第1話 魔法なんて信じません
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この物語はAIを利用してはいますが、半数以上は手直ししていますので、丸ごとAIにお任せといった感じではありません。
これから始まる少女たちの物語をお楽しみください。
第1話 魔法なんて信じません
魔法なんて、あるわけがない。
『魚が増えるなら、あってもいいにゃ』
「増えないから。魚は釣るか、買うかするものだから」
膝の上で丸くなっていたスズが、片目を開けた。
白い胸元と、灰色の縞模様。前足の間に隠していた鼻先を上げ、私を見上げる。寝起きなのに、食べ物の話だけは聞き逃さない。
『買う方がいいにゃ。待たなくていいにゃ』
「私のお財布と相談してね」
スズは、また目を閉じた。
私の袖に頬を押しつけ、丸めた尻尾で鼻を隠してしまう。
相談する気はないらしい。
私はため息をついて、座席の硬い背もたれに肩を預けた。
薄手の紺色の上着は、スズが乗っているところだけ温かい。
窓ガラスには、むすっとした私の顔が薄く映っていた。
肩で切り揃えた黒髪が頬にかかっている。指で耳の後ろへ押し込み、手元の切符に視線を落とした。
――魔法学院行き、入学生専用。
何度見ても、そう書いてあった。
隣の荷物置きには着替えを詰めた鞄があるし、窓の外では車掌さんが発車の笛を構えている。
いまさら「間違った列車に乗りました」と言って降りるには、色々と準備が整いすぎていた。
どうしてこうなったんだろう。
いや、原因ははっきりしている。
おばあちゃんだ。
*
「学校へ行っておいで」
台所で豆の筋を取っていた私に、おばあちゃんはそう言った。
買い物を頼むのと、ほとんど同じ調子だった。
白髪を頭の後ろで小さくまとめ、いつもの茶色い上着に、使い込んだ前掛け。
袖は手首の上までまくっていた。窓から差す昼の光が、節の張った指と細かな皺を浮かび上がらせる。
「学校?」
「魔法学院。入学できることになったよ」
「……なんの学院?」
「魔法」
「聞こえてる。聞き間違いだと思いたかっただけ」
思わず手が止まり、半分取れた豆の筋が指にぶら下がった。
おばあちゃんは棚から分厚い案内冊子を持ってきて、私の前に置いた。乾いた紙の角が、作業台にこつんと当たる。
表紙には、立派な塔と、とんがり帽子をかぶった女の子が描かれている。
その女の子は、箒に乗って空を飛んでいた。
この時点で、かなり怪しい。
「私、魔法使いになるなんて言ってないんだけど」
「うちは魔女の家系なんだよ」
「それ、前も聞いた」
「なら覚えたね」
「覚えたのと信じたのは違うからね?」
私が眉を寄せても、おばあちゃんは気にした様子がなかった。
掛けていた眼鏡を押し上げ、表紙を私の方へ向け直す。その手つきは、野菜の値段を見せるときと変わらない。
おばあちゃんは薬草に詳しい。
畑の世話も、怪我の手当ても、近所の人の話を聞くのも上手だ。
ただ、ことあるごとに自分を魔女だと言いたがる。
私が十五年生きてきた中で、見たことのある空飛ぶ箒は絵本の中のものだけだ。
うちの箒は、玄関の砂を掃く仕事をきちんとこなしている。
それで十分だと思う。
「魔法なんて信じてないし、興味もないよ」
「読み書きも、算術も、植物や動物の世話も教えてくれるそうだよ」
「じゃあ、普通の学校でよくない?」
「町の診療所へ届く薬を、あそこの修了生が調べてくれてるだろう。あの人の仕事は確かだよ。勉強のできる子が集まる名門で、魔法以外の勉強も仕事に役立つんだよ」
「薬を調べるのと、箒で飛ぶのは別でしょ」
「そうだね。寮に入れば、家では会わない子にも会える」
冊子を開くと、卒業案内には、公認の魔法使用資格を得られるのは成績上位の少数だけだと書いてあった。ほかの生徒は『卒業時に魔法を封印する』。誰でも好きな場所で魔法を使えば危険だから、という。
それなら、おばあちゃんも昔は勉強して、卒業で封印されたから今は使えない、ということにしているのかもしれない。魔法が本当にあったかどうか、それでは確かめようがない。
おばあちゃんは椅子を引いて、私の向かいに座った。
豆の入った籠を自分の方へ寄せ、続きを取り始める。
爪の先で筋をつまんで、すうっと端まで引く。私が手をつけていなかった豆が、ひとつ、またひとつと減っていった。
「一度、外で暮らしてみな。自分でできることも、知らなかったこともあるだろうさ」
「知らなかったことなら、今日もう十分あったんだけど」
「友達の一人くらい、作っておいで」
そこで、おばあちゃんが手を止めた。
眼鏡の向こうから、まっすぐ私を見る。私の指先には、取りかけの豆が握られたままだった。
その言い方は、少しずるかった。
魔法の話だけだったら、まだ言い返せたのに。
「……魔法学校なんて、絶対あやしい」
「なら、自分の目で確かめな」
おばあちゃんは、取った豆の筋をひょいと捨てた。
「どんな授業をするのか、手紙で教えておくれ」
それからおばあちゃんは、棚の小箱から別の封筒を出した。帰りの汽車賃、と表に書いてある。
「どうしても嫌になったら、帰ってきていい。これは、お菓子に使うんじゃないよ」
「使わないって」
厚みを確かめてから、私は封筒を鞄の奥へしまった。帰れると分かると、出発の日のことを少しだけ考えられた。
*
それで今、私は魔法学校へ向かう列車に乗っている。
膝の上には猫。鞄の中には着替えと便箋。
便箋だけ妙にたくさん入っていたのは、おばあちゃんが荷造りを手伝ってくれたからだ。
「まずは『まだ列車です。帰りたいです』って書こうかな」
『魚のことも書くにゃ』
「給食のお願いは学校にして」
窓の向こうで、車掌さんの笛が鳴った。
続いて低い汽笛が響き、座席の下がぶるりと震える。
駅の屋根が、ゆっくり後ろへ動き始めた。
さっきまで動かなかった列車が、重そうな車両をいくつも引っ張って走り出す。
機関車の吐いた白い煙が、窓の外をふわっと流れた。
蒸気の力でこんなものを動かせるのだから、人間は十分すごい。
わざわざ魔法なんて持ち出さなくてもいい気がする。
切符を上着のポケットにしまった。
スズの背中を撫でていると、通路側の扉が開いた。
「ここ、空いてる?」
顔を上げた瞬間、明るい色のリボンが目に飛び込んできた。
桃色のリボンの下で、茶色い髪が肩の辺りではねている。生成りのブラウスに、膝下まである赤茶色のスカート。襟元にも小さなリボンが結ばれていた。
両手には、本人がもう一人入りそうな大きな鞄。持ち手を握る指はぎゅっと丸まり、腕は重さに引かれて下がっている。
私と同じくらいの年の女の子だった。重そうな荷物を持っているくせに、目は窓側の席を見つけて嬉しそうに輝いていた。
「空いてるけど……」
「よかった! 前の車両、窓側ぜんぶ埋まってて。せっかくの初登校なのに、景色が人の頭ばっかりだったの」
女の子は、よいしょ、と鞄を私の向かいの席へ置いた。
指を開いたり閉じたりしてから、スカートの裾を膝の下へ引き込み、窓の近くへ座る。
座った拍子に列車が揺れて、鞄が傾く。
私はとっさに手を伸ばして押さえた。
「わっ、ありがと!」
「何が入ってるの、これ」
「服と本と、お気に入りのリボンと、予備のリボンと――」
「リボンは一つにまとめて説明していいよ」
「だって全部違うんだよ?」
女の子は頭のリボンを片手で押さえ、もう片方の手で鞄の口を開けかけた。
本当に一つずつ見せてくれそうだったので、私は慌てて首を横に振った。
そこには譲れない理由があるらしい。
「私はチロル。よろしくね!」
「ヴィヴィ。……こっちは、スズ」
紹介されたスズは、耳をこちらへ向けて、にゃあと短く鳴いた。
『よろしくにゃ。鞄、こっちに倒すなにゃ』
「わあ、かわいい! おしゃべりな猫だね」
チロルが顔を近づけると、スズは鼻をひくひくさせた。
鼻先の届くところまで、チロルがそっと指を差し出す。スズは一度だけにおいを嗅ぎ、それから私の腕の中へ頭を戻した。
『こっち、あったかいにゃ』
「挨拶くらいちゃんとしてよ」
「いいよ、眠いんだよね。列車って、揺れると眠くなるもん」
チロルは気にした様子もなく笑った。
行き場のなくなった指で自分の髪を耳にかけ、今度は猫の邪魔をしない距離まで膝を引く。
スズも、この返事には異論がないらしい。私の膝を前足で二度ほど踏んで、寝床を整えている。
「ヴィヴィも、今日から入学だよね?」
「この列車に乗ってるしね」
「魔法、もう使える?」
「使えない」
「そっか! じゃあ一緒だ!」
チロルの顔がぱっと明るくなった。弾む声につられたように、頭のリボンまで揺れる。
どうして、そんなに嬉しそうなんだろう。
「私もまだ使えないの。でも、すぐ使えるようになると思うんだ」
「魔法の資格、取れる子は少ないんでしょ」
「うん。私、その少ない方に入るつもり」
「……すごい自信」
「せっかく使えるようになっても、卒業したら使えなくなるなんて嫌だもん。ずっと使いたいから、人よりいっぱい練習するの」
チロルは鞄の持ち手を、両手でぎゅっと持った。まだ何も使えないのに、その先で失くしたくないものまで、もう決まっているらしい。
「だって魔法学校だよ? 毎日、魔法のこと習えるんだよ?」
そう言って、チロルは鞄から入学案内を取り出した。
私のものと同じ冊子だけど、端から色とりどりの紙がはみ出している。
開くと、授業の紹介に丸がつけてあった。
その隣には、帽子と杖の絵まで描いてある。
描かれた女の子は大きなリボンをつけていた。チロルは膝の上で冊子を平らに伸ばし、その絵を私に向けた。
「これ、どこに書いてあったの?」
「書いてないよ。私が描いたの」
「案内に?」
「ほら、杖は自由に飾っていいって書いてあるでしょ。持ち手にリボンつけたいんだ。こっちの服とも合うし」
チロルは自分の襟元を指さした。
小さなリボンが、きちんと結ばれている。
「で、魔法を使うときは、こう!」
何も持っていない手を、すっと前へ出す。
背筋を伸ばし、空いた方の手は腰に添える。顎を上げて、窓から差す光の方を向いた。頬にかかった髪の先が透けて、明るい茶色になる。
「きらきらって光が集まって、ふわーって服が揺れて、それで――」
列車が、がたんと揺れた。
格好よく伸ばしていた手が泳ぎ、チロルは慌てて座席の縁をつかむ。
肩が片方だけ跳ね上がった。乱れた裾を撫で、何もなかったように座り直す。
「……今のは、場所が悪かった」
「そういうことにしておこう」
私が笑うと、チロルも笑った。
失敗したのに、あまり恥ずかしそうじゃない。
「箒にも乗りたいなあ。町の上を飛んで、屋根を下からじゃなくて上から見てみたい」
「怖くないの?」
「高すぎるところは怖いかも。でも最初は低く飛べばいいでしょ?」
そう言って、チロルは窓の外の屋根を目で追った。指で小さく弧を描き、その上を飛ぶところを確かめているようだった。
なるほど。
夢にも、ちゃんと最初の高さがあるらしい。
「ヴィヴィは、どんな魔法を使いたい?」
「特にないかな」
「一つくらいない? 光を出すとか、お花を咲かせるとか」
「……魔法が本当にあるとも思ってないんだけど」
ついに言ってしまった。
私はスズの背中に手を置き、チロルの顔を見る。
開いたままだった彼女の口が閉じ、眉が少し上がった。
これだけ楽しみにしている相手に、わざわざ言わなくてもよかったかもしれない。
窓の外では、町の建物が途切れて、畑が広がり始めていた。
「ええっ、じゃあ、なんで来たの?」
怒るでもなく、チロルは本当に不思議そうだった。
「おばあちゃんに行ってこいって言われて。勉強して、友達を作ってこいって」
「それなら私!」
チロルが胸に手を当て、こちらへ身を乗り出した。
向かいの席との間が、急に狭く感じる。
「え?」
「友達。もう一人できたね」
言い切られて、私は返事に詰まった。
出会ってから、まだほんの少ししか経っていない。
友達って、こんなに簡単に決まるものだったっけ。
チロルは返事を待ちながら、にこにこしている。
私は彼女の目と襟元のリボンを交互に見た。背もたれに預けていた肩を、少し起こす。
断られる可能性なんて、考えていない顔だった。
「……うん。そう、なるのかな」
「なるなる。よろしく、ヴィヴィ!」
おばあちゃんへの手紙に書くことが、一つ増えた。
*
「はーい、新入生のみなさん。ちょっと注目してねー」
車両の前の方から、よく通る声がした。
チロルが私に向けていた顔を、ぱっと声の方へ向ける。
小さなワゴンを押しているのは、蜂蜜色の髪を高い位置でくるくる巻いた、若い女の人だった。
深い緑色の上着には細い白の縁取りがあり、膝の辺りまである裾が足の動きに合わせて広がった。
胸には銀色の飾り。片手でワゴンを押しながら、もう片方の手を顔の横でひらひら振っている。
声をかけられた生徒が顔を上げると、先生はその子へ笑いかけた。
「私はロールロール。学院ではあなたたちの担任になる先生よ。ロール先生って呼んでね」
あちこちから「はい」と返事が上がる。
私の向かいからは、ひときわ元気な「はーい!」が聞こえた。
「ご入学のお祝いに、特製ジュースを配りまーす。一人一本ずつ。飲み終わった瓶は、あとで集めますね」
その説明だけで、車内が一気に賑やかになった。
少し離れた席の男の子が、隣の子と手を打ち合わせている。
「学院の特製だって!」
チロルまで、今にも席から浮きそうな勢いで身を乗り出した。
案内冊子をさっと閉じ、鞄の上へ移す。空いた両手が、待ちきれないように膝の上で重なった。
「お祝いって、まだ着いてもいないのに」
「もう新入生だもん!」
ワゴンには、赤紫色のジュースが入った小さな瓶が並んでいた。
先生は一つずつ手に取って、生徒へ渡していく。
魔法で空を飛んでくるわけではないらしい。
……そこは期待しすぎか。
「あら、猫ちゃんも一緒?」
私たちの席まで来た先生が、膝の上を覗き込んだ。
上着の袖口から白いカフスが覗き、ワゴンの持ち手を握る指には細い指輪が光っていた。
スズの耳が、ぴくっと動く。
「この子はスズです。あの、連れてきても大丈夫ですよね? 案内には、小さい動物ならって……」
「もちろん。寮でも一緒に暮らせるわよ。迷子にだけ気をつけてね」
ほっとして、抱えていた腕の力を緩めた。
上着に引っかかっていた猫の爪を一本ずつ外す。スズは、こちらの心配をよそに前足を伸ばし、先生のワゴンへ鼻を向けた。
『魚のにおいがしないにゃ』
最初から、ずっと魚の話をしている。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
受け取った瓶からは、甘い果物の香りがした。
光に透かすと、綺麗な赤色に見える。
少なくとも、見た目は普通のジュースだ。
先生が次の席へ移ったところで、ふたを取って、私は一口飲んだ。
甘い香りとは、まるで違う味がした。
薄めた果物の汁に、何か粉っぽいものを混ぜたみたいだ。舌へまとわりつく感じがして、私はすぐ瓶を口から離した。
「……これ、不味くない?」
「そう?」
チロルはもう、自分の分を半分くらい飲んでいた。
私を見て目を丸くし、それからもう一口飲む。首をかしげたあと、瓶を光に透かしてみせた。
「甘くて、すっごくおいしいよ。これ、町のお店でも売ってほしいな」
「そこまで?」
「これだけ売るお店があったら、入っちゃう」
近くの席からも、「すごくおいしい」「何の果物だろう」と声が上がっている。
私だけ、違うものを渡されたのだろうか。瓶を鼻から離しても、舌の上に嫌な味が残った。
スズが鼻を近づけてきたので、瓶を持ち上げる。
『それ、いらないにゃ』
「私もいらない」
「じゃあ、ちょうだい」
チロルの空いている手が、すっと伸びてきた。遠慮する様子もなく、瓶と私の顔を交互に見ている。
「一口、飲んだよ」
「うん。いらないなら、私が飲むよ。おいしいのに、残したらもったいないもん」
そんなに欲しいのなら、無理に飲む必要もない。
私は、まだほとんど中身の残っている瓶を渡した。チロルは嬉しそうに受け取ると、まず自分の分を飲み切った。空瓶を鞄の横へ立て、今度は私の分へ口をつける。
「ほら。こっちも、おいしい」
同じものを飲んでいるとは思えない顔だった。
スズは私の膝へ顎を戻した。味の好みまで分かり合うのは、友達になるより難しいらしい。
チロルは二本目も飲み切り、空いた瓶を私へ返してくれた。
通路の奥では、まだ先生がほかの子へジュースを渡している。二人分を飲み終えたチロルは、瓶の底の一滴まで惜しそうに眺めていた。
「ごちそうさまでした!」
「それ、先生に言う方じゃない?」
「あとでもう一回言うよ」
しばらくして、空瓶を集めながら戻ってきた先生へ、私たちは一本ずつ差し出した。
「あら、きれいに飲んでくれたのね」
先生は空になった瓶を確かめ、ワゴンの下の段へ置いた。私が飲んだのは一口だけだ。けれど、瓶を見ただけでは分からないらしかった。
「ごちそうさまでした!」
「はい、どういたしまして。いい飲みっぷりね」
予告どおりの二回目を聞き、私は少し笑った。
先生が通り過ぎると、チロルは私の方へ顔を寄せた。
通路の向こうを一度確かめ、口元に手を添える。さっきより、少し小さな声になった。
「あのね。ここだけの話なんだけど」
「なに?」
「明日、先生に魔法を教えてもらえるんだよね」
「そのために来たんでしょ」
「うん。でも、先生に会ったら、急にほんとのことになった気がして」
チロルは通路の奥を見た。先生の緑色の上着が、次の車両へ消えていく。
「どんな魔法から習うんだろう。もう、早く明日になってほしい」
「習う前から?」
「習う前だから!」
気が早い。
この子、私が思っていたよりずっと気が早い。
でも、嬉しそうに笑う顔を見ていると、こちらまで笑いそうになってしまう。
『お祝いなら、魚がいいにゃ』
「あなたはもう、魚から離れて」
スズは納得のいかない顔で、尻尾を一度だけ振った。
チロルがくすくす笑った。スズは私の膝で寝返りを打ち、上着に鼻を押しつける。
「スズ、お魚好きなんだね」
「朝からその話ばっかり」
「着いたら、お昼のご飯を見てみようよ。猫の分も頼めるかもしれないし」
『その子、いい子にゃ』
どうやら、スズにも友達ができたらしい。
*
列車は畑を抜け、ゆるやかな丘を登っていた。
窓の外には木々が増え、葉の隙間から、遠くの山が見える。
チロルは案内を開いては窓を見て、また案内を開いている。
校舎の絵と景色を、何度も見比べていた。
初めはきちんと揃えていた両足が、いつの間にか窓の方へ向いている。膝の上の冊子も、斜めに傾いていた。
「ねえ、ヴィヴィ。魔法が使えるようになったら、一番に見せるね」
「まず使えるようになってからね」
「なるよ。だから約束」
伸びてきた小指を、私は少しの間見つめた。
チロルは手を引っ込めず、私の返事を待っている。さっきまで忙しく窓を見ていた目も、今はまっすぐこちらを向いていた。
私はスズを片腕で支え直し、自分の小指を引っかけた。彼女の指が、軽く握り返す。
「……じゃあ、見せてもらおうかな」
「うん!」
チロルは満足そうに頷いた。
私には、やっぱり魔法なんて想像できない。
でも、この子が明日どんな顔をするのかは、少し楽しみだった。
木々が途切れた。
「あっ!」
チロルが窓に両手をつく。
座席から腰が少し浮き、額がガラスに触れそうなところまで近づいた。大きな鞄を肘で押しのけ、見える範囲を広げようとしている。
スズも、ようやく起き上がった。
丘の向こうに、石造りの建物が並んでいる。
赤茶色の屋根。背の高い時計塔。広い庭と、その外を囲む柵。
塔の旗が風に揺れ、脇の煙突からは細い煙が上がっていた。
案内冊子に描かれていた、あの学校だった。
「見て、ヴィヴィ! ほんとにあった!」
「学校は、あるでしょ。そこまで疑ってないよ」
チロルは聞いているのかいないのか、窓の向こうへ笑いかけた。
赤茶色の屋根を追っていた視線が時計塔で止まる。声を上げかけた口が、しばらくそのままになっていた。
「今日から、あそこで魔女になるんだね!」
私は膝の上のスズを抱き直した。
最初の手紙には、帰りたいと書くつもりだった。
でも、その前に書くことができてしまった。
おばあちゃん。
友達が一人できました。
歓迎のジュースをほとんど二本飲んで、まだ着いてもいない学校の明日の授業を楽しみにしている子です。
「行こうね、ヴィヴィ!」
向かいの席の、その友達が笑った。
窓から顔を離しても、頬はまだ上気している。列車が揺れると、肩の髪とリボンが一緒に揺れた。
魔法なんて、まだ信じていない。
ただ、明日になってもこの子が私の隣にいるところは、もう想像できた。




