第七章(8/11)
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長老はこの村の村長ではない。古くからの地主というわけでも名家の生まれというわけでもない。だが、間違いなく村の一番の有力者であり、家は村長のものより明らかに豪華だった。村の外から来た人間に目を付けられないように外観は控えめにしてあるが、中には趣味の悪い壺やら掛け軸やらが所狭しと飾られている。
「あんたがレイナ=コーネインか」
いきなり名を呼ばれ、レイナは驚いた顔をした。
彼女はレイナとしか名乗っていなかったから、家名を呼ばれたことを驚いたのだろうか。だが、王都から出された人間の姓名を調べることなど、今の長老たちには容易い。その情報の出所が、ルドのところか、アレイスか、それとも王都に送ったユリウスかは知らないが、何にせよその程度の情報ならば簡単に手に入れられる立場に長老はいる。
レイナは少しだけ間を開けたが、気を取り直したように形だけの笑みを作った。
「初めまして。レイナです」
そう言って相手の顔を窺う。長老に名乗らせようとしたのかもしれないが、そんな気の利く相手でもない。彼は不躾なほどの視線をレイナの全身に走らせると、嫌な笑みを浮かべた。
「なるほど、マリスカによく似ている。アレイスが騙されるわけだな」
急に母の名が出て、ソルは眉根を寄せる。そうすると長老と目があって、ソルはますます顔をしかめた。長老が馬鹿にするように口元を歪めるのが見える。
「似てるか?」
首をひねりながら言ったのは、アレイスだった。
騙される——とは、アレイスがレイナを匿っていることを言っているのだろうか。アレイスが実際にどういうつもりでレイナやラウを手元に置いているのかは分からないが、少なくとも彼らを手元に置くことで彼の立場が有利になっているとは思えない。
「男を惑わすその姿も、その生意気そうな目や口も瓜二つだろう」
「そりゃ美人の条件だな」
アレイスに、良かったな、と言われたレイナが困ったような顔をする。マリスカとは誰だと聞かないということは、レイナもそれがアレイスの母であると察しているのか、それとも余計な口は開くまいと思っているのか。
黙っているレイナを、長老は見下ろした。相手に与える威圧感を計算しているのか、それとも長身のアレイスらに見下ろされるのが嫌なのか、客を床に座らせておいて自分は立ち上がって話すのは彼のいつもの流儀だ。
「ベラルト家の当主も随分と熱を上げていたようだ。男を騙すのはお手の物だろう」
窓の外にいる土の民でも捕まえてぶっ放してやろうか。
レイナに対して向けられた嘲笑めいた表情に、ソルは一瞬、本気でそれを考える。ちらりとアレイスを見ると彼は相変わらずつかみどころのない表情で長老を見ており、レイナは怒るでも驚くでもなく、全くと言っていいほど表情を消していた。どちらも口を開く様子もない。
「魔術さえ使えれば、いずれはベラルト家の当主の妻にでもなれただろうが、残念だったな。——まあ、近いうちに王家の名も貴族の家名も意味をなさなくなる。それを考えると、むしろ王都を出られたのは運が良かった」
長老はそれを確定的に語った。
昨晩はレイナに対して若干言葉を濁したが、魔術師である貴族たちが王都を追われるのは、時間の問題であるようにソルは思っていたし、ルドや長老の周りもそう思っている。十年前に起きたルドの組織内の分裂とそれに伴う貴族たちによる粛清がなければ、今頃玉座に座っている人間は変わっていただろうと言われているのだ。
そして近いうちに何かが起こることは明白だ——とアレイスは語っていた。ルドも長老ももう五十は超えている。組織を飛躍的に大きくした彼らが、自分の死を前に何かしらの行動を起こさないでいられるわけがない。玉座に座る前に老いて死ぬ、ということほど恐ろしいことはルドには無いだろう。
「アレイスなんかより、ソルの世話でもさせてやろうか? それとも、わしかルドの愛人にでもなってみるか。そうすれば、すぐに王都に返り咲ける」
ソルが聞いても気味の悪い台詞に、鳥肌が立つ。
見れば、土の民がこちらをじっと睨んでいた。それは俺の力を使わないのかとソルに問いかけているかのようだったが、そもそも長老はなんの力もない年寄りだ。魔術など使わなくても、叩き潰すのは容易い。が、それを簡単に選択できないほどには、ソルはここに毒されているのだろう。
「朝から気色の悪いこと言ってんじゃねえよ」
アレイスの言葉に、長老は視線を彼に向けた。険しい顔をしてはいたが、本気で怒った時の顔はそんなものではない。
「——わしにそんなふざけた口をきくのはお前だけだな」
「らしいな。貴重だろ」
彼はそう言って不敵に笑った。挑発するようなものにも見えなくはなかったが、どちらかといえば長老は毒気を抜かれたように見える。理由は分からないが、なんにせよアレイスは昔から長老に気に入られているのだ。




