【番外編】うちの娘がおかしい2
エルナが記憶に目覚めた前後の話。ドナン視点。
ワッツさんが訪ねてきた日からまたしばらく経って、季節はもう夏になっていた。
そんなある日、俺はマーカスさんの家に呼び出された。
そして、その呼び出しには一つ追伸があった。
エルナを連れてくるように。
それを聞いて、俺は理由がわからず首を捻った。
約束の時間の昼の鐘が鳴り、エルナを連れてマーカスさんの家を訪ねる。
「やあ、村長」
村長がいる部屋に入り、軽く手を挙げて挨拶をする。
「よく来たね、ドナン。エルナはいるかい?」
村長は俺の陰に隠れているエルナが見えなかったようだ。
エルナは俺の陰から横に出ると、右手を胸に当ててお辞儀をした。
「村長さん、こんにちは」
その瞬間、マーカスさんの目が見開く。
そしてそのまましばらく動かなかった。
あれ?なんだ、この間は?
マーカスさんは、はっとしたように姿勢を正して言った。
「こんにちは、エルナ。楽にしていいよ」
「はい」
エルナは頭を上げてマーカスさんに視線を向けると、胸に当てていた手を降ろした。
「二人ともその椅子に座ってくれ」
「あ、ああ」
「ありがとうございます」
あれ?娘がおかしい。
いや、もしかして、これ、・・・俺の方が変、ってこともあるのか?ないよな?
「実はワッツから、エルナに礼儀作法や文字の読み書きを教えている、という話を聞いてね。そのことについて、二人に聞きたかったんだが・・・。エルナ、少し私とお話をしよう」
「はい」
そう言うと、マーカスさんはエルナと話し始めた。
内容は、ワッツさんにどんな勉強を教わっているのか、ということだ。
そして、エルナの話し方は、先日うちの家に来たワッツさんの話し方に似ていた。
とても丁寧な口調だ。
話が一区切りして、マーカスさんは俺に向き直る。
「ドナン。エルナはとてもよく勉強しているようだ。それでね、四日後に隣村へ行く用事があるんだが、ドナンには護衛として、エルナには私の従者として一緒に来てほしい」
従者?従者ってなんだ?
俺はマーカスさんにそのまま聞いた。
「従者ってなんですか?」
「従者とは、私の荷物持ちくらいに考えてくれればいいよ」
ああ、たまに見る偉い人の後ろにいる、あれかぁ。
確かに、偉い人の後ろで荷物持ってる人、いたっけなぁ。
「ドナンの報酬はいつも通り銅貨三枚、エルナの報酬は銅貨二枚だ」
「俺は構わないが・・・」
俺はエルナを見て尋ねる。
「エルナはどうする?」
「父さん、私やりたい。やってもいい?」
エルナがやりたいなら、いいだろう。何かあっても俺と一緒だ。
それにしても六歳の子供に荷物持ちで銅貨二枚とは、・・・マーカスさん太っ腹だな。
「わかった。村長、俺とエルナでその仕事を請ける」
「助かるよ。じゃ、いつも通り、四日後に朝の鐘が鳴ったら家へ来てくれ」
俺はエルナと共に立ち上がって村長に挨拶する。
「ああ、わかった。それじゃ、これで帰るよ」
「村長さん、さようなら」
「ご苦労だったね。さようなら、ドナン、エルナ」
そのときの俺は、エルナに何かあっても俺がいるから大丈夫、と思っていた。
だが、その認識が微妙にずれていたことを知るのは、四日後の仕事のときになる。
そして、それから四日後の朝。
朝の鐘が鳴る前に朝食を取り、俺とエルナは、家の出入り口でトーナとリンに見送られマーカスさんの家に向かう。
道中、朝の鐘が村に鳴り、程無くマーカスさんの家に着いた。
家の前には馬車が留まっており、出発の準備がされている。
「やあ、村長、今日も暑くなりそうだな」
「村長さん。おはようございます」
俺は村長に声を掛ける。
隣にいたエルナは、四日前と同じ様に右手を胸に当てお辞儀をして挨拶する。
「ああ、おはよう、ドナン。おはよう、エルナ。楽にしていいよ」
「はい」
エルナは返事をしてから、頭を上げてマーカスさんに視線を向けると、胸に当てていた手を降ろした。
やはり四日前と同じだ・・・と思う。
「では準備はできたので、出発しよう。エルナと一緒に馬車に乗ってくれ」
「わかった。エルナこっちだ」
「うん!」
馬車はやはり速い。歩く時間の半分ほどで隣村に着いた。
ガルナガンテ村長の屋敷の厩舎に馬車を預けたところで、マーカスさんが言った。
「では、エルナはこの荷物だけ持って付いてくるように」
「はい」
マーカスさんは持っていた小さな手提げ籠をエルナに手渡しながら、俺の方を向いた。
「ドナンはどうするかね?待合室まで一緒に来るか、いつもの様に先に村を回って買い物するか」
ん?
「村長?エルナは荷物持ちってことだったけど、どこまで持っていくんですか、それ」
俺は、エルナが手にした小さな手提げ籠を見ながら言った。
「ガルナガンテのところだよ」
「へ?」
え?エルナをガルナガンテ村長との話し合いの部屋まで付いて行かせるのか?
俺が頭に疑問符を浮かべていると、マーカスさんもエルナも俺を見て首を傾げてる。
「父さん、わたし村長さんの従者だよ?付いてこいと言われれば付いて行くし、ここで待てと言われればここで待つんだよ。というか、従者として一緒に来てほしいって言われてたんだから、ガルナガンテ村長との話し合いの場にも付き添う可能性はあるって最初から判ってたじゃない」
マーカスさんはそれを聞いて、掌を額に当てて天を仰いだ。
そしてエルナを手で制す。
「あー、いや、エルナ。待って、待って」
エルナにそう言ったあと、マーカスさんは俺の方に向き直った。
「私の説明不足だったようだ。ここではなんだから、一旦待合室まで入ろう」
「あ、ああ」
俺たち三人は、ひとまずガルナガンテ村長の屋敷に入った。
すぐに待合室に通されて、水が入った木のコップを出してもらったところでマーカスさんが口を開く。
「すまない、ドナン。私がもう少し説明すべきだったよ」
そう言って一口水を啜ってから、マーカスさんは続けた。
「エルナに従者を頼んだのはね、荷物持ちというのは建前で、本当は一度エルナをガルナガンテに会わせたかったからなんだ」
ええ!?
俺は予想外の言葉に驚いたが、・・・あれ?エルナは全然驚いている様子はない。
「それで、なぜエルナをガルナガンテに会わせたかったかというとだね、エルナは礼儀作法も言葉遣いもよくできていて、ガルナガンテに会わせても失礼にならない、と私が判断したからなんだ。いや、もっと言えば、私と一緒でなく仮にエルナ一人だったとしても、ガルナガンテに会わせて問題ない、と思っているんだよ」
えええ!?
「だって、エルナまだ六歳だぞ!無理だろ、そんなの!」
俺は流石に無理だと思って口を挟んでしまった。
だがマーカスさんはかぶりを振って言った。
「普通の六歳には無理だ。だが、エルナは本当によく礼儀作法を勉強している。少なくとも私やガルナガンテ相手には失礼にならないと思ってる」
「・・・・・・」
俺は絶句した。
「さらに言えば・・・用事次第によっては、次から私の代わりにエルナに行ってもらうことも考えているんだ」
「ガルナガンテ村長と話し合いなんて、それこそ無理なんじゃ!?」
「あー、用事次第というのはね、例えば配達だよ。エルナが今持っている手提げ籠、その中には手紙が入っているんだけれど、これをガルナガンテに届けてくれ、という用事くらいならエルナに任せようかと思っているんだ。もちろんドナンをエルナの護衛として付けるけどね」
頭が回らん。ええと、ええと。俺は言葉を絞り出す。
「そ、それじゃ、今日、エルナがガルナガンテ村長に会えるとして、お、俺は・・・」
「ドナンは・・・今のままでは無理だ。理由は、もう分かるだろう」
「礼儀作法を勉強してないから、か・・・」
「・・・そうだ。私の説明不足ですまなかった」
そう言ってマーカスさんは俺に頭を下げた。
色んな感情が混ざり、俺は下を向くことしかできなかった。
マーカスさんは、ゆっくりとエルナに向き直って話し掛ける。
「エルナもすまなかった。今日はこのまま待機室にいた方がいい。私一人でガルナガンテに会ってくるよ」
「いや、ダメだ!村長!エルナをガルナガンテ村長に会わせてやってくれ!」
下を向いていた俺は思わず顔を上げ、マーカスさんに叫んでしまった。
二人は目を丸くして俺を見ている。
「それがエルナの仕事だと分かっていなかったのは俺だけだ。そうだろう?エルナはエルナの仕事を分かっていた。そして引き受けたんだ。ならやらなくちゃいけない!」
俺はマーカスさんをじっと見る。
マーカスさんはしばらく黙っていたが、やがてエルナに向いて言った。
「エルナ。ドナンはこう言っているけど、どうするかね?」
「ガルナガンテ村長に会います。私の仕事です」
「わかった」
エルナとマーカスさんは揃って大きく頷き、そして俺を見た。
「ドナン。私とエルナでガルナガンテに会ってくるよ。その間、この待機室で待っていてくれ」
「父さん。お仕事してくるからここで待っててね」
参った。俺にできるのはそれしかない。
俺は苦笑いになりながら、エルナの頭を撫でる。
「わかった。待ってるよ」
しばらくして待機室に使用人さんが呼びに来た。
俺は二人を送り出し、待機室に居続けさせてもらった。
やがて、二人は笑顔で戻ってきた。
「ドナン、待たせたね。終わったよ」
「父さん、ただいま。ちゃんとガルナガンテ村長に挨拶できたよ!」
エルナは満面の笑みを浮かべて俺に近寄る。
俺は椅子から立ち上がり、そしてエルナの前でしゃがみながら頭を撫でた。
「よくやった」
それ以上、言葉が続かなかった。
その間を埋めるように、俺はエルナの頭を撫で続けた。
マーカスさんはしばらくそれを眺めていたが、一つ咳払いして
「それじゃ、二人は買い物をしておいで。私はしばらくこの待機室にいるから、買い物が終わったらまたここに来てくれ」
俺はマーカスさんに頭を下げた。
「村長、今日はすまなかった。ありがとう、エルナと行ってくるよ」
「村長さん、ありがとう。父さん、行こっ!」
エルナに手を引かれる格好で、俺たちは待機室から出る。
そして村の雑貨屋に向かいながら、待機室で待っている間に考えたことを俺はエルナに言った。
「エルナ」
「ん?なぁに?」
「帰ったらさ、・・・父さんに礼儀作法を教えてくれないか」
「うん、もちろんいいよ!」
「・・・ありがとな」
俺はほっとして息を吐く。
エルナは笑っている。
「そういや、教えてもらうのに対価が必要だったな。エルナに対価を渡さなきゃな」
「ふふ、父さんからの対価は、先にもらっているからいらないよ」
ん?なんのことだ?
「ほら、干し肉だよ。この間から父さんが私に持たせているじゃない。私がワッツさんに勉強を教えてもらうときにさ」
ああ、俺がエルナに干し肉を渡し、エルナはワッツさんに干し肉を渡す、という対価の流れができてる、と言いたいのか。こいつめ。
「そうか。じゃ家に帰ったら頼むな」
「うん!」
この日から、エルナは俺に家で礼儀作法を教えてくれるようになった。
俺が二十六歳、エルナ六歳のときだった。