風呂と、寝巻き
出来心で書き始めたら、いつの間にか出来上がっていました……。
予告を思いっきり無視してすみません!甘々回です!
シリアス回の合間の休息ということで、どうぞよろしくお願いします……!
閉廷後、私たちは王都のお屋敷へ帰った。
ヴィデル様はルヴァ様と話があるようで、帰るなりルヴァ様の執務室へと消えていった。
――数時間後。
部屋のドアがノックされて「はい」と応えると無言でギィとドアが開けられた。
ドアの隙間から顔だけ出したヴィデル様が、「肉を食べに行くぞ」と言った。
「喜んでお供させていただきます!!」
元気に返事をして秒で支度し、屋敷を出た私たちは馬車へと乗り込んだ。
ちょうど日が落ちたばかりで、空が深い青色に染まっている。
十分ほど馬車に揺られて辿り着いたのは、王都の中心部の飲食店が建ち並ぶエリアの最奥。
見るからに高級そうな店が立ち並ぶその場所に、窓がなく飾りも一切ない不思議な建物があった。
パッと見は飲食店には見えない。前世ならギャラリーとかアトリエとか、そんな感じの雰囲気。
重厚そうな扉の前には執事風の服装の男性が立っていて、近づく私たちを見ると扉を開けてくれた。
中に入ると、薄暗くて幻想的な、けれど心地のいい空間が広がっていた。
大きな照明はない代わりに暖色系のぼんやりとした灯りがあちこちに配置されていて、それがとても落ち着く。
店内の螺旋階段を上り、二階の席へと案内された。
二階は壁際にのみ席が設けられていて、真ん中は吹き抜けになっている。
そのため席に座ったまま一階を見下ろすことが出来て、この幻想的な雰囲気を存分に味わうことが出来るようになっていた。
……前回の裁判の後のお肉デートもそうだったけど、ヴィデル様ってすんごく私好みのお店に連れてきてくれるんだよなぁ。
周りを見渡したり一階を眺めたりしていると、ヴィデル様が料理を注文し始めた。
ワインを注文するのが聞こえたから、「じゃあ私も一杯だけ」と言ったら「お前はアルコール禁止だ」と断られた。
そしてヴィデル様は勝手に柑橘ジュースを頼んでしまった。
「えー!」
「お前が酔うと俺の身が持たない」
「……え? それどういう意味ですか?」
私が酔うのにヴィデル様の体関係なくない?
「柑橘以外にも種類があるぞ」
「あ、本当だ! わ〜い、いろいろある〜! 二杯目はどれにしようかな〜!」
メニューを見せられ、まんまと話を逸らされてしまった。
少しして料理が届き始めたから、もりもりと食べながらヴィデル様の様子を窺う。
……なんか今日お酒のペース早くない?
いつもこんなだったっけ?
まあでも、ヴィデル様だし大丈夫か!
そう、思ったんだけど……。
美味しいお肉を食べ終わって私がデザートを食べ始めた頃、ヴィデル様の目がとろんとしてきた。
話しかけると返事は普通に返ってくるけど、少し声が掠れた感じになっているし、口調や動作が若干ゆっくりになっている。
なんだこれ。セクシー過ぎてやばいな。
……ちょっと、そんな目で見つめないで!
こんなの、こっちの身が持たないんですけど!
『お前が酔うと俺の身が持たない』って言葉、そっくりそのままお返ししたいんですけどぉ!!
脳内で大音量で叫んでいると、色気ダダ漏れの目の前の人は手に持つグラスを眺めながら、何気ない口調で「披露宴、早く済ませたいな」と呟くように言った。
え? 今の何? 独り言……?
しかも、『済ませたい』ってことは披露宴が楽しみって意味じゃないよね?
……ってことはつまり、そういう意味なんですかね?
ヴィデル様のお誕生日祝いの時に投下された爆弾発言との関連に思い当たった私は、ただ赤面するしか無かった。
そして食事を終えて店を出ようとすると、ちょうど混み合う時間になっていた。
そのせいか、出口に向かう途中でいつの間にかヴィデル様に肩を寄せられていた。
体がくっついたまま馬車に着いて、馬車に乗った後も肩をピタリとつけられ、おまけに私の頭に自分の頭を預けてきた。
しかもお屋敷に着いて馬車を降りると、今度は手を引かれたではないか。
初めてのスキンシップが次々と飛び出すことに驚きながら、手を引かれたままお屋敷に入り二階へと上がる。
するとヴィデル様の部屋の前で漸く手を離され、「部屋で待ってる」と言われた。
……え? 何それ! 可愛い!
かんわいい〜〜!!
自室に入りシャワーを浴び始めたけど、たぶん私の方が髪を洗ったりとかの時間が長くかかると思って、急いで済ませてパジャマに着替えた。
そしてヴィデル様の部屋に行ってドアをノックしたけど返事がなくて、そうっと部屋に入ると部屋主はソファでうたた寝をしてていた。
……疲れてたんだろうな。
王都に来てから、毎日遅くまで仕事してたもん。
爵位のこと。
裁判のこと。
どっちも、私のためにしてくれたこと。
隣にそっと座ると、ヴィデル様はすぐに起きてしまった。
目を開けて私を見たヴィデル様は「髪、少し濡れてるな」と言って、その長い指で私の髪をひと束掬い、毛先に向かってゆっくりと指を滑らせた。
そして私の目を見て「一緒に入ろうと思ったのに」と言った。
ちょっと……何なの?
この生命体、色気があるのも度が過ぎてるんだけど。
返事をしないでいると、ヴィデル様は何かを思い出したように話し始めた。
「……まだしばらくは王都を離れられない。その間、お前はこの部屋で過ごせ」
「え? 昼間ですか?」
「昼も夜もだ。お前が部屋にいないと落ち着かない」
「でも……お仕事の邪魔になりませんか?」
「お前が邪魔になったことなんて一度もない。むしろ姿が見えないと集中できない」
ずっと同じ部屋で過ごしてきて、邪魔になったことがないと言ってもらえるのは、とても嬉しいことだと思う。
「それに……」
言いながらヴィデル様は片手を私の頬に当てた。
「お前と別々に寝る時間は、時間の無駄に感じる」
……真顔で言っているのは、その仕草と言葉の攻撃力を自覚してないからなのかな?
それとも、酔っているせいで表情以外が甘くなってるだけなのかな?
分からん! 分からんけど、分かった。
「……分かりました。昼間はここで過ごすことにします。夜も……ここにいます」
私がそう返事すると、ヴィデル様が嬉しそうにほわぁと微笑んだ。
そんな風に『感情がそのまま出ちゃった』みたいな嬉しそうな微笑みを見るのは初めてで、私まで嬉しくなる。
酔っぱらいなヴィデル様をもっと見ていたい気もするけど、疲れているであろう夫を早くベッドで寝かせるべく、この場を締めることにした。
「ヴィデル様もお風呂に入って、ちゃんとベッドで寝ましょう?」
そう言って立ち上がり、ヴィデル様の腕を引っ張って立ち上がらせようとした。
それなのに逆に腕を引かれて、ヴィデル様の膝の上に横向きで乗せられてしまった。
……そこから、恐ろしい攻撃が始まった。
ヴィデル様側にある右の頬にキスされたと思ったら、すぐそばにある耳を舌で刺激され体にゾクゾクとした感覚が走る。
緩急をつけて何度も繰り返され、響く水の音と耳にかかる吐息の甘さに我慢できなくなり、思わず口から言葉が溢れた。
「ヴィデル、様……やっ、もう……だめ」
その声が、いつもの自分の声とは全然違くて。
随分と高くて、恥ずかしくなる。
すると耳を攻めていた舌はそのまま流れるように首筋へと降りてきて、舐められると同時に幾度も吸われ、攻撃は止む気配がない。
このままじゃ頭がおかしくなりそうで、必死に手で首を覆ってガードすると、その手の指先さえ舐められる。
指先を丁寧に舐め終えたその人は、首を傾げて私の顔を覗き込んで言った。
「もう一度、風呂に入りたくなったか?」
……な、何なのこの人!!
カッコよくてセクシーで可愛いって何なの!?
一緒にお風呂に入るためにあちこち舐めたってこと!?
可愛い……可愛いけど!!
負けないで私!!
一緒にお風呂は本当に恥ずかし過ぎて無理!!
「な、何を言ってるんですか! ほら、早く入ってきてください」
そう言って誤魔化そうとした私に、救いの手らしきものが差し伸べられた。
「……分かった、ならこうしよう」
ゴクリと唾を飲んで続きを待つ。
「今から俺と風呂に入るか、俺の寝巻きを着て寝るか選べ」
「後者で! 後者でお願いします!」
お風呂以外の選択肢に喜んで飛びつくと、ヴィデル様はクローゼットから自分のパジャマを二つ取り出し、片方を私に渡してきた。
そしてもう片方を持ったままスタスタとお風呂に向かったので、今のうちに着替えてしまおうと着ていたパジャマを脱ぎ、スベスベの手触りの前開きのパジャマに袖を通した。
……うん。これは、まずい。
まず、ボタンを全部とめてもVネックの襟ぐりが深くて胸元が際どい。
それにズボンはウエストがぶかぶか過ぎて落ちてきちゃうから履けない。
上のパジャマだけでもギリギリお尻まで隠れるけど、ほんとギリギリ。
これはさすがにだめだ。
あれこれ考えた結果、自分のワンピースのパジャマの上にヴィデル様のパジャマの上だけ羽織ってこのピンチを乗り切ろうと試みた。
けど、そう上手くはいかなかった。
お風呂から出てきたヴィデル様は、私を見るなりジト目になって黙った。
「……」
「一回着てみましたよ? けど、あちこち際どいんですよ」
「見たい」
「なっ! そんな可愛く言われても、とにかくズボンが……」
「エリサ?」
「ぐぬぬぬぬ」
私がその子犬みたいに小首を傾げるのに弱いって分かっててやってるの!?
悔しい!! けど可愛い!!
「じゃあ、ヴィデル様が先にベッドに入っててください!」
「分かった」
「私がベッドに入るまで、こっち見ちゃダメですよ!?」
「分かった」
頷きながら『分かった』を繰り返すのも可愛くて、もう何でもいいやという気持ちになる。
ヴィデル様がベッドに入って目を瞑っているのを確認してから、部屋の隅でワンピースを脱いで、もう一度ヴィデル様のパジャマを羽織ってボタンをとめる。
頼りない格好で足元をスースーさせながらベッドに着き、布団を被ろうとしたその時、ガバッと起き上がったヴィデル様に全身をまじまじと見られた。
「なっ! ちょっ! まだ……」
「なんで……下は……?」
驚愕した様子で脚を見られて、慌てて説明する。
「ぶかぶかで落ちちゃうんです! ってさっき説明しようとしたのに全然聞いてくれないから! だから……」
布団を掴んで被ろうとしたのに、その布団を勢いよく取り上げられて隠せなくなり、恥ずかしくて全身が熱くなる。
それなのに、またもやヴィデル様のおねだりが始まってしまった。
「毎日その格好がいい」
「えええ!? イヤですイヤです」
「なら毎日一緒に風呂に入るか?」
「無理無理無理」
「じゃあ寝巻きはそれにしろ」
「なんでその二択なの!?」
すると突然ドサリと押し倒されて、いつもよりだいぶ深く開いた胸元に容赦なく舌が這う。
同時に触れるか触れないかの繊細な指が膝から太腿へとツツツと上がってきて、パジャマの裾に辿り着くとピタリと止まった。
そして、その裾をほんの少しだけ摘んで見せながら悪魔は言った。
「風呂と、寝巻き。どっちがいい?」
「ちょっ、と……何それ……」
意地悪過ぎるのに可愛すぎて死ぬ……。
『どっちがいい?』だって。何だそれ。
その顔で、その声で、やっていいことと悪いことがあるんだからね!!
気をつけないと、私死んじゃうからね!!
「エリサが選んでいい」
どっちもイヤだってさっき言ったから!!
『選ばせてくれてありがとう〜!』ってならないから!!
「それか……」
「それか!?」
さも名案を思い付いたかのように、恐ろしいオプションが提示された。
「選べないのなら、両方でもいい」
「寝巻きで! 寝巻きにします!!」
それを聞いたヴィデル様は満足したのか黙ったから、これ以上変なことを言い出す前にさっさと布団を被って横になった。
……勢いで悪魔と契約してしまった。
けど酔っぱらってるんだし、明日の朝には覚えていないかもしれない。
淡い期待を抱きながら、そして布団の上から抱きしめられながら眠りについた。
*
翌朝目を覚ますと、ヴィデル様はベッドに片肘をついて横になっていて、昨夜と同じ嬉しそうな微笑みを顔に貼り付けて私を見ていた。
え? なんでそんな顔してるの?
まさかまだ酔ってるの? そんなワケないよね?
……あ! 私、パジャマ!!
気付いた時には、というか起きた時から布団はお腹まで捲られていて、何を着ているのかは一目瞭然。
……何を履いていないのかはさらに布団を捲らないと見えないけど、スースーした感触ですぐに思い出した。
「同じ服でも、お前が着ると随分可愛く見えるな」
「……」
おいおい、もう勘弁してくれよぉ……。
昨日のあのテンションでも辛かったのに、寝起きでそんな激甘な台詞ぶっこまないでよぉぉ……。
……あ、でも、今の口調的に悪魔の契約のことは覚えていないのでは!?
「あの、覚えてますか? その……昨日のこと」
「覚えていなかった。が、お前を見て思い出した」
「あ、左様ですか……ははは」
「他にも着せてみたくなるな」
なっ! ヴィデル様が、何かに目覚めようとしている……!?
本能的に危機を察知して、必死に話を逸らしてこの時はそれで終わった。
けど、ヴィデル様の中ではその話は終わっていなかったことに、もうじき気付くことになるのだった。




