第18話
展開された通知パネルには、見たこともない桁数の数字が並んでいた。
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れる。新規コメント、リポスト、チャンネル登録者の増加。すべてが異常な速度で更新され続けている。エラーか何かを疑ったが、ブラウザをリロードしても数字は増える一方だった。マウスを握る手に、じわりと汗が滲む。
背後のドアが開き、結衣が室内に入ってきた。彼女は自分のスマホを指さし、目を丸くしている。どうやら、結衣もネットの騒ぎに気づいたらしい。
『ねえ、なんかすごいことになってる』
結衣が手話で伝えてくる。その表情には、不安と驚きが入り混じっていた。また炎上しているのではないかと、彼女なりに心配しているのだろう。俺は椅子から立ち上がり、結衣の頭にポンと手を置いた。
「気にするな。何があっても、お前が笑ってくれるなら俺のスタイルは絶対に変えないから」
俺がはっきりと口の動きを見せて言うと、結衣は少しだけ目を伏せ、それから小さく笑った。
『でも、あの極太の赤文字はやっぱりダサいと思う』
照れ隠しのような手話に、俺は思わず吹き出した。
「うるせえよ。あれが一番見やすいんだって」
俺たちの間に、いつもの空気が戻る。外野がどれだけ騒ごうと、俺と結衣の絆が揺らぐことはない。
俺は再びPCに向き直り、騒ぎの元凶を探った。タイムラインを埋め尽くしていたのは、一つの動画リンクだった。投稿主は、大手実況者のKANA。タイトルは『日本一うるさい実況の本当の理由』。
心臓が大きく跳ねた。俺は無意識のうちに息を詰め、その動画を再生していた。
モニターに現れたKANAは、普段であれば見せる飄々とした態度を崩し、真剣な表情でカメラを見据えていた。
『みんな、まずはこの動画を音を消して見てみろ』
KANAの言葉とともに、俺のFPS実況動画が無音で再生される。
『ただの視覚的暴力だと思ってた奴、よく見ろ。この過剰なフォントと文字色の使い分け、完全にルール化されてるんだよ』
映像が一時停止され、KANAの解説が入る。
『赤の極太フォントは低音の爆発や重い足音。青の細字は高音の環境音や遠くの銃声。これ、音の性質を視覚化してるんだ』
俺は息を呑んだ。誰にも気づかれないと思っていた工夫が、白日の下に晒されていく。
『さらに、こいつが選ぶゲーム。FPSやホラーゲームばっかりだろ? ストーリー重視のRPGは全然やらない。なぜか。音による状況判断が不可欠なジャンルだからだ』
KANAの言葉は熱を帯びていく。
『極めつけはこれだ。手元カメラに映る不自然な手の動き。奇行だなんだと笑われてたけどな……これ、手話なんだよ』
端のワイプで、俺がコントローラーから手を離し、一瞬だけ見せた動きがスローモーションで再生される。
『つまり、こいつは耳の聞こえない誰かのために、音のすべてを字幕で表現する情報保障をやってたんだ。日本一うるさい実況は、日本一優しい実況だったってわけだ』
動画が終わっても、俺はしばらくモニターを見つめたまま動けなかった。KANAの圧倒的な分析力によって、俺が結衣のために仕込んでいたすべての意図が、完璧に言語化されていた。
◆ーーーー◆
自室のベッドに寝転がっていたリナは、スマホを握りしめたまま硬直していた。
KANAの解説動画が終わっても、彼女の指はピクリとも動かない。
「……嘘でしょ」
震える声が、静かな空間に吸い込まれる。自分が正義だと思って叩いていた相手。売名目的の迷惑な奴だと決めつけ、毎日のように攻撃的な言葉を投げつけていた相手。
その裏にあったのは、耳の聞こえない妹のために途方もない時間をかけて編集作業をする、不器用な兄の姿だった。
胸の奥がギュッと締め付けられる。自分が書き込んだ心ない言葉の数々が、脳裏にフラッシュバックする。
「私……最低じゃん」
激しい自己嫌悪が波のように押し寄せ、視界が滲んだ。推しであるKANAを守るためだと思っていた。正義の鉄槌を下しているつもりだった。
だが、実際にやっていたことは、唯一の観客のために必死に努力している人間を、無自覚に踏みにじる行為だったのだ。
リナは跳ね起きると、震える指で画面をタップし始めた。過去の自分の投稿を遡り、次々と削除していく。消しても消しても、自分が放った悪意の痕跡は消えきらないような気がした。
すべての投稿を消し終えた後、彼女は深く息を吸い込み、新たなコメントを打ち込んだ。
『ごめんなさい。そして、最高の動画をありがとう』
送信ボタンを押すと同時に、涙が頬を伝って落ちた。
SNS上では、リナと同じように真実を知った視聴者たちの声が溢れ返っていた。昨日までアンチコメントで埋め尽くされていたタイムラインが、一夜にして称賛と謝罪の言葉で塗り替えられていく。
評価は完全に反転していた。
◆ーーーー◆
翌日以降、事態は俺の想像を遥かに超える速度で加速していった。
KANAの動画をきっかけに、俺のチャンネル登録者数は爆発的に増加し、過去の動画の再生数も跳ね上がった。コメント欄は絶賛の嵐だ。
だが、それと同時に厄介なものも舞い込むようになった。
『感動の兄妹愛! 障害を乗り越えた実況者に密着!』
『福祉的支援の最前線。日本一優しい実況者の素顔に迫る』
動画配信サイトのメッセージボックスには、テレビ局やWebメディアからの取材依頼が殺到していた。どいつもこいつも、俺たちを美談として消費しようとする魂胆が透けて見える。
「ふざけんなよ……」
俺は舌打ちをし、アカウントの設定画面を開いた。ダイレクトメッセージの受信機能を完全にオフにし、外部からの連絡手段を物理的に遮断する。
俺は社会活動家になりたいわけじゃない。世間に感動を与えたいわけでもない。ただ、結衣にゲームの音を届けたかっただけだ。
背後から覗き込んでいた結衣が、心配そうに俺の袖を引いた。
『大丈夫?』
「ああ。こんな連中の相手をする暇があったら、次の編集をするさ」
俺が笑いかけると、結衣は小さく頷き、いつものように俺の隣へ椅子を引き寄せて座った。
俺たちは、世間の身勝手な期待に応えるつもりはない。どれだけ称賛されようと、どれだけ美談に仕立て上げられようと、取材はすべて断り、沈黙を貫く。それが、無理解な世間に対する俺たちなりの抵抗だった。
外野の騒ぎをシャットアウトし、俺は再び編集ソフトを立ち上げた。
真実が拡散され、俺の評価は一夜にして覆った。批判の的だった動画は、今や多くの人々に求められるものへと変わろうとしている。
評価が反転したことで、これから周囲の反応はどう変わっていくのか。確かなことはわからない。
だとしても、俺のやるべきことは一つだけだ。マウスを握り直し、俺は今日も新しいプロジェクトファイルを作成する。




