表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/58

00 王女の誕生日 レフ

本編開始数ヶ月前のエピソードです。

 ミリアールトでは王女の誕生日は毎年盛大に祝われる。

 王妃亡き今、王女こそが国で最高位の女性だからだが、理由はそれだけにとどまらない。シャスティエ王女といえば国一番と名高い美姫、それもミリアールトが崇める雪の女王の化身のように淡く輝く金の髪と宝石のような碧い瞳、新雪のように輝く肌を持っている。さらに十代で数ヶ国語を修めた聡明さを併せ持つとなれば、民にも臣下にも愛されて当然だ。


 わけても今年は特別だった。シャスティエ王女が十八歳を迎えたこの日、大国ブレンクラーレの王太子との婚約が発表されたのだ。ミリアールトは古き伝統を誇る国とはいえ、相手は文化、経済、軍事のあらゆる面で格上の国。宮廷あげて美しい王女を祝福する空気が燃え上がり、この国の長く暗い冬を照らしていた。

 普段は読書などを好む王女も、この日ばかりは白い肌を紅潮させて踊りや貴公子たちとの歓談に興じていた。




 その様子を、レフは広間の片隅から眺めていた。彼は王弟の息子であり王族の一員に数えられる身ではあったが、なにぶん三人兄弟の末っ子だ。ひとり目立たない場所にいても特別咎められるということはなかった。

 彼の従姉――シャスティエ王女は、今日は一段と美しかった。

 金の髪を結い上げて、南国から取り寄せた真珠で飾る。白鳥のようなすらりとした首筋にも幾重もの真珠の首飾りが重たげに煌き、その細さを際立たせている。純白に銀糸と宝石で雪の結晶を刺繍したドレスは、この北の国が奉じる女神がしばしば絵画でまとうような繊細で豪奢な逸品だった。もちろんそれを着こなす従姉もまた、女神さながらに誇り高く輝くばかりに美しい。


 今はレフのすぐ上の兄のヴィクトルと踊っていた。彼ら兄弟も揃って淡い金髪と碧い瞳を持っているから、氷の彫刻に宝石で彩りを与えたような大層美しい一対に見える。

 歳は三つ、背丈は頭一つ分違うこともあり、物語にでも出てきそうな「お姫様と王子様」の絵と言えた。羨ましくなるほどに。


「ここにいて良いのか? シャスティエ様は次はそなたと踊りたがるだろう」

「伯爵」


 ふいに横から掛けられた声に、彼は思わず飛び跳ねそうになった。いたずらっぽく微笑む声の主は、グニェーフ伯爵アレクサンドル。長く将として歴代の王に仕え、老齢ながら国境を預かる国の重臣だった。


「僕は――私はこういう席は苦手なのです」

「シャスティエ様は言い訳を聞き入れはしないだろう。従兄弟方の全員と順に踊ると決めていらっしゃるようだ」


 ――順番に、公平に、ということだな。


 老臣に気付かれないよう、レフは内心で溜息を吐いた。従姉の彼に対する扱いは昔から変わらない。仲の良い従兄弟の中の一人というだけだ。いや、数ヶ月とはいえただ一人歳下ということで、最も我が儘を言われ時に命令されるという栄誉に浴していると言えなくもないが。とにかくそれは弟扱いということで、彼が密かに望む関係とは違う。


「普段はろくに乗馬もしないのに。明日足が痛くなったら八つ当たりされるのは私です」


 あえて自身を卑下するように、それでも冗談めかして言うと、グニェーフ伯は声を立てて笑った。いささかわざとらしく聞こえたのは彼の邪推だろうか。


「従姉弟同士で仲が良いのは良いことだ。シャスティエ様が嫁がれたらそのような無体も懐かしく思われることだろう」


 伯爵の言葉は、従姉弟同士ということ、従姉が近く嫁ぐことを強調しているようにも思えた。何かしら無難な返答を捻り出そうと一瞬考え込んだ時だった。銀の鈴を転がすような涼やかな声が響いた。


「こんなところにいたのね。探したわ」

「シャスティエ」


――見つかってしまった。


 既に何曲か踊った後のはずだ。いつもは雪を思わせる従姉の肌はほのかに紅潮し、体温が上がったためだろうか、香水が一層甘く香る気がした。美しいとはいえ、見慣れたはずの彼女がやけに眩しくて、レフはそっと目をそらした。


「お兄様とルスラン様と、ヴィクトル様と踊ってきたの」

「見てたよ」

「まだ踊り足りない気がするわ」

「君と踊りたい人はまだ沢山いると思うよ」


 従姉の要求には気付かない振りで彼はとぼけた。彼に対して従姉は限りなく傍若無人に振舞うが、女の方から踊りに誘うのがはしたないと考える程度の分別は期待できるはずだった。


「踊るならあと一人だけね。皆様の中から一人だけを選ぶなんてできないわ」

「君の選択に文句を言う奴なんていないよ、王女様」

「ねえ、レフ」


 従姉の瞳が凍り、声の温度がわずかに下がった。雪の女王の怒りの現れと言われる雪嵐のごとく、この王女は機嫌を損ねるとなぜかひどく冷たい雰囲気をまとうのだ。


「私、貴方に何か悪いことをしたかしら」

「したと言えばしたかな」

「嘘」


 決めつけられて、レフは肩をすくめた。


「ずっと前だよ。背が低い相手とは踊りたくないって言われた」


 もう何年も前の話だが。それこそ求婚するような一大決心で申し出た彼に対して、従姉は美しくも残酷な笑顔で首を横に振ったのだ。


『貴方、私より背が低いじゃない。踊りづらいから嫌よ。叔父様の方が良いわ』


 そして彼は同情に満ちた表情の父に従姉を奪われ、大層屈辱的な思いをした。当時から彼女の遊び相手だったイリーナは気の毒そうに慰めてくれたが――彼の傷は決して癒されはしなかった。


「それは――悪かったわ。ごめんなさい」


 覚えているのかいないのか、従姉は首を傾げながら謝った。心が狭いと思われたのは確実だった。


「でも、貴方はもう私より背が高いじゃない」

「それでも。王妃様になる方とは恐れ多くて踊れない」


 従姉はまあ、と非難がましく呟いた。今度こそ決定的に怒らせるのに成功したようだった。


「アレク小父様。この場には礼儀を知る殿方はいらっしゃらないのでしょうか?」

「この老いぼれでよろしければ喜んでお相手を務めさせていただきましょう」


 グニェーフ伯は孫のような歳の王女の生意気な口振りを、目尻を下げて受け取った。王である伯父や父を始め、大人たちはとにかくこの従姉を甘やかしていると思う。


「――祝福してくれないのね」


 従姉はグニェーフ伯に手を取られて去っていった。彼の心を抉る一言を残して。




 新たに曲が始まり、周囲に聞く者がいないのを確かめると、レフはそっと呟いた。


「祝福なんてできるはずがないだろう……」


 従姉がいずれ誰かしらと結婚するのは分かりきったことだった。王族の結婚に私情が混ざることは稀だし、彼女は自身の義務をよく弁えている。

 のちのちの争いを避けるために、王族が増えすぎないように、従兄弟のいずれかと結婚させるのはあり得たかもしれないが、その場合も兄たちが選ばれるだろう。歳下で、姉妹のようだと揶揄されることさえある彼が従姉に相応しいとは、伯父も父も考えないだろう。

 そう、分かっていたはずだった。


 だが、遠い国に嫁いでしまうことを簡単に受け入れられるかはまた別だ。


 老伯爵と踊る従姉は機嫌を直したようで美しい笑みを浮かべている。社交用の笑顔ではあるが、多少は浮かれているのも事実のようだ。

 従姉の表情はもっと他にも知っている。涙が出るほど笑って、それでも優雅に口元を隠す表情や、ふてくされて唇を尖らせた表情。他の人間は知らないものも含めて。だが、それは彼が彼女にとって弟分だからでしかない。従兄の王太子や兄たちだって同じように彼女に親しまれている。


 もっと特別な、彼だけに向けられる微笑みが欲しい。従弟だから順番に、ではなく、彼だから踊りたいと思って欲しい。

 しかしそれは望めることではない。口に出すことさえできないことだ。仮に想いを告げたところで従姉は困惑するだけだろう。


「だから、怒っただろうけど許してくれよ、従姉殿」


 聞こえないのは百も承知で、彼はそう独りごちた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ