第5話 風を薙ぐ刀
数年前、まだ訓練兵だった頃に1度だけ防護服を作った事がある。
『え、これ凛が作ったの!?』
ハルという偽名も、ハルジオンというペンタグラムの敬称もまだなかった同期が、技師でもなんでもないのに見様見真似で作ったぼろぼろの布切れみたいな防護服を褒めてくれた。
それだけでも十分だったのだが、なんとそれを着て実戦に出てしまったのだ。訓練兵はエレメントの属性も定まってはいないし、マナの扱いもまだ拙いため、技術開発部から支給される訓練兵用の防護服の着用が義務付けられている。誰もが使いやすいバランスで回路が組まれているその防護服から卒業出来るのは上位部隊員になってからである。技師でもないものが作った防護服を着て戦場に出るなど自殺行為に等しい。
あれ程肝を冷やした事件はない。自分のせいで友人が死んでいたかもしれないのだ。どれだけ心配しただろう。そんな事を知ってか知らずか、笑顔で帰ってきた幼き頃のハルは私の手を取って言うのだ。
『凛の防護服のおかげで助かったよ。ありがとう』
神奈川県横浜市神奈川県警察本部跡地。背後には枯れ果てた草木、瓦礫が散乱した広場と崩れた赤レンガ。前方にはC級ドラゴンのドラゴネットが数体。頭上にはD級ネヴァンの群れ。
ドラゴネットは後脚が進化したため翼と前脚が退化したのではないかと言われているドラゴンだ。2本脚で立ち、太い尻尾で攻撃をしてくる。時折毒を吐いてくる個体がいる事が厄介だ。基本的に飛行はしないので地上戦になる。
一方ネヴァンは黒い光沢のある翼をもち、カラスのよう姿をしている。大きさは大鷲に近い。鋭いくちばしを使い、鳥類とは比べものにならない程のスピードで攻撃してくる。
どちらもついこの間退治したB級ドラゴンより体格、攻撃力共に劣る。だが油断は禁物だ。ドラゴネットとネヴァンの組み合わせは最悪なのだ。
ドラゴネットに集中すると、空から急降下してくるネヴァンにやられる。ネヴァンに集中するととドラゴネットに毒を吐かれる。
一体一体の力は弱いのにも関わらず劣勢に持ち込まれてしまう。
(そうならないために俺らがいるんだけどな)
刀を持つ手首をコキッと鳴らし、ハルはざっと辺りを見回した。
今日はナツキ達との合同任務だった。正直、C級以下ならばペンタグラムなしでもどうにかなるのだが今日は少し事情があった。先日、ナツキの直属部隊、ジェミニの隊員が殉職した。そのため、本来ならば別の部隊が出撃するのだが生憎と出張っていたのだ。
1人欠けた。そのことで部隊がどれだけ脆くなるのか。それを心配したナツキはジェミニと共に出撃したのだ。自分の傷だってまだ、癒えていないだろうに。
そしてハルは上司からの命を受けてここにいる。
『海が近いしネヴァンも出ている。行ってくれないか』
言われなくてもついて行くつもりだったし、他に用事もあった。この刀だ。
『いつも通り使ってくれ。説明は後でするから。それと、無線も繋いであるから安心してほしい』
そう言われ煌葵にポンと渡されたのがつい十数分前。手中でもてあそんでみても、感覚はいつも通りだ。凛が作ってくれた刀を煌葵が渡してきた事に疑問を感じたが、見た目も変わりなかったし問いただしはしなかった。
だがその刀は、目に見えないが以前使った時と比べて確実に変化し、そして進化しているとすぐに気付くことになる。
「リアトリス様、来ます」
「あぁ、行こう」
ジェミニの隊員の一言が合図となり、一斉に武器を構えて走り出す。ハルは翼を広げ、アリエスの隊員達と共に飛び立つ。
空中で二手に分かれ、ネヴァンの群れを分散させる。1個体ずつ倒そうとネヴァンに刃を向けた時、ハルは異変に気付いた。
(空気抵抗が、すごく小さい)
どんなに改良を重ねても課題となるのが空気抵抗だと凛が言っていた。そこに物質として刀が存在している限り、抵抗は無くならない。君が早く飛べば飛ぶほど大きくなる、と。それをいかに小さくするかが私の腕の見せどころなんだけどね、とも言っていたがこれは次元が違う。
(抵抗がないというよりも刀に引っ張られる……刀が自ら風を切りにいっているようだ)
次々とネヴァンを倒すが時折体勢を崩すハルをアリエスの隊員達が心配そうに見ている。そのうちの1人がそばに寄ってきた。
「ハル様!どうされたんです!?」
「麗央……なんでもない。心配してくれるのは嬉しいけどな、隊長が隊列を崩すのはどうかと思うぞ?」
優秀なのだがどうにも抜けているらしい、顔を青ざめさせて戻っていく部下。それだけ愛されているということなんだろうけど、と苦笑する。
麗央にはなんでもないと返したがこれはなんでもないでは済ますことが出来なかった。
「煌葵さん!」
ザザッとノイズがひとつ。その後聞こえてきたのは間延びした男の人の声。
「はいはーい、こちら煌葵、どうぞ?」
「これどういうことなんですか?」
ネヴァンと戦う様子は司令部から見ているのだろう。こちらの状況が分かっているからこそ少しおちゃらけた調子なのだと思いたい。
「詳しい説明はお前が帰ってからにするが、簡単に言うと回路に負荷をかけたんだ」
「簡単に言ってもらったとこ悪いけど、さっぱり分からないんだが」
つい敬語が崩れてしまった。心の声が漏れたと言うべきか。煌葵が言ったことをネヴァンを切り裂きながら考える。
(俺だって馬鹿じゃない。凛が作った刀の回路をいじったらこうなった、そう言っているんだこの人は)
だがこの空を滑るように敵を薙ぎ、刀が加速するように風を切るこの感覚の中に負荷がかかっているというのはどういうことだろう。
ネヴァンをあらかた片付けて地上に降り、ナツキとジェミニの隊員に加勢する。彼らは彼らで陣形を組んで戦っているため、ハル達は主に群れから外れた後方にいる個体を中心に叩いていく。
刀の方は地上戦でも相変らずだった。1歩の踏み込みが深く、普段はとは違う地面をえぐるような感覚。刀を振るスピードに力を上手く乗せられない。
それでも滞りなく両隊無事に討伐が終わったようだった。
皆それぞれ一息ついて帰還準備に移ろうとしている。その中で1人、様子がおかしいものがいた。
ハルだ。
部下たちが駆け寄ってくる。心配そうに、驚いたように声をかけている。
だがその声が聞こえないくらい耳が熱く熱を持ち、ぐるぐると脳が回るような錯覚。ヒューヒューと微かに聞こえてくるのは自分の呼吸音だろうか。
全身に小さな傷をつけたハルはかたかたと震え、やたら重く感じる腕をゆっくり持ち上げた。そしてくらくらと焦点の合わない目で刀を見つめたのだった。
ハルジオンという敬称だからハルと呼ばれているわけではありません。だってほら、ナツキはリアトリスでしょ?ちゃんとこの理由も後々分かります




