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第6話

「……いや。まだ、確証はない。もう少し時間が要る」


胃の奥が重く沈むのを感じながら、俺は再びモニターへと向き直った。


背後で鮫島が舌打ちをする音が響く。


「チッ、使えねえな。さっさと燃やせるネタを見つけろよ。障害者をダシにしてる偽善者だって証拠をな」


鮫島は苛立ち紛れにドアを叩きつけて作業部屋から出ていった。


俺は大きく息を吐き出し、隠していた別ウィンドウをディスプレイの中央に引き戻した。


そこに並んでいるのは、あの実況者の過去アーカイブをミリ秒単位で分解した解析データだ。


世間では「日本一騒がしい実況」「視覚的暴力」とネタにされている過剰なテロップ。だが、波形データと照らし合わせれば合わせるほど、その異常なまでの正確さに背筋が凍る。


足音の方向、環境音の反響、キャラクターの微かな息遣い。それらすべてが、一切の妥協なく文字とエフェクトに変換されている。


これは決して、バズを狙ったウケ狙いの編集ではない。


映像の向こう側にいる、たった一人の視聴者。音のない世界にいる誰かに、ゲームのすべてを伝えるためだけに構築された狂気の産物だ。


俺はマウスを握り直し、密かに新しいフォルダを作成した。


鮫島に渡すための粗探しではない。この実況者の真価を証明するための、純粋な技術的証明データ。


同業者として、いや、一人のクリエイターとして、この圧倒的な熱量を安っぽい炎上で潰させるわけにはいかなかった。


◆ーーーー◆


休日の午後。俺は自室のデスクでコントローラーを握っていた。


隣にはパイプ椅子を引き寄せて座る結衣がいる。彼女の視線は、俺がプレイしている新作のサバイバルホラーゲームに釘付けになっていた。


「ほら、ここからが本番だぞ」


俺が声をかけると、結衣はコクンと頷き、身を乗り出した。


ディスプレイ上では、薄暗い廃病院の廊下が映し出されている。俺は手元を映すウェブカメラの枠内に右手をかざし、指先で素早くサインを作った。


『右、警戒』


それは、結衣にだけ伝わる手話の合図だ。


直後、ゲーム内の右側の扉から異形の化け物が飛び出してくる。俺は即座に銃を構え、引き金を引いた。


画面の中で化け物が崩れ落ちる。録画ソフトのプレビュー上にはまだテロップはないが、結衣はパァッと花が咲いたように笑い、無音の拍手を送ってくれた。


俺にとって、重要なのは再生数でもチャンネル登録者数でもない。隣にいるこいつが、こうして全身でゲームを楽しんでくれることだけだ。


プレイを一時停止し、麦茶を飲む。


ふと、サブモニターに表示されている動画サイトの通知欄が目に入った。


予期せぬバズをきっかけに、登録者の数は跳ね上がり続けている。だが、それに比例して心ない声も押し寄せていた。


『情報過多で見づらい』


『自己満足の極み』


『妹をダシにしてるだけだろ』


無遠慮な悪意の羅列。俺は無表情のままマウスを動かし、ウィンドウを最小化しようとした。


だが、その前に結衣が通知欄の文字に気づいてしまった。


彼女の表情からスッと笑顔が消え、眉がハの字に下がる。自分のせいで俺が叩かれている。そう思い詰めるような、痛みを堪える瞳だった。


「……あなた、ごめんなさい」


結衣の小さな手が、俺の袖を軽く引く。


俺はため息をつき、結衣の頭にポンと手を置いた。


「気にするな。外野が何を言おうが、俺のやり方は変わらない」


俺は結衣の目を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと口を動かした。


「お前が楽しめる動画を作る。それ以外はどうでもいいんだ」


結衣は少しだけ唇を噛み、やがて小さく頷いた。その目元にはまだ不安が残っているが、俺が絶対に折れないことは伝わったはずだ。


「よし、続きやるぞ。次はボス戦だ」


俺がコントローラーを握り直すと、結衣は両手でガッツポーズを作って見せた。


◆ーーーー◆


数時間後。エナジードリンクの空き缶が三つに増えた頃、作業部屋のドアが再び開いた。


「おい悟、朗報だぜ」


上機嫌な声とともに、鮫島が戻ってきた。その手にはスマートフォンが握られている。


俺は解析データを素早く隠し、振り返った。


「朗報?」


「ああ。あの偽善者実況者、独自のルートで身元が割れた」


鮫島はニヤリと笑い、スマホの画面を俺に向けてきた。


そこには、とある高校の校門の写真と、いくつかの個人情報が羅列されたメモ帳のスクリーンショットが映っていた。


「……マジかよ」


「ネットの特定班を舐めんなよ。過去の配信のわずかな反射とか、窓の外の景色からあっという間だ。これで直接的なアプローチができる」


鮫島の目が、獲物を見つけた肉食獣のようにギラついている。


「直接的って、まさか学校に凸る気か?」


「それもアリだな。あるいは、近所の連中に『障害者ビジネスで荒稼ぎしてる奴がいる』ってビラでも撒いてやるか。どっちにしろ、あいつのメッキが剥がれる瞬間をカメラに収めてやる」


背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。


鮫島は俺の裏切りにまったく気づいていない。俺が粗探しをしていると信じきり、自分は別ルートで物理的な攻撃の準備を進めていたのだ。


「……やりすぎじゃないですか。相手はただの高校生ですよ」


俺は努めて平坦な声で言った。


「甘いな、悟。ネットで目立つってのはそういうことだ。数字を持ってる奴は、引きずり下ろされる覚悟を持たなきゃならねえ」


鮫島は鼻で笑い、自分のデスクにドカッと腰を下ろした。


このままでは、あの純粋な動画が、そしてあの実況者が守ろうとしているものが、理不尽な悪意によって壊されてしまう。


俺はキーボードの上に手を置き、強く拳を握りしめた。


鮫島のやり方には、もうついていけない。


◆ーーーー◆


深夜。結衣が眠りについた後、俺は一人で動画のエンコード作業を進めていた。


プログレスバーがゆっくりと右へ伸びていくのを眺めながら、重い瞼をこすって欠伸を噛み殺す。


連日の作業で頭の芯が痺れている。だが、結衣のあの笑顔を思い出すと、不思議と疲れは感じなかった。


ふと、スマートフォンのバイブレーションが短く鳴った。


SNSのダイレクトメッセージだ。普段なら見知らぬアカウントからの通知は無視するのだが、メッセージのプレビューに表示された文字列に、俺は思わず手を止めた。


『あなたの個人情報が特定されています』


眉をひそめ、メッセージの全文を開く。


送信元は、アイコンもプロフィールもない捨てアカウントだった。


『炎上系配信者の鮫島が、あなたの身元を割り出しました。近いうちに、学校や自宅への直接的な接触を図る準備を進めています。気をつけてください』


悪質ないたずらか?


いや、文面からは妙な切迫感が伝わってくる。それに、鮫島という名前には聞き覚えがあった。最近、他の配信者を過激な手法で攻撃しては数字を稼いでいる厄介な連中だ。


『私はあなたの敵ではありません。あなたの動画に込められた技術と熱意を、壊されたくないだけです』


メッセージはそこで途切れていた。


俺はディスプレイの青白い光に照らされながら、その文面を何度も読み返した。


見知らぬ誰かからの、突然の警告。


送信元のアカウントをタップしてみたが、作成されたばかりで足跡すら辿れなかった。


だが、もし鮫島の狙いが俺だけではなく、結衣の平穏な日常にまで及ぶのだとしたら。


俺はスマートフォンをデスクに伏せ、深く息を吸い込んだ。


エンコードの完了を知らせる電子音が、静かな部屋に響き渡った。


俺はマウスを握り、次の一手を打つための準備を始めた。


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