里帰り9
時は、事件当日の朝。
山中で暗夜をやり過ごしたティータラント帝国の工作員8名は、空が白み始めたタイミングで起床すると、すぐに円陣を組んだ。
山間部であるこの辺りの地域では、今の時期、明け方に掛けて冷え込む日が増えてくる。
今朝はマシな方だった。理由は、空模様を見ればわかる。
一面灰色。夜中に広がり始めた雲が空を覆い、地表面の熱を放出しにくくしたからだ。
とはいえ、火も熾さず野宿をすれば、やはり夜風が堪えたのも事実。
彼らは、だいぶ体を冷やされてしまった。
潜伏に徹した結果なので仕方ない。ここはリズニア王国。敵地内なのだ。
彼らは、先人達が開拓した越境ルートを使ってレコールテ連峰を抜け、リズニア王国に辿り着いた。ここから先も、先人達が整えた手筈に従って行動することになる。
円陣を組んだ彼らは、リーダー格の男が進行する形でミーティングに入っていた。
手筈の確認をするためだ。
「この場所から南へ下っていくと、馬車が1台通れるくらいの細道がある。リズニアの国境砦と近くの小さな村を繋ぐ道だ。俺達がまず向かうのはその小さな村だ」
「本国の情報だと、村は・・・アジトの『目印』って話だったよな」
「そうだ。村に入るわけじゃない。アジトの炭焼き小屋はそこから真北にある。そこで身を潜めて案内人を待つことになる」
「わかった。気を付けることはあるか?」
「そうだな・・・。村人や兵士が通行するかもしれん。道沿いに進むんだが、道からはある程度距離を取ろう。それとだな・・・」
リーダー格の男は一度言葉を区切り、仲間の顔を見渡してからトーンを落として言葉を続けた。
「村人が狩りに出ている場合があるらしい。できるだけ避けよう。だが、もし出くわした場合は、躊躇せず始末しろ」
仲間の男達にピリッとした緊張が走る。だが元々覚悟を決めていた上に、引き返す道も在りはしない。迷う要素など皆無だ。
彼らは、各々が装備している腰の小剣に手を当てて、一様に頷くのだった。
数刻後。
彼らは南へ南へと山を下り続け、山のふもとまで来ていた。
「止まれ。崖になっている」
先頭を歩いていた偵察役の男が、後続の仲間に手のひらを向け、小声で静かに発した。
高さ4メートルくらいの崖。しかも岩肌が濡れている。
「滑りやすそうですな。ロープ出しますぜ」
仲間の一人が近くの木の根本にロープを回して、結んで固定する。
続いて、下を確認するために見張り役が慎重に降りる。
周囲を確認し終わった見張り役は、手招きの身振りを交えて「大丈夫、降りてこい」と合図を出した。
テキパキと、それでいて慎重に。男達は順番に一人ずつ降りてゆく。
最後の一人となったのは、昨日高い崖から飛び降りた男であった。
ロープを回収しつつ降りるのが、最後に降りる者の役目。
男は固定していたロープの結びを外して一端を左手に、木の根元を回って垂れ下がっている方を右手に持つ。そして右手の握りを滑らせながら崖を降り始めた・・・。
その時だった。
「・・・っ!動くな、何か来る!」
下に居た見張り役が、ギリギリ聞こえる声で、降りようとしていた男に注意を出す。
と同時に、下に降りていた男達は一斉に身を伏せた。
降りようとしていた男は、動きを止めるには何ともタイミングが悪かった。ロープを両手にそれぞれ握ったまま、足場の無い位置で宙づり状態になってしまう。
ザッザッザッ。
ガサガサッ。
やがて、ふもと側から現れたのは1人のリズニア兵士だった。
この兵士は国境砦の守護隊に配属されている兵士で、細道周辺を巡回中だった。
この巡回は日常的に行われているわけではない。
この日、この場所に、巡回に来た要因は二つ。
一つは、男達が今降りていた崖の周辺は、雨が降ると土砂崩れが起きやすい場所だったこと。
もう一つは、この日の天候が下り坂だったこと。
国境砦のリズニア兵士は、午後から雨が降る予想のもと、予め崩れやすそうな場所の見回りをしていたのだ。
そんな事情はさておき。
この状況に、ティータラント帝国工作員の男達は当然焦った。
相手は一人。だが、この場に一人というだけで、近くに他の兵士がいるかもしれない。
できればやり過ごしたい。
男達は全員、そう考えたのだが・・・。
ひゅぅぅぅぅう。
一陣の風、という表現にそぐわぬ穏やかで優しい秋風が、ちょうどレコールテ連峰のふもとに吹いた。枯れ葉同士を擦れ合わせ、秋の香りを里へと運ぶその風は、山の表面を遠慮無しに撫でながら、木々の間をするすると通り抜けていく。
撫でられたのは、山に居た者達も例外ではない。風は、忍んでいた男達の冷や汗を一気に乾かしていき、さらには、降りようとしていた男の背中に、ぶるっとさせるような寒気を植え付けていったのだ。
・・・や、やべえ。こんな時に・・・くしゃみが・・・出そうだ。
降りようとしていた男は、前日水に濡れて、今朝から若干体調を崩していた。それが仇となった。
咄嗟に口を押さえようと思ったが、不幸にも両手は体をぶら下げるために、それぞれしっかりとロープが握られていた。
要するに、口を押さえるための手が、両方とも塞がっていたのだ。
「ふ・・・ふぇっっくし!!」
勢いよく出たくしゃみは、周囲の山々に木霊してしまうほどに響き渡り、数羽の野鳥を空へと飛び立たせてしまった。
「・・・っ!誰だ!?」
当然、巡回中のリズニア兵士にも聞こえ、ロープにぶら下がっている状態の男はすぐに見つかってしまう。
「その恰好!村人ではないなっ?何者だ!」
降りようとしていた男がやらかしたヘマに、どう対処するのか。
崖下で潜んでいた仲間達の判断は速かった。
一斉に飛び出し、リズニア兵士を始末しようとしたのだ。
実に好判断であった。
・・・けれども。
好判断がその場の最善の結果にならない、なんてことは往々にしてよくあることだ。
彼らにとってさらに不幸だったのは、今回がそのパターンだったことである。
「おい、こっちから大きな声がしたが・・・て、敵かっ!?」
男達が一斉に飛び出した、まさにそのタイミングで、リズニア兵士の背後から、新たに別のリズニア兵士が現れたのだ。
「賊だ!警鐘を鳴らせ!」
襲われる寸前だったリズニア兵士は戸惑わなかった。背後の同僚に短く適確な指示を出して逃走体勢に入る。
ガラン!ガラン!ガラン!
指示を受けた同僚のリズニア兵士もすぐに踵を返し、赤ん坊のおもちゃのガラガラを思わせる形状のハンドベルを振って、辺りに警鐘を響かせた。
しかも、だ。二人のリズニア兵士は、男達に距離を詰められる前に、それぞれ別々の方向へ走り出した。
これが決定打となった。
・・・やられたっ!敵ながら見事な引き様!
リーダー格の男は、もう深追いできないことを悟り、逃走した兵士を追うことを中断するよう仲間に命じた。
「見つかっちまったモンは仕方がない。この場から離れるぞ!」
「みんな・・・。お、俺のせいで・・・すまねぇ」
「謝るのは後だ!アジトまで早目に移動して身を潜める。移動の痕跡は最小限に抑えろ」
追手は必ず来る。今のうちに距離を取らねば!
リーダー格の男は、仲間を一つにまとめ、次の行動を明確にすべく指示を出す。
まだ任務失敗ではない。
リズニア兵士は、我々を単なる賊としか認識できていないはずだからだ。
逃げ切ることだって可能。アジトで案内人と合流できれば・・・!
各々が自分にそう言い聞かせる。
慎重さを犠牲にしていると自覚しつつも、移動の足を速めるティータラント帝国の男達。
アジトを目指す彼らが『目印』と位置付ける第七ホラス村は、もう目と鼻の先であった。




