9.『傷痕』
舞たちを追跡していた掃火の部隊の目の前に、氷煉は突然姿を現した。
「なっ」
驚き飛びすさる掃火たちに、氷煉はのんきな表情で挨拶する。
「やあ、君たちがゆっくりしてたから、僕のほうから来て見たよ」
まるで友人と言葉を交わすような挨拶。
しかし、掃火たちのほうは、当たり前だが和んだ表情などになるわけがない。隊長は油断無く刀を構えながら、しかめっ面で言葉を吐く。
「ふん、何でもお見通しというわけか」
氷煉たちが民家のある場所にいたことから、その間に距離をつめ、人のいない場所に来たときに奇襲して一気に決着をつける予定だった。そのために符術で気配や姿を消しながら移動したのだが、この様子ではすでに大分前からばれていたようである。
いったいどれほどの力を持った火楽なのか、隊長は計りかねていた。力の片鱗は端はしに見せるのだが、真剣な戦闘を行っていない分不気味だった。
「なら京也を先に行かせたのもわざとということか」
京也は部隊から先行して動いていた。そしてそのまま気づかずに行ってしまったようだ。
氷煉の出現で、分断されたことになる。
氷煉はその言葉にうなずいた。
「彼だけは先に行ってもらったよ。僕の舞があの少年に用があるみたいだからね」
「舞は!あんたのものなんかじゃない!」
氷煉の言葉に頭に血を上らせた千香が、符術を発動させ飛び掛る。
「千香!」
隊長が静止の声をかけるが、止まらなかった。紫電をまとった一撃が、氷煉へと降り注ぐ。紫電は氷煉のいた場所をつらぬき、バチバチと電撃の嵐を発生させる。
「やった!?」
今度は術をかき消されることはなかった。千香のもっとも得意とする術。直撃すれば、いくら強力な火楽とはいえ無事にすまないはずである。
「そうはいってもね。今の舞は、僕の火車なんだよ」
しかし、嵐がおさまったあと現れた氷煉の姿には、傷ひとつしかなかった。
あまりにも異常すぎる防御力。自分たちがかつて見たこともないほど強力な火楽なのか、それとも何かの方法で攻撃を防御していたのか、掃火たちは信じられないものを見る表情で氷煉を見た。
「くっ」
舞は一瞬、驚いた表情を見せたが、すぐに気を取り直し次の術を発動させる。
「あんたが舞を殺したくせにぬけぬけと!これならどうだ!」
千香は氷煉こそが舞をころした火楽だと思っていた。一瞬で転移術を使い、掃火の攻撃を喰らっても傷ひとつ無い。甲級掃火15人の集団を殺し、琳世を避ける。そんな火楽が二人といるはずがなかった。
鉄製のクナイを、電気で加速させ十数本打ち出す。
「舞を殺したのは僕じゃないよ」
それを氷煉は、あっさりと右手を払うだけで打ち落とした。
「でたらめを!」
「やれやれ人のせいにされても困るんだけどね」
氷煉を舞を殺した火楽と信じきっている千香の態度に、氷煉は頭を掻きため息をつく。それから、何かを感知したように目をつむり、今度はさらに深いため息を吐いた。
「あの少年もちょっと話が通じる状態じゃないみたいだね。悪いけど舞が傷ついたら困るから、退散させてもらうよ」
「ま、待ちなさい!」
千香の制止する声よりもはやく、氷煉は転移術で姿を消し去っていた。
***
舞は言われた通り、その場で氷煉を待っていた。
この数日、氷煉はずっと一緒にいてくれた。なので隣からいなくなって見ると、割かし心細いものである。
がさっと茂みから音がした。
「氷煉さま!?」
思わず喜色の表情で振り向いた舞は、そのまま表情を驚きで固まらせた。
「京…ちゃん…?」
目の前に現れたのは、幼なじみである京也の姿だった。京也のほうも驚いた顔をして舞を見ていた。氷煉と舞の気配に、忍んで近づくつもりだった。しかし二人の気配が突然、消えたように感じたのだ。慌てて気配を消すのをやめて追いかけたら、これである。あの氷煉が何かをしかけたに違いない…。
そしてもうひとつ驚いたことに、この場所に舞はひとりで立っていた。
「あいつは…、どうしたんだ」
まわりの気配をさぐっても、舞を火車とした火楽の気配は見つからなかった。
「氷煉さまは、どこかに用事ができたみたいで」
京也は舞の火車を葬ると覚悟した。しかし、実際に考えていたのは氷煉を倒すことだった。氷煉を倒せば、その火車である舞もいずれ動きを止める。
舞とふたりっきりで接触するなんて想定外の事態だった。
結局、舞の火車に斬りかかると考えることを避けていたのだ。覚悟なんてできていなかった。
ふたりとも固まった表情のまま、しばし見詰め合った。
しかしやがて京也は、その表情を無理やりにでも、真剣な鋭い表情へと変えていく。
「そうか…。なら、都合がいい。お前を倒せばあいつを倒さなくても、あいつの呪いから舞の体を開放してやれる」
しかし、その表情はずっと歪んだままだった。ためらいと戸惑いを含んだまま。
それでも京也は剣を構えた。
抜き放たれた刀に、舞の体がびくりと震えた。
「ま、待って!」
後ずさりながら、必死に京也へと話す。
「わたし京ちゃんに伝えなきゃいけないことがあるの。でも、それが何か思い出せないの。だから、だから時間が欲しいの。お願い!」
構えられた刀に怯えながらも、京也に懇願する舞の表情。それは生きていていたときに見ていた舞の表情とまったく同じだった。
京也の顔が苦痛に歪んだ。だが、同時にその胸の痛みは京也の覚悟を後押ししていた。
「お前が少しでも舞の意識を宿しているのなら、その状態がどれだけ許されないものかわかっているのだろう」
京也の言葉に、舞の表情が悲しく歪む。
掃火の人間が、火楽の火車になるなどあってはならないこと。立派な掃火になりたかった舞は、それがどれほどの罪かわかっていた。
「お願い、京ちゃん。時間をちょうだい」
それでも必死に懇願する。ここで京也に討たれれば、伝えたいことも、忘れた記憶も、すべてが無のままになってしまう。
「大人しくしていろ。そうすれば、楽に逝かせてやれる」
しかし、その懇願が届くことはなかった。
生きていたころは、京也はいつだって舞の願いに耳を傾けてくれた。こんな風に怖い目で睨まれ、乱暴に扱われることなんてなかった。
(今の私は、火車だから…)
火車となった自分は、そんな京也の暖かい優しさを受けることはもう叶わないのだ。
わかっていた。それでも、京也の態度が、届かない言葉が、悲しかった。
「お願い…。京ちゃん、お願い…」
弱い自分には、京也の一撃をよける術も、この状況を打破できる力もない。ただ必死に、京也に想いが届くことを願うしかない。
なんで自分は無力なんだろう。何故、大切なことを思い出すこともできないのだろう。
それでも涙声になりながら、声を上ずらせながら、刀をもってゆっくりと近づいてくる京也に、火車たる自分の願いを伝え続けるしかなかった。
「終わりだ!」
ついに覚悟を決めた京也が、刀を振り上げるのが見えた。
「待っ…」
白銀の刃が舞の頭上から振り下ろされようとしているのが、まるでデジャヴュのように見えた。
(もう駄目なのかな…)
(どうしてこうなってしまったんだろう…)
― 一緒にいたいなんて願ったことがいけなかったのかな―
突如、舞の胸のうちから、身を震わすような恐怖がせりあがってきた。
「いやああああああああああああああああ」
「なっ」
京也の刀の行く先を茫然と見ていた舞の表情が、恐怖へと歪んだ。
それに京也の手元が狂った。涙と恐怖で歪んだ舞の顔が、京也の腕にブレーキをかけた。
振り下ろされた刀は、舞の着物だけを斬って地面へとぶつかった。
「くっ」
あせったように顔をあげた京也の目に、驚く光景が飛び込んできた。斬られた着物は縦に裂け、舞の白い肌をさらけ出していた。
そしてそこに見えたのは、白い胸に斜めに走る真っ赤な大きな傷。肩口から腹までを斜めに裂くようにつくその傷は、縫合された今ですらどれほど深く舞の体を切り裂き、死に至らしめたのか伝えていた。
舞の死痕。
「それは…」
それを見た京也は、目を見開き、完全に動きを止めてしまった。
京也のかすれた呟きに、恐怖に目をつぶっていた舞は目を開けた。涙でぼやけた視界で状況を見ると、京也の視線が一点に集中してることに気づいた。
「あっ」
着物が切り裂かれはだけていることに気づいて、あわてて着物の両側を寄せ晒された肌を隠す。
恥ずかしいというより、自らの傷ついた肌を好きな人に晒したくなかった。舞の胸の傷が隠されても、なお京也は同じ場所を茫然と見つめたまま動かなかった。
「京ちゃん…?」
その異様な様子に心配になった舞は、切りかかられたばかりだというのに京也に触れようと手をのばしてしまう。しかし、その手は意識を取り戻した京也の手にふりはらわられた。
「きゃあっ」
思わずバランスを崩し倒れかけた舞の体は、地面に触れる前に誰かに支えられた。
「やれやれ、何度も言ってるけど、あんまり乱暴に扱わないで欲しいね」
「氷煉さまっ」
いつのまにか現れた氷煉が、後ろから舞の体を支えていた。
「舞が望んでないなら、はやくここから連れ去ってしまいたい気分だよ」
京也は現れた氷煉に驚きの表情を出すことは無く、どこか必死な表情で問いかけた。
「貴様、どこまで知っている!」
何をとは言わない、京也の氷煉を糾するような問いかけ。
「僕は何もしらないよ。君たちが何をしようともね。舞が願っていること。それだけが、僕にとって大切なことさ」
京也の質問の意図を理解したのか、しなかったのか。氷煉は少し冷たい表情をしてそれだけ答えた。
そして動き出そうとしない京也を一瞥したあと、舞を抱き上げ転移術を発動させた。
「さて、僕はもう行かせてもらうよ。君が破った着物を、舞に新調してあげないといけないしね」
「くっ、逃げるな!質問に答えろ!」
氷煉が京也の静止に従うことは無く、心配そうに自分を見つめる舞と共に、氷煉の姿はまた消え去っていった。