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「……あまり手荒なことは慎んでもらえると助かる」
スプライトを注ぎ足して、先輩は苦笑した。
「安心しろ。死なせるつもりはこれっぽっちもないから。死ぬほど痛い目に遭わせるだけだ」
カルラの肩がびくりと跳ねた。小刻みに揺れ、ぷるぷると震え始める。あんた、昨日の夜に何があったのよ。
「そういえば不思議だったんだけど、どうしてコガラシくんがタマの尻尾持ってたの? カルラくんはご神体っていってたけど、天狗が管理する理由なんてある?」
真夏の質問に回答したのは、コガラシくんでもカルラでもなく、玉梓だった。
「……神域結界を維持するためだろ。あれを恒久的に利用しようとするなら、膨大な妖力が要る。わたしの尾の妖力でそれを賄ってたんだとしたら、持ち出した途端に結界が崩壊したのも筋が通る」
すると、コガラシくんが静かに顎を引いた。
「その認識で、間違いないっす。お師匠様によると、過去に人間たちから取り上げた九尾の尾をコアにして、神域結界を創り上げたらしいっす。呪物から溢れる妖力を維持に回せるように、特殊な霊符で覆って仕舞ってたんですよ。おれも、おつかいを任されるまでは近づけてすらもらえなかったんです」
「……そんなの、おいらには教えてくれなかったぞ」
カルラがいかにも不満を顔に出してぼやくと、コガラシくんはやれやれと辟易して肩をすくめた。
「おまえがサボり続けていつまで経っても精神修行に入れなかったから、お師匠様も言えなかったんだよ。下手に教えたら、手っ取り早く強くなろうとして触れようとするんじゃないかってさ」
図星だったのか、カルラは途端に口をつぐんだ。私はもうこの世にはいない彼らのお師匠様に、心の底から同情した。
こいつならたとえ厳しく注意したとしても、本当にやりかねない。お師匠様、グッジョブ。
「まあ、手を出したのはおまえもだけどな」
玉梓が小さく息をついた。
「その様子じゃ、わたしの尾がどういうものか知ってたんだろ。だったら、それは軽はずみな理由からじゃない。それ相応の根拠があるはずだ」
「……流石っすね。全部お見通しですか」
コガラシくんはグラスに残っていたコーラを飲み干し、カントリーマアムをひとつ口に放り込んで、ぽつりぽつりと語り始めた。
「ご神体を持ち出したのは、奴らに利用されることを拒みたかったからっす。既にお師匠様も兄弟弟子たちも、皆やられてましたから。神域結界の外に持ち出せば結界が崩壊することは分かってましたけど、なにもかも奪われるよりはマシだと思ったんです」
カルラの表情がみるみるうちに曇っていった。
無理もない。故郷を失ったのは、鬼が襲って来たせい。でも、それは信頼する兄貴が下した、苦しい決断だったと知ったのだから。
「神域結界を抜けたあとは、もう無我夢中でした。怒り狂った鬼たちが、集団で追いかけて来たんすから。雷神通でいくらかは撃退したんすけど、中には技が通じないやつもいて。次第に追い詰められて、包囲されてしまって」
「……鬼の術式は『鬼火』だからな。自分より出力の低い妖力は、鬼火を纏った妖力に喰われて糧にされるんだ。単純に力比べで負けると、そこから畳み掛けられる。わたしもできれば相手したくはない。面倒なんだよ、あいつら」
苦虫を噛み潰したように、玉梓が顔をしかめた。
珍しいな、と思った。玉梓は自分の強さに絶対の自信を持っていて、それが偉そうな口振りに繋がっていると感じていた。その彼女がここまで言うとなると、鬼ってめちゃくちゃ厄介な妖怪なのだろう。
コガラシくんもカルラも、鬼火の仕様に納得したらしく、しきりに顔を見合わせていた。
「……それで、九尾の尾を使うことにしました。不本意ですけど、背に腹は変えられないっすからね。霊符を解いて、自分の中に取り入れたとこまでは良かったんすよ。強くなった雷で鬼どもを蹴散らして、撒くこともできたし」
追加のコーラを注ぎ、空になったペットボトルのキャップを締めると、彼はそっとお盆の上へとそれを載せた。
「でも、狩楽を探して飛び回っている途中で、だんだん苦しくなってきたんす。自分の内側で妖力が増え続けているのが原因だとすぐに気づいたんすけど、術式で放出するにはあまりに多すぎて……」
「膨れ上がった力を制御できず、暴走してしまったわけだ」
本郷先輩の結論に、コガラシくんは大きく首を縦に振った。
「そこから先はほとんど覚えてないんすよ。人をなるべく傷つけないよう、風神通で衝動を抑えるのが精一杯で。気がついたら、真夏さんに介抱されてて」
そのとき、私は菅原先生の怪我が完全な事故だったのだと理解した。看板を吹き飛ばしたのはコガラシくんが意図したことじゃない。苦し紛れに起こした風で、たまたま看板が外れた。それが運悪く通りがかった先生に当たってしまったのだろう。
やはりスカート捲り犯の弟とは違う。
「……だが、ひとつだけ解せないことがある」
玉梓が真夏の咥えていたプリッツを反対側から食べ始めた。途中で折れたからいいものの、危うく唇同士がぶつかるところだった。
カルラが悶々としているのが手に取るように分かる。この狐、さては見せつけたいだけだな。
「神域結界はそもそも難攻不落なんだよ。外側からだとどこにあるのかはわたしですら分からないし、場所が判明しても中に入るには構築するのと同等レベルの結界術が必要だ。戦うことに全てを注ぎ込んで、闘争本能で生きてるような連中が、それだけの技術を持っているとは思えない」
「それはおれも疑問でした。奴らがどうやって結界に入って来たのかは未だ謎なんすよね。おれたちはお師匠様からもらった絵馬があったから出入りできたけど、あいつらが持ってるわけないし」
コガラシくんの補足に、玉梓は腕を組み上げた。さっきまでのほのぼのとした雰囲気が嘘のように、険しい表情を浮かべている。
「……もし、わたしの推測が当たってるんだとしたら。今の鬼には神域結界を突破できる何かしらの手段が結界術以外にもあるってことになる」
両目を伏せ、玉梓は唸った。さっきまでぴんと張っていた尾が畳の上で丸まって、同じく屹立していたはずの耳がぱたりと倒れていた。
「それに、大天狗を倒した赤髪の鬼。神通力を全て扱えてなおかつ神域結界を作れるような天狗は、わたしの知る限り前例がない。そんなやつが一方的にやられたとなると……」
「……おれは途中までしか見てなかったすけど、お師匠様の攻撃を涼しい顔で受けきってたっす。それを見て、確信しましたよ。こいつはヤバいって」
コガラシくんだけでなく、真夏や本郷先輩までもが固唾を飲んで聞き入っていた。
「……できることなら、会いたくはないな」
玉梓は詰まっていた息を吐き、天井を見上げた。時計の針の動く音が、やけに大きく感じられた。




