で育てることができないではありませんか……!」


 このような時でも娘の名を呼ぶ女の、妄執めいた忠誠にリカードは絶句した。


 一瞬の後に我に返り、再婚すれば、と言いかけ――そしてそれはほぼ叶わないことに気づく。

 女が産んだ男児は、たとえ母親が捨て置いていても、夫の家の跡継ぎだ。それを放って他の家に再び嫁すなど外聞が悪く、婚家が許すことではないだろう。ただでさえ、何よりも娘を優先し、度々リカードのもとで夜を過ごすこの女は夫の家から嫌われているだろうから。夫が死んだからといって簡単に自由にさせるとは考えづらい。


「夫などミーナ様にお仕えするための方便にすぎないと思っておりましたのに。死んでからの方が邪魔になるなんて……!」


 そう、むしろ夫の弔いを理由に生涯婚家に縛り付ける方がありそうなことだ。この国では夫が死ねば妻の残りの生も終わるのだ。先王の王妃――寡妃太后ですら、実家の侯爵家に引きこもって暮らしている。あの狂女は息子を守らなければならないという執念に捕らわれているらしいからまた話は別かもしれないが、とにかく一度未亡人になった女は寄る辺なく実家か夫の家に命じられるままに流されるしかないものだ。


 そして、この女に頼れるほどの実家はない。


「エルジェーベト」


 女の悲嘆の原因の大半は、彼の気まぐれと傲慢だった。そうと気づくと、リカードは非常に珍しく後悔のような思いに苛まれた。

 彼は、この女がここまで萎れた姿を見せるなど想像だにしていなかった。泣き顔が見たい、傷ついたところが見たいと思っていたのは上辺だけのこと、どこかでどうせこの女は常と変わらぬ澄ました顔を保っているだろうと信じ込んでいたのだ。

 それが、思わぬ弱りきった姿を見せられ、縋られて。リカードは少なからず動揺した。


「ならば儂がとりなしてやろう」

「――え?」


 女が顔を上げ、涙に濡れた目で彼を見上げた。いつになく無防備な――子供のような表情は、いつもとは違う種類の欲求を刺激してくる。実の娘に対するような、庇護欲を。


「儂に逆らう者などおらぬ。お前は婚家から解放されよう。息子もこの屋敷に引き取ってやる。お前は心置きなくミーナに仕えれば良いのだ」

「そんなことが……」


 女の口の端が微かに笑い、希望を得たのか頬には赤みが戻った。


「私などのために、そこまでしてくださるはずが――」

「お前の忠誠はよく知っている。これからも、何を置いても娘を第一に考えるのだろう?」

「ええ、当然ですわ。でも……」

「そう、当然だ。忠義者への当然の褒美だ」

「本当に……?」

「二言はせぬ」


 そこまで聞いて初めて、女は安堵したように微笑んだ。これもまた初めて見る種類の優しげな清らかな笑顔だった。


「これほどのご恩、何と感謝申し上げれば、どのようにお返しすれば良いのか……」

「変わらずミーナに仕えてくれればそれで良い」

「ああ、ありがとうございます……!」


 女は腕を伸ばして思い切りリカードに抱きついた。彼もまた、それに応えて女の身体を受け止め、優しく髪を撫でてやった。男女の欲などではなく、親子のような情愛さえこもった抱擁は、この二人の間では最初で最後のものだった。




 娘が懐妊したのはそれからほどなくしてのことだった。

 すでに母になったことのある女を娘はよく頼り、女も嬉しがっていたようだった。そうして産まれたのは生憎王女ではあったが、娘が生まれたばかりの頃を思い出させる愛らしい赤子はリカードを――そして王をも魅了した。

 娘が子を成せる身体であると証明され、王との絆も深まった。次こそは王子を授かれば良い。そうすれば彼の野望は叶ったのも同然だ。


 そしてそれはそう遠い日ではないと、この時の彼は信じていた。

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