第七章(6/11)
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ソルの父親は、ルシオラの村にいる魔術師である。
数少ない魔術師同士、として顔を合わせることはあるが、父と子として顔を合わせることはない。相手はソルのことを息子だと知ってはいるが、息子だと思ってはいないし、ソルも別に彼のことを父親だと考えたことはない。ソルの母親は、父親の存在など欲してはいなかったのだ。
彼女が欲しかったのは、強い魔術が使える男の子供であり、子供さえ孕んでしまえば男の方に興味はなかった。父である男はその時点でまだ十八。愛した年上の女性の心変わりにたいそう傷ついたのだと、誰かに聞かされた。それを言ったのは母を嫌う誰かだったため、もしかしたら嘘も混ざっていたかもしれない。が、概ね事実だろう。母は魔術師を産むためだけに、その男を選び、そして一人でソルを生んだのだ。
父親であるその男は、今では魔術師である妻を持ち、その間に生まれた子がいる。ソルの腹違いの妹ということにもなるのだが、ろくに顔を見たこともない。彼女は魔術が使えないということもあり、顔を合わせる機会などそれこそ皆無なのだ。
彼女は魔術を使えないにもかかわらず、両親から愛されているらしい。それは幸いなことだと思う。もし自分に魔術の才が与えられなかったら、今頃ソルは生きてはいないかもしれない。母はソルを殺して自害していたとしてもおかしくはない、と思うのだ。彼女の魔術への渇望はそれほど深いものだったし、彼女の希望は魔術を使える自分の分身であるソルだけだったのだ。
母は兄を愛しているようには見えなかった。
望まない相手との間にできた望まない子供だったと言ったことがある。彼女は兄がまだ幼い頃から、彼には魔術の才などあるわけがないと決め付けているようだった。——それはたしかに事実だったのだが、ソルが魔術を使えるようになった物心着く頃には、彼女の愛情の全てはソルの上にあった。
それは幼いソルにとって、幸せなことだった。
母に愛され、期待され、そして力を持った自分。母は貴族たちを倒すためにソルが生まれたのだと言ったし、ソルにしかそれができないと言った。自分もそれができると思っていた。兄は母にも弟である自分にも優しかったが、母の視線が兄に向けられることはなかった。
いま考えると、なぜなのだろうと思う。
彼女は王都では魔術が使えないことで家族たちからも友人たちからも疎まれ蔑まれ、王都を追われてからも人々に踏みつけられながら生きてきた。その痛みがわかるはずの彼女は、だが、魔術を持たない兄を同じように蔑み続けていたのだ。
母が死んだのは、ソルが十になる直前だった。
誰が殺しても死なないだろうと思えるほどに強かった母だが、流行り病に罹るとみるみる体を弱らせていき、驚くほどあっさりと息を引き取った。ソルにとって自身の全てであった母が死に、衝撃に打ちひしがれている中、兄はふらりと村を出て行った。荷物も何も持たずに出て行ったのだが、何日経っても彼は帰ってこなかった。
自分は兄に見捨てられたのだ、とすぐにソルは理解した。
捨てられる理由など、いくらでもあった。
ソルは母を独り占めしていたのだし、母と一緒になって兄を無視していたのだし、魔術が使える自分を誇ってもいたのだし、その力を持たない兄を侮ってもいた。そんな自分にも彼は優しかったが、母が死んでまで付き合いきれはしなかったのだろう。
それが分かっていたから、兄はもう帰ってこないと覚悟したところで涙も出なかった。母の死でそもそも涙が枯れていたのかもしれない。村の人間は貴重で有能な魔術師の一人であるソルの世話をせっせと焼いてはくれたが、色々な意味で異端のソルを家族として迎え入れようとする奇特な人間などおらず、ソルは母と兄のいなくなった小さな家で一人で暮らした。
ふらりと消えた兄がふらりと戻ったのは、それから三年後だった。
「久しぶりだな」
そんなことを言った彼は、消えていた間の時間も何も感じさせない顔で笑って、ソルの頭をくしゃりと撫でた。何も言えずにぽかんと口を開けたソルに、間抜けな顔、と言ってまた笑った。
消えている間に、彼は何をどうやったのか、多くの人と金を動かせるようになっていた。魔術師を擁する長老たちのところにはどこから手に入れたのか貴重な太陽の涙を売りつけ、ルドたちのところには山ほどの情報と他国から仕入れた武器を売りつける。そうやっていつの間にか、ソルの頭の遥か高いところを飛び越え、彼らのトップと対等に話のできる人物になっていたのだ。
その時の彼は今のソルよりは年上だったろうが、さほど変わらなかったはずだ。魔術を使えるわけでもなく、頼れる知り合いがいたわけでもない彼にどうすればそんなことができたのか、ソルにはわからない。母は魔術の使えない兄は無力だと言っていたが、今のソルと兄では比較するまでもない。
——本当に無力なのは、魔術を使うことしかできず、こんな村から出ることすらできない自分の方なのだ。




