85.シ・プキラ3
なにを言っているのか分からなかった。身のほどを理解していないということか? そうかもしれないが、率直さが裏目に出たか。
「お前俺が誰だか分かってるか?」
頭を戻し彼は気の抜けた顔でこちらを見ている。
「国境警備の方で以前お世話になりました」
「いや、世話なんてしてない」
あっさり否定される。そちらからすればそうかもしれない。しかし国樹にしてみれば、殴られた程度で済めば安いものなのだ。
「どこうろついてた」
再度確かめられ国樹は素直に応じる。
「タジキスタンに行ってました」
「そう、あんなとこなんもねーだろ」
「いえ、自然豊かな美しい国です。世界遺産もありますし」
「へえ」と言い男は少し笑みを浮かべた。そして徐に、
「まあ、そんなとこいたら事情も知らんか。隊長は南下した。今は沿岸部にいる。殴ったのはその人だ」
当然といった顔で国境警備の彼はこちらを見ていた。一方国樹は固まっていた。え……いや、なら酷い思い違いを。
「や、え、いえすみません。そうなんですか?」
「なんで覚えてないの? そっちからすりゃインド人みんな同じ顔か? 馬鹿にすんなよ年が違い過ぎるだろ」
彼は笑うが、覚えるもなにも知らないのだ。しくった、まさか別人とは。慌てて取り繕うにはもう遅い。ど、どうする?
「タジクね。登山とか観光とか?」
「いえ、まあそんな感じです……」
「聞いてた印象と大分違うなあ。もっと捻くれて生意気な奴だって聞いてたぜ。"国樹多賀朗君"」
名前もバレてら……こりゃ身元も洗われたな。
「ここらの世情に疎いのはまあ仕方ない。なにを思って来たのかも正直俺には分からん。ただ、君が奴隷船を襲撃したのは知ってる」
やや楽しげに男は語る。小銃を直し幾分柔和な雰囲気だったが、すぐ纏う空気が変わった。
「手配書が回ってるぞ。その覚悟でここまで来たのか」
受け止め咄嗟に判断する。
「はい。そうだろうと思いました。オビガルム近くで自動小銃持った連中に襲われましたから」
迷うところだが伝えるべきだと国樹は考えた。情報提供はギブアンドテイク、鉄則だ。
「そうか。ならず者はどこにでもいるがそこそこの武装だな。面倒だ。奴隷船も相当面倒だったろ」
「はい。死ぬかと思いました」
「隊長は南下した」
再度繰り返され国樹は様子を窺いながら頷く。
「隊長は鉄拳も辞さない人だ。お前を妙だと言っていた。随分印象が違う。酒か、薬か」
「とんでもない!」
あり得ないと首を振る。しかしそう思われても仕方ない。そいつを問い詰めるため蹉跌の塔に用があるのだ。
「ま、やってるならやめとけ。けどお前、今ここらがどうだか分かってるだろ? 危ないぜ、色々」
彼はそうして北へと視線を向ける。意味するところはすぐに理解出来た。
「本気で印パ両国がやり合うとどうも信じられません」
「推測に賭ける?」
「いえ。道中聞いてみたんです。中央アジア方面でも、ウイグルでもすぐそこのチベットでも、皆さん基本興味がない」
ふーんと男は白々しく相槌をうつ。
「噂はあります。けど軍隊はまだ動いてないんじゃないですか?」
「言えない」
すぐに返されたが窮するわけにもいかない。
「まだ本格的にやり合う段階ではない。なら機会は今しかないと判断しました」
そう、と零してから男はこちらを窺っていた。それから少し空を見上げ、
「隊長は南下した」
また繰り返し視線を戻した。なぜこうも強調してくるのだ。
「名前は言えない。所属もだ。俺も言わない、自己紹介する中じゃないよな?」
首肯して先を待つ。
「君が奴隷船襲撃に参加したと聞いて俺は笑ったよ。若いな、と。なんでやった?」
「基本は金です。それにそんなの許せますか? あとは熱にあてられたとしか……」
最後は言い淀んだが、彼が「よくやった」と小さく零したのを国樹は聞き逃さなかった。
「まとにかく君を入国させるわけにはいかん。面倒は自分の国でやれ」
いやそれはと反論しようとしたが、
「蹉跌の塔はもうないよ。あるのは瓦礫だけだ」
至って真摯な目がこちらに向けられる。
「あの塔は壊れた。自壊したのか誰かが悪さしたのか、歴史的遺産はもう存在しない。下から崩れたらしい」
耳を疑うとはこのことだ。なにを言って、じ、冗談……ではないのか。彼の目は、偽りはないと言っている。
「二三日前、三日前だな、報告がきた。崩れちまってどうしようもないってよ。けどまあ中身全部持ち出したし不幸中の幸いだな。お前もご苦労だったよ」
それは決して諭すような口振りではなかった。事実だから信じろと彼の目は言っている。
「瓦礫に用あんのか」
「ないです」
「そう。ならず者に気をつけろ。武装は?」
「拳銃があります」
「頼りねえなあ。まあ重武装しろとは言わないが連れにもなんか持たせとけ。言っとくが譲れないぜ。このバギーじゃ足も不安だな。ま、せいぜい気をつけろよ」
気づいてる……背後で確認出来ないが、見られたか。
「最後にもう一回だけ言っとくが――」
「隊長は南下した」
先回りすると、男は頷き満足げな笑みを浮かべた。




