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故郷は魔王に焼かれて想うもの3

 サラハナウラが風呂を上がると、弟のユウは板の間に転がって寝ていた。どうやらご飯の途中で寝てしまったらしい。

 彼女は、「ほらほら、こんな所で寝てないでお布団に行きなさい」と布団を敷いてやるわけでも、「ちゃんとご飯を食べてお風呂に入りなさい」と起こしてやるわけでも、毛布を取ってきて掛けてやるわけでもなく、全く無視して弟の体をまたいで二階へ上がった。


 そこは彼女の部屋。箪笥と文机と本棚、そして西国風の寝具がある。西国風の寝具とはベッドのこと。これは彼女が物語の挿絵で知って、家具職人のおじさんに無理言って作ってもらった物。しかし彼女の希望は天蓋付きのソレであり、ソレは流石に無理だった。ヒラヒラの白い布の代わりに蚊帳が吊ってあり、興ざめした彼女は抗議した、と言う曰く付きの物。


 彼女は木窓を開いて夜風を入れ、兎の絵の赤いマッチ箱からマッチを一本取り出して、筒型のランプに火を灯した。本棚から百科事典を取り出すと、蚊帳をくぐってベッドに入り、枕元にランプを置いて百科事典の絵に魅入った。


 それは彼女のお気に入り。それには世界中の色々な生き物が極彩色で載っている。幼い頃から、その本の挿絵を見て遠い世界に思いを馳せていた。

 劔竜や鶏冠竜ももちろん載っている。が、彼女にはそれは見慣れたものであり、何の興味もわかない。美しい羽飾りを背中や頭の上に乗せた竜類の数々、地味だけれど信じられないほど大きな鳥、万物の霊長と言われる守宮猿、それらはどれほど眺めても飽きない。


 恐ろしい蠻族を紹介している頁でふと手が止まった。


 それらは知能低く、醜く奇怪な姿で、粗末な鎧や武器を身につけている。三十年前にマヌシニの王が誕生して以来、人間を襲うようになったと言う。攻め込まれた街がいくつもあると聞いた。マヌシニの王は単に悪龍とも呼ばれるが、本当の名前は知らない。誰も口にしたがらないから。時々こう呼ばれているのを聞く。イロキノ。それはツフガの言葉で『悪い蛆』という意味。蠻族はそのイロキノに操られ、街を襲っているらしい。


 小さく首を振って頁をめくった。蠻族がこんな辺鄙な村を襲うわけない、と。


 その時、開けっ放しの木窓から夜風に乗って何者かが入って来て、蚊帳の外に立った。すぐに相手が想像ついた彼女は「ふん」と不機嫌に鼻を鳴らして、蚊帳を開いて侵入者と対峙した。


「また来たの」


「あら。随分な言われようね」そこに居たのは透き通った霊体、まん丸いふくれっ面、見た感じ五歳くらいの女の子、大気の妖精フィオラパ。大袈裟に肩を竦め、けれど顎を上向け、前提見下していた。妖精という言葉の持つ可憐さとは無縁の実態。尊大で意地悪で口が悪く、つまりサラハナウラと良い勝負。どっこいどっこい。


「あんた友達いないから話相手に来てやったのに」

「大きなお世話。私は友達なんていらない。一生一人で生きて行ける」

「強がりが好きねぇ。あんまり強がりばっかり言ってちゃ、そのうち誰も助けてくれなくなるわよ」

「私は誰の助けもいらないし、助けてもらおうとも思わない」

「まぁいいわ。でも弟くらいは大切にしなさいよ。床で寝てたわよ」

「自分が好きで寝てるんだから放っておけばいい」

「今日、あんたの兄さん帰ってこないわよ。あのままじゃ朝まで床で寝ることになるわ」

「じゃあ朝まで床で寝ればいいんだわ」

 フィオラパは呆れ顔でまたまた肩を竦めた。サラはフィオラパが気になる言葉を言ったことに気づいた。

「お前ユタが何の用で出て行ったか知ってるの?」

 フィオラパははぐらかした。

「ユタねぇ。昔はお兄ちゃんって呼んでたじゃない」

「それを言うな」耳たぶまで真っ赤にしてサラは言い返した。

「アンタはねぇ……、惜しいのよ。惜しいわ。ツンドラ女王でもアラスカの冷凍少女でも樺太の羆でも好きなように名乗ればいいけれど、基本的に性格悪いのは仕方ないとしても」

「何言ってるか全然意味が分からないわ」意味が分からないが絶対に悪口だと感じたサラ。特にヒグマ。

「アンタってツンツンツンツンツンツンツンツンツン。デレがないのよ」

「更に意味が分からない。新手の悪口ね。アンタって本当に性格悪い。一体どこでそんな悪口仕込んで来るんだ」

「あら。悪口じゃないわよ。ツンデレは一部マニアにモテるんだって。アドバイスしてやってるの」

「あどば……、とにかく、アンタと話すのはもう沢山。モテる必要もない」

「へぇ。気になる男の子とかいないの。例えば最近クムラギから来て染め屋に弟子入りしたレイカナカ。歳はアンタの一個上だっけ」

「ぜっ、全然気になっていないし邪推もいいトコだ。レイカナカなんて話したこともない」

 瞬間沸騰して真っ赤になったサラだが、「ふん」と鼻を鳴らすといつもの冷淡な口調に戻った。

「男の子の友達なんて論外だ。要らない。ずっと仲良かった女の子の友達だって裏切るんだから」

「あら。何か裏切られたの」

 サラは口を噤んだ。しかしフィオラパが黙ったままで返答を待っているので、ソッポを向いて小さな声で続けた。

「ずっと仲良かったのに、大人になったら一緒にクムラギに行こうねって言ってたのに……」

「それで?」珍しく優しい声で問い返したフィオラパ。釣られてサラは全部話してしまった。

「なのに、お父さんとお母さんがクムラギに用事があるからって、お父さんお母さんとクムラギへ行ったんだ」

 フィオラパは超冷淡な口調に戻った。

「それを世の中では仕方ないと言うのよ。ニツでしょう。十一歳の女の子を一人残して何日も留守にするわけにはいかないでしょ」

「仕方なくない。うちに泊まりに来るとか行かない方法はいくらでもあったはずなのに、結局ニツは行きたかったんだ。私を裏切った」

「はぁ……」フィオラパは心底呆れたため息をついて、これ以上ないほど大袈裟に肩を竦めた。

「それでここ数日爆弾級に不機嫌だったわけね。アンタ救いようがないわ。まあいいわ。後悔しないように教えといたげる。ニツが帰ってきたら、邪険にしないこと。でないと後悔するわよ。あと、色々あると思うけど、ケチョンケチョンになると思うけど、泣いてる暇ないから。頑張んなさいよ。私はもう行くわ。会うのはこれで最後。今日を最後に我々は姿消すのである。じゃあねぇバイバイキーン」

「ちょ、ちょっとどういう意味⁉︎ 待ちなさいよ」慌てて呼び止めたが既に姿無かった。



 翌朝早く。「サラ。起きなさい」という優しい声に起こされて、寝ぼけ眼をこすると、目の前に兄の顔があった。朝、兄に聞こうと思っていた。昨晩フィオラパが言った気になる言葉の意味を。けれど兄は憔悴しきった顔をしていて目が真っ赤だった。喪服を着ていた。彼女は面食らって身を起こした。


「支度をして儀式で着る黒い服を着なさい」

「何? お葬式でもあるの?」

「そうだ……」兄のユタは悲しげに口を結んだ。

「誰の?」一体誰のお葬式なのか。知り合いの顔が次々浮かんで不安になった。

「お前は憶えていないだろう。お前はまだ二歳だった。お前をとても可愛がってくれていた。アオイセナ様という」

「え?」

 それは昨日聞いたばかりの人だった。

「それって呪文材料探して世界中を旅してたっていう……、私会ったことあるの?」

「そうだ……」彼女の兄は背中を向けた。

「今からお葬式がある。早く支度をしなさい」

「どうして……、死んだの……」


 昨日その人が帰ってくるとお爺さんが喜んで話していた。それが今日はその人のお葬式だという。彼女は二つの出来事が頭の中で繋がらず、混乱した。

 兄のユタは背中を向けたまま説明してくれた。きっとこっちを向いたら涙を見せてしまうからだろう。

「蠻族の襲撃を受けた。アオイ様は蠻族の大群に気づき、自らを囮にして隣の草原に奴らを引き連れて行ったのだ。死体も判別できなかった。剣のみ見つかった……」

 辛辣を旨とする冷凍少女も何も言うことができなかった。

「呪文材料は無事だ。イホハラの長老の家に預けられていた。アオイ様は命と引き換えに、呪文材料守ったのだ……」

 背中を向けたまま兄は出て行った。「俺はユウを着替えさせる。支度して降りてきなさい」と言い残し。彼女は納得いかない何かがフツフツ込み上げてくるのを感じながら、黙ってその背中を見送った。


 兄の姿が見えなくなるなると、その何かは容易に言葉に変換され口から出た。小さな声で。

「それは……、命と引き換えに守るほどの物なの……」続く言葉は飲み込んだ。流石に。


 馬鹿なのか––。


 黒い服を身だしなみ良く着込んで階下へ降りると、ユウの着替えも済んでいた。兄に連れらて家を出た。


 村中が喪に服していた。家々の窓辺には白い花が飾られていた。それはもう、見ただけで寂しい気分になる光景だった。村の辻々では女の人達がかたまって泣いていた。サラは思った。


 その人はこの村の人皆んなと知り合いだったのか……?


 通り過ぎるたび人々の話し声が耳に入る。

「爆裂焔呪で吹き飛ばされたとしか思えない死体がいくつも……」「……劍呪で……死体も沢山あったと……」「きっとリリナネ様が」「アオイ様守ろうと」あとは喉を詰まらせ泣き崩れる人々。


 思っていたより凄絶な戦闘あったらしい、と彼女は理解した。事情はサッパリ分からないが、皆んなが悲しんでいる様子見て、彼女も沈んだ気分になった。


 なんだか辛気くさいわ––、口にしない方が良いくらいの知恵はある。


 お廟の前には沢山の人が詰めかけていた。彼女たちの姿を見ると、道を開けて通してくれた。お行儀良く進みながら、しかし彼女は目ざとく気づいた。おかしな感じ。悲しんでいる人が沢山。けれど殺気立って慌ただしく動き回っている人も沢山。主に男の人。この村の人はほぼ顔見知りだからどこの誰か分かる。人混みの中を素早く動き回って伝言伝えあっているのは染め屋の男の人達だった。「キヴァラギ様の村へ」とか「キヴァラギ様が」とか、切れ切れに聞こえた。


 はぁ? 耳を疑った。その勇者の名前は彼女でも知っている。害獣を退治して回っている勇者で、獰猛な兜竜を馬のように乗りこなしているという。


 助けを求めたところで、そんな偉い人がこんな村に来てくれるわけがない––。それに第一、大剣士様はもう●されてしまったのだ。今さら何の意味がある、と呆れた。


 お廟の中に入ると、さらに悲しみ満ちていた。泣き崩れている人が沢山。中でも一番激しく泣いていたのはルル姉さんだった。周りでおばさん達が慰めている。

 いつもご飯を作ってくれる優しいお姉さんがわんわん泣いているのを見て、流石のサラハナウラも感じるものがあった。


 大人なのにこんなに泣いて、まったく恥ず***––。


 兄についてマアシナの部屋へ入った。そこがお葬式の会場だった。人々がひしめき合って座っている。あちこちから嗚咽漏れている。マアシナの神像の前に棺あり、巫術師のお爺さんが横に控えている。ちょうどお焼香の最中だった。人々は道を開けて彼女達を通した。


 ユタは自分は傍に回り、先にサラにお焼香させた。サラは促されるまま棺の前に座った。棺の中には何も無い。剣が一本あるだけ。棺の前に風変わりな剣が添えられている。柄の所がグニっと曲がった剣。なんでこんな失敗作を? と思った。それよりも、棺の前に並べられていた物。その人が集めたと思しき呪文材料の数々。地味な色の石ころがゴロゴロ。


 こんな物のために––。


 一瞬強い憤りが沸き起こったが、彼女は自分の心を鎮めた。いつもと同じ。ただ、時が過ぎるのを待てば良い。時が過ぎれば、腹を立てたことをきっと馬鹿馬鹿しく思うはずだ。お香を焼べて手を合わせてお祈りをした。


 大剣士さま、どうか安らかにお眠りください––。あと、憶えてないけど、可愛がってくれてありがとうございました––。


 お祈りを終えると、横にいたお爺さんが口を開いた。


「ウェナに宿す最後の呪文材料が揃った。すぐに調合に取り掛かる。ウェナを渡しなさい」


 彼女の中で何かがプチっと音を立てた。立ち上がり乱暴に首飾りのウェナを外し、叩きつけるようにしてお爺さんに投げつけた。

「大剣士さまよりも、人の命よりも、こんな物がそんなに大事か!」

 凍りついた大広間の空気。タパ老人は少しも怒らなかった。静かに答えた。

「左様。すぐにも調合に取り掛からねばならぬ」


「なぜ怒らない。大剣士さまのお葬式でこんなに失礼なことをしたんだぞ」

 サラは居合わせた人々をジロッと睥睨した。

「教えてやろうか。なぜ私が何をしても怒られないのか。それは、私が犯罪者の子供だからだ。だから皆んな憐れんで、優しくしてくれるんだ」

 タパ老人は少し驚いた様子で、しかし静かに問い返した。

「いったい誰からそんな話を聞いたのかね?」

「誰からも。逆だっ、誰も教えてくれない。私のお父さんがどんな人だったのか、私のお母さんがどんな人だったのか、誰も教えてくれない。どうして誤魔化すんだっ。悪い人じゃないなら誤魔化す必要ないっ、悪い事をした人だからっ誤魔化すんだっ……」

 ずっと心の中に淀んでいた事を吐き出して喉が詰まったサラハナウラ。鼻も詰まっていた。啜って続けた。

「だから私をクムラギへ連れて行かないんだろっ、もしもクムラギへ連れてって、有名な悪党の子供だと分かったら、私が酷い目にあうからっ」

 彼女は想像力豊かで、しかも都合悪いことに、この仮説に従えば全て辻褄が合ってしまうのだった。

「ユタは私の本当の兄じゃない。ユウとも似てない。私とも似ていない。本当の兄なら答えて。教えて。お父さんお母さんがどんな人だったのか。私が二歳の時両親が死んだなら、ユタは十歳だ。知ってるはずだ。教えて」

 ユタは難しい顔をして口を結んだ。一瞬開きかけたが、再び固く結ぶと、顔を伏せてしまった。

 喉まで出かかった言葉を飲み込んだ人々。誰も彼も顔を伏せ、あるいは横を向いて。彼女の方を見ない。サラはそんな人々をジロッと見回すと、「すん」と鼻を啜った。いつもの超冷淡な口調に戻った。

「わかった。もういい。聞かない……。めちゃくちゃ言ってごめんさないでした」冷たく言い残して広間を出た。それはもう、つむじ風のように。


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