第19話 幕間 ―長老会議とアッシュの料理―
冒頭のシーンは第一章11話 思い出(前編)の場面からです。
時は少し遡る。
「聞いていた通りです。知恵を貸していただきたい」
ガランからセミュエンで起こった詳細を聞いたレンフィールドは、別室で同じくガランの話を聞いていた『長老』たちに知恵を乞うた。
その場には三人の長老と二人の地区長がいた。長老は各地区それぞれの知識を最も有する者。地区長はジローデンと同じ次期長老候補である。
「……しかし。竜脈はともかく精霊樹が枯れた、か。うーむ」
農業地区の長老が思わず唸る。それに頷きながら畜産地区の長老も発言する。
「我らはここに辿り着いた民だ……。『真なる長老』であればわかるのかもしれんが……我らでは叡智に及ばん」
しばらく皆考え込む。加工地区の女長老も腕を組み考え込んでいたが、ようやく声を発する。
「……まずは、ここシベルの状況ね。里を閉ざしてから長いわ。もう百年は経つもの」
それにレンフィールドが補足する。
「いえ、間もなく百二十年。ひよっこ世代が外を知らないんですから。シベル国内のことも知ってるのは、恐らくその上の親世代から。交易をしていたさらにその上の世代でも、他国への馴染みは薄いでしょう」
農業地区の地区長が問題を整理する。
「まず問題なのが、セミュエンがどうなったのか。それとセミュエンの情勢で周辺国に変化があったのかどうか。変化があった場合、ここシベルは今どうなっているのか」
それに頷きながら畜産地区の地区長も意見を出す。
「あと魔物だ。この里周辺じゃ変化は感じない。セミュエンがこの五十年で魔物の群れに、少なくとも六回は襲われたって話だが――規模がわからん。国が乱れるほどの魔物なら、間違いなく交易路も変わったはず。当然周辺諸国に影響があるだろう」
農業地区の長老がふと思い出したようにつぶやく。
「ドワーフ族は地脈を読める者が多い。もしや『竜脈』とはウルラス山脈と何か関連するのか」
そのつぶやきを拾ってレンフィールドが問う。
「木々も地脈で植生が変わると聞きます。農業地区、いいえ畜産地区の果樹でもいいです。何か変化はありましたか?」
その問いにまず農業地区の地区長が答える。
「いいや。毎年の収穫量に多少の変化はもちろんあるが、目に見えて変わったことはない」
続けて畜産地区の地区長も答える。
「うちもないな」
その答えを聞きレンフィールドが考え込む。セミュエンの霊樹が枯れた事実は間違いないだろう。そしてセミュエンが魔物の群れに襲われたのも事実。ドワーフ族の話、霊樹が枯れたことに竜脈が関わってるのも恐らく信じてもいいだろう。では『魔物と竜脈』または『魔物と霊樹』の関係はどうなのか。
「……魔物と竜脈、いえ、地脈でもいい。何か関係があると思い当たる者はいますか?」
その問いかけに皆が考え込む。そこに加工地区の女長老が声を上げる。
「憶測を判断材料に何か決めるのは良くないと思うわ。この里では魔物も霊樹も今のところ変化は見られない。そして竜脈は詳細も知らない。国の情勢はわからない。まず事実確認が必要でしょう。その後、真なる長老に遣いを立てて伺うのがいいと思うのだけど。レンフィールド族長、どうかしら?」
レンフィールドは頷き、しばし目を閉じ考える。しばらくして目を開けると皆を見渡して問う。
「確認です。この情報を重要と判断し、ガランを『客』として迎え入れます。異議はない?」
レンフィールドは改めて皆を見渡すが、異議も拒否も出てこない。レンフィールドはひとつ頷きを入れ、族長としての決定を皆に告げる。
「ではまずシベル国内の情勢を探ります。その後、周辺国含むセミュエンの情勢を調査。期間は一年。判明した事実とガランの話を含め『真なる長老』への遣いを出し、智慧を賜る」
そこで言葉を切り、三度見渡す。全員が頷くのを見て指示を出す。
「各地区一名ずつ元狩人を選び、そこに現役狩人から一名を追加した四名で調査隊を作る。ただし女は入れないで。忌まわしい事はもう起こしたくない。出発は雪解けしたらすぐに。選抜者へは箝口令を。長老、地区長は雪解けまでに装備の用意を頼みます。私は屋敷に留まり、霊樹に変化が出ないか見守ります」
レンフィールドの決定に皆が頷き、指示を復唱する。
「「各地区男一名、準備は雪解けまで。他言せず」」
こうしてガランは客分となり、その後友誼を結ぶこととなる。
また里に暮らす人々を不安にさせぬよう、調査の準備が進められるのも決められたのだ。
この時、レンフィールドはまだアッシュの決意を知らない。
◇ ◇ ◇
そして雪がちらつき冬が到来した頃。アッシュは木工作業所で驚いていた。
「ええ!? あるの? 歯ブラシが?」
加工地区の女長老が驚くアッシュを見て笑う。
「アハハ。そりゃあるわよ。手入れ用のブラシだってあるんだから」
「そっか。……でもさ! 使ったら毛だらけになったよ?」
女長老はまたも可笑しそうに笑う。
「アハッ! あなた、毛をそのまま括ったんでしょう?」
アッシュは目を丸くして驚く。その通りだったからだ。
「なんで見てないのにわかるの?」
「それはそうでしょう。だって私たちがブラシも箒も作ってるんだから。ちょっとこの藁束、ギュッて持ってみて」
アッシュは渡された藁束の端をしっかりと握りしめる。
「見ててね。ほら」
長老はそう言うとアッシュが握りしめる束から一本の藁を引き抜く。力いっぱい握ってたはずのアッシュだが抜かれたことに驚きを隠せない。
「え? なんで?」
「アハハ。たとえ縛ったつもりでもね、真ん中は縛れないの。糸の力が真ん中まで届かないのよ」
「そっか。縛り方かぁ……」
アッシュが神妙な顔で抜かれた藁を見つめる。
「だからね、ブラシなんかはこうするの」
長老は今度はアッシュに手を開かせ、長い藁束の中央をアッシュの中指に掛けるとそのまま握り込ませた。藁はU字に曲がって指の間からそそり立っている。
「じゃあ引っ張るわよ?」
長老はまた藁を一本摘み、引っ張って見せる。今度はなかなか抜けない。
「今度は抜けない! なるほど〜」
「どう? 違いがわかったでしょう?」
「うんうん! でもなんで里で作ってないの?」
「そうねえ……手間が掛かる割にすぐ駄目になるから、かしら。革や毛皮にかけるブラシは濡らさないけど、歯ブラシは濡れるでしょう? 濡れるとダメになるから、鍋や桶を洗うのにブラシは使わないのと同じね。洗い物は藁束でしょ?」
「それもそっか……。大発見だと思ったのになぁ〜」
肩を落として項垂れるアッシュ。
そんなアッシュに女長老は優しく微笑む。
「アッシュ。思い付いただけでも素晴らしいことなのよ。もしかしたら水に強い毛があるかもしれない。それを見つけたら長持ちする歯ブラシだってきっと作れるわ。また色々挑戦しなさいな。――さ、今日も食事当番なんでしょう? 終わりましょうか」
「はい! もし見つけたら知らせるよ!」
アッシュは『どこで』とは言わず女長老に挨拶し、帰宅の途につく。
帰宅すると食料庫からイモと玉葱、干した赤茄子をザルに入れ、燻製肉とチーズ二種も切り出す。今日は先日思い出した、チーズの料理を作るつもりだ。
そこへガランも帰宅してきた。
「ただいま!」
「おかえりガラン。――あ!」
帰ってきたガランはソーセージを持っていた。それを軽く持ち上げ、ガランは自慢げに話す。
「今日オレ、ソーセージ作ったんだ! 初めてのやつだから皆で食べて良いって言われて貰ってきた!」
「じゃあ早速茹でよう! そうだ、アレにしてみよっかな。ガランも手伝ってよ!」
「わかった! 先に火、起こすよ」
アッシュが差し出した皿にソーセージを置き、ガランは焚き火セットでかまどに火を入れる。
「ありがとガラン。やっぱ火起こし上手いねぇ〜」
「じゃあ手、洗ってくる!」
アッシュはかまどに水を張った大鍋を置き、深皿に干しトマトを入れ、水で戻す。イモの皮を剥いているとガランが戻ってきた。
「じゃあ、ガランはこの玉葱の皮剥いてみじん切りにしてー」
「任せて!」
アッシュはガランのみじん切りを時折見ながらイモを剥き終えた。
「ガランちょっと待って。えっと、少し分けるから――こっちはもう少し細かくして〜」
アッシュはまだ粗いみじん切りの玉葱を四分の三ほど皿に移し、残りを更に細く刻むようお願いする。ほどなく二種類のみじん切りが揃った。
「次はこのイモを小指くらいの幅で切って」
アッシュは細い方の玉葱を深皿に入れ、水にさらす。そうこうしてるうちに湯が沸いてきた。アッシュは柄杓で湯を分けて別の鍋で切ったイモを、大鍋にソーセージを入れ、茹で始める。次は干しトマトだ。水で戻った干しトマトを細かく刻みながら、ガランにさらした玉葱を絞ってもらう。
「絞れた!」
「いいね。潰さないようにコレと混ぜてー」
同量の刻んだトマトを皿に入れ、ガランがそれを混ぜていく。残りのトマトと玉葱も別皿に入れ、次にピタ生地を作る。
「じゃあガラン、ソーセージが浮き上がったら取り出しておいてよ。茹で汁は出汁が出てるから明日の朝のスープにしてもらおう!」
頷くガラン。そこへリリアンとロビンも帰ってきた。
「「ただいま」」
「「おば姉様、ロビンおかえり!」」
残念なことにリリアンの呼び名は『おば姉様』呼びが定着してしまっていた。少し悲しげに微笑み、首を傾けるリリアン。ロビンは苦笑いだ。世は無情である。
そして。ガランを助手としたアッシュ作の料理が完成した。メニューは厚めのピタパン、茹で焼きにしたソーセージ、平鍋ごと出されたイモのチーズ焼き、香草スープ。トマトと玉葱のソースといつものハーブソルトが添えられている。
「美味しそうなチーズ焼きね。ソーセージも上手に焼けてるわ」
リリアンからの高評価が嬉しいアッシュ。
「えへへ、じゃあ祈りを……」
今日はアッシュが祈りの言葉を告げ、目を閉じる。
「では……」
食事の合図は、ガランと二人で口を揃えた。
「「召し上がれ!」」
「「ありがとうございます」」
早速アッシュがチーズ焼きを取り分ける。イモの上から燻製肉と玉葱入りの炒めたトマトソース、その上にはたっぷりのチーズ。パン窯で焼かれ、チーズにしっかりと焼き目が付いている。底のイモにも焼き目が付いているだろう。
「ソーセージはピタパンで挟んで食べると肉汁が溢れないよ! このソースも乗せてみて! 味が物足りないなら塩をお好みでどうぞ」
「どれどれ……」
リリアンはまずチーズ焼きにフォークを入れる。所々表面がさっくりと焼けたチーズの濃厚な香りが鼻をくすぐる。イモも程よく火が通り、固さを感じさせない。口に入れる前にもう一度香りを楽しみながら、火傷しないようゆっくり口に運ぶと濃厚なチーズの風味が口に広がる。
癖のあるヤギ乳のチーズの味と少し塩気のある羊乳のチーズが混ざり合い、お互いの存在を主張する。そして少し焦げ目がついたイモの微かな苦みが舌に乗り、チーズの主張に華を添える。
噛めばイモはホロリと崩れ、隠されたトマトの酸味と甘みが顔を出す。二度、三度と咀嚼すればトマトに潜んだ玉葱の甘味も感じる。そして燻製肉の燻された肉の味。咀嚼すればするほど、主張し合っていたチーズがイモを仲介とし手を取り合うかのように纏まり、まろやかさを余韻に喉の奥へと滑り落ちる。
これはなかなかの美味。
カップで出された香草のみのスープを飲めば、爽やかな味と共に口内に残ったチーズの余韻を消し去る。次のひと口もまたあの濃厚さのハーモニーを楽しめるのだ。
皆の顔を見渡せば、頷きながら笑顔を見せる。
さて次はソーセージ。厚めに焼かれたピタパンに負けぬソーセージの存在感。そこに白と赤のソースが彩りを加えるのだと思えば笑顔が溢れてしまう。まずはソース無しでひと口。
焼かれた腸詰め特有のしっかりとした歯ざわり。下顎から伝わるピタパンを通過する柔らかな歯ごたえとは違い、上顎には抵抗するかのように容易に歯を受け入れない弾力を感じさせる。しかしその抵抗も無意味。
パキュ!
音を合図に溢れ出る肉の旨味。訂正しよう。抵抗は無意味ではなかった。あれがなければこの肉汁には出会えなかっただろう。止まらぬ肉汁を思わず舌が追いかける。肉の味が落ち着く頃に現れるハーブの苦みと香り。臭み消しなどと侮れない肉の引き立て役。堪らず咀嚼する。アッシュの言った通りだ。パンが肉汁を逃さない。さらにもうひと口。今度はソースと共に頂く。
なんということでしょう。
完璧に思えた肉とハーブの調和に、玉葱のシャキッとした歯ごたえと少しの辛味。さらに干して甘みを増したトマトの酸味も加わる。恐らくこちらのトマトは火を通していない。それが爽やかさをも感じさせる。ああ、干してなければどれほどの酸味と爽やかさであったろう。しかし干さねばこの甘みは出ない。なんと悩ましいソースか。
リリアンは新しいトマトの可能性を感じながら、至福の時を過ごすのであった。
グラタンもどきとホットドッグもどきです。
食事は楽しく食べたい作者です。
ここまでお読みいただいてありがとうございます。




