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【ストイック一寸法師】

【ストイック一寸法師】


住みなれし

難波の浦を

立ち出でて

都へ急ぐ

わが心かな


大岡信「おとぎ草紙」より「一寸法師」 岩波少年文庫 2006年



「難波の浦」を軽く調べれば

大川(旧淀川)が

大阪湾に流れ込むあたり

ということは分かる。


大川は大阪城公園のあたりで

中之島に

くさびを打ち込まれるようにして

南に土佐堀川と

北に堂島川とに分かれ、

再び合流すると

安治川と名を変えて

西へ大阪湾へと流れ込んでいく。


その中之島と堂島浜を結ぶ人道橋の上から

土佐堀川を

東の上流に向かって見つめる

男が一人いる。


名を打出小次郎(うちでこじろう)という。

この物語で

マイナスからのスタートをする男である。


いかにマイナスなるかを簡単に記すなら

彼は浪人生であり

この度の模擬試験の結果が

惨憺たるものであった。


色褪せた安物のデニムからも、

皺の多い黒Tシャツの上から羽織った

ターコイズブルーのネルシャツからも、

覇気のなく

絶望的に陰鬱に淀んだ眼差しからも、

今や小次郎が

人生の川底にて

一筋の光明も見いだせず、

ただ無為に時間を空費していることが

嫌というほど

目をそむけたくなるほど

察せられる。


橋の名は錦橋といい、

人道橋であるので

歩行者のみが贅沢に通行する。


橋の中程には

花壇のようなオブジェが

縦に途切れながら

貫くように配置されており、

その花壇の縁に

小次郎は腰を下ろし、

中之島のフェスティバルホールを左に見上げては

憎々し気に舌打ちを放ち、

土佐堀通の右手奥に見える三井住友銀行大阪本店の

大正時代からなる荘厳な建築美を

忌々し気に睨んだ。


そして眼下を流れる土佐堀川の

緑に濁った川面に向かい

大きなため息をついた。


蒸し暑い大阪の夏の盛り、

塗りこめたような晴天に

セミの声だけが吸い込まれ消えていく。

画角だけを切り取れば

青春ライトノベルの表紙のような爽やかさであるのに、

小次郎の周囲だけが

瘴気のように灰色にくすみ

淀んでいた。


その身の丈は

平均的より少し低いくらいで

百六十センチほどであり

約三センチ(一寸)の化け物

というほど気味悪くはない。


見た目も

可もなく不可もないという

範囲に収まっており

高校時代にでも

センスの良い服装を選び

美容院に行き

体を鍛えれば

十人並みの器量と

リアル充実を手に入れられたかもしれないのだが、

小次郎の少なくはない欠点の中でも

最大最悪のものを挙げるならば

それは無気力である。


それも気弱とか

引っ込み思案とか

自己評価が低め

などというレベルではなく、

神経衰弱とでも言えそうなほど

日常に支障をきたし始めている。


どれだけ心を込めて励まし

叱咤し

サポートしても

まるで手ごたえなく

虚ろな目で

何を考えているのか分からない小次郎に対し

愛情深かった両親も

ついに匙を投げ

扶養義務を放り出した。


高校現役での大学受験に

なすすべなく全敗した折、

一年間の浪人生活を認めるが

その条件として

兵庫県の片田舎の実家からではなく

大阪の都会に一人暮らしして

予備校に通うよう

通達されたのである。


難波地区のはずれの安アパートで

新生活を始めたころは

両親からの干渉もなく

経済的なサポートも享受し

小次郎の灰色人生では

珍しいくらいの悦びだったが

それも束の間、

まるで勉強しない自分と

下がり続けていく成績とともに

彼の絶望は

日を増すごとに

べらぼうな痛切さをもって迫っていた。

こと今回の夏の模試の結果は

軒並みE判定(合格可能性二十パーセント以下)であり

当たり前だが

両親にも報告しなければならないのだから

彼の抱える悲哀は推し量られよう。


浪人生は模試の結果がすべてなのである。


「こんなはずじゃなかった……」


そう小次郎はつぶやいた。

他人がはた目から見れば

「浪人生なんだから一生懸命に勉強すればいいだけの話ではないか」

と至極真っ当な結論を

容易に導けるだろうが

小次郎本人にとっては違う。


彼は他責思考の持ち主である。

自分が悪いんじゃないという思いに

逃げ込んでいる。


責任の転嫁先は

主にゲームや

ネット動画サービスであり、

それらが自分から不当に

時間やモチベーションを搾取しているという

被害者意識もある。


「ゲームやユーチューブをやめれば、そしてテレビさえ消せば」と

毎日のように呪っている。

あるいは、

自分のやる気を鼓舞してくれる可愛い彼女さえいれば

俺は何でもやれるはず、

とも空想している。

言うまでもないことであるが

小次郎は生まれてから今まで

彼女などいたことはないし

ロクに女子と口を利いた事すらない。


「俺は、本当は、何がしたかったんだろう……」


小次郎の濁った視線は

土佐堀川を流れてきた流木を

力なく捕らえすぐに解けた。

いよいよ彼の呪詛は

社会と時代へと注がれる。


今の日本に生きる若者の多くが

絶望を抱え、

その源をたどれば

「努力したところで、先が見えている」

という諦念であろう。

努力し続けないとふるい落とされるが、

しがみついてゴールに行けたからといって、

たかが知れている。


誰もが大谷翔平や藤井聡太には

なれないと分かっている。

それなのに

常に比較され

失敗作の扱いを受け続ける。


結局は自分の意志で

程ほどの幸せと

存在意義を選択しなければいけないのに

誰も指針を与えてくれない。


輝いている人生への道筋も

実際に輝くというロールモデルもなく

若者はただ

灰色の暗闇の中で俯き

肩を落とし

ため息をついているのである。


小次郎は子供の頃から

川が好きだった。

今も悲しいことがあると

こうして川面を

ぼんやりと見つめることが多い。

深夜に

スメタナの「モルダウの流れ(日本語作詞・野上彰版)」を

泣きながら

アカペラで

歌うこともあった。


海よりも山よりも

川である。

川の流れは

人生の象徴であり

克服すべき試練のメタファーであった。

流れに逆らい

どこまでも遡上していきたい、

そうすればいつの日にか

一人前の男になって

世に名を成す何者かになれる、

そう思っていた子供時代であった。


が、今や登竜門滝登りの志もどこへやら、

力試しをしたところで

結果は分かり切っているのだから、

もはや脱力し

この川の流れに身をまかせ

どこへなりとも流れていってしまいたいという

卑しく見すぼらしい人生の敗者としての

浪人生に身をやつしてしまった。


「浮上のキッカケさえあれば……」


本当なら

もっと輝いていたはずの自分。

明晰だった頭脳にモヤをかけ、

意欲を徹底的に低下させ、

救いようのない悲観的思考に

落としいれたのはだれか。


子供の頃の溌溂とした

感性と活力は

どこに行ってしまったのか。


結論から言えば

それらは何年にも渡って

毎日ティッシュにくるまれ

屑箱の中に行ってしまっていることになるのだが

小次郎本人は気付いていない。


単にその説を指摘されただけでは

絶対に受け入れないであろう。

小次郎は

自慰行為のやりすぎで

消耗しきって

ぼんやりうつろな目を

川上へと向ける。


完全に行き詰った人生を

劇的に変えてくれるような

何かが流れて来てくれないか、

などという

情けなさこの上ない願望に

すがりついていた。


果たして、

その「人生を劇的に変えてくれる何か」

は来たれり。


だが川を流れてくるのではない。

水面を跳ねてきたのである。

猛スピードで引っ張られる

バナナボートの船底が

水面にぶつかるたびに

高く跳ね上がるように、

前進する過程の大部分が

空を飛んでいるがごとしである。


しかもバナナボート部分だけが

単独で飛び跳ねながら

小次郎目掛けて

突っ込んでくる構図である。


「何だ?」


と小次郎

いかに無気力といえども

そこは十八歳の青年であるので

反応はそれなりに鋭敏であり

視力も悪くはない。

花壇の縁から腰を上げ

錦橋の欄干に手をかけ

身を乗り出した。


米俵くらいの円筒形の物体が

猛スピードで接近してくる。

しがみついている人影も見える。

体型を一目見るに

十歳くらいの子供のようである。

近づいてくるのに従い

鮮明に見えてくれば

米俵のようなものに見えた円筒は

実際に米俵であった。

暴れ馬のように、

暴走バイクのように

水面を爆走する米俵に

必死の形相でしがみついている子は

水泳用のゴーグルをかけている。

だいぶ近づいてきた。

子どもの体系と見たが

それにしては等身が低いというか

頭がでかい。

三頭身くらいにデフォルメされた

アニメキャラのようですらある。


いったい何者なのか、

どういう原理で水上を推進しているのか、

どこを目指しているのか、

などなど複数の疑問が

小次郎の曇った頭脳の内部で

渋滞を起こしている内に、

謎の米俵ライダーは

錦橋の下をくぐっていって

視界から消えた。


小次郎の下を通り過ぎる際の

最接近した映像では

和装のようであるが

過剰にきらびやかというか

古代中国や

七福神の挿絵のようなイメージであった。


事実、彼は大黒天であった。


小次郎は慌てて振り返り

錦橋の反対側の欄干から見えるであろう

不審者の後姿を捕らえようとしたが、

その目に飛び込んできたのは

天へと立ち上る水柱であった。


驚き見上げた小次郎の眼前に

上空から降ってくる影がある。

まさに米俵それも二個、

どすんどすんと立て続けに

橋の上に二つきれいに並んで設置された。

ぽかんとする小次郎、

二つ並んだ米俵、

その上にゆっくりと重力を無視するような

フワリとした速度で

まさに舞い降りる四頭身の人影。


『まかり出でたるは、このあたりのものでござる』


その声はやや甲高く、

性別不詳ではあるが

やや女の子寄りではないだろうか。

鷹揚な手つきで水泳ゴーグルを外すと

首を左に傾けて

頭をトントン叩き

耳に入った水を排出しようとしている。


「あっ……、ども……」


完全に思考停止した頭のままで

小次郎はあいまいな笑みで

会釈をした。


『木津の方から来ました、

 大黒(だいこく)さんです』


そう言いながら

右手に打出の小槌、

左は大きな袋、

福袋を肩に担ぎ、

米俵の上にちょんと座ったその姿を見れば

なるほど七福神の大黒天である。


『こなたは本に難波の浦であろうか?

 マジで都会のど真ん中ではないかいな』


古風な口調なのかと思ったが

何となく意味は分かるようなので

小次郎は少し落ち着きを取り戻し

「大黒天?」

と恐る恐る聞いた。


『初代の一寸法師の頃は

 そりゃド田舎であったによって、

 川を上りて京に入らば、

 その文字通り「お上りさん」の呼ばわりじゃ』


と大黒天は

小次郎の質問が聞こえていないかのうように続け、

小次郎は念のため

「一寸法師?」

と質問を重ねてみたが

返事には期待していなかった。


そして確かに

淀川をずっと遡っていけば

いずれ京都には着くと思うけど

JRの新快速の方がずっと速いよ

などと考えていた。


『さてもさても、打出の血筋のもの、そなたであるぞ』


急に大黒天は

ふくふくしたほっぺとは不釣り合いに

眉をきりりと釣り上げ

小次郎の目を見て

指さしてきたので

ぎょっとした小次郎は

もちろん思わず目を逸らす。


大黒天は米俵の上ですっくと立ちあがり、

ぴょんと上に軽く跳ね、

右左の脚で米俵を踏み鳴らし、

小次郎目掛けて

次の言葉を言い放った。


『オナニーやりすぎじゃ!』


能や狂言のような語り口と

古代中国の神さまのような服装の存在から

オナニーという単語が発せられたことに

小次郎は戦慄した。

それは急だったことと

共に

図星だったからである。


『わしの見立てによれば、

 そなたの人生がうまくいかぬのは

 オナニーしすぎのせいじゃ』


ゆっくりと言い聞かせるように重ねて来られても

小次郎はまともなリアクションを返せなかった。


『ゆうべもエロ動画を見漁って、ほとんど寝ておらんだろ』


指摘通り

確かに夕ご飯の半額弁当を食べた十九時から明け方まで

休憩も無しに

ぶっ続けでスマホの画面にかじりついていた。


『さほどに消耗し切っていては

 勉学など進まんのが道理じゃ』


確かに今日も予備校の授業内容は

何一つ頭に残っていなかった。

仮眠を取りにいったようなものである。


『無駄に放出されていった精子たちの

 無念を考えたことはないか?

 打出の血筋を絶やさぬために

 文字通り命を削って拵えた精子たちには

 そなたの生命維持に決定的に必要な

 たんぱく質やミネラルが

 かくも託されておったのじゃ。

 何としても子孫を残そうという乾坤一擲を

 なんと心得るか』


確かに精子を出しすぎると

体がだるいと感じることはあるが

小次郎はまだ十八歳であるし

精子たちの気持ちを慮るような

精神的な余裕は

予備校生となってからは皆無であった。


「まさか……、そんな……、

 オナニーは体に良いはずでは……」


小次郎は首を振りながら

呆然として呟いた。

だがゆっくりと確実に

大黒天の意見が腑に落ちてゆくのを

他人事のように感じてもいた。


『実際そうなっておらんだろう。

 程度によるわ。

 現実を見るのじゃ。

 体に良いものなら

 オナニーすればするほど元気になり

 集中力が増し

 勉学に身が入るはずじゃ』


ここに到りて

小次郎の無意識から

単純だが力強い仮設が

じわり沸き起こる。


「……オナニーをやめれば、人生を変えられる?」


先ほどまで川を見ながら

クソみたいな人生を

変えるきっかけが

どんなものでもいいから欲しいと

切に願っていた。

その一つの答えを

思いも寄らぬ角度から

提示された格好である。


だが小次郎の意識は

即座に否定した。

そんなことを認めてしまうわけには行かない。


オナニーは小次郎の全てであった。

オナニーをするために起きて

オナニーをするために寝ているのである。


大黒天は

右手に打出の小槌を握っていて

その人差し指だけ立てて

小次郎へと突きつけた。


『オナニーの頻度を減らせ。

 なにはなくともそこからじゃ』


オナニーを完全に止めろとでも言われるのではないかと

身構えていた小次郎は

少しだけ安堵した。

ゼロか百かの議論ではなく

回数の折衝ならば

まだ希望が持てた。


恐る恐る

「どれくらいに?」と聞けば

大黒天は答えて曰く

『週に一回でも多い』と。


小次郎は鼻で笑い


「話にならない。

 その週の残りの日は何をしてろってんです?」


と手を振ると

大黒天は


『勉強しろよ』


と小さく言った。


小次郎は


「完全にオナニーをしない日なんて考えられない。

 せめて一日十回のところを五回に減らすくらいなら分かるけど」


と食い下がるが


『その一日十回を

 四月から八月まで

 毎日やっておるじゃろ。

 死ぬぞお前』


と大黒天は取り合わない。


思わず小次郎は

「そんなことない」

と反論しようとしたが

コンテンツに課金するため

食費を削り

今日もパンの耳しか摂取していないことを思い起こし

口をつぐんだ。


『まずは一週間、

 それを目標にオナニーを控え、

 自身の肉体およびメンタルにいかなる変化が起こるか

 自分でモニタリングせよ』


大黒天が放ってきた

「おなきん一週間」という

あまりにも高い壁に

小次郎は目まいを起こし

脚をすくませ


「ムリムリムリ、

 ぜったい嫌。

 それこそ死んだ方がマシだし。

 そもそもこの俺が

 オナニーを我慢なんかできるはずがない」


とオナニーを我慢できないということについては

男小次郎、絶対の自信である。


大黒天は


『どうするかは各人次第ではあるがな。

 自分を変えたければ、おなきんを試してみるのも一案じゃろうて』


と軟化姿勢を見せると思いきや


『ただし、打出の者、そなたは別じゃ。

 そなたにわしの指令を拒む権、これなし』


ときつく言い切った。


大黒天の見下すような態度に

小次郎はつい防衛的になって

語気を強め

応える。


「ていうか誰なんすか?

 俺が死んだって関係なくないですか?

 ほっといたらええやないですか」


いつもはスカして標準語イントネーションで喋ろうとしている小次郎だが

感情が高ぶると関西の生まれが知れてしまう。

大黒天は平然と


『せやねん、せやねん』


と頷くのに小次郎が


「なんで俺にだけそんなこと言わはるんですか?

 他の奴も救ったってくださいよ」


と打ち出したのは

他の人のところに行ってくれれば

自分は言われなくて済むというような

ささやかな打開策であった。

アイデンティティを左右する問題であるから

小次郎は必死であった。


『さようさよう。

 所以(ゆえん)を告げるのを忘れておった。

 そなた自分が一寸法師の末流たること弁えておろうの』


もちろん小次郎は

両親からも祖父母からも

そんなことは聞いたことはなく


「初耳っすねえ。って言うか何言ってんすかアンタ」


と呆れた風で

虚勢を張った。


『そなたの人生などどうでもよいと放置していたが、

 どうやら大オニの奴めが復活を早め

 その配下が動き出したという情報があったのじゃ。

 一寸法師よ、

 退治して参れ』


つき離すように言い放たれて

小次郎は思考が停止した。

おなきんと

一寸法師という

一つだけでも持て余す題材を

同時に提示され

しかも大オニの登場である。


『せっかくの一寸の末裔が

 かようなオナニー依存症では困るし

 立ち行かぬ。

 普段はやらぬ荒療治、

 強制的に一寸法師とし

 元の体に戻るまでおなきんとす』


なんと二つの題材を同時にこなせと言う。

小次郎は思う。

冗談じゃない。

人生を変えるキッカケが

百歩譲っておなきんだったとしても

なんで俺がオニと闘わなくてはならないのか。

一寸法師になる必要も分からない。

確か一寸って三センチくらいじゃなかったか。

明らかに弱くなっているではないか。


『具体的には桃太郎、

 鬼退治にはやはり桃太郎が欠かせぬ。

 そなたには桃太郎の末裔の護衛を命ずる。

 桃太郎の封印が解けるまで

 彼の者を大オニの配下から守り、

 かつ封印を解く手助けをするのじゃ』


小次郎はすでに二~三歩ほど後ずさっていたが

桃太郎とか言い出したのを聞いて

いよいよ狂っていると断じ

この場を離れる決定をした。

もっと早く逃げればよかったのだ。


小次郎は

無言で大黒天に背を向けると

錦橋を

土佐堀通の大同生命大阪本社の方に

駆け出した。


『そう来るか。手荒なまねはしたくなかったが』


大黒天が左肩に担ぐは福袋、

その袋紐を緩めれば

中から飛び出すのは

朱塗りのお椀にお箸、

そして針である。


大黒天の霊験により

フワリフワリと宙を浮く

それらアーティファクトは

何も言われなくとも

小次郎の前へと回り込んだ。


「うひゃあ、何か飛んできた」

と小次郎は

蜂にでもたかられたように

顔を背け

目を閉じ

両手をパタパタさせて

威嚇してみたが

『一寸法師様の封印を解除します』

と無視するように

宙を飛ぶ針の方から

渋い男性の音声が聞こえた気がして

「へ?」と思った瞬間、

その銀色に煌めく針が

小次郎の眉間に打ち込まれた。


「てあらー!」


手荒なことはしたくないと聞こえてきたので

きっと手荒なことをされるのだろうという

予想はしていた小次郎であったが

こんな事態になるとは思ってもいなかった。


眉間に半ばまで差し込まれた針を

激痛のなか引き抜こうとするも

両手をお箸でそれぞれ払い除けられ、

勢いをつけ回転して突っ込んできたお椀によって

金づちで釘を木材に打ち込む要領で

針が完全に額に埋没するほどの

追い打ちを食らった。

大黒天はにんまりとした笑顔で

打出の小槌を掲げるや

発せられた稲光がビリビリと

小次郎に打ち込まれた針を目掛けて

落ちる様は落雷のようであった。


「うぎゃー!」


眉間から流れ込む

霊験の奔流を

全身に感じ

小次郎は自分の肉体を構成する細胞の一つ一つの

原子やら電子やらが

折りたたまれていくのを感じた。

体を確定する輪郭のラインが

光の線になり

等間隔で並んでいたライン同士が

折りたたんで

身長が縮んでいく。

その分パワーも凝縮していく。

チープな特撮もので怪人が巨大化していくものを

逆再生しているようでもある。


『元々の一寸法師の体型を遺伝子に封じ込めていたものじゃ。

 存外うまくいったわい』


一気に一寸、

三センチほどまで縮んでいった小次郎を見て

大黒天は満足そうに笑った。


どうやら一寸法師への変化は無事に完了したようで、

眉間に刺さっていたはずの針も

お椀やお箸と共に

満足そうに漂っている。

小次郎は視線を落として

自分の肉体の変わりようを確認し

自分の目を疑った。


鏡が無いので全体的な頭身はまだ分からないが

手足の短さや

首に感じるバランスの悪さからして

おそらく三頭身くらいであろう。


頭がデカすぎる。

両手を顔の前に持ってこようとしても届かない。

ふくふくとしたほっぺに当たるまでが限界である。


すでに和服姿である。

白い道着に黒袴、

丁寧に超ミニサイズの雪駄も履かされていた。

これは遺伝子云々では説明がつかぬものだろう。


小次郎は

袴を焦り切った手つきでまくり上げ

自らの股間を真っ先にチェックした。

袴など履いたこともないものの

委細構わず

右足の裾を股間の限界までまくり上げ

そこに見たものに驚愕した。


赤ちゃんのような

白いもちもちの肌に

可愛らしい白い突起が

ぽこちんとばかりに慎ましく鎮座している。

それは本当に単なる突起であった。


指でつまむも

その手応えは

ピザ生地やうどん生地のように

しっとりぷにぷにの耳たぶくらいの柔らかさで

先端は穴すら開いておらず

いかにも単に「性別は男の子です」という事実を表すだけの

記号としての突起であった。


半ば絶望しながらも

小次郎はそのキッズちんちんを

揉んだり

しごいたり

つねったりするも

何の性感も湧かない。

大黒天からの

『天下の往来でちんちん弄ぶな』

との声も届かぬ小次郎は

膝から崩れ落ち

やがて大声で泣きわめきながら

錦橋の上を転がった。


喚きに喚いた。

頭が大きすぎるので

円錐形のブロックを転がしたように

上から見ると円を描くようであった。


「戻せー!

 今すぐ元の体に戻してくれー!

 俺が何をしたって言うんだー!」


橋の上でのたうち回りながら

絶叫し続ける小次郎であったが

その悲鳴は

マスコットキャラが発するかのような

甲高いアニメ声であった。


『案ずるには及ばぬ。これを見よ』


大黒天は

右手に握った

打出の小槌を振って見せて

一寸法師が大きくなるには

このアーティファクトでしょ

とばかりに伺うが

小次郎にはその声も

にやけも届かず

「せめてちんこだけでも戻してくれー!」

と喚きつづけるので

米俵を降り

すたすたと歩み寄り

小次郎の前でしゃがんで語りかけた。


『この小槌が目に入らぬか。

 ……もうよい、そのまま聞くがよい。

 そなたの大きさを戻すためには

 この小槌を「大きくなあれ」と心から念じて振るとよいのだが

 問題は誰が振ってくれるかということ。

 わしではない。

 神は試練を与えるのみじゃ。

 姫じゃ。

 今から、そなたにとっての姫に会いにいくことじゃ』


姫という単語に

小次郎は反応し

がばっと大顔面を上げて


「紹介してくれるんですか?」


と泣きはらしていた瞳を輝かせた。


『その姫こそが桃太郎の末裔なり。

 ……そんな顔するな、女子だから。

 桃太郎の法力をもってすれば

 この打出の小槌でさえ楽々と行使せしめん。

 姫をオニから守り、

 桃太郎に覚醒させ、

 かつ、信頼も勝ち取る。

 できて初めて身丈も戻るし

 オナニーも可能となる』


桃太郎の末裔が女子であり、

その子をオニから守れ、

ということを小次郎の

霞がかかった頭脳で

ゆっくりと理解していった。


「って、おなきんは続くんかーい!」


と一寸法師と化した両拳を握りしめて

精一杯つっこんだ。


『これも仏縁、

 そなたには後々は

 他のオニも退治してもらおうぞ。

 その為にはオナニーは控えめにして

 気力体力法力を温存するが肝要。

 しかしながら当面は

 目前の大オニじゃ』


話をどんどん継ごうとする大黒天を

遮るように小次郎は訴える。


「オニっていうのは、何て言うか、

 概念的なものですよね?

 この縮尺の俺に物理バトルしろってことはないですよね?」


可愛く

正拳突きのジェスチャーをして

腕のリーチが一センチくらいしかないことをアピールした。

そもそも顔が大きすぎて

つっかえてしまうだろう。


『何を申すか、

 この横着者。

 ことオニ退治においては

 一寸法師の右に出る者はそうはおらぬ。

 桃太郎と双璧じゃ』


腕を組んだ大黒天の表情が確信に満ちていたので

小次郎も少し落ち着き、

いわゆるチート能力で

強くてニューゲーム

のような甘い設定かしらんと期待した。


『では最初の課題じゃ。

 桃太郎の末流女子の元に

 不埒なオニめがもう近づいておる。

 退治して参れ。

 某も後から合流するが、

 まずは身一つ、

 全力でぶつかって砕けるがよかろう』


しゃがんだ体勢から立ち上がろうとする大黒天の

顔を見上げながら

小次郎は慌てて追加の質問をする。


「ちょっと待って。

 まだ聞きたい事いっぱいあるから」


大黒天は面倒くさそうに「質問は三つまで」と応えたので、


「確認だけど、

 桃太郎の末裔さんが桃太郎として覚醒したら

 元の体に戻れるんですよね?」


との質問には


『その時の桃太郎の心持ち次第』、


「大オニというのが復活したらどうなりますか?」


には


「国が傾く」、


最後に


「どうしても納得できないんすけど、

 なんでオナニーを禁じられなきゃいけないんですか」


と聞けば


『なんででもいいからとにかくやってみろ。

 浮上するキッカケを望んでおったろう』


と素っ気なくされた。


『旦那、お乗んなすって下さい』


渋い声が小次郎の心に直接語りかけてきた。

振り向くと

お椀、

お箸、

針が

浮かんで小次郎を伺っている。

中でもお椀は

高級そうな見た目の漆器で

黒光りする深い色味に

金箔で模様が入っているのだが

どうやら伝説の傭兵とでもいえそうな

髭面の横顔がゲームのロゴのようにデザインされ

その口がセリフに合わせてリップシンクしている。


「もしかして、

 お椀の舟に、

 箸の櫂?

 腰には針の剣?

 ガチで一寸法師やん……」


小次郎は膝に手をついて項垂れた。

その両の脇の下をお箸でつまみ上げられる形で

お椀の中に放り込まれる。

すちゃっと針が小次郎の左腰に装着された。


『参りやす。

 お箸をしっかと握りなすって下さい』


声の方向からして

メインで話すのは

お椀さんのようである。

いつの間にか一本だけになったお箸を

言われるまましっかりと握るや、

お椀の舟は急に回転し、

飛びあがり、

錦橋から土佐堀川へと東へ向けて飛び込んだ。


「あひゃーー!」


見送る大黒天の

「さらば、さらば」

の声掛けも届かず、

小次郎を乗せたお椀の舟は

ゆっくり右回転しながら

川面を水切り要領で

猛烈なスピードで跳ねていく。


横回転を制御できずに

お椀の中ででんぐり返りながら

跳ねるたびに

「ひゃっ! ふぁっ! きゃっ!」と悲鳴を繰り返し、

小次郎を乗せたお椀の舟は

土佐堀川から大川(旧淀川)へ、

更にアッという間に

悠々たる淀川の流れへと乗り入れると、

ぐんぐんと加速しながら

京都方面へと遡上していった。


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