偶然と運命
奥歯を噛みしめて、その輝きに囚われないように
己を強く保とうとしたその時、
フレヤの耳はここにはいないはずの人の声をとらえた。
『止まりなさああああああぁぁぁい!!』
「……っ!?」
「ぐっ!?」
それは北の領地に避難したはずの妹ヘレナの声だった。
全力で叫んでいるのであろう声は、
風に紛れて消えてしまいそうだというのに
確かに耳に届いた。
ステファンのほほえみが消え、
その顔は驚愕に染まった。
しかし、それはフレヤも同じだった。
ヘレナ、と妹の名を紡ごうとした唇は動かなかった。
体の自由が利かない。
首をねじって背後を確認したいのに、
指先一つ動かなかった。
これは、この声は。
二人とも不自然な体勢でいたため、
ぐらりとバランスを崩してしまうが、抗うすべはなかった。
フレヤはステファンの方に、ステファンはフレヤのほうに
向かって倒れていく。
フレヤの右手に持っている銀の短剣が
ゆっくりとステファンの左胸に吸い込まれていった。
手に肉を断つ独特の重い感触が響く。
ステファンが耳元で低くうめいた。
フレヤは、目を乾くほど見開いた。
しかし、二人は体の自由が利かないまま
なすすべなく地面に向かって倒れていく。
フレヤの目は空に向けられ、次々と空から地面へと墜落していく
ダークエルフたちの姿を映した。
なんだ、この状況は。
理解が追い付かない。
夢を、見ているのだろうか。
地面に倒れ伏す寸前に、ダークエルフたちの攻撃で
倒れ伏していたはずの騎士団の者達が
勇ましい雄たけびを上げてダークエルフ達にとびかかる姿が見えた。
「フレヤ様!!」
倒れ伏していたはずのカインが、
フレヤの体が地面に激突する前に抱き留めてくれた。
どうして動けるのか。
ダークエルフによる魔法攻撃を受けたのではないのか。
そう聞きたいのに声帯が凍り付いてしまったかのように
声が少しも出ない。
丁寧な仕草でフレヤの体を抱き起すと、
カインは素早くステファンと距離を取った。
しかし、ステファンは地面に倒れ伏したまま動かない。
それは、チノとシウも同じことだった。
おかしい。
姿は見えないが、どうやってここまで来たのか、
ヘレナの声で間違いない。
彼女には異形としての特殊な力はないはずだ。
仮に、その力に今まで気づけなかっただけであったとしても
異形の力は人間にしか効かない。
しかし、今この状況だけをみると、
まるでヘレナの声が異形の者にだけ効いているように
すら思えてくる。
「お姉さま!!」
馬に乗ったヘレナがこちらに駆けてくるのが見えた。
声を出したいのに、わずかに吐息が漏れただけだった。
少しもたつきながらも馬から降りると、
ヘレナはこちらに駆け寄ってきた。
彼女の長い金髪が風になびいて広がる。
彼女ははっとしたようにフレヤから視線を外した。
いや、ステファンの存在に気付いたのだ。
その表情は驚きと恐れに染まった。
カインは、フレヤを地面に横たえると剣を手に取り、
ヘレナを手で制した。
ゆっくりとステファンに近づき、
地にうつ伏せているステファンの体を剣でひっくり返した。
ステファンが呻いた。
まだ生きているのか。
信じられない。
偶然とはいえ、フレヤの短剣はステファンの心臓近くに刺さった。
普通の人間なら息絶えている。
これがダークエルフの力だというのか。
しかし、そのかんばせには先ほどまでの余裕はなく、
痛みのせいか苦悶の表情を浮かべている。
「ぐっ……ぅ……」
カインは油断なく剣の切っ先をステファンに向けている。
ステファンの顔からは生気が消え失せていた。
澄んだアイスブルーの瞳は焦点を結ばない。
誰の目から見ても、
ステファンに死が近づいているのは明白だった。
「私は……死ぬのか……」
ぜひゅーぜひゅーと小さく乾いた風がステファンの
青白い唇から洩れる。
フレヤは、ようやく少しだけ動くようになってきた
身体をなんとか動かそうとした。
ステファンの左胸には深々と銀の短剣が突き刺さり、
真っ白な軍服には赤いしみが広がっていた。
それは見ている間にどんどん広がっていく。
自分は不死身だと言っていたステファンが
瀕死の状態になっているのは、魔を断つといわれている
銀の剣のおかげなのか。
それとも、人魚の魔女の、
王子の心臓をつきさせば人魚姫の命は助かる、という
呪いのせいなのか。
フレヤには何もわからない。
アイスブルーの瞳は夜空を映したまま閉じていく。
「私は、ただ、
……魂から強く愛し……愛されたかっただけなのに」
愛を知らぬ孤独な男の唇から最後の吐息が漏れた。
しばらく、誰も声を発しなかった。
誰も動けなかったと言った方が正しい。
咄嗟に目の前で起きていることを理解できなかったのだ。
やがて、遠くから声が聞こえた。
それは、騎士団の雄たけびなのか、
主を失ったダークエルフたちの悲鳴なのかはわからない。
フレヤは目を閉じた。
そして目を見開いて、己の手で殺してしまった
最愛の人だった王をもう一度見つめた。
その美貌は月光のもと光り輝くようだった。
ステファンの閉ざされた瞼の端には
ひどくきれいな雫が浮いていた。
フレヤの目じりからも、すっと雫が零れ落ちた。
なんの涙なのかはわからない。
吐息が漏れた。
声にならなかった。
ふらりと傾いた体を、体を起こしたチノが受け止めてくれた。
身体がようやく動くようになってきた。
ゆっくりと瞬きを繰り返し、焦点を合わせる。
フレヤは事実を受け止めた。
コペンハヴン国の勝利だった。




