20.消えた民主主義
『自己修復プログラムを実行します』
電子音声がなにかを告げている。さっきから色々鳴ってはいるが、果たして大丈夫なのだろうか。まあでも、起動しようと試みているのは間違いなさそうだ。
そのお陰か、ゼスの機嫌は格段に良くなった。
「楽しみだねーどんな娘なんだろう」
「動いてみないとなあ。暴れたりしなけりゃいいが」
「もう、素直になりなよ」
素直過ぎて怒られたのに? と言いたかったが、呑み込んだ。
「ホント、暴れた時止められるか? 相手ロボだぜ? 殴られたりしたら、俺死なないか?」
『ゴルナ、ガルメ』
「なんて?」
「無理やり止めるって。やだな、そんなことになったら。寝起きだし、大目に見ようよ」
そんなゼスの提案は、捉えようによっては国樹が殴られるぐらいは許容しそうなので却下した。
ゼスは拗ねて見せるが本気ではない。その様子を見て、顎を撫でて笑っていると、
「そうだ、タガロ殴られたの大丈夫?」
心配そうに訊かれたので「まだ殴られてない」とこれまた笑って応じる。しかし、
「違うよ。インドの国境越える時、検問所の人に殴られたって言ってたじゃない。あれ、もう痛くない?」
初めて聞く話だ。俺殴られてたのか。「ホントか、なんで殴られた」と尋ねると、ゼスは頭を捻った。
「えっと、これはそれこそタガロが言ってたことだよ。だってタガロしか見てない」
「うん。ああそうか、お前グーシーの中にいたのか」
ゼスはこくりと頷いた。
「身分証作ってる時間なんてなかったんだ。タガロ凄い急いでたし」
急いでいたから、だけではないだろう。金も浮く。
「でね、きっと手配書が回ったんだろうって言ってた」
国樹は自分が話したことらしいのに「ほう」と感心した。そうか、それはありえる。以前の俺はなかなか冴えていたらしい。いや、言い過ぎか。それでも警戒心を保てていたことは正しい。
「なるほど、確かに連中は地下で繋がってる可能性がある」
「そう言ってた」
「二人にはちょっと信じられないかもしれないが、特にグーシーはだな。今このアジアでまともな統治機構を持ってる国は、たぶんない」
ゼスは小さく頷き、グーシーは興味深そうに聴いている。一度話したのだろうが、記憶の整理のためにも進めた。
「つまり中央政府はない。中央はあっても、政府は事実上ない」
「無政府状態なんでしょ」
「それに近い。ただし社会が混乱するほどでもない。"誰かが"なのか"みんなが"なのかは分からないが、緩やかにコントロールしている。理由のひとつは――」
「確か、選挙がない」
「そうだ。少なくとも民主主義じゃない。恐ろしい話だが、混乱期を経てそうなったのかもしれない。しかし実体は見えてこない。一番不思議で、一番恐ろしいのがそこだ」
「うん」
やはり話していたらしい。自称天使のゼスがすんなり受け止めるのには違和感を覚えるが、知識はあるのだろう。一方のグーシーは深刻そうに見える。それはそうだ。そんなことが可能な存在がもし人間以外にいるとしたら、ひとつしかない。
それはグーシーに搭載されているものであり、さっきからずっと『起動します』を繰り返しているあれであり、鉄人何号かさっぱりのあいつだ。
技術も知識も奪われた人間が、人工知能に支配されている。可能性としては一番高そうだが、証拠はない。それを確かめるのも、この旅の目的のひとつだ。ただ国樹は、この発想を安直過ぎるとも考えていた。そうかもしれないが、それだけではないはずだ。
魔石や帝石を放置しているのは、人類の知性を遥かに凌駕したAIにしてはお粗末に過ぎる。
中にはその気になれば都市一つぐらいぶっ飛ばせるものだって……そいつはもう、核兵器並と言っていい。それすらコントロールしているとすれば、話は終わるが。
しかしそうか、殴られたのか。そいつはきっといい奴だ。まあ国樹にとっては、だが。恐らく中央の奴らや奴隷商人達に与してはいない。それでも厄介事を持ち込んだ国樹をタダで通すわけでもない。
「殴られた理由はなんて?」
『ゴルガ、バルバル』
「えっと、表向きは身分証に偽りがあったからで生意気だから。実際はこれでチャラ、さっさと国に帰れ、じゃないかって」
ありがたい、そうあって欲しい。あれだけの地震があり、塔の人食い箱を持ち出した。つまりもう足が付いている。どっちだ、どっちもか。
「蹉跌の塔は謎だらけだ。どの宗教にも属していない、というか判別出来ない」
ほぼ独り言のようなものだったが、二人には響いたらしい。初耳のようだ。
「そうなの?」
『ゴル?』
「ああ、ヒンズー教じゃない。仏教でもムスリムでもない。もちろんキリスト教でもないし、日本も関係ない。有名どころには当てはまらない。マニ教やゾロアスターでもないらしい。つまり、過去の遺産ではあるがたぶん相当新しい」
その塔に、国樹の記憶と人格をいじくり回した謎の女がある。
恐ろしい、驚きの進展かもしれない。
ただの日本人が帝石や魔石を使いこなす存在と、相まみえたのだ。
「はん、面白くなってきたな。なんか記録装置がありゃ、保存してやったのによ」
怪しく哂うと、ゼスが手を叩いた。
「ああ、そうだタガロ、カメラならあるよ」
え? ああ、カメラぐらいあるだろう。ネガを使う奴なら、国樹も持っていた。ま、金がなくて売っぱらったが。ゼスは「ちょっと待ってね」とグーシーの中をまさぐり始めた。そうして「これ」と取り出したのは、国樹が使ったことのあるカメラではなかった。とても小さくて薄い、葉書のようだ。
「なにこれ……」
『ゴルガ!』
「デジカメの一種だと思うって」
デジタルカメラぐらい知っている、見たこともある。もう使えなくなった代物だったが。
「カメラ……電話とかの情報端末じゃなくて?」
「そうかもしれないけど、電波使えないからカメラじゃん」
そりゃそうだが……。
いつからかは知らない。電波も通らなければ、そもそも電子機器自体ほぼ存在しない時代だ、今は。あったとしても壊れた物でしかない。けれどこいつは生きている。表面に触ると、画面が動いた。思わず、
「おい、もっと早く言えよ……」
「うーん、色々あり過ぎて言う機会なかったんだ。それにこれ塔の地下で詰め込んだ時に紛れてただけで、最近気づいたし」
そうしてゼスは「いいよねーカメラ。これでいっぱい記録出来るよ!」とはしゃぐが、違うこいつ分かってない。背後では、
『自己修復プログラムを終了。起動します』
女型から電子音声が鳴り続けていた。




