ユメノハザマ -彼女は桜の夢を見る-【4】
勢いよく目を見開くと、見慣れた自分の部屋だった。
カーテンがほのかに光をはらみ、その隙間からこぼれていた。
少しの間天井を桜は見つめ、ゆっくりと起き上がった。
学校へ行かなければいけない。
桜にとって、現実の一日はいつもの繰り返しで、ただ過ぎていくものだった。
夢の中の方が、心躍る感覚があり、早く寝る時間にならないかと思っていた。
両親も、学校の友達もみんな大好きだ。
だが、彼らは桜にただ優しかった。
彼らと過ごす日々は、穏やかすぎるのだ。
圭吾と出会ったことで、桜の日常にさざ波がたった。
未知の感情が、桜を襲った。
手が届きそうで届かない存在。
全てが、桜にとっては魅力的に見えた。
気づいたら、放課後だった。
今日は図書当番だから、早く教室を出なければいけない。
友人に別れを告げ、桜は図書室へ急いだ。
図書室にいる時は、また違う自分になれた。
本が好きで、そのことにずっと思いを馳せていて良い。そういう場所だった。
桜は、そういう図書室という空間が好きだった。
そういえば、今日は彼が来る日じゃないだろうか。
そう思っていた時だった。
「すみません」
聞き覚えのある声が聞こえ、桜は思わず勢い良く顔を上げてしまった。
驚いた顔をした圭吾がそこにいた。
本を手に持ちながら、両手を胸の前に掲げて、身構えるようなしぐさをしている。
声をかけたい衝動が、一気に湧き上がってきた。
だが、桜はぐっとこらえた。唇の裏を少し噛む。
「……返却ですか?」
差し出された本を受け取り、図書返却と貸し出しの手続きをした。
圭吾は、いつも通り何も言わずに軽く礼だけして立ち去っていく。
桜は、その背中を名残惜しそうに見つめていた。
やっぱり、夢を見る時間が待ち遠しいと感じた。
「こんばんは、桜さん」
またこの時間が来た。
桜は、声が聞こえるとすぐにそちらを向く。
その顔は、誰が見てもわかるほどに明るくなっているだろうことは、自分でもわかった。
そこに立つ圭吾も、桜に微笑みを返してくれる。
圭吾が隣に座ると、圭吾の肩から白い小さい狐のような見た目の生き物が現れた。
そのまま圭吾の体を滑りおりると、二人の周りをくるくる回り始めた。
「これは……?」
桜は戸惑いながら、圭吾とその生物を交互に見る。
「これは、俺の相棒だよ。夢の世界の仕事を手伝ってくれるんだ」
「へぇ。かわいい子ね。名前はあるの?」
「飛丸」
名前を呼ばれると、白い生き物――飛丸は圭吾のもとに駆け寄ってきた。
圭吾が右手を差し出すと、それにすり寄ってくる。
優しく微笑んで、圭吾はそれを撫でた。
「とびまる……」
桜は、圭吾に聞いた名前を口の中で転がすように繰り返す。
圭吾は、その桜のつぶやく声にはっとして、急に慌てたように早口で喋りだした。
「あ、え、えーと、子どもの頃から一緒にいるんだけど、出会った時に好きだった漫画のキャラクターの名前をつけたんだよ……」
なんだか気まずそうに、最後の言葉はしぼんでいった。
「あ、ピューっと飛丸くん?! 私も見てた! 面白かったよねー」
桜が、一気にその表情を明るくした。
「え……」
桜の反応に、圭吾は驚いて目を丸くする。
しかし、桜も自分と同級生なのだから、同じものを見ていても確かにおかしくはない。
圭吾の反応に、桜の方も表情を曇らせた。
「な、何かおかしかった……?」
「い、いや、俺が思ってた桜さんのイメージと違うなって思ってただけ……」
圭吾は、苦笑いを浮かべる。
「私のイメージ?」
桜は首をかしげた。
「あの、本当に、俺の勝手なイメージだけど、学校だと、なんだか少し近寄りがたい雰囲気があったんだ」
「あぁ……そうね、よく言われるわ……」
そう言われて、急に自分の心が冷えていくのを桜は感じた。
いつも同級生に言われる言葉。
落ち着いている、大人びている、しっかりしている、隙が無い、クール……。
色々言われたけど、たぶんどれもこれも共通している印象は、今圭吾が言った言葉が一番近いと思われた。
それを他人に言われると、途端に心に壁があるような寂しい気持ちになる。
だが圭吾に言われると、不思議とそれは違った。
「でも、圭吾君もそうだよね」
そう、圭吾に桜は自分と共通しているものを感じていたのだ。
え、とまた圭吾は戸惑った表情を見せた。
「学校だと、うつむいてておとなしそうな感じがする。夢の世界だと、とても自信に満ち溢れてる感じがする」
うっ、と圭吾はうめいた。
口の端を引きつらせて、苦笑いを浮かべていた。
しかし、すぐに観念したように小さく息をつく。
「……それは、その通りだと思う。夢の中での動き方を知ってしまったから、夢の方が、現実よりもよくできるからね……」
「圭吾君は、学年一番になるほど勉強ができるじゃない。何ができないの?」
桜は、首をかしげる。
「俺が学年一位取ったことあるなんて、よく知ってるね……」
圭吾は、本当に知っていることが意外そうに、驚きと戸惑いを含んだ表情をした。
「知ってるわよ。ほとんどずっと一位なんだから」
照れ笑いを少し浮かべて、圭吾はまた視線を落とす。
「まぁ、それは夢の中で動くためでもあるよ。知識量が多ければ多いほど、夢の中で動けるんだ。あとは、人とも話すからそのためでもあるね。知っていることが多いと、話題の幅が広がるから。必要だからやってるだけだよ」
「それは、誰にでもできることじゃないよ」
そう桜が言うと、圭吾の表情は一瞬強張った。
何か悪いことを言っただろうか。
どうも圭吾は、褒められることが苦手なようだ。
自己肯定感が低いという感じは、夢の中で会った時には感じなかったのに。
何が圭吾に、こう言わせているのだろうか。
桜は気になったが、これ以上この話を続けても不毛だと感じたので、話題を変えることにした。
「夢の世界に囚われそうになっている人を助けてるっていう話だけど、私もそうなりそうだから、圭吾君がここにいるのよね」
「そういうことになるね。俺は、基本的に呼ばれたところに来ているだけだから」
「私が、呼んだの?」
圭吾の言葉に、桜は首をかしげた。
そんな覚えは、桜にはなかったからだ。
圭吾は、桜の反応に苦笑いを浮かべた。
「ごめん、例えだよ。桜さんが直接呼んだとかそういうことじゃない。俺は、何となく必要な人の気配を察することができるんだ。そして、それに自然と体が引きつけられてしまうんだよ」
「そうなんだ……」
桜は、まだいまいちその感覚を理解することはできなかったが、そういうものなんだと納得することにした。
「それにしても、なぜ圭吾君が呼ばれたんだろう?」
「何か、心当たりはないの?」
桜は無言で首をひねった。
「……なさそうか……。俺がだいたい呼ばれた人は、現実に不満や不安を何かしら抱いている人だったんだけど……桜さんは、そんなことないか……」
圭吾は、努めて穏やかな声で、しかし桜の様子を窺うように聞く。
この辺りは繊細な話題だから、彼も気を遣っているのだろうことが桜にはわかった。
「そうねぇ……。家庭環境は、別に両親は優しいし、関係も悪くないと思ってるし、お金に困って苦しい生活をしているわけでもないし、学校には友達もいて、いじめられているわけでもないし……」
桜は顎に人差し指を当てて、宙を見つめて考える。
「そうですか……。本人に問題がない場合は、夢に何か本人以外の外的要因がいて、それに呼ばれていることもあります。本人がその外的要因に無意識に害意を感じ取り、SOSを出してくるんです」
「何か……」
「それは普段は隠れ潜んでいて、何かしらのタイミングで本人の心が一番弱った時に出てくるんだ。本人はだいたい自覚できないことが多いから、ゆっくり探していくしかないね」
「そうか……」
「桜さん、どうしたの? なんか笑ってるけど。結構深刻な話だからね?」
「え」
圭吾に言われて、桜は自分の顔が笑顔になっていることに気がつく。
頬に手を当てて、ぐりぐりとこねた。
でも深刻と言いつつ、圭吾の顔も苦みを含んでいるが笑んでいる。
「う、うん、ごめんなさい……」
笑い顔のまま、そう言ってはぐらかした。
圭吾とより長い時間話せることが、桜には嬉しかった。
だが、圭吾にとってはそうではないだろう。
「ただ、外的要因だとしても、本人に関わりのあるものが関わっていることが多いんだよ。全く関りのないものが来ることは、滅多にない。そのことについても、何か心当たりはないかな?」
圭吾の言葉に、桜は視線をうつ向かせた。
一気にまとう空気が重くなる。
「……そうね……あえて言うなら、実の両親のことかな……」
そして桜は、ゆっくりと口を開いた。
「実の……?」
桜は、圭吾の方は見ずにうなずいた。
「私の、今一緒に住んでいる両親は、血はつながっていないの。実の両親に虐待を受けていた私は、児童施設に保護されて、そこで引き取ってくれたのが今の両親なの」
「そうなんだ……。ごめんね、つらいこと話させて……」
圭吾は、申し訳なさそうに桜の顔を覗き込むように言う。
桜は、圭吾に笑顔を向けた。
少しその顔は、ぎこちなく歪んでいたが。
「大丈夫よ。圭吾君は、いつもこうやって夢の中で話を聞いているんでしょう? 気にすることないわ」
「まぁ、そうなんだけど……」
彼も、ぎこちなく笑った。
彼は優しい人だ。こうして話していてより感じられた。
わざと軽く振舞ってみたり、学校では距離を取ろうとするけど、本当は優しい人だ。
でなければ、いくら代々引き継いできたこととはいえ、夢の中で人助けをしようなどと思わないし、それを続けてこられないだろう。
しかし、ここまで続けてきた彼には失礼な話かもしれないが、それだけに彼が傷つかないか心配であった。
人の悩みを解決するには、共感と客観の距離感が大事である。
しかも距離感は相手に感じさせてはいけない。
それは生半可な知識や経験だけではできないだろうと、そのことに詳しくない桜でも思った。
自分のせいで、もし彼の心が疲れてしまったら、と桜は思う。
圭吾に救ってもらう立場ながら、彼のために何かできたらと願う。
だが同時に、解決してしまうとこの時間もなくなってしまう。
桜は、とても複雑な思いを抱えてしまっていた。




