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School00 『原罪』


 女には金が必要だった。

 泥沼に手を入れてみれば、沼底から金が掘り出せるかも知れない。

 だが、その泥に手が触れた時から穢れてしまう。


 手を汚さないこともまた、女の計画の一つだった。

 しかし計画とは思わぬ所で綻びを見せるもの。


 ―――女には金が、必要だった。


 架空の銀行口座。

 誰でも取得出来るフリーアドレス。

 インターネット上に、彼女は大学のパソコンから接続する。

 掲示板に書き込まれたのは金で買える理想(ゆめ)。


 理想を現実とするのが、女の選んだ手段だった。


 大学入試の問題用紙。

 受験生がそれを手にする。

 さすれば、理想(ゆめ)を金で現実にすることになる。


 理想を欲しがる者があり、現実として売ることが出来る、それは双方に利を齎す取引。

 闇の商談は静かに成立していった。




「……」


 人気の無いパソコン室で、女は静かに、パソコンのディスプレイを見つめていた。

 表示されているのは一通のメール。

 差出人は、女が提示した取引に関心を寄せてきた一人。

 けれど回線の向こう側に居る人物は、その取引に好意的とは言えなかった。


 >>返信有り難うございます。

 >>入試問題のサンプル、拝見しました。

 >>確かにこれは大学で使用される正式な書式。

 >>つまり本物ですね。


 >>申し訳ありませんが、私はあなたからこの問題用紙を買うつもりはありません。

 >>どんな詐欺なのか、少し興味があっただけだったのですが

 >>詐欺などではなかった。

 >>これは不正な情報流出です。


 >>ご指定の銀行口座、該当する掲示板での書き込み、メールアドレス。

 >>そしてこの問題用紙のサンプル。

 >>以上を証拠とし、警察に通報します。


 >>私達受験生は、志す大学への入学の為に日々勉強を重ね、努力しています。

 >>その努力を踏み躙るかのようなあなたの行為。

 >>どれほどの重罰をお望みですか?


 こんな所で。終わるわけにはいかなかった。

 此処で罪を認めてしまえば、この先の計画は全て泡沫の如く消えていく。

 それだけは、何としてでも食い止めねばならなかった。




「……はい、もしもし」


 携帯電話の着信画面。相手は番号非通知。

 少女は何処か冷ややかに目を細め、その着信を受けた。

 大学の正門を少し抜けた先も、賑やかな空間。

 今日は公開キャンパスの日。この大学への入学を目指す高校生の姿が多くある。

 少女もまた、その一人――では、なく。

 セーラー服姿の少女の顔立ちは、まだあどけなさが残り、身長も低い。


 受験生には変わりないが、彼女は高校受験生だ。

 齢、十五。大学への進学を望めるのは、後三年後のこと。

 それなのに何故少女は、このキャンパスを歩いているのか。

 簡単なことだった。

 入試問題を法外な値段で叩き売られるような大学が、どのような場所か知りたかった。

 明るいキャンパス。柔らかい日差しに、すっと目を細めて。

 電話の向こうには、キャンパスの影とも言える情報流出者が居る。


『……』


 沈黙を守る情報流出者。

 何と言って良いのかわからないのだろうか。

 少女は一寸沈黙を返した後、口を開いた。


「大学関係者ですか。よく、あんなもの手に入れますね。学内でも問題になるでしょう」

『その問いかけに黙秘権はあるの?』


 返って来たのは、若い女の声。

 少女は意外そうにぱちりと瞬く。

 イメージはこうだった。歳を食ったそれなりの地位にある大学関係者の男。おそらく収入もそこそこにあるのだろう。しかし、幾ら収入や地位があった所で、人の欲望とは尽きることが無い。貪欲で醜い人間の仕業だ、と。


「黙秘するのも自由ですけどね。それでは、あなたが――貴女がわざわざ私の電話番号まで聞いた意味が解りません。何か言いたいことがあったんじゃないんですか?」

『……そうね。謝ろうと思ったの』

「謝る?」

『メールに書かれていたことは尤もだと。受験生は相応の努力をして入試に挑む。それなのに私は――』

「取り返しのつかないことをしてしまった?」

『不幸中の幸いと言えるならば、あの問題用紙は一枚も売れていないの。商談は成立していない。不正な試験で入学する人間は居ない――幾許かの救いには、なるかしら?』

「救いって。そういう問題なんでしょうか、ね……」


 少女は曖昧に返す。

 メールであのような厳しい書き方をしたのは、少しの叱咤もあったのかもしれない。

 けれどそれ以上に、情報流出者に興味があった。

 少女は最初から、警察に通報するつもりなど無かった。

 唯、あのような犯罪を犯す人間がどういった類のものであるか。

 それに興味があった。

 中学生という立場では、知り得ない階層の人間というものが存在する。

 少しだけ、手を伸ばしてみたかった。それは少女のほんの好奇心。


 冬にしては暑い日だ。

 そう厚着ではないが、日差しを真っ直ぐに受けていると汗が滲みそうになる。

 携帯電話で会話をしながら歩みを進めている内に、ちょっとした広場に出た。

 数本の木々が植えられ、ベンチがあり、自動販売機もある。

 普段のキャンパスでは、学生達の憩いの場として使われているのだろう。

 今は広場に居るのはオープンキャンパスで訪れた高校生や保護者の姿が多く、

 この大学の学生の姿は、ほんの少し紛れている程度。

 少女は広場の隅のベンチに腰を下ろした。話しながら歩くというのも落ち着かないし、何より歩みを進めた所で目指す場所もない。既にこの大学の様子を見るという目的は終わっていたから、電話の方に集中したかった。


「例の問題用紙はコピーですね?スキャンされた用紙の画像データに独特の掠れがありましたから」

『そうよ。元の用紙は今も、……の日まで厳重に……保管されているわ』

「……?入試の日まで、ですか」

『ええ』


 相手の声が時折篭って聴き辛くなる。電波状況の問題ではなく、電話の向こうの人物が言葉をはっきり口にしていないのだろう。内容的に後ろめたいからなのか。或いは、誰かに聞かれる危険性があるからなのか。


「それでどうするつもりですか?貴女が言った通りならば、何の収穫も無かったと。試験の日まで、もう少しありますけど……」

『わざわざ聞くことないでしょう、反省しているの。あのコピー用紙も処分したし、パソコン内のデータも。他のものもすぐに処分するわ』

「それで、無かったことに、と」

『……許しては、くれない?』


 少女の声色を伺うかのような、小さな問い。

 呆れたように溜息を吐いた。

 漸く情報流出者の実像が、見えてきたような気がして。

 少女のイメージとは違った。おそらく電話の向こうの人物は、地位や財力の無い女性職員といったところ。たまたま入試問題を見つけてしまい、其処から思いついたような安易な犯罪。ばれなければ大丈夫だ、と、自らに言い聞かせ、あわよくば小金でも手に入れようとしたのだろう。しかし少女に指摘されて一気に弱腰になり、警察に連絡されては拙いと、少女の電話番号を聞き出してきた。そして陳情でも得ようと思ったのだろうか。

 どの道、貪欲で醜い人間には変わらなかったけれど。


「私はどっちでもいいんですよ。例の証拠は手元にありますし、今更改竄も出来ません。貴女の手元にある情報は処分したと仰いましたけど、それが無いところで、警察の調査に大きく響くわけでもない。貴女の犯した罪の真実を暴くことくらい、警察なら簡単でしょう」

『……自首でも勧めるの?』

「さぁ。私はどっちでもいいんです……」


 少女に、警察に通報する気がないというのは、ずっと変わらない。

 変わるのは少女の好奇心だ。それが満たされれば後はどうでも良かった。

 この電話で大体の相手の姿は予想出来ていた。

 ――つまらない犯罪だ、と。

 少女が小さく息を吐いた、すぐ後のことだった。


「おーい!」

『――おーい!』


 第三者の声。

 聞こえた場所は二つ。

 今少女が居る、大学の広場。

 そして電話の、向こう側。


「――……」


 ゆらりと、少女の瞳が広場に居る人々を捕らえる。


『教授が――のレポートの件で、――今週末に――を提出――』


 電話の向こうから断片的に聞こえる第三者の声。

 少しの間の後、プツリと通話が途切れた。

 そして少女の視線の先には、

 ベンチに座った若い女。眼鏡を掛けた何処か理知的な風貌。

 そして彼女に話しかける男。

 両者とも、この大学の学生のようだ。

 女の手には畳まれた携帯電話。

 男は一方的に女に何かを話しかけ、やがて手を上げて去っていく。

 ベンチに一人取り残された女。携帯電話を見つめ冷たい表情を浮かべた。

 歩み寄る少女。気配に気づいて女が顔を上げる。

 一陣の風が吹き抜けた。


「……もしかして電話の?こんなに近くに居るとは思いませんでした」

「貴女は、まさか」


 焦りの滲んだ声で、女が見たのは少女が手にした携帯電話。

 少女はそれをぱちりと開いて、着信履歴を表示する。

 照らし合わせる必要もないだろう。

 少女の携帯電話に残った番号非通知の着信履歴。

 女の携帯電話に残った、非通知での発信履歴。


「私は、ついさっきまで貴女と電話をしていた」

「どうして、此処に」

「なんとなく?貴女が売り捌いていた情報元の大学が、どんな所か知りたかったから」

「……そう」


 女は小さな相槌の後、すっと視線を落とした。

 切れ長な瞳に灯った冷たさに、少女は、気付かない。

 互いを牽制するかのように、黙したまま。

 一つ強い風が吹けば、ざぁ、と木々が揺れる音がする。

 かつん。地を打った音、少女が目を向ければ、女の携帯電話が転がっていた。

 女はベンチから腰を上げ、落ちた携帯電話を拾う。

 その手が震えていることに気づいた者は居なかった。


「此処じゃ落ち着かないでしょう。……改めて、静かに話が出来る場所へ」


 弱く湛えた笑み。少女の肩に添えられた手。

 少女は不思議に思った。焦っているはずなのに、まだ弁明があるのかと。

 一度は消えかけたはずの情報流出者への好奇心が再び強くなっていた。

 この、綺麗で賢そうな女性が――何故。


「……はい。詳しく、伺って良いのなら」


 少女は女に促されるままに、大学のキャンパスを後にした。





 その日より、少女は消息を絶った。

 家族の無い少女を心配する者など皆無。

 突如消え去った少女の残滓は僅か。


 女には金が必要だった。

 手を汚さないこともまた、女の計画の一つ。

 しかし計画とは思わぬ所で綻びを見せるもの。


 人を消す心算などなかったのに。

 綻び 罪を重ね 繰り返し 繰り返し―――



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