如月
朝の光がまだ淡く、店の奥では焙煎の音だけが小さく弾んでいた。
白猫のシロは、いつものように豆を煎り、香りを確かめようと蓋を開けた瞬間、ぱちりと弾けた豆のチャフが指先をかすめた。
鋭い痛みが走り、シロは思わず息を呑む。
そのとき、扉の鈴が風もないのに微かに揺れた。
振り返ると、旅人が静かに店の中にたたずんでいる。
旅人は言葉を持たず、ただシロの手元へ視線を落とし、片手を静かに差し出す。
そっと伸ばされた旅人の指先は、冬の朝の空気のように冷たく、しかし痛みを吸い取るように優しかった。
触れられた瞬間、火照った皮膚は静かに落ち着き、雪解け水のような清らかさが広がっていく。
旅人の手は、そっと背中を撫でる手のように優しく、シロの胸の奥までやわらかくほどけていった。
「……ありがとう」
シロの小さな声に、旅人は微笑んだように見えた。
その姿は次の瞬間、風に溶ける雪のように淡く揺らぎ、扉の鈴だけをそっと鳴らして消えていった。
残されたのは、淹れかけの珈琲のカップ。
覗き込むと、琥珀色の表面にひとひらの雪華が浮かんでいた。
シロはそっとカップを両手で包み込む。
まだ少し冷たい指先に、旅人が残した優しさがふわりと重なり、胸の奥がじんわりと温かくなってゆく。
まるで、雪の精霊が確かにここにいた証のように――
静かで、冷たくも優しい余韻だけが店内に残っていた。
気にかけてくださり、本当にありがとうございます
※挿絵は Gemini Nano Banana Pro による生成画像です※




