第8話
鉄平の不器用な擁護コメントに背中を押され、俺は深夜までテロップの打ち込みを続けた。
翌朝。寝不足の目をこすりながら登校すると、教室の空気がいつもと違っていた。
「おい蒼太、これ見ろよ!」
自分の席に鞄を置く間もなく、大輔がスマホを突き出してきた。ディスプレイには、見慣れたSNSのタイムラインが表示されている。だが、並んでいる言葉は昨日までの罵倒とは全く異なっていた。
『あの過剰な字幕、実はすげえ技術なんじゃね?』
『鮫島の切り抜き、悪意ありすぎだろ』
『俺は応援するわ。あのスタイル貫いてほしい』
次々とスクロールされる好意的な投稿の数々。そこには、大輔が発案したと思われる特定のハッシュタグが添えられていた。
「お前、これ……」
「へへっ。クラスの連中とか、ゲーム仲間に声かけてちょっと宣伝してやったんだよ。お前のあの騒がしい編集、最初はただの視覚的暴力だと思ってたけどさ。今はあれが最高にクールだってみんな言ってるぜ」
大輔は得意げに鼻をこすった。
思えば、俺がこの実況動画を作り始めたのは、たった一人のリスナーのためだった。聴覚障害を持つ結衣がゲームを楽しめるよう、足音や環境音、アバターの息遣いに至るまで、すべての音を視覚化する。それが俺の原点だ。
当時は「日本一目に余る実況」「プレイが見えない」と散々な汚名を着せられていた。だが、俺の目的は再生数を稼ぐことではなく、結衣が笑ってくれるかどうかだけだった。
だからこそ、こうして大輔たちが俺のスタイルを肯定し、味方になってくれることが、胸の奥に温かいものを広げていく。
「……サンキュ。でも、あんまり無理すんなよ。お前まで巻き込まれたら厄介だ」
「水臭いこと言うなよ。俺たちは友達だろ?」
大輔は俺の肩を軽く小突いた。その力強い感触に、俺は小さく息を吐き、口元を緩めた。
昼休みになると、事態はさらに急展開を見せた。
購買でパンを買って戻ってきた俺に、大輔が再び駆け寄ってくる。今度は先ほどよりも血相を変えていた。
「おい、鮫島の奴が燃えてるぞ! これヤバいって!」
大輔のスマホを覗き込むと、匿名の解析者が投稿した長文のレポートが拡散されていた。そこには、鮫島が使っていた複数の捨てアカウントのIPアドレスの類似性や、意図的に炎上を仕掛けるために波形データを改ざんしていた証拠が、緻密なデータとともに示されていた。
ミリ秒単位で分解されたタイムスタンプの矛盾。手元カメラの動きとゲーム内の動作が完全に同期していることを証明するグラフ。
誰がやったのかはわからない。だが、その圧倒的な証拠の前に、鮫島の論理は完全に崩壊していた。
鮫島のアカウントには批判が殺到し、苦し紛れの反論も即座に論破されていく。やがて奴のタイムラインは完全に沈黙に包まれた。
焦っているのが手に取るようにわかる。だが、奴のアカウントが削除されたわけではない。不気味な静けさが残っており、問題が完全に解決したとは言い難かった。それでも、俺たちを取り巻く空気は確実に変わりつつあった。
◆ーーーー◆
放課後。
足早に帰宅し、リビングのドアを開けると、ソファで結衣がスマホを見つめていた。
その表情は暗い。俺の足音に気づいて顔を上げた彼女の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「どうした? 何かあったか」
俺が尋ねると、結衣はスマホのディスプレイをこちらに向けた。
そこには、急激な擁護のバズに便乗して湧き上がった、新たな心ない声があった。
『どうせ障害者をダシにして同情を買いたいだけだろ』
『自己満足の偽善者が』
鮫島の炎上工作が暴かれたことで、俺の動画は予期せぬほどの注目を集めてしまった。登録者数が急増する一方で、こうした悪意ある言葉もまた、波のように押し寄せてきていたのだ。
結衣は震える手で、手話と身振りを交えて伝えてきた。
『わたしのせいで、あなたがずっと叩かれている。こんなことなら、もう動画なんて作らなくていい』
彼女の指先が、痛切な自責の念を紡ぎ出す。自分が俺の重荷になっているのではないか。その恐れが、結衣の小さな肩を震わせていた。
俺は結衣の前にしゃがみ込み、その両肩をしっかりと掴んだ。
「お前が気にする必要はない」
まっすぐに彼女の目を見据える。
「俺は、お前が笑ってくれるならそれでいいんだ。誰に何を言われようと、このスタイルは絶対に変えない。お前のためだけに始めたことなんだからな」
『でも……』
「偽善だの自己満足だの、外野の言葉なんてどうでもいい。俺の動画を見て、お前がゲームを楽しんでくれる。それが俺のすべてだ」
結衣は唇を噛みしめ、ぽろぽろと涙をこぼした。俺は彼女の頭に手を置き、不器用に撫でた。
「だから、お前はただ笑っててくれ。それだけで、俺はいくらでも作れる」
結衣はしゃくりあげながら、小さく、しかし力強く頷いた。
夜の帳が下りる頃。
俺は自室のデスクに向かい、編集ソフトを立ち上げた。
モニタ上には、新しく録画したFPSゲームのタイムラインが広がっている。
大輔の不器用な応援。鉄平の熱い擁護。そして、名も知らぬ解析者が示してくれた真実。
俺はSNSのタブを閉じ、深く息を吸い込んだ。
マウスを握る手に力を込める。
敵の足音、遠くの銃声、風のそよぎ。そのすべてを、結衣に届けるために視覚化していく。極太のフォントや鮮やかな色彩を駆使し、音の方向や距離感を緻密に表現する。
世間から見れば、相変わらず過剰で耳障りな編集だろう。だが、これが俺たちの絆の形だ。
キーボードを叩く音が、静かな部屋にリズミカルに響き渡る。
ふと、背後でドアがわずかに開く気配がした。
振り返らなくてもわかる。結衣だ。
俺は作業の手を止めず、ただ黙々とテロップを打ち込み続けた。
背後に立つ結衣の視線を感じる。彼女は俺の背中をじっと見つめているようだった。
ただ守られるだけではなく、自分も何かできることはないか。
言葉には出さなくても、彼女の瞳に宿る確かな決意が、背中越しに伝わってくるような気がした。




