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マーメイドウィッチ  作者: いろはうた
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人さらい

*村を訪れた日から、チノの態度が少し変わった。


柔らかくなったというべきか。


穏やかな雰囲気をまとうようになった。


日々は穏やかに過ぎていった。


穏やかだから、フレヤはチノが剣を抜いたところを見たことがない。


チノが腰にさしている県は普通の騎士の剣のように長くない。


鋭い牙のような短剣だ。


たしか、フレヤ付きの護衛をするとなった時、騎士団の者たちと


ひと悶着あったようなのだが、フレヤの知らないところで


決闘と称して、チノの実力を測ったらしい。


しかし、その後から一切の文句が来ない。


おそらく、チノの実力は、騎士団の者たちと同等か、それ以上なのだろう。


さすがは、さすらいの一族の族長といったところか。


チノが剣を振るう日なんてずっと来なければいいと思う反面、


見てみたいような気もする。


きっとチノが剣を振るう姿は美しいだろう。


芸術的な美しさというよりも、野性的な意味での美しさだ。


見たこともないのに、きっと美しい、と言ってしまえる自分がいる。


それだけ、チノは均整の取れた引き締まった体つきをしており、


かつ、その動作の一つ一つは無駄がなくて、洗練されているわけでもないのに


どこか人を惹きつけた。



「着いたわ」



そうこうしているうちに村についた。


今日は違う村を訪れている。


この村は隣国との国境近くにある少し大きな村だ。


ここは、海からは離れているので、津波による被害は受けていない。


隣国との貿易によって栄えている村、のはずだった。


近頃では、ごろつきや盗賊などが増えてきているらしく、


治安も悪くなってきているらしい。


しかし、いくら治安が悪くとも、貧しき民もそこに住んでいる。


だからいくら治安が悪くても、行かないわけにはいかなかった。


わざわざ国境近くの遠い村を選んだのは、


妹の結婚式が明後日に迫っているからかもしれない。


現実から目を背けたくて、逃げてきたのだ。


民を救う、という大義名分を抱えて。


それを知ってか知らずしてか、チノはどこまでも静かに後ろをついてきてくれた。


治安が悪いとはいえ、この村も一応は栄えている。


それゆえ子供たちも学校に行くことができている。


だから、フレヤはこの村に来ると子供たちに勉強を教えたりはしない。


かわりに、訪れるのは、病人がいる貧しい家庭だ。


そこに、薬や、心を和ませるための小さな花束を持って行ったりする。


貧しいものには、医者にかかるどころか薬を買うのですらできない家も多い。


気休め程度にしかならないだろうが、簡単な風邪薬や痛み止めなどを置いていく。


何軒かの家を回り終わった後のことだった。


静かに後ろをついてきていたチノがふと足を止めた。


不思議に思って振り返ってみると、その表情はやや険しくなっていた。



「どうしたの?」


「……あとをつけられている気配がする」



油断なくあたりを見渡した後、チノはつかつかとこちらによって来た。



「次はそこの家だろう?


 先に入っていてくれ」


「一人は、危険だから、それは……」


「足手まといになるだけだ。


 一人のほうが気楽でいい」



そう言い残すと、足早にチノはその場を離れていった。


すぐにその姿は見えなくなってしまう。


追いかけるべきか迷ったのち、フレヤは追いかけることにした。


足手まといになるとはいえ、やはり心配だ。


そう思った瞬間、自分の考えに驚く。


一月にも満たない間でしか知り合っていなかったのに、


いつまにかその身を案じる程度には情がわいていたらしい。


気付けばフレヤは駆け出していた。


たしか、先ほどの路地を右に曲がっていたはずだ。


フレヤも同じように右に曲がった。


そこは細い路地だった。


薄暗くて少し気味が悪い。


前方に誰かいる。


チノに追いつこうと、走りかけてフレヤの足が止まった。


チノじゃない。


深くフードをかぶった男。その手には大きな袋が握られている。


頭の奥で警鐘が鳴った。


急いでもと来た道を行こうとしたら、人にぶつかりそうになった。


淡い期待をもって、その人の顔を見上げて、期待が失望に変わった。


見知らぬ髭面の男がにやりと笑う。


ずるりと手の中から籠が滑り落ちて、乾いた音を立てた。


フレヤは男のわきをかいくぐって逃げようとしたが、


髪の毛ごと思いっきり頭巾をつかまれて引き戻された。


ぶちぶちぶち、と髪の毛が何本も抜ける音がして、頭皮にちりちりとした痛みが走る。



「いっ……!」



痛みのあまり思わず足を止めると、乱暴に頭巾をはぎ取られ、


腕をねじりあげられた。


あまりの痛みに視界が涙でぼやける。


今まで、何度も盗賊などに襲われたりさらわれそうになったりしたが、


こんなに乱暴な扱いを受けたのは初めてだ。


視界の端に自分の青い髪が映ってはっとする。


これでは、王女だとばれてしまう。


案の定、男は目を丸くして、フレヤの髪を凝視していた。


続いてその顔いっぱいににやにやとした笑みを浮かべた。



「これは、驚いたなぁ。


 なんで王女殿下様がこんなところにいらっしゃるんでぇ?」



フレヤは唇を噛みしめた。


頭が真っ白になってしまって何も考えられない。


どうしたらいいのかすらわからない。


次の瞬間、思いっきり顔を殴られた。



「っぐ、ぅ……!!」


「てめえら王族様のせいでおれらみたいな庶民は、ろくに飯も食えてねえんだよ!!」



乱暴に地面に投げ出され、フレヤはなすすべもなく地面に倒れた。


口の中いっぱいに血の味が広がる。


涙が止まらない。


痛い。


痛くてたまらない。


殴られたことよりも、向けられた憎悪が何よりも痛い。


こんなにもはっきりとした憎悪を向けられたのも生まれて初めてのことだった。


地面に投げ出されたフレヤの手を、別の男が近づいてきて踏みつけた。



「ひぅ……!!」



骨がきしむのがわかる。


でも、フレヤはやめてと言えなかった。


民を苦しめているのは自分たち王族の存在だというのはよくわかっていたつもりだった。


でも違った。


少しもわかっていなかった。


わかっていたつもりになっていただけだった。


男たちの目は淀んでいた。


貧しさがこんなにも人を違う生き物に変えてしまうなんて知らなかった。


フレヤの顔が土と涙にまみれたひどい顔をしているのを見て、


男はあざわらった。


それはもう楽しそうに、憎しみを込めて。


恐ろしい。


ここには助けてくれる人などいない。


おなかをしたたかに蹴られて、フレヤは体を丸めた。


反射的に吐きそうになって、すんでのところでおさえて、せきこんだ。


息ができない。


でも、これは罰なのだ。


心から民を理解しようとしなかった自分への罰なのだ。


フレヤはなかばあきらめかけて、瞳を伏せた。


次の瞬間、声も上げずにひげ面の男が吹っ飛んだ。


文字通り、本当に吹っ飛んだのだ。


相方の男も何が起こったのかわからずうろたえている間に、同じように吹っ飛ばされた。



「おまえは、馬鹿なのか」



氷のごとく冷たい声が上から降ってきて、フレヤは涙にまみれた顔で弱弱しく上を見上げた。


見慣れた褐色の肌を持つ異国人の男。


チノだ。


きてくれたのか。


チノは、フレヤの顔を見てはっきりと顔を強張らせた。


一瞬でチノの姿がその場から消え、吹っ飛んだ男とたちのもとに移動していた。



ドスッ



鈍い音がした。


チノが男たちを本気の蹴りをみぞおちに見舞っていた。


問答無用の一切手加減なしの蹴りを無言で続けるチノにあわてて声をかける。



「ち、の……!


 や、めて……!」



喋ると切れた口の端がひどく傷んでフレヤは顔をゆがめた。


びくっとチノは動きを止めると、ぎこちない動きでこちらに近寄ってきた。


おそるおそるという感じでフレヤの切れた口の端に親指で触れようとしてくる。


鋭い痛みが走り、フレヤは呻いた。


すぐに指をひっこめると、チノは膝をついてフレヤを抱え上げようとした。


今度は腹部に鈍い痛みが走り、フレヤはまた呻いた。



「ごめ、なさ、おなか、けられ、て」


「……やっぱり殺す」



フレヤを降ろすと、すぐさま男たちのもとに行こうとするチノのマントの裾をあわててつかむ。


踏まれた手の甲が悲鳴を上げたが、そんなの気にしてはいられない。



「……今日は、帰り、ましょ、う……?」



チノはしばらく迷うようにその場に立ち尽くしていたが、


やがて静かにその場に膝をついた。


先ほどよりも、丁寧なしぐさで抱えあげられる。



「……あの家にいろといっただろう。


 おれを追ったのか


 なぜ、抵抗しなかった。


 護身用のナイフくらいは持っているだろう」


「ごめ、なさ、い……」



ばさりと頭巾を頭にかけられる。


フレヤはきゅっと頭巾をかぶりなおした。



「チノが、しんぱい、だった。


 馬鹿なのはわかっているの…


 ごめん、なさい」



チノはフレヤの顔を一瞥した後、人目を避けるようにして歩きだした。



「……一人にして、すまなかった」



そのかすれた小さな声には、深い悔恨の色が滲んでいて、


フレヤは何も言えなくなってしまった。

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