帰国
フレヤたち一行は、定期的に休憩をはさみながら、
コペンハヴン国への道を進んでいた。
もうすぐ国境近くというあたりで、日も暮れてきたので
野宿という形になった。
闇に染まりつつある来た道を黙って見つめる。
シウは追ってこなかった。
追手の気配もない。
やはり、勝手に意に背いた娘のことなど
もうどうでもいいのだろう。
少しだけ寂しいような濡れた感情が胸に広がったが、
目を閉じてそれをやり過ごす。
そんなことよりも考えねばならぬことはたくさんある。
兵を集めねばいけないし、
戦えぬ女子供は避難させなければならない。
しかし、どこに避難させる?
武器の調達は?
兵たちの食料はどうすればいいのか。
兵達の指揮は誰がとるのか。
そもそも、王殺しの元王女の言うことなど信じるだろうか。
考えれば考えるほど思考は深く闇に沈んでいく。
いくら考えても、いい考えは思いつかなかった。
「見捨てられた吸血鬼のことでも考えているのですか」
チノとカインが薪を拾いに行っている間に、
メノウが嘲るような調子で言った。
メノウから話しかけてくるのは珍しかったので
少し驚いてしまう。
しかし、はたから見れば
無表情で睨みつけているようにしか見えないらしく、
メノウは顔を歪め、何か言ったらどうですか、と不機嫌そうだ。
「別にシウのことを考えていたわけではないわ。
どういう風に民に話そうかと考えていたの」
「白々しい。
どうせ私のことを使えば民を思い通りにできると
連れてきたくせに」
メノウのことを利用することなど、てんで頭になかった。
ぽかんとしていても、見た目は無表情なため
メノウをさらに苛立たせてしまったらしい。
「王族など利用することしか考えぬ
無能な者どもの集まりにすぎない」
「私は貴女を利用しようなどとは考えていないわ。
貴女の声の力を利用するなら、
私の歌の力でも十分に民を動かせる」
メノウは急に黙り込んだ。
どうやらフレヤの言葉に反論するための言葉を
なかなか見つけられないようだった。
「私は、この歌の力を使わないで、民を動かしたい。
彼らを説得したい」
「またお得意のきれいごとですか。
王殺しの王女殿下のお言葉など誰も耳を傾けない」
あらためて他人からそう言われると、
言葉が、事実が、胸にぐうっと重く沈んだ。
それっきり二人は話すことなく黙り込んでしまった。
その夜は、カインとチノが交代で見張りをすることになった。
あまり長距離の移動に慣れていないフレヤはひどく疲れていて
一方的に二人に頼ってしまうことに否を唱えられなかった。
無理に見張りをしたところで、次の日に支障をきたすのは
カインやチノではなく、フレヤ自身だった。
自分自身にぐるぐると大きな布を巻き付け、
焚火から少し離れたところにぐったりと横たわる。
焚火の向こう側には、メノウが横になっていた。
ヘレナとそっくりの顔。
だけど閉ざされた瞼の向こうには
深い森と同じ色をした瞳がある。
海の国の民であるコペンハヴン国の青い瞳の民とは違う色。
ペンダントの中で見た、
メノウの母親であろう娘のことを思い出す。
彼女はきっと、父、イルグ王のことを愛していた。
わずかな間に、恋に落ちてしまっていた。
どんな気持ちだったのだろう。
苦しかったのだろうか。
泣きたいほどに愛おしかったのだろうか。
幸せだったのだろうか。
今、自分自身がチノに抱いている気持ちと、
同じものを彼女も感じたのだろうか。
いや、そんなことはない。
あれは、雪解け水のように、純粋で清らかできれいだった。
今感じている、どろどろした重くて昏いものとは
まるでかけ離れている。
焚火が乾いた音を立てた。
炎がはぜて、火の粉が飛び散る。
あんな、綺麗な色をしていない。
チノに、婚約者のもとに戻ってほしくないと、
ルザのところなんて戻ってほしくないと
みっともなく喚き散らしたいのを必死にこらえている。
炎の向こうに大好きな黒衣の背中が見える。
どうすれば、こちらを見てくれるだろう。
あの背中にしがみついて、泣きわめけば
少しくらいはこちらを見てくれるだろうか。
美しく着飾ればいい?
ルザの様に凛として、
そしてかいがいしく世話を焼いてあげたらいいのか。
泣いて縋りついて愛を乞えばいいのか。
思いついたどれもが惨めで、泣きたくなる。
胸が引き絞られるような思い。
メノウの母は、イルグ王を恨んだのだろうか。
己を弄んで捨てた男のことを憎んだのだろうか。
違う気がする。
愛しい人と少しの間だけでも寄り添えたことは
きっとかけがえのないものだ。
でも、メノウはどうすれないいのだろう。
母を失った悲しみを、父のいない寂しさを
どこにぶつけたらいいのだろう。
今のメノウは憎しみという力だけで生きている。
それを失ったら、はかなく消えて行ってしまうような気がした。
それではだめだ。
フレヤはきゅっと目をつむった。
明日の朝も早い。
もう寝なければならない。
驚くほどあっさりと国境を越え、
コペンハヴン国に入国できた。
一切の障害がなかったため、拍子抜けを通り越して
警戒してしまう。
ぐらりと体がかしいだ。
この二日間、ずっと神経を張り詰めさせていたせいだ。
夜もよく寝られなかった。
チノとカインは、人の機微に聡い。
悟られないようにしなければ。
余計な心配をかけたくなかった。
ふとカインの灰色の瞳がこちらをとらえてドキリとする。
内心の焦りを表に出さないように気を付けながら
無表情を保つように心がける。
「どうしたの?」
「姫は……
これからどうなさるおつもりでいらっしゃいますか」
またその呼び方だ。
何度も直すように言ったのだが、カインは譲らない。
少しだけ違和感を覚える。
カインは昔はこんな呼び方をしなかった。
フレヤ様、と名を呼んでくれた。
カインとの間に知らず知らずのうちに
距離が開いてしまったみたいで少しだけ寂しくなる。
「……王宮にいきましょう。
そこで、兵と民に招集をかける」
「王家の犬である兵はともかく
国民がおまえの言うことを聞くとはあまり思えないな」
チノの冷静な意見にぐっと押し黙ってしまったが、
カインはその言葉を聞いてぴくりと肩を震わせた。
「おれだけでなく、姫の無実を信じている兵もたくさんいる」
「信じていないやつもいるということだ」
静かに火花を散らす二人に我関せずという態度を貫くメノウ。
思わずため息をつきそうになるが仕方がない。
「メノウ、貴女とチノにはアルハフ族のもとへ向かってもらいます」
ぐっとチノが発する空気が重くなった。
また引き離すのかと言外に圧力をかけてくる。
「アルハフ族にも、協力を仰がせてほしいの」
唇をかみしめた。
人間では、伝説の存在と思われていたダークエルフなどに
かなうはずがなかった。
少しでも戦力になるものは、味方にしておきたい。
「私では、説得などできない。
族長のチノなら、メノウとともに
アルハフ族のみんなを説得できるかもしれない」
チノは黙ってしまった。
反論の言葉はない。
「……私たちを苦しませたコペンハヴンの奴隷になれというの」
地を這うような声でメノウがつぶやいた。
チノは何も言わないが、似たような心情に違いない。
そんなことは初めからわかっている。
彼らの気持ちも痛いほどにわかる。
「……我が民は先王の遺志を受け継ぐものが多い。
異民族は拒むものだと、考える者が多い。
だから、その考えを払拭したい。
あなたたちが、私たちと共に戦う姿を見れば
民もきっと意識を変える」
「……我らを蔑む者どもの傀儡となれというのか」
「違う。
もう少しだけ、機会を与えてほしい。
もし、彼らが共に戦うアルハフ族を見ても
意識を変えないなら、私はアルハフ族の味方となり
私の歌の力を使って、あなたたちの盾となり、矛となる」
チノもメノウもしばらく何も言わなかった。
彼らの脳裏には、きっと屈辱の日々がよぎっているに違いない。
「……その言葉、確かだな」
「ええ、嘘はつかない」
チノの目は族長の、人の上に立つものとしての目をしていた。
やがてチノは目を伏せた。
「……なるべく早くに王宮に行くようにする」
「チョルノ!!」
金髪を振り乱してメノウがチノのほうを見た。
陽光のような色がぱっと宙に散ってひどくきれいだった。
緑の目は見開かれて、強い感情に支配されていた。
「私たちが、どうして、これほどまでに苦しんできたのか
忘れたとは言わせないわ。
母を殺し、ばば様を……悲しませたこの国を
私は、決して許さない」
今にも爆発しそうに震えているメノウの声は
強くフレヤの胸を貫いた。
目を伏せる。
メノウは、やはり、同族思いの娘だ。
一族を裏切ってまでステファンのもとにつき
この国を滅ぼそうとしたのは、おのが母と祖母への
愛と思慕の情があるからだ。
この感情がメノウを復讐へと駆り立てた。
「だが、今、コペンハヴンを出ることはかなわない。
傷ついたものがたくさんいる。
年老いた者や子供もいる。
すぐには動けない中、この国の兵に
一族の者が見つかるのも時間の問題だ。
それならば、少しでも助かる可能性の高い道に
賭けたほうがいい。
下らぬ自尊心を捨てるだけで、みんなが助かるのなら
なにも、惜しくなどない」
「信じられない……。
この国のやつらが憎くないの!?」
「八つ裂きにしてやりたいとも」
チノの瞳に一瞬獰猛な光が宿った。
それに一瞬気おされてしまったものの
それはすぐに消えてしまった。
「……だが、みなの命と秤にかければ、
どちらのほうが重いか、わかるだろう」
静かな声だった。
フレヤには何も言えなかった。
これは、部外者が口をはさんでいいような内容ではなかった。
メノウは何も言わなくなってしまった。
「じゃあ、ここからは二手に分かれるんだな」
何事もなかったかのように振り返るチノに慌てて頷く。
それに頷き返すと、チノはメノウに向き直った。
「行くぞメノウ」
「……」
唇をかみしめてうつむいてるメノウは
納得しているようには見えなかった。
一族の命と引き換えにということで
しぶしぶチノについて言っている感じだ。
少し不安は残るがチノならきっと大丈夫だろう。
山に向かって歩いていく二人の背中を見送った後、
コペンハヴン城の方角に向き直った。
こちらも、大仕事になりそうだ。




