ちょっと間が悪くても、大好きな人に大好きと言うのは今この時が一番
王都の門を出て馬で走ること数時間、その屋敷は森の中にあった。木々の隙間から茶色い屋根がかくれんぼのように見え隠れしている。まだこの辺りは『結界』の中にあるため、魔物の姿は見当たらない。
元々はとある貴族の屋敷だったが、何年か前に当主の不始末で取りつぶしとなった。管理人はいるそうだが、めったに立ち寄らないため、ほぼ空き家となっている。そのため、しばしば盗賊が入り込んだり、クソのような貴族共がおぞましい昔話を描くのに使った。
近付くと、生い茂った草の上に真新しい蹄の跡が付いていた。やはりか。なるほど、ここにいたのならいくら心当たりを探しても見つからないはずだ。アレンとてクララの魔法で探してもらわなかったら近付こうとさえしなかっただろう。
扉には鍵がかかってなかった。ホコリっぽい屋敷の中、目を凝らして足跡を探す。二階へと続く階段を上がり、一番奥の部屋に前にたどり着くと掛け声が聞こえた。
アレンは扉の隙間から中を覗いた。
プリシラがいた。何もない、だだっ広い部屋の中でただ一人、ただひたすらに剣を振り回し、見えない敵と戦っているようにも見えた。かなりの時間そうしていたのだろう。床には汗が水溜まりのようになっている。
「プリシラ」
アレンが呼びかけると、体を震わせて飛び退いた。
「すまない、おどろかせたか」
「陛下、どうしてここに?」
「それはこっちの台詞だ」
ゆっくりと近付くと、その手から剣を取り上げる。
「申し訳ございません」
プリシラが膝を突いて頭を垂れる。ふと床を見れば、どこかで摘んできたのだろう。小さな花束が置いてある。
「あれは、婚約者にか?」
「優しい人でした」
プリシラは懐かしそうに目を細める。
「燃えるような愛情や恋慕は感じませんでしたが、もし嫁いでいれば穏やかな夫婦生活を送れたと思います」
「そうか」
嫉妬する気持ちは湧かなかった。
「……ワタシは、陛下のお役に立ちたかったのです」
「充分立っているじゃないか」
プリシラは首を振った。
「ワタシは、弱いままです。あの時と何も変わらない。あの夜も、陛下の機転がなければきっと同じ事の繰り返しだったでしょう」
「……」
「今度こそ、ワタシの中に巣くう悪夢を乗り越えなくては。そうしたらいても立ってもいられず、ここに」
「あのな」
アレンはプリシラを立ち上がらせるとゆっくりと抱き寄せる。
「へ、陛下?」
顔を赤くするプリシラの耳元でささやくように言った。
「俺な、ムカデがダメなんだ」
「は?」
「ほかにもクモとかゲジゲジとか、足がたくさんある虫ってもう大嫌いで、子供の頃からもう見るのもイヤなんだ。見ただけで鳥肌立つくらい。あと、キノコも苦手なんだよ。昔、山で採ったのを食べたら腹壊したことあってな。それ以来、キノコ全般がもうダメ。あと、血のにおいも未だに慣れない。えーと、それから」
「陛下、その」
妙にうろたえた様子で訴えるが、アレンは聞かなかった。
「苦手なものとか、キライなものとか、どうしてもダメなものなんかいくらでもあるし、その、上手く言えないけれど、プリシラ一人で苦しむ必要なんかどこにもないんだ」
いつもならもう少し上手く伝えられるのに、肝心な言葉はいつも出て来ない。
「あの、ですから……」
「だから、その、どこにも行かないで欲しいっていうか、あの、だな」
「陛下」
プリシラが突き飛ばすように体を離した。アレンは数歩後ずさる。
必死な様子で身を縮こまらせる。アレンは冷や水をぶっかけられた気がした。場所柄を考えろ、阿呆が。
「……すまない」
自分勝手に気持ちを暴走させて何をやっているのだろう。気持ちに寄り添っている振りをしながら、結局は自分のエゴを押しつけているだけではないか。今すぐ穴があったら飛び込みたい。
「ああ、いえ。そうではなくて、ですね」
何か言い訳するようにプリシラがあわて出す。
「その、陛下がイヤというわけではなくてですね。その、先程まで剣を振り回していましたので、その、ここまで風呂にも入っていませんので」
赤面しながら目を逸らすのを見て、アレンは吹き出した。
そしてもう一度、プリシラを抱きしめると、大きく息を吸った。
「ああ、うん。好きだよ」
「いえ、そういう問題では……」
「違うよ、プリシラがだよ」
アレンは言った。
「だから、もう一度やり直す」
プリシラの手を取り、膝をつく。
「どうか、俺と結婚して下さい」
この前の求婚は国王として、王妃としてのプリシラを求めていた。今度は違う。一人の男として、目の前の女性を愛し、大切にしたい。
プリシラは泣きたいような笑いたいような、困った顔でアレンを見下ろす。
「ご存じでしょう。ワタシは……」
「ああ、知っている。悲しい昔話だ」
こくりとうなずく。
「でも、昔話はそこで終わりじゃあない。幸せなお姫様のお話を、俺とプリシラで作っていきたい。ハッピーエンドにするために」
返事はなかった。歓喜や恐怖、羞恥、動揺、希望、様々な感情が浮かんで消える。アレンはただ黙ってその目を見つめている。
どれほどの時間が経っただろう。プリシラの目から迷いが消えた。
「よろしく、お願いいたします」
目に涙を溜めながら、美しいお姫様はうなずいた。
「よっしゃああああああ! やったああああああっ!」
二人は同時に振り返った。窓の外でガッツポーズをしているのは、聖女クララだ。
「どうしてここに?」
「えー、だって。この場所教えたの、私だよ」
含み笑いをしながら窓を開けて部屋の中に入って来た。
「一体いつから見ていたんですか?」
「『すまない、おどろかせたか』あたりからかな」
ほぼ最初からではないか。
「一時はどうなるかと思ったけど、いやー、良かった良かった。おねーさん泣いちゃった」
ぐすん、とわざとらしく涙を拭くマネをする。
「あの、もしや聖女様ですか?」
プリシラが尋ねると、聖女クララは感動したように口を開け、目を輝かせる。
「うわー、近くで見るとすっごい美人。そりゃ王様も惚れるわ。ねー、今からでもお姉さんに乗り換えない?」
ちょっと何言っているか分からない。
「なら、王様でもいいけど」
「今、婚約したばかりです」
「じゃあ側室?」
「そのつもりはありません」
息するように波風立てようとするのはやめて欲しい。
「んじゃ、万事めでたしってことで、『結界』も解除しましょうかね」
聖女クララが指を鳴らす。
「え?」
アレンは目をみはった。
先程まで、三人だけだったはずの部屋に、大勢の人間が集まっていた。ジェイコブもいる。ハロルドもいる。城の文官や侍女たち、保護した聖女候補の子供たちまでいる。
「いやー、事情を話したらみんな王様とプリシラちゃんのことが気になるっていうからね。連れて来ちゃった」
「そんなバカな……」
見ただけでも五十人はいるだろう。その人数を王宮からここまで運んできたというのか? どれだけの魔力が必要なのだろうか。しかもアレンたちに気づかれないように防音と遮蔽付きの『結界』まで。アレン以上に『結界』を熟知していなければ不可能な芸当だ。
「出来るよー」
聖女クララは胸を張っていった。
「伊達に十二年も『結界』張ってないって」
上には上がいる。アレンは自分の未熟さを思い知らされた。
「亡くなった婚約者への思いに揺れるけがれなきお姫様と、彼女を一途に思う若き王。二人の行く末に幸多からんことを!」
高らかに宣言と同時に二人の体が淡い光に包まれる。
「聖女クララの名において、ここに二人を祝福します。どうか、盛大な拍手を」
たくさんの拍手が鳴り響く中、呆然とするプリシラの肩を抱き、まっすぐに緑色の目を見据える。
「つらかったよね、悔しかったよね。偉いね。よくがんばったね、でももう大丈夫だからね。これからいっぱい幸せになるんだよ。なんたって、聖女様のお墨付きだからね」
優しく微笑みかけると、プリシラの目から雪解けのように涙がこぼれ落ちた。
「ああもう泣かないの、美人が台無し」
すすり泣くプリシラを自分の胸に引き寄せる。
「聖女殿、その、あなたは……」
アレンは後ろから話しかけようとして、途中で止める。
首だけ振り返った聖女クララが無言で唇に指を当て、力強い目で訴えかけていた。
参った、とアレンはため息をついた。絶対にこの人は敵に回すまい、と心に決めた。
「陛下、おめでとうございます」
「どうかお幸せに」
ハロルドやその場に集まった者たちがアレンを祝福する。ジェイコブは背を向けて肩をふるわせていた。聖女候補の子たちも何も知らず手を叩いて喜んでいる。
「ま、喜んでいる暇なんてないかもだけど」
まだまだ問題は山積みだ。隣国からの難民が国境を越えて流入しつつある。行き場を失った魔物の動向も無視できない。レナードたちの愚行が残した傷痕は、あまりにも大きい。『結界』があって、聖女がいても解決出来ない問題はたくさんある。それでも、アレンには足を止めるつもりは更々なかった。
「絶望するにはまだ早いからな」
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時にライランズ王国歴四〇五年。
聖女クララを追放したことにより、魔物の大発生を招いた。
後に『大災害』と呼ばれる未曾有の大群により王都は大混乱に陥る。
国王バイロン二世は隣国へ逃亡し、王太子をはじめ主立った王族や貴族は船で国を捨てた。
唯一取り残された第七王子アレンが国王へと即位すると、新たな『結界』を作り、混乱を治めた。
その後も戦争や飢饉など、アレン王の治世には様々な困難が降りかかる。
だが、アレン王はそれらを一つ一つ乗り越えて国内を発展させる。やがて聖女クララも帰還し、ライランズ王国は歴史上、最盛期を迎えるのであった。
了
これにて完結です。
最近タイトルで「今更もう遅い」をよく見かけるので、なら逆に「まだ早い」で、と思いやってみました。
見切り発車でやって一時はどうなるかと思いましたがどうにか着地できました。
その日その日でプロット考えながら毎日更新思っていたより大変でした。
文章が荒れたり、設定が甘かったりと色々反省点も見えましたが、書いていて楽しめました。
短い間でしたが、お付き合い下さりありがとうございます。
ただ今、小説家になろうで「王子様は見つからない」という長編も連載中です。
誰にも気づかれない少年のちょっと変わった冒険譚です。
この話とは毛色の違うお話ですが、そちらも読んでいただけると幸いです。
それでは、どうもありがとうございました。