第10話
自室のデスクに座り、キーボードを叩く。
タイムラインに新たな録画ファイルを読み込み、編集作業を再開した。
前回の動画で手応えを得た編集スタイルをさらに洗練させ、より複雑な戦況を文字に起こしていく。極太フォントや細字、赤や青の色分けを駆使して、あらゆる音情報を視覚化する作業だ。
『右後方・乾いた土を踏む足音』
『遠くでくぐもった銃声・二発』
そんな文字が、過剰なエフェクトとともに次々と明滅する。
ディスプレイ上は、瞬く間に過剰な装飾の文字で埋め尽くされていった。
一般の視聴者からすれば、ただの視覚的暴力でしかないだろう。
だが、俺の目的は再生数を稼ぐことではない。耳の聞こえない結衣に、音の世界の豊かさを伝えること。それだけだ。
作業を進める中、ワイプに映る自分の手元映像に目が止まった。
プレイ中、右方向から敵が接近していることを伝えるため、俺は思わずコントローラーから手を離し、手話に似た不自然な手の動きをしてしまっていた。
カットすべきか。一瞬だけ迷いがよぎる。
こんな隙を見せれば、またネット上で格好の的になるのは目に見えている。
だが、これは結衣に向けた俺からの直接的なメッセージだ。
迷いを振り切り、そのままの状態で書き出し処理を開始した。
数十分後、動画の公開ボタンを押す。
反応は、予想よりも遥かに早かった。
数時間もしないうちに、スマートフォンの通知が狂ったように鳴り始めたのだ。
『また文字だらけかよ』
『日本一見づらい実況』
そんな批判的なコメントが次々と書き込まれていく。
さらに最悪なことに、手元カメラの不自然な動きが誰かによって切り抜かれ、SNS上で拡散され始めていた。
『謎の奇行』『奇行種ワロタ』
面白おかしく消費される俺の姿。
再生数は普段の数十倍に跳ね上がり、予期せぬバズを引き起こしている。
チャンネル登録者数も急激に伸びていたが、それに比例して心ない声という敵対的な力も津波のように押し寄せてきた。
「……勝手に言ってろ」
俺は小さく吐き捨て、スマートフォンの電源を切った。
すでに腹は括っている。外野の騒ぎに構う暇などない。俺はすぐさまパソコンのモニターに向き直り、明日公開する予定の新しい録画ファイルをタイムラインに放り込んだ。
◆ーーーー◆
深夜。
部屋の照明は落とし、モニターの青白い光だけが空間を照らしている。
すでに慢性化しつつある疲労を濃いめのコーヒーでごまかしながら、俺はひたすら次の動画のテロップを打ち込み続けていた。
コンコン、と控えめなノックの音が響く。
「入るわよ」
ドアが開き、母さんがお盆を持って姿を現した。
お盆の上には、湯気を立てるうどんが乗っている。出汁の優しい香りが、冷え切った部屋に広がった。
「あんまり無理しないでね」
母さんは机の端にお盆を置き、俺の顔を覗き込む。
「大丈夫だ。ちょっと編集に時間かかってるだけだから」
俺が短く返すと、母さんは心配そうに眉を下げた。
「結衣のために頑張ってくれるのは嬉しいけど、あなた自身の時間も大切にしなさいよ」
その声には、温かい包容力が込められていた。
俺が妹のために自己犠牲を強いているのではないかと、密かに気を揉んでいるのだろう。
「わかってるって」
俺は箸を手に取り、うどんをすすった。
温かい出汁が胃の奥に染み渡り、強張っていた肩の力が少しだけ抜ける。
モニターの向こう側で渦巻く冷たい悪意とは対照的な、確かな家族の温もり。
「ごちそうさま」
空になった器を渡すと、母さんは小さく微笑んで部屋を出て行った。
俺は再びマウスを握り、タイムラインに向き直る。
批判の声は痛くも痒くもない。俺はただ、唯一の観客を笑顔にするためにキーボードを叩き続けるだけだ。
◆ーーーー◆
翌日の午後。
学校から帰宅し、リビングのドアを開けた。
ソファの上で、結衣がタブレットを抱え込むようにして丸まっている。
「ただいま。何見てたんだ?」
俺が声をかけると、結衣はビクッと肩を大きく揺らした。
慌てた様子で画面をオフにし、こちらを振り向く。
少し不自然な笑顔を作り、彼女は手話で『おかえりなさい』とだけ返してきた。
いつもなら、新しい動画の感想を身振り手振りで全身を使って伝えてくるはずだ。
今日はどこか様子がおかしい。
俺は冷蔵庫から麦茶のボトルを取り出しながら、結衣の背中を盗み見た。
彼女の指先が、タブレットの縁を白くなるほど強く握りしめている。
何か隠し事でもしているのだろうか。
だが、深く追及するのも野暮な気がして、俺はコップに注いだ麦茶を一気に飲み干した。
俺は知らなかったのだ。
結衣がタブレットで動画のコメント欄を開いていたことを。
そこには、鉄平たちアンチによる『目障り』『自己満足の偽善者』といった心ない言葉が、無数に並んでいた。
自分がゲームを楽しむ裏で、兄が世間から笑い者にされ、激しいバッシングを浴びている。
その事実を突きつけられ、結衣がどれほど深く心を痛めていたか。
自分のせいで兄が不幸になっているのではないかと、彼女が密かに震えていたことを。
「また夜に新しいの上げるから、楽しみにしとけよ」
空のコップをシンクに置き、俺は自室のパソコンの前に戻った。
背後で、結衣が小さく頷く気配がした。
その小さな背中が抱え込んだ重圧に、俺はまだ気づいていなかった。
見えない敵意は、確実に俺たちの日常を蝕み始めている。
結衣の心に刻まれた傷が、今後の活動にどう影響を及ぼすのか。
その答えを知るには、もう少しだけ時間が必要だった。




