昔々の、お話です。
あるところに、魔王がいました。
魔王は、とある人間の国と約束をしました。
それは、自分達の国を守ることと引き換えに、自分達の国に突然現れた人間の娘を差し出すというものでした。
その娘は、「聖女」と呼ばれていました。
* * *
人間とは無情なものだ。
瞬きをしている間に何故か違う場所へ移り変わっていた景色を呆然と眺めている私に、「聖女が現れた」と周りの人達から騒がれていた時期が懐かしい。
聖女とは名ばかりで、有り得ないことに魔法という存在が当たり前に実在するここでは、魔法を使えない私はただのお荷物になっていった。
状況が一変したのが、つい先日。
隣の国にいる魔王にこの国の王様がとある条約を結んだことがきっかけだそうで。
なんでも、自分の国にいる聖女を差し出すから、不可侵条約を結んでほしいというものだとか。
はい、私、何も聞いておりませんが。
ということで、私は今、馬車に揺られ隣の国へ向かっている。
吐き気の波と戦って数時間。やっとそれらしきお城が見えてきた。
ここまでの景色は元いた国と変わらなかったのに、何故かお城だけおどろおどろしい雰囲気を放っている。
馬車から降り、城から出てきた執事のような男の人に連れられ辿り着いたのは、謁見の間のような、仰々しい場所だった。
玉座には人が座っており、頬杖をついている。
こちらを見下ろすように視線を向けているのは、綺麗な顔をした、若い男の人だった。
「私はハーゲストだ。お前は、何という名だ。聖女」
私はぽかりと口を開け、随分間があいた後、答えた。
「真理亜」
「マリアか。いい名だ」
ハーゲストは、決して爽やかとは言えない、にやりとした笑みで、私を出迎えた。
* * *
聖女は、悪いことばかりする魔王の心を入れかえようと頑張りました。
けれど、魔王は聖女が叱る度、笑ってまた悪いことをするのです。
聖女は、どうすればよいか分からず、困ってしまいました。
* * *
ハーゲストは、物静かな人だった。
魔王だというからどんな傍若無人な人だろうとびくびくしていた私が馬鹿みたいに、ハーゲストは何もしてこなかった。
むしろ、私が話しかけなければ会話もせず、とても無口な人なのだと認識を改めた。
それでも、私が話しかけると、必ず答えてくれて、私が怪我をしそうになると然り気無く助けてくれたりと、私を邪険にしている様子は見られない。
いつしか私は、どうやったらハーゲストと仲良くなれるのかということばかり考えていた。
私がいつものようにハーゲストのことで頭を悩ませて歩いていると、死角から誰かが飛び出てきて、ぶつかった私は水を頭から被ってしまった。
慌てて謝ってきたのは、まだ就いたばかりのような、年若いメイドだった。
「申し訳ありません! す、すぐに、すぐに替えのものを持って参りますので、どうか、どうかクビにだけは……!」
「落ち着いて。私はそんなつもりもないし、そんな権限もないわ。むしろ、爆発しそうだった頭を冷ましてくれてありがとう」
私の言葉に、泣きそうだったメイドはほっと笑顔を見せ、風呂へと誘った。
「本当に申し訳ありません。私に出来ることでしたら何でも言い付けて下さいませ」
「え、うーん。別にいいんだけどなあ。あ! それなら、どうやったらハーゲストと仲良く出来るか一緒に考えてくれない? あの人、なかなか頑固で、匙を投げちゃいそうだったんだから」
くすりと笑う私に、メイドもつられて、「それではハーゲスト様に隠れて密会ですね」とクスクス笑いだした。
「ねえ、名前を教えて」
「はい。私はハーネと申します」
これが、後の親友となるハーネとの、出逢いだった。
ハーネとの密会が何度か繰り返されたある日、私が元いた国に魔物が現れたという知らせが届き、ハーゲストが討伐を請け負うことになった。
魔王であるハーゲストが魔物を討伐するなんておかしな話だと思いながら、ハーゲストと共に馬車へと乗り込む。ハーゲストは私が着いていくことを良くは思っていない様子だったけれど、何もせず城にいるのはつまらないのだ。
隣からの不機嫌なオーラを感じつつ、再びあの地へと向かう。
馬車が止まったのは町の入口で、賑いをみせているはずの市場は兵隊のような人達で埋め尽くされていた。
ハーゲストはその人達を掻き分け、中央へと進んでいった。
そこには、こちらを威嚇する三つ頭の犬がおり、確かに魔物であるのことが分かる。
けれど、魔物は私の膝まであるかどうかの大きさで、こんな小さな獣にこれだけの兵隊が怯えているというのは、とても滑稽に思えた。
隣を見るとハーゲストも同じ思いだったのか、小さく溜息を吐いている。
それでも、やらなければならないことは変わらないので剣に手を伸ばす。
私は、ハーゲストに待ったをかけた。
* * *
ある時、国にそれは恐ろしい魔物が襲い掛かりました。
けれど、聖女が1つ声をかけると、魔物はたちまち静まり、それを見た魔王は聖女に恐れをなしました。
それ以来、魔王は聖女の言うことを聞くようになりました。
* * *
私が目線を合わせて笑顔を見せると、犬の魔物は恐々ながらも私にすり寄った。
やっぱりそうだと一人で納得しながら、目を見張るハーゲストに得意気にタネ明かしをした。
「この子、きっと怯えていただけよ。こんなに怖い人達に囲まれたら、威嚇せざるを得ないでしょう?」
ぐるりと周囲を見渡して驚いている兵隊の人達にも聞かせてやる。
所々で、構えていた剣をおろす音が聞こえた。
「よし、あなたは今日から私のペットよ!そうね、名前は……エヴィ! カッコいいでしょう?」
周りの唖然とした空気を感じながら、私はエヴィに、よろしくねと頬を擦り付けた。
城へ帰る道中、馬車の中で私はエヴィを抱えながら、ちらちらと隣に視線を送っていた。
ずっと黙りなハーゲストに、流石に勝手なことをしすぎたかと内心びくびくと怯えていたからだ。
そろそろ城へ着くだろうという頃、隣からのふっと吹き出す音が聞こえ、そちらを見ればそこには肩を震わせて笑っているハーゲストがいた。
何があったのかとキョロキョロと周りを気にしていた私に、涙を浮かべたハーゲストが笑いながら呟く。
「マリアは、面白いな」
怒られるよりも呆れられるよりも恥ずかしい気がして、かっと顔に熱が集まった。
俯く私に、エヴィは心配するようにそのざらついた舌で頬を舐めた。
エヴィは私の一番の理解者になった。
私が笑っていれば嬉しそうに吠え、怒っていれば唸り声をあげ、泣いていれば心配したように身体を寄り添わせた。
そして、ハーゲストと私は、近い距離で接することが多くなり、言葉には出さなかったけれど、想いが通じあっていると二人とも分かっていた。
分からないこと、知らないことを教えてもらい、私も自分の世界のことを話したりして、より深く関わっていった。
私が一番助かっているのは、魔法が使えるようになったということだ。私は魔法が使えないのだと、元いた国、グラッジョを追い出されたのだから、どれくらい私がハーゲストに感謝しているかは容易に想像がつくだろう。
けれど、私は理解していなかった。
私が魔法を使えるということの、恐ろしさを。
* * *
けれど、それも長くは続きませんでした。
魔王は聖女に屈することを恐れ、聖女を倒そうと暴れ始めたのです。
聖女は心優しい方でしたから、魔王を倒すことを躊躇っている間に、魔王に捕まってしまいました。
聖女は、命の危機に晒されてしまったのです。
* * *
「ハーゲスト! やっと私もハーゲストと同じくらいの技を使えるようになったわ! 凄いでしょ! ……ハーゲスト?」
喜びに部屋へ飛び込んだ私を待っていたのは、ハーゲストの絶望の表情だった。
私は、分かっていなかった。
ハーゲストと同じ技を使えるということ。それはつまり、世界を滅ぼす力を持ってしまったということ。
ハーゲストは私に、この国のことを教えてくれた。
この国はディアボロといい、魔力の高い者が生まれやすい地域だと。だから、魔の国と呼ばれると。
ハーゲストが魔王と呼ばれるのも、そのせいだった。
ディアボロは、魔力の高いだけの何もしていないハーゲストを恐れ、私を引き渡したのだ。
なんと愚かで、なんと滑稽。
それでも、私はグラッジョに感謝している。
そうでなければ、私はハーゲストに出逢わなかったのだから。
そうでなければ、この子も、存在することはなかったのだから。
私はそっと、お腹に手を当てた。
私がハーゲストを想うにつれて、ハーゲストは私を避けていった。
原因は、分かっている。
私が、魔法を使いこなしすぎてしまったからだ。
いや、そもそも魔力が高いことがいけない。いや、私がここに来たから。でも、だけど、そんなの私のせいじゃないのに!
エヴィが私を慰めているのは理解しているのに、私はどうしても大丈夫と笑顔になることが出来ない。
参っている私に、ハーネは小さく話しかけた。
「……あの、マリア。大丈夫ですか?」
「……大丈夫に見える?」
「……すみません、見えません」
「はああ。どうやったら前みたいに話せるかしら」
項垂れる私に、ハーネは耳元に囁くように言った。
「あの、私、いい方法を思い付きました」
明日の昼、門の前に立っていて下さい。何とかしてハーゲスト様を連れてきます。二人で、町へ出掛けてみてはいかがですか。
そう言ったハーネの案に、私は迷うことなく飛び付いた。
エヴィは、私を心配そうに見上げていた。
次の日の朝、私は目一杯めかしこみ、そわそわとハーゲストが来るのを待っていた。
そこに、ディアボロの澄んだような綺麗さを好む習慣からは考えられない、きらびやかな馬車が止まる。この派手な外見は、まるで、グラッジョのような。
そう思っていた私に、馬車から降りた男の人が近付く。
「貴方は、」
「久しぶり、聖女さん」
にかりと笑ったその人は、グラッジョの勇者だった。
私は訳が分からないながらも、この状況はよくないとその場から逃げようと振り返った。
けれど、城に戻ろうとした私を遮ったのは、エヴィを掴んだハーネだった。
「ハーネ?」
「……ご免なさい、許してください。私には、グラッジョに恋人がいるのです。ハーゲスト様を想うマリアなら分かってくれますよね? 私は、恋人を失いたくないのです……!」
ハーネのその手に握られたナイフは、エヴィに突きつけられている。
エヴィは魔物といえど子どもだ。若い女性のハーネにですら、敵うことはないだろう。
ああ、そうか。私は、ハーネに裏切られたのか。
脱力する私に、勇者が笑いかける。
「あんた、魔法が使えるようになったんだってな。その力、グラッジョに使ってくれるよな? グラッジョは、あんたを保護したんだから」
保護だと?
私を聖女だと呼びながら少ない食事で繋ぎ止め、録に外にも出さず、厄介者扱いしていたお前らが、何を言っているんだ!
ここに来て初めてだった。
名前を、聞かれたのは。
ああ、この人は、私を人間として扱ってくれる。そう思った。
けれど、それももう終わり。
「……分かったわ。だけど、明日、また迎えに来て。明日には必ず、グラッジョに行くから」
「ああ、分かった」
少しだけ、あの人との時間を。
「ハーゲスト」
私がそう呼ぶと、ハーゲストはふいっとそっぽを向いてどこかへ行こうとした。
私はそれを手を引いて引き留める。
「待って!お願い、避けたいのは分かるけど、少しだけ。少しだけ付き合って。前みたいに、お昼寝でもしましょう……?」
私の必死な姿が意外だったのか、ハーゲストは小さく頷いた。
その日はハーゲストが避ける前のように二人きりで過ごし、二人で夜を明かした。
次の日の朝、ハーゲストは私を抱き締めてこう言った。
「すまない。私は、愚か者だ」
私は、静かに涙を流した。
ハーゲストは私が外へ行くというと、無言で隣へ並んだ。
少し昔のことのようで、思わず笑みが溢れる。
私は門の前にいるグラッジョの馬車に近付き、ハーゲストに告げた。
「私、貴方が好きじゃなくなっちゃった。私はこの人と、生きていくわ。お腹に赤ちゃんもいるの。貴方も、どうか元気で」
突然の別れにハーゲストは驚き声をあげたが、私は一言告げ、構わず馬車に乗り込んだ。
「…………ぅっ、く、う、あああ、あ、あああああああああああああああああああああああ!!」
愛していた。愛していた。
愛していたからこそ、気付いてしまった。
貴方は、私に怯えていたことを。
愛してるだなんて、嘘つき。
最後の時間を思いだし、私は泣き叫んだ。
私は読書をしていた。
ここまでのあらすじは、王子と市井の娘が恋に落ち、家族からの反対を受けた二人。
二人が結ばれるために、駆け落ちをしようと王子が熱心に娘を説得している、というものだ。
だが、娘はなかなか頷かない。
普通ならば、どうして頷かないのだろうとやきもきするところだろう。
けれど、私は、納得してしまう。
何故なら、私は娘の気持ちが分かるからだ。
身分の差のある二人には、身分相応の相手が相応しい。
王子には、幸せになるための相応の相手がいるはずだから。
私とは、結ばれてはならないのだ。
読書をする私の膝の上で気持ち良さそうに寝ている貴方にこんな気持ちを話したならば、きっと貴方は怒るでしょう。
思わず、クスリと笑みが溢れる。
もう、目の前まで私たちを引き離す為の準備が出来ているというのに。
* * *
どうか助けてほしいと訴える聖女に、勇者は心を動かされ聖女を魔王城から救いだすことに決めました。
勇者は勇敢にも魔王に立ち向かい、聖女を取り戻すことが出来たのです。
* * *
捕まった私に、貴方は「愛してる」と叫んだ。
私は、笑みを象ったままだった口を開き、静かに息を吸った。
「嘘つき」
その時の貴方の顔が忘れられない。
驚愕、絶望、悲しみ。
その中に含まれた、安堵を。
私は一生忘れることはないでしょう。そう、死ぬまで。
グラッジョで過ごす日々は、単調なつまらないものだった。
起きて、用意された御飯を食べ、部屋で何もせず過ごし、最低限清潔にし、寝て、また起きる。
その日々で考えているのは、ハーゲストのことばかりだ。
けれど、貴方は、きっと私を忘れる。
いや、絶対に忘れる。
だって、私が魔法をかけるのだから。
私がかける魔法は3つ。
ディアボロに反逆者など出ないように、何があってもグラッジョを愛する魔法を。
私という存在が国を混乱に陥れない為に、皆の記憶から私を忘却させる魔法を。
最後に、ディアボロを滅ぼさない為に、ハーゲストとハーネに不老の魔法を。
全て、ディアボロと貴方の為に。
* * *
助けてくれたお礼だといい、聖女は魔法を使いました。
魔王の国を滅ぼす、とても強い魔法を。
* * *
子どもが産まれた。
私とハーゲストの子。
さらりとしたこの紺の髪は、きっとハーゲストから受け継いだのだろう。
黒い瞳を見つめながら、私は子どもに微笑む。
愛しい、我が子。
子どもがぐんぐんと大きくなり、働き、妻ができ、子どもが出来るのはあっという間だった。
私は、もうすぐ天へと召されるだろう。
もしかしたら元の世界へ帰れるのかもしれないが、もう私はここで人生を終わらせたいと思う。
それほどの期間を、ここで過ごしてしまった。
孫に見つめられ、けれどもやはり最後に思い出すのはハーゲストのこと。
「ハー…ゲスト…」
「うん、うん。お婆ちゃん、いつも話してるあの人だよね。大好きだったんだよね」
そう。大好きだった。
私のハーゲスト。
私は忘れない。
私が死ねば、かけた魔法は解けるでしょう。
そうすれば、何もかもが終わる。
私を失った悲しみでハーゲストの暴走が始まり、盲目的に造り上げられた国は滅び、ハーゲストは命尽きるでしょう。
『全て、ディアボロとハーゲストの為に』?
私は口角が上がるのを感じていた。
孫はその笑みに安心した表情を見せる。
ああ、そうだった。
ハーネ。親友の貴女には、特別にかけていない魔法があった。
全てを知り、どうすれば解放されるのかも知りながら、けれどもどうすることもできない。
そうなるよう、特別に。ほら、親友だから。
愛しのハーゲスト。貴方は、苦しめた?
苦しんで貰わなければ、魔法をかけた意味がない。
私を忘れるなんて、許さない。
私が死んで尚、私を想って、苦しめばいい。
この、嘘つきが。
「ハーゲスト……」
憎らしい、愛しのハーゲスト。
私は目を閉じて、穏やかに眠りについた。
* * *
聖女は、魔法を使って国を守り、魔王を静めたのでした。
こうして、世界は平和になりました。