第七章(7/11)
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ドアの開く音がして、ソルは目を開けた。
そこに立っていたのは予想通り兄であり、彼はソルと目が合うなり眉を上げた。長身の彼が、床に片膝を立てて座っているソルの近くまで歩いてくると、はるか高くから見下ろされているような気分になる。
「そんなところで寝てたのかよ?」
「寝てない」
「あ?」
アレイスは怪訝な顔をした。
昨夜——というか今日の朝方まで、ずっとレイナと話をしていた。魔術を使えずに王都から出てきた彼女と、魔術を持ちこちらでは異端であるソルは、正反対の境遇のようで、だが不思議と通じるものも多い。お互いに色々な話をしているうちに、すっかり夜が緩んでしまったのだ。
日が昇る前に少しくらいは眠ろうかとレイナに寝台を渡し、ソルはこちらに来たのだが、神経が高ぶったまま、眠れなかった。そういえばソルがこんな風に誰かと長い時間話したのはいつぶりだろう。長らく一人で暮らしているし、歳の近い魔術師の仲間もいるがさほど話が弾むわけでもない。
「人の女に手を出すなって言っただろ」
急にそんな声がふってきて、ソルは視線を上げる。逆光で表情はよく読めないが、多分面白がった顔をしている。
「……ふざけた想像してんじゃねえよ」
「夜通し起きててやることなんて、それくらいしかないだろ」
そうでなくても寝不足でくらくらとする頭が、さらに痛くなる。
彼は本当にソルが彼の女を寝取っていたとして、それをこんな風にからかう口調で言えるのだろうか。疑問には思ったが、なんとなく彼は本気で気にしないように思えて内心で眉を寄せる。ソルが何をしてもアレイスが怒ったのを一度も見たことがないし、女に執着している彼というのも全く想像ができない。
「うるさい。あんたと一緒にすんな」
「まあ、そうだろうな。俺がお前なら確実に手を出してるとこだ」
笑いながら言った彼にため息をついて、ソルは立ち上がった。ずっと床に座り込んでいたことで、背中に凝ったような痛みがある。軽く体を伸ばしてから、椅子に座った。
正直なところを言うと、近くでレイナが寝ているから眠れなかったというのも、少しはある。決して手を出そうというのではないが、自分のベッドに彼女が寝ているというのは、なにやら落ち着かないというか、妙な緊張感を覚えるというか、とにかく嫌でも意識してしまっていた。
そんなソルの気持ちに気付いているのかいないのか、アレイスは奥の部屋を見て言った。
「レイナはまだ寝てるのか?」
「……さあな」
ソルが止める間も無く、アレイスは無造作に彼女のいる部屋の戸を開けた。眠っているのだとしたら、先程寝たばかりなのだ。起こさない方がいいと言いかけたソルだったが、その前にアレイスが眉を上げた。
「なんだ、起きてるじゃねえか」
「ソルの部屋を借りてる身で贅沢を言えないのは分かってるけど、ノックしてもらえると有難いんだけど?」
「服は着てるみたいだから、別になんの問題もないだろ」
そんなことを言ったアレイスの向こうから、ため息をついたレイナが出てくる。部屋から出てきた彼女を見て、思わずどきりとする。決してこのあたりでは見ることのできない、金髪に白い肌。だが、ずいぶん前にはこの家に当たり前のようにいて、一緒に生活していた。この数日でだいぶレイナにも見慣れたにもかかわらず、それでもふと母の面影を重ねてしまうことがあり、そんな時には自分でもどうしようもないほど狼狽えてしまう。
レイナはソルを見ると、昨日の乗馬の疲れや寝不足など全く感じさせない、ぱあっと光が溢れるような笑顔を向けてきた。
「おはよう。寝台を借りてしまってごめんなさい。ソルもちゃんと眠れた?」
母からは決して向けられなかった笑顔に、ソルは息が苦しくなった。呼吸の仕方を忘れてしまったかのような体を無理やり落ち着かせ、なんとか頷きだけを返す。
母は兄を愛しているようには見えなかった。だがきっと、自分が愛されていたわけではないのだろう。彼女は魔術を使えない自分をアレイスに重ねて遠ざけ、魔術を使えたはずの自分をソルに重ねて愛していただけなのだ。
「寝てないって言ってたぜ」
「え、本当? ごめんなさい。私だけ寝ちゃって」
「レイナもよく、こんな得体の知れない男と二人きりで無防備に寝てられるよな」
「あなたよりもはるかに得体は知れてるし、ソルはあなたみたいにノックもせずに部屋を開けないと思うわよ?」
「どうだかな。こいつも男だ」
彼は笑いながらそう言うと、戻ってきてテーブルに腰をかけた。椅子は二つしかなく、一つはソルが座っているから、もう一つはレイナに譲ったのだろう。レイナもそう思ったのか、自然に椅子に座った。
「アレイスはよく眠れたみたいね?」
「おかげさまで、ここよりは遥かに広いベッドで寝れたぜ」
「なにか言ってたか、あのクソじじいは」
ソルの言葉に、アレイスはレイナを見下ろした。
「ああ、レイナに会わせろって」
「……何が狙いだ?」
「さあな。死ぬ前に若い女の顔でも拝みたいんだろ」
「あんな若い奥さんの顔を毎日拝んでれば、冥土の土産には十分だろ」
「そりゃそうだが、レイナの方がもっと若いからな」
アレイスの言葉に顔を顰める。
長老は五十を前に二十そこそこの若い娘を後妻に娶っている。攫ってきたのか強引に連れてきたのか、はたまた娘の両親に金でもチラつかせたのかは知らないが、なんにせよ三十も歳を離れたじじいに嫁いだ女の顔はいつも、この村と同じで暗く渇いている。
彼女の蚊の鳴くような声を思い出していると、レイナの元気な声がした。
「会いにいくの?」
「ああ、レイナが嫌なら考えるが、年寄の戯言に付き合ってもいいなら頼む」
アレイスはそう言ったが、長老が会わせろと言っているのなら、会わせないという選択肢は少なくともソルにはない。この場はなんとか切り抜けても、どうせ後から手を回すなり何なりして無理矢理にでも会おうとするだろう。
「別に良いけど……アレイスに頼むって言われたの初めてね?」
少しだけ驚いたように言ったレイナの言葉に、アレイスは肩をすくめるだけで何も返答しなかった。きっと彼としてはレイナを連れて行きたいのだろう。それが分かったのか、レイナもそれ以上は何も言ってこなかった。




