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マーメイドウィッチ  作者: いろはうた
63/88

誘拐

青玉のような瞳に、徐々に驚きの色が広がり、


零れ落ちてしまいそうなほどに見開かれる。


ヘレナは、もつれる足で転がるようにこちらに駆け寄ってきた。


窓が一気に内側に開かれ、ふわりと温かい風が部屋からあふれてきた。


花の香りのような良い匂いが鼻腔をくすぐる。


続いて、ヘレナが突然抱き着いてきて、バランスを崩しそうになった。


咄嗟に反応できなくて、固まっていたが、


ふと妹の体が震えていることに気付く。



「お姉さま……」



フレヤはおそるおそる手を持ち上げて、ヘレナの背に回した。


あやすように撫でると、


こちらの肩に顔をうずめている彼女から嗚咽が漏れた。


ああ、そうか、と悟った。


彼女は、肉親を同時に二人も失いかけたのだ。


フレヤは目を伏せた。


誰かを失う痛みは、知っている。


それは、妹には味わってほしくなかった。


彼女には日の当たる温かいところで、笑っていてほしかった。


それを守り切れなかったのは、自分の力不足だ。



「夢ですか……?


 私は、夢を見ているのでしょうか……?」


「……夢じゃないわヘレナ」



ぎゅうっとひときわ強く抱きしめられた。


そのあと、ヘレナはすっと体を離して、こちらを見つめた。


涙にまみれた美しい顔。


メノウと全く同じ顔なのに、この娘こそ私の妹だと感じた。



「わかっております。


 あの、くそ王子がお姉さまを陥れたのですね」



ひゅう。


冷たい夜風のみがその場で音を立てた。


思考が一瞬停止した。


今、妹は、何と言った。



「……やはり、毒でも仕込むべきだったかしら」



フレヤは痛いほどまばたきを繰り返して妹を見つめた。


ヘレナは、眉をひそめて、ぶつぶつとまだ何やら呟いている。


花の蕾のような可憐な唇から出たとは思えない言葉が


聞こえたのは気のせいなのだろうか。



「……おい、娘。


 話はあとにしろ」



重圧を背後からかけられて、フレヤははっとした。


そうだ。


なんとかして、ヘレナを説得して、ここから連れ出さなければならない。


一瞬、横に向けた視線を戻すと、すでにヘレナは据わった目をしていた。



「連れ出してくださいませ」


「……」



攫うのはこちらなのだが、ヘレナ自身に


攫ってくれと言われるとは予想だにしなかった。


わずかに困惑しながらもフレヤは、ヘレナを見つめた。


ステファンに洗脳か何かをされているのかと思っていたが、


これではむしろ、ステファンの本当の姿を知っているような態度だ。


迷った末に、こくりと頷く。



「ええ、一緒に――――――」



ギイィィ


軋んだ音を立てて、ヘレナの自室のドアが開いた。


カルトと鴉天狗の青年たちが殺気立つ。


フレヤは、すうっと顔から表情を消した。


ヘレナが振り向き、目を見開く。



「ステファン、様」



太陽神のような姿をした、美しい悪魔が微笑みを浮かべて立っていた。


その腕に、ヘレナと姿がそっくりな一人の娘を抱えて。


ステファンの登場はある程度予測はしていた。


むしろ、いつ来るのかと、扉のほうを伺ってしまったくらいだ。


しかし、彼の腕の中の娘がここに現れるとは少しも考えていなかった。



「……メノウ」



複雑な感情の入り混じる声で、カルトが娘の名を呟いた。


メノウは目を閉ざしたままピクリとも動かない。


血の気のない顔は、彼女を美しい人形のように見せた。


メノウは、気を失っているようだった。



「こんばんは、フレヤ様。


 ヘレナ様、夜分遅くに部屋を訪れてすまない」



彼は、いつものように挨拶を口にした。


この状況では、それが逆にいびつに見える。


ステファンが一歩、部屋に足を踏み入れた。


彼は、一人ではなかった。


背後に、黒ずくめの人間が何人も控えていた。



「まさか夜に会いに来ていただけるとは思っていなかったもので


 たいしたもてなしもできず、申し訳ない」



よく言う。


こちらの来訪を予測せずして、


どうしてヘレナの部屋にすぐに現れられるものか。



「私、ここをじきに去りますので、お気遣いなく」


「そうはいかない。


 国王殺しと王妃誘拐未遂の罪を背負った元王女の貴女を


 そうやすやすと帰すことはできない」



フレヤはギリリと奥歯を噛みしめた。


ふざけるな、と叫びたかった。


どの口がそれを言うのだ。


しかし、取り乱せばそれこそ相手の思うつぼだ。


必死に平静さを取り繕う。



「さぁ、ヘレナ様。


 その方は貴女の姉上ではない。


 狂気にとりつかれた姉上の亡霊だ。


 早くこちらへ」


「……」



ヘレナは答えない。


無言でステファンを睨みつけている。


その手はフレヤの手を強く握りしめていた。


それが何よりの答えとなったらしい。


ステファンは笑った。


いつもの春風のような笑みではなく、毒を含んだ笑みだった。


がらりと、仮面がはずれたように、暗くて冷たいものが


ステファンの瞳に宿った。



「残念だ。


 もう少し、頭が弱い娘だと思っていたのに


 姉ほどまではいかないが、多少は聡いようだ」



フレヤはぎゅっとヘレナの手を握り返した。


何故、ヘレナがステファンの本当の性格を知っているのかはわからない。


しかしそれは後で確認すればいい。


今は、この状況をどう切り抜けるかだった。


メノウに視線をやる。


おそらく、ステファンの中での今回の人質は、ヘレナとメノウ。


ステファンが来るのが少し遅かったため、


ヘレナはこちらの手の内に渡った。


それでもメノウは向こうの手の内だ。


メノウに対して恨みや憎しみがないと言ったら嘘になる。


だが、彼女は、アルハフ族の者だ。


最初は、アルハフ族を救うために、彼女は奔走していたはずだ。


だけど、王である自分の父に対する恨みと憎しみを


ステファンに見抜かれ、利用されたのだろう。



「だけど、フレヤ様。


 貴女はお優しい。


 たとえ自分を陥れた者だとしても、見殺しになどできない」



反吐が出る。


優しくなどない。


正直に言えば、メノウなど殺してやりたい。


ステファンに利用された娘だとは言え、父王を殺させ、


国を混乱に陥れた張本人だ。


憎い。


自分が味わったのと、同じだけの苦しみを与えたい。


だけど、それでも、彼女は恩のあるアルハフ族の娘だ。


アルハフ族の呪術師の孫娘だ。



(あのこを……どうか救ってやってほしい)



トンガの言葉が脳裏をよぎった。


横目でカルトの様子を確認すると、


彼は今にもステファンにとびかかってしまいそうな自分を


必死に抑えているようだった。


それは、前に一族を人質に取られた恨みだけの怒りではなさそうだった。


言葉で何と言おうと、


カルトはメノウのことをまだ仲間だと思っているのだ。


ステファンの言うとおりだ。


見殺しになどできない。



「その娘は、私を陥れた娘よ。


 殺してやりたいほど憎いわ。


 どうしてそんな娘を私が命を懸けて助けなければならないの」



だから冷たく言い放つ。


まるでメノウのことなどどうでもいいように見えるように。


ステファンには、こちらの考えていることを


できるだけ悟られないようにしなければならない。


それに、まだメノウとステファンはつながっているかもしれない。


メノウが気を失っているふりをしている可能性もある。


あらゆる可能性を考慮し、慎重に、


かつ迅速に行動を起こさなければならない。



「動かないでほしい」



殺気立つカルトを見てか、


ステファンが腰に差してあったサーベルを抜き放ち


動かないメノウのむき出しの首に突き付けた。


真っ白な首筋に、銀光を鈍く放つ刃が、


肌に触れるギリギリまで近づけられる。


フレヤは表情を変えないように努めた。


フレヤたちが誰も動けなくなったのに対して、


ステファンの背後に控えていた黒装束の者たちが


じわりと影のように動いた。


フレヤは、意を決して、ヘレナの手を放し、前に一歩進んだ。


とたんに、ステファンがサーベルに込める力を強くした。


反射的に歩みを止めてしまいそうになるが、さらに一歩進む。


ここでは、メノウのことなどどうでもいいという


態度を見せなければならない。


少しでも隙を見せたら喉笛を食いちぎられてしまいそうな緊迫した空気。


汗が背中を流れ落ちるのを感じた。


ステファンは、王でもあるし軍人でもある。


あのような柔和な物腰に惑わされてしまいそうになるが、


剣の扱いだって慣れている。


一瞬だってステファンはこちらへの意識を途絶えさせていない。


この距離だと、カルトの瞬発力でも、


ステファンのサーベルを跳ね飛ばすには至らない。


一瞬でもいい。


ステファンの意識をこちらにそらすことができたら。



「ステファン様。


 私の歌の力、ご存知ですね?


 私はその娘のことなど心底どうでもいい。


 私たちを安全に退かせてくれる確証が得られなければ


 私は……歌うわ」



強くステファンを見つめると、彼は片眉を上げた。


彼が何を考えているのか全く読めない。


そもそも、何故このようなことをするのか真意がわからない。



「それはおかしい。


 あなたの目的が退却ならば、ここをさっさと去るべきだ。


 何故、部屋に足を踏み入れた?」


「……っ!!」



思わず顔色を変えてしまった。


唇をかみしめる。


駆け引きなど、慣れていない。


それもステファンが相手だと、あっさりと看破されてしまった。


思考だけがめまぐるしく頭の中で渦巻いている。


今は自分の命だけでなく、みんなの命も背負っている。


誰も失うわけにはいかない。


突然どさり、とメノウの体が床に投げ出された。


床に転がってもうめき声一つ上げないところを見ると


本当に気を失っているようだった。


ステファンの行動がわからず、眉をひそめると


彼は微笑みながら言った。



「私も、この娘のことはもう必要ない。


 ただの使い捨ての駒に過ぎない。


 フレヤ様、貴女を繋ぎとめられるものだった別に何でもよかった」



ステファンの言いたいことをなんとなく察してしまい、


唇をかみしめた。


今までの言動をかえりみれば、おおよその見当はつく。



「等価交換といこう。


 メノウを渡そう。


 その代わり、フレヤ様、貴女はここに残るんだ」



やはり、と息が漏れそうになる。


なぜかはわからないが、ステファンの目的は、フレヤだ。


どんなに考えても、意味が分からない。


今まで数度、この男に殺されかけた。


そういえば、地下牢を襲撃した時も、


ステファンはこの身を欲していた。


この歌の力が目的なのだろうか。


いや。


それだったら、話す言葉で人を意のままに操れる


メノウも似たような能力を持っている。


だけど、ステファンはメノウのことを使い捨ての駒だと言い切った。


しかし、あの目は嘘を言っているようには見えない。


では、何が目的なのか。



「ふふ。


 私の目的が何か、考えている?」



言い当てられて、ぐっと言葉に詰まる。


無言を貫き通すと、ステファンは笑みを深くした。



「無言は肯定の証。


 貴女がここに残った暁には、教えてあげよう」



まるでこの場所にフレヤしかいないかのように


ステファンは楽しげに話す。


妻であるヘレナは視界に入っていないような振る舞い方に


フやはり二人の間に愛などなかったのだと知る。



「さぁ、フレヤ様。


 こちらに来てくれ。


 ああ、歌おうなどと変な気は起こさないでくれ。


 メノウを殺さねばならなくなる」



柔らかな口調で物騒な言葉を吐かれ、


フレヤは唇をかみしめるしかなかった。


強くかみしめすぎたのか、鉄の味が口の中に広がる。


たとえ、フレヤがステファンのもとにいったとしても


彼がメノウを殺さない確証がどこにあるだろう。


あの冷徹な目は、用済みの駒を始末することに何の抵抗もない目だ。


フレヤは、意を決してステファンのほうに歩きだした。


背後から口々に行くなやらなんやらと叫ばれるが


今のこの状況では振り返ることすらできない。


やがて、ステファンのすぐ前までたどり着くと、足を止めた。



「さあ、お手を」



ステファンが白手袋に包まれた手を差し出してきた。


少しの逡巡ののち手を持ち上げて、載せようとする。




「――――――ふざけるな」




せわしなく耳元でささやかれた後、


目の間にいたステファンの体が壁にたたきつけられていた。


突然のことに思考が追い付かない。


次の瞬間、背後から荒っぽく腰を掴まれ、抱きあげられる。


悲鳴すら上げられなかった。


嘘だ。


この声は、今ここにいるはずのない人の声だった。


意図的に遠ざけようとした人の声。



「ち、の」



どうやってここに来たのか。


ギッと至近距離で殺気を込めて睨みつけられ、フレヤはすくみ上った。


金色の目だった。


狼の目だ。


満月の夜だけでなく、怒りのようなものが上乗せされて


さらに狼としての本能が強く表に出ているようだった。



「……本当にいっそ殺してしまいたい」



明らかに助けに来てくれた好きな人から、本気の殺意を告白されて


フレヤは目を白黒させた。


なぜかその視線が唇のあたりに集中したかと思うと、


思い切り舌打ちされた。


びくりと震えた瞬間、ぐいっと顎を掴まれた。


何をするのかと目を見開いたら、チノの顔が近づいて来るのが見えた。



「なにすっ……!?」



べろりとなめられた。


唇を。


ザラリとした湿った感触が唇に残る。



「おまえは血の一滴までもおれのものだろう?」



世界が遠ざかる。


傲岸不遜な言葉すら遠い。


危ない。


気を失いかけた。


見れば、フレヤの唇についていた血が


チノの舌を真っ赤に染め上げていた。


その舌で官能的にぺろりと唇をなめている姿は


発情したケダモノのようで、


フレヤは頭のてっぺんから足のつま先まで真っ赤になった。


気絶したい。


全力で気絶してしまいたい。


誰か、みぞおちに一発見舞ってくれないだろうか。



「行くぞ、てめえら」



誰だおまえはと問いただしたくなるほどの豹変っぷりだった。


カルトは慣れているようで、何事もなかったかのようにメノウの体を


回収しているが、鴉天狗の青年たちは一様に唖然としている。


ヘレナなんかはわなわなと震えすぎて言葉すら出ない状態だった。



「ひゃっ」



チノがフレヤを抱えたまま、勢いよく駆けだしてバルコニーに向かう。


バルコニーの手すりにのぼり、強く蹴ると夜の闇へと躍り出た。


一瞬の浮遊感の後、すぐにチノは着地をした。


着地したのは、巨大な蛇のような長い体。


キラキラと輝くうろこが月光を反射している。


龍族のロンが龍化した姿だった。

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