夜戦
夜の森は、昼間とまるで別の顔をしていた。虫の音すらひそやかで、風も鳴りを潜めている。
俺とエイルは、泉のそばに身をひそめていた。
「……静かね」
エイルがぼそりとつぶやく。浮かんだ月が、泉の水面に薄く影を落とす。
「来るよな。普段からあの水を吸ってるなら、夜にまた現れるはずだ」
「何か動いたら、すぐ雷撃つわよ」
「でも、あんま派手なのはやめろよ。村に近いんだから」
エイルはふんと鼻を鳴らして、小さく雷を帯びた指を掲げる。
「わかってる。小出しにしてあげるわ」
しばらく沈黙が続いた。だが、そのとき――
泉の水面が、音もなく、静かに揺れた。
「……!」
闇の中、何かが蠢うごめく。よく見れば、水面に映る月の輪郭が、一部だけ歪んでいた。
「……あれ、なんかおかしくねぇか?」
ヒイロが眉をひそめ、水面をにらむ。
エイルもその歪みに目を向け、指先に小さく雷光を灯した。光がわずかに泉を照らすと、水面の一部が不自然に揺れ、背景が微かにねじれて見える。
「……ああ、やっぱり」
エイルがぽつりとつぶやく。
「あれ、光を屈折させてるのよ。消えてたわけじゃない。背景に溶け込んでただけ」
ヒイロが怪訝な顔をする。「……なにそれ、“クッセツ”? 意味わかんねーよ」
「そもそも見えてなかったのよ。光を曲げて背景に溶け込んでた。だから村人たちは“姿を見てない”って言ってたのね」
ヒイロは「なるほどな」と頷くと、口元をゆがめて笑った。
「……だったら、攻撃すれば姿を現すだろ」
次の瞬間、エイルの指先が光る。
「……そこっ!」
雷撃がほとばしり、爆発音とともに、泉の中から――それは水を割るように姿を現した。
うねるように伸びた巨大な蛇の胴体。体表には水をはじくような鱗がぎっしりと並び、何本もの角のような突起が背に生えている。目は、濁った赤。
蛇のようにうねる影が、闇の中を滑るように動く。
「そこっ!」
俺が剣を抜き、踏み込むと同時に、エイルの雷撃がほとばしる――しかし。
「くっ、当たってるのに、全然効いてないわ!」
「魔力が拡散してる!この水と、あの鱗のせいだ」
俺は怒り狂う水蛇の方へ素早く翔けていく。
「だったら、叩き斬るまでだッ!」
俺は剣に力を込め、横なぎに斬りかかる。だが、水蛇はまるで予知していたかのように身をうねらせ、俺の背後へと回り込んだ。
「ヒイロ、下がって!」
エイルが手のひらを空に向けてスッと掲げた。
空気がビリッと張り詰める。空から雷の気配が集まり、エイルの手の中に収束していく。
閃光――
まばゆい光の中から、一本の雷の槍が現れた。
構える動作すら挟まず、エイルは雷の槍を、一閃。――闇を裂いて放った。
雷槍は閃光のごとく空気を裂き、蛇の胴へと突き刺さる。
炸裂音。水しぶきが派手に飛び散る。
だが。
「……マジかよ」
槍が突き刺さったはずの箇所は、まるで水の膜に当たったかのようにぐにゃりと歪み、数秒もしないうちに、ぬるりと元の形へと戻った。
「なんだこいつ、再生してるのか?いや、違う。そもそも効いてない?」
エイルが歯を食いしばる。
「こいつ……厄介ね。アタシの攻撃が効かないなんて」
「だったら、今度は俺が!」
エイルの隣に出た俺は、魔物の胴体に斬りかかる。
だが、鱗の硬さとぬめりで手応えは薄い。思った以上に、斬れない。
蛇の巨体がうねり、俺の真横を勢いよくすり抜けた。
風圧だけでも体勢を崩しそうになる。
「ヒイロ、右ッ!」
エイルの声でギリギリ避けるが、蛇の尾が岩を打ち砕くのが見えた。
当たってたら、ただじゃ済まなかった。
雷も効かない。刃も通らない。
しかも、こいつ――ただの魔物じゃねぇ。こっちの動きを読んでる。
「どうする、エイル!?」
「こっちが先に疲れて潰されるわよ!」
じりじりと間合いを詰められる。息が合わない。連携が取れない。
こうなったら使うしかねえな
「スキル、魔力レン……」
そのとき、魔物の大顎が開いた。狙いは、エイルだ!
「おい、下がれッ!」
俺が飛び出そうとしたそのとき――
ドォンと、地響きのような重い衝撃。
「……!?」
泉からはみ出た蛇の上半身が、まるで見えない手で地面に叩きつけられたように潰れた。
俺たちの背後に、いつの間にか二つの影――まったく気配に気づかなかった。
そこにいたのは、黒いローブを纏った黒髪の少年と、重厚な鎧をまとった騎士のような守護獣。
「ロイ」
少年がそう呼ぶと、騎士が動いた。
地面が鳴る。重力そのものをまとった黒い大剣が振るわれた。
空気がねじれ、地面がうねる。
岩槍がせり上がり、蛇の胴体を突き刺す。
そして――少年が無駄のない動作で剣技を放った。
閃光とともに、蛇の頭が裂け、その奥にあった“核”が破裂する。
「核」が砕けた瞬間、魔力の光を一筋残して、蛇の巨体は、砂のように音もなく崩れ落ちた。
静寂が訪れる。泉にさざ波すらない。
俺は言葉も出ず、ただその光景を見ていた。
(……なんだ、こいつら)
「……完了した」
少年がそう呟き、視線をこっちに向ける。
「お前……誰だよ」
「……邪魔して悪かったな。こちらも任務中だった。それに――君たちじゃ、無理だったろ」
その言葉に、拳がぎゅっと握られる。
「はあ? 勝手に来て、勝手に決めつけ――」
「力と感情に任せた攻撃では、勝てないよ」
冷たい目が、まっすぐ俺を刺した。
名乗りもせず、少年と騎士は静かに森の闇へと消えていく。
残された俺は、鞘に剣を戻しながら、ぎゅっと奥歯を噛みしめた。