第4話
翌日の昼休み。教室はいつも通りの喧騒に包まれていたが、俺の席の周りだけは少し様子が違っていた。
「だから言ったろ! こいつはただのヤバい奴じゃないって!」
大輔が自分のことのように胸を張り、周囲のクラスメイトたちに熱弁を振るっている。彼の手にあるスマホの画面では、昨晩の俺の記念配信のアーカイブが再生されていた。
「まさか、あの過剰な字幕にそんな理由があったなんてな」
「普通に感動したわ。泣きそうになったし」
クラスメイトたちが次々と口を開く。昨日まで俺の動画を「うるさい」「見づらい」と笑っていた連中が、今は手のひらを返したように称賛の言葉を並べている。正直なところ、居心地が悪かった。
「お前ら、あんまり持ち上げるなよ。俺はただ、やりたいようにやってるだけだ」
俺は机に頬杖をつき、窓の外へ視線を逃がした。
「照れんなって。お前のその職人魂、俺は最初から見抜いてたぜ。なんたって、俺が一番の応援団長だからな!」
大輔がバンと俺の背中を叩く。痛みを堪えて睨みつけると、彼はニシシと白い歯を見せて笑った。
「でもさ、なんで今まで黙ってたんだよ。最初から美談として売り出せば、もっと早くバズってたかもしれないのに」
大輔の言葉に、俺は少しだけ口ごもった。
「……そんなの、動画の面白さとは関係ないだろ。それに、変に同情されるのも嫌だったしな」
俺の言葉を聞いて、大輔は少しだけ真面目な顔になった。
「まあ、お前らしいけどな。でも、これからは堂々と胸張っていいと思うぜ」
大輔の言葉には、嘘偽りのない真っ直ぐな響きがあった。俺は小さく息を吐き、「うるせえよ」とだけ返して、手元のノートに目を落とした。
◆ーーーー◆
放課後、足早に帰宅すると、玄関を開けた瞬間に香ばしい匂いが漂ってきた。リビングに向かうと、エプロン姿の母さんがキッチンで唐揚げを揚げているところだった。
「おかえりなさい、蒼太。今日はあなたの好きなものばかりよ」
テーブルの上には、山盛りの唐揚げとポテトサラダ、それに結衣の好きな卵焼きが並んでいる。まるで誕生日のようなご馳走だ。
「なんだよ、これ。今日って何かのお祝いだっけ」
カバンを置きながら尋ねると、母さんは火を止めて振り返った。
「百万人、おめでとう。それと……今までずっと、一人で頑張らせてごめんなさいね」
母さんの瞳が、少しだけ潤んでいるように見えた。
「あなたが毎日寝不足で、目の下にクマを作ってまで動画を作っているのを見て、私はずっと心配だったの。自分の時間を犠牲にして、無理をしているんじゃないかって」
母さんはエプロンで手を拭きながら、ゆっくりと俺に近づいてきた。
「でも、昨日の配信を見てわかったわ。あなたは犠牲になってるんじゃなくて、本当に結衣のことが大切で、自分の意志でやってるのね」
「……当たり前だろ。俺が好きでやってるんだ」
俺は照れ隠しに視線を逸らし、テーブルの上の唐揚げを一つ手でつまんだ。揚げたての衣がサクッと音を立て、肉汁が口の中に広がる。
「美味しいわよ、母さん」
「もう、行儀が悪いわね」
母さんは呆れたように笑い、俺の背中を軽く叩いた。その手は、とても温かかった。
しばらくして、結衣がリビングに下りてきた。俺の顔を見るなり、彼女はパタパタと駆け寄り、自分のスマホの画面を突きつけてきた。
画面には、メッセージアプリのトークルームが開かれている。そこには、結衣が通う聾学校の友人たちからのメッセージがずらりと並んでいた。
『動画見たよ! 音が目で見えるみたいですごい!』
『あんな風にゲームの状況がわかるなんて感動した』
『蒼太くん、かっこいい!』
結衣は誇らしげに胸を張り、俺の顔を見上げる。
「みんな、あなたの動画を見て喜んでる。音がどんな風に鳴っているのか、初めてわかったって言ってる子もいたよ」
結衣は手話と口パクを交えながら、一生懸命に伝えてくる。その表情は、今まで見たことがないくらい輝いていた。
「そうか。そりゃよかった」
俺が短く返すと、結衣は両手でサムズアップを作り、満面の笑みを浮かべた。最高の「いいね」だ。
「でも、無理はしないでね。あなたが倒れちゃったら、元も子もないんだから」
結衣は少しだけ大人びた表情になり、俺の目の下のクマを指さした。
「わかってるって。今日はちゃんと寝るから」
俺は結衣の頭を軽く撫でた。彼女は嬉しそうに目を細め、唐揚げの山へと手を伸ばした。
◆ーーーー◆
夕食を終え、自室に戻った俺は、いつものようにパソコンの電源を入れた。
モニターが青白い光を放ち、見慣れたデスクトップ画面が表示される。動画編集ソフトを立ち上げ、昨日録画したばかりのFPSゲームの素材を読み込む。
『右後方・乾いた土を踏む足音』
『遠くでくぐもった銃声・二発』
『自身の荒い息遣い』
俺はヘッドホンから流れる音を一つ一つ拾い上げ、それに合わせたテロップを打ち込んでいく。赤や青、極太のフォントや細字を使い分け、音の性質を視覚化していく。
世間がどう騒ごうと、俺のやることは変わらない。たった一人のリスナーに、音の世界を届けること。それだけだ。
ふと気配を感じて振り返ると、結衣が部屋の入り口から顔を出していた。
「入っていい?」
俺が頷いて隣の丸椅子を指さすと、結衣はちょこんと座ってモニターを覗き込んできた。
俺がスペースキーを押してプレビューを再生すると、画面いっぱいに極彩色の文字が躍った。
結衣の目が輝く。彼女は画面の文字を追い、ゲーム内の状況を正確に把握していく。背後から忍び寄る敵の足音を示す赤いテロップが出た瞬間、結衣はビクッと肩を揺らし、直後に俺のキャラクターが振り向いて敵を倒すと、パァッと花が咲いたように笑った。
俺にとって、この笑顔がすべてだった。百万人の登録者よりも、企業からの案件よりも、この小さな笑顔一つの方が何倍も価値がある。
俺は再びキーボードに向かい、新しいゲームの録画ボタンを押した。
「よし、次はこれだ。ちょっと怖いぞ」
結衣は期待に満ちた目で画面を見つめている。俺たちは、いつもと変わらない夜を過ごしていた。
数時間後。結衣が自室に戻り、俺は一人で動画のアップロード作業を進めていた。
処理が終わるのを待つ間、何気なく昨日の記念配信のアーカイブを開き、コメント欄に目を落とす。
『感動した』
『これからも応援してます』
温かい言葉が並ぶ中、ふと、スクロールする指が止まった。
『01010011 01101111 01110101 01110100 01100001』
『01010011 01101111 01110101 01110100 01100001』
意味不明な数字の羅列。それが、一秒間に何十件という異常なペースで投稿され続けている。
「なんだ、これ……スパムか?」
俺は眉をひそめ、そのうちの一つのアカウントをクリックした。プロフィール画像は初期設定のままで、投稿動画はゼロ。典型的な捨てアカウントだ。
だが、違和感はそれだけではなかった。
数字の羅列に混じって、時折、奇妙な文字列が投稿されている。
『右手の動き・0.5秒の遅延』
『視線の移動・左下へ偏向』
『偽りのヒーロー』
背筋に冷たいものが走った。
これは、ただの荒らしじゃない。俺の手元カメラの動きを、何らかの方法で解析している?
『偽りのヒーロー』
その言葉が、俺の胸の奥にある暗い部分をチクリと刺した。
誰だ。誰がこんなことをやっている。
画面の向こう側に潜む、得体の知れない悪意。それが、静かに、だが確実に、俺たちの日常を侵食し始めているような気がした。
マウスを握る手に、じわりと汗が滲む。
部屋の中には、パソコンの冷却ファンが回る低い音だけが、不気味に響き続けていた。




