ユメノハザマ -彼女は桜の夢を見る-【1】
気づいた時には、暗闇の中にいた。
周りは黒のみの世界。
どこかわからなかったが、ここは現実ではないことは何となくわかった。
夢の中だろうか。
そういえば、最近こんな夢をよく見ているような気もする。
周りは真っ暗ではなく、よく目をこらすと見えてくる。
後ろを振り返ると、そこには太い幹の大きな桜の木があった。
白く暗闇に浮かび上がるようにそこにある桜の木に、不思議と安心感を覚えて近寄る。
その側に腰をおろし、幹に体を預けた。
落ち着くような、安心するような、心地よい感覚。
このまま、自分も溶けていくように感じた。
「桜さん」
そこで、声が聞こえた。
少女の意識は一気に浮上する。
声のした方を見る。
自分の横には、見下ろす青年がいた。
青年とも少年ともつかない顔。
もしかしたら、同じぐらいの年かもしれない。
それをわからなくさせていたのは、どことなく大人びたその表情だった。
やわらかく微笑みながら、少女を見ていた。
見知らぬ人で、なぜ自分の名前を知っているのかわからず、少女は戸惑っていた。
「はじめまして。こんばんは。いきなり声をかけてごめんね。俺は、ケイゴって言うんだ。好きなように呼んでいいよ」
「ケイゴ……くん……?」
少女がぼんやりとした表情で呼ぶのを、圭吾と名乗った少年は満足げに笑んでうなずいた。
「ところで、もう目覚める時間だよ。桜さん」
「え?」
少女がケイゴの言葉に戸惑っていると、少年は少女の前にひざまずいて、肩に手を置いた。
「大丈夫。眠るみたいにすれば、目覚めることができるよ……」
優しい声で、肩をゆっくり叩かれる。
そのリズムが気持ちよくて、少女はだんだんとまぶたが重くなってきた。
眠るのに目覚めるとは、面白いことを言うな、と思いながら、少女はまぶたを閉じた。
目を閉じたはずなのに、視界は白くなった。
急に意識が湧き上がる感覚。
勢いよく目を開けたら、見知った天井が見えた。
自分の部屋だ。
桜は、ゆっくりと起きて辺りを確認する。
昨晩寝た時と何も変わっていない、自分の部屋だ。
不思議な感覚だ。まだ夢の中にいるような。夢の感覚が鮮明に残っている。
今まで、こんなことなかったのに。
何かあったような気がするけど、朝起きて、しばらくすると忘れてしまっていた。
なんだか、この感触はずっと覚えていそうな気が、桜はしていた。
そしてその予想どおり、学校でもそのことが頭をついて離れなかった。
どこか上の空で授業を聞いて、いつしか放課後になっていた。
桜は図書委員であった。
本が好きで、図書室の業務をすることにも興味があったので立候補した。
図書室担当の先生や、司書の先生からは、私が委員で貸し出しをするようになってから、図書室を利用する男子生徒が増えたと言われた。
なぜだかよくわからないが、自分のいる日は確かによく人が来た。
よく来る人は、何となく顔は覚えていたけど、特によく覚えている人がいた。
その人は、だいたい二、三日おきに図書室に来て、前に借りた本を返して、また本を借りていく。
桜の貸し出し当番は週一回だったが、塾や習い事がない日はだいたい放課後に図書管理室で、他の図書委員や司書の先生に会いに来ていたので、彼が借りに来ているのも知っていた。
桜がなぜその人物を覚えていたかというと、自分の好みの本ばかりを借りていくからだった。
自然と、貸し出しカードに書く名前を見るようになった。
里見圭吾、という名前だった。
眼鏡をかけて、いつもうつむきがちで目を合わそうとしない人だった。
でも借りていく本が、全て桜の好きなもので、とても気になっていた。
何とか話すきっかけはないか、と桜は思っていた。
そういえば、今日は本を借りに来る日ではないだろうか。
「すみません……」
そう考えていると、聞き覚えのある、弱々しいが響きの良い声が聞こえた。
見ると、予想通り里見圭吾その人だった。
圭吾はいつものように、桜へ視線を合わそうとはしない。
桜も、そういう人には視線を合わせるのを遠慮するようにしていた。
だが、どうしても一瞬だけ相手を確認するのに顔は見る。
その時に、桜は気づいてしまった。
太い黒縁の眼鏡で、顔の印象が大きく変わっていたが、見覚えのある顔だった。
「ケイゴ君!」
桜は、思わず圭吾の手をつかんでいた。
目の前の圭吾は、桜の突然の行動に驚いて目を見開いて桜を見ていた。
視線が合った。
そこで桜はさらに確信した。
間違いない。彼は、夢で会った「ケイゴ君」だ。
根拠など示せないが、第六感のような感覚がそう言っていた。
「ねぇ、あなた……んっ!」
桜がさらに何か言おうとすると、口を力強くふさがれた。
圭吾が、真っ赤な顔をして桜の口元に手を伸ばしていた。
その表情は、戸惑いのような焦りのような様々なものを含んでいるように見えたが、少なくとも怒っているという風には見えなかった。
なぜこのような表情をするのだろう。
桜は、単純にそれだけを思った。
呆然と桜が圭吾のことを見つめていると、圭吾は口を開いた。
「後で全て話しますから、何も言わないでください……」
小声で、しかし絞り出すような苦しそうな声だった。
表情も、とても苦しそうに歪んでいる。
桜はその圭吾の様子にただならぬものを感じ、静かに椅子に座り直した。
握っていた圭吾の手も、そっと離す。
圭吾も、桜の口元に当てていた手の力を緩めて離した。
二人は、ゆるゆると距離を取っていく。
「……返却ありがとうございます。貸し出しは一冊ですね。返却は七日後です」
桜は、貸し出しカードに名前を書き、圭吾に本を手渡した。
「ありがとうございます……」
圭吾は、軽く礼をすると素早くその場を離れた。
桜は、圭吾の去っていた扉をじっと見つめる。
夢で会ったケイゴとは、全く印象が違っていた。
人違いだったろうか、とも思ってしまったが、あの反応を見るとケイゴに間違いはない。
後で話すということだから、桜はただ待っているしかなかった。
桜は、貸し出しの声をかけられるまで気づかないほどに、どこか遠くを見て思いを馳せていた。
周りが、今の騒ぎを横目で見ていても気づかないほどには。




