人魚の涙
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「チノ、あなたに質問があるの」
「質問……?」
まっすぐに、チノの瞳を見上げる。
翡翠のように美しい緑の瞳。
見ていると、吸い込まれてしまいそうになる。
「私付きの、従者にならない?」
チノがゆっくりと瞬きをする。
こちらの様子を伺っているようにも見えた。
「武器は使える?」
「……ああ。
人並みには」
「半年、でいいわ。
半年もすれば、おとうさまはあなたの存在自体、忘れているでしょう。
そうすれば、あなたを逃がしてやれる。
でもそれまでは、なにか役職が必要だと思う。
どうかしら」
長いまつげを伏せてこちらを静かに見つめるチノを見てふと気づく。
彼の容貌がひどく整ったものだということに。
そして思っていたよりも若いことに気付く。
フレヤよりも少し年上なようにも見える。
まだ青年と言ってもいいほどの年齢だろう。
「……従おう、おまえの意志に」
きっと言いたいことが色々あったのであろうが、
チノはただそれだけを言った。
こちらの意志を汲んでくれたことにほっとして、わずかに息を吐く。
「ではこちらについてきて。
まずは、お風呂に入って、身を清めましょう。
着替えの服も用意させるわ」
風呂に入って、身を清めさせてからわかったのだが、
チノは恐ろしく美しい男だった。
引き締まった体つきといい、精悍な顔立ちといい、
我が国の王族にもひけをとらない美貌だった。
そのせいか、侍女頭もチノをフレヤ付きの護衛にするといったら
あっさりと承諾してくれた。
護衛用の服をとてもに合っていて、
黒いズボンが彼の長い足をこれでもかというほどに強調していた。
「おれは、おまえをどうよべばいい」
「フレヤで構わないわ」
けれども、この美貌を見ても、フレヤは全く心を動かされなかった。
どちらかというと美しい芸術品を見ているような気分だ。
おそらくはステファンとの失恋がトラウマとなって、
男性不信のようなものが心のどこかに生まれてしまったのだろう。
妹の挙式は、なんと来月だという。
こちらは何年も交際したというのに、妹姫であればすぐにでも結婚とは笑わせる。
思考を過去の恋愛にとばしていると、ふと視線を向けられていることに気付いた。
チノだ。
緑の瞳は深すぎて、何を考えているのかわからない。
寡黙な男だ。
表情もあまり豊かなほうではないし、こういう男のほうが護衛には向いている。
「これから一年、よろしくね、チノ」
不思議な期限付きの主従関係が始まった。
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*「私と踊っていただけませんか?」
今度はどこぞの貴族の嫡男だろう。
うんざりした表情を隠そうともせず、不機嫌な顔で私は後ろを振り返った。
しかし、声をかけてきた人物を見て、私は言葉を失った。
太陽の光を紡いだかのような美しい金の髪。
空よりも澄み切った宝石のような水色の瞳。
肌はミルクに赤いインクを一滴たらしたかのような、
抜けるような白さだ。
うやうやしく差し出されている手は上質な白手袋に包まれていて、
気付けば私はその手を取ってしまっていた。
ワルツなんて乗り気じゃなかったはずなのに。
ふわりとドレスの裾が翻る。
美しい音楽に合わせて、体が滑るように動き出す。
ああ、なんて楽しい。
気付けば私は声をあげて笑っていた。
身体が羽のように軽い。
私のステップと彼のステップはぴたりと合っていて
まるで何年も何年も練習してきたかのよう。
私はまた笑った。
そして、なんて素敵な人なのだろうと彼を見つめた。
そんな私を彼はどこまでも優しく見つめていてくれていて
私は、ただ彼と、広間の中央で踊り続けた。
くるくるくる
くるくるくる
回って回って
周りの景色が見えなくなる
貴方のことしか見えなくなる
あなたの瞳に映っているのも私だけ
私の瞳に映るのも貴方だけ
幻のような
うたかたのような
そんな夢のひと時
夢の欠片
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
するりと冷たいものが目じりを伝って耳のほうに落ちていくのを感じて
フレヤは目をゆっくりと開けた。
見慣れた豪奢な紋様の描かれた天井が目に入る。
不思議と気分は悪くなかった。
ただ、胸が鈍く痛むだけだった。
過去の夢を見るだなんてどうかしているとしか思えない。
それもステファンの、元恋人の夢を見るなんて。
フレヤは乱暴なしぐさで目じりの涙をぬぐった。
手の甲が濡れて気持ち悪い。
ちらりと窓の外を見やると、カーテンの隙間からわずかに光が漏れているだけだった。
まだ夜が明けていない時間帯だろう。
「……残酷な方ね、ステファン様」
夢の中まで現れて、こうも胸をかき乱すだなんて。
今もこうして、名を自分で言っておいて、
その名が己に跳ね返ってきて震える。
「……ひどい人」
漏れ出た声は胸がきしむような音だった。
心にある傷はまだ生傷のままで、かさぶたができる気配もない。
あの頃の、自分はまだ若くて、恋に恋をしているようなありさまだった。
夢見るように恋をしていた。
ただ、彼だけを慕い続けた。
あの穏やかな瞳が好きだった。
あの優しい手が好きだった。
包み込むような声も、その仕草も、何もかもが愛しかった。
愛しかったのに。
沢山を望んだわけではない。
ささやかな望みを抱いただけだ。
それすら叶わないだなんて。
フレヤはごしごしと涙をぬぐい続けた。
一月あまり考えないようにしていたことが、
思いがけない形でよみがえり、涙が止まらない。
忘れてしまいたいのに。
なかったことにしてしまいたいのに。
彼のすべてが自分の中から消えてくれない。
ひゅっと自分の喉が鋭く鳴った。
苦しい。
この報われない想いを、忘れることもできず、捨て去ることもできなくて苦しい。
何がいけなかったのだろう。
この気味の悪い髪色と瞳の色のせいだろうか。
それとも、感情を表に出すのが苦手だったからだろうか。
妹よりも美しくなかったからろうか。
妹のほうが女らしくて、たおやかで、まさに真相の姫君らしい美しさで。
何もかもが自分にはないものだ。
それをすべて妹なら持っている。
「こんな力……なければよかったのに」
願わくば。
もう一度。
もう一度だけ、抱きしめてほしかった。
「何を泣く」
静かな声に、びくりとフレヤの肩が揺れた。
闇に溶けるようにして立っているチノの声だった。
この男の存在を完全に忘れていた。
まばたきすると、涙がばしゃりと落ちて、慌てて手の甲でごしごしとぬぐった。
なんたる不覚。
もの思いにふけりすぎて、その存在を完全に忘れてしまうとは。
いや。
この男が気配を消すのが恐ろしくうまいだけだ。
泣き顔を人に見られるのは嫌いだ。
弱さや脆さを他人に見せるのは昔から嫌いだった。
「そういえば、あなた、護衛として今日からいたんだったわ……」
フレヤの部屋で仮眠をとりつつ、つきっきりで護衛をするということになったのだった。
おそらく、フレヤの様子がおかしかったことを察知して起きたのだろう。
「……ステファン。
隣国の第一王子だったか」
「……元婚約者で、妹の現婚約者よ。
……惨めでしょう、笑いたければ笑えばいいわ」
投げやりな気持ちでそう吐き捨てるように言ったが、
チノは何も言わない。
ただ、無言でこちらに近づいてきたので、
フレヤは慌ててベッドの上で身を起こした。
しかし、それでも何も言わない。
怪訝に思ってチノの顔を見つめるが、その顔には不可解そうな表情が浮かんでいるだけだった。
「どうして、面白くも楽しくもないのに、笑わねばならない?」
フレヤはそのあまりにくそ真面目すぎる返答にしばしぽかんとしていた。
しばらくして、その口元を緩めた。
「真面目ね」
気付けば涙はいつの間にか止まってしまっていた。
まだ不可解そうな表情のチノを見て、自然に笑みがこぼれた。
フレヤ……人魚の魔女の末裔のコペンハヴン国第一王女。
先祖返りだと言われるほどに色濃く人魚の血を受け継いでいる。
そのおかげで、王族の誰よりも、声に魔力を込めることができる。
それゆえ、人を思いのままに操れる力を様々な人間に狙われることが多々ある。
最近、恋人だったステファンが実は妹と恋仲であることが発覚し、失恋。
そのせいで軽い男性不信のようなものにおちいっている。
深い青の髪に、紅い瞳をもつ。
氷姫という呼び名がつくほど、あまり感情を表に出さない。
チノ……異国のさすらいの一族、アルハフ族の若き族長。
森にいたところをイルグ王に遭遇し、仲間を逃がすために
わざと囚われの身となった。
紅茶色の肌に、茶色の髪、緑の瞳を持つ美しい寡黙な青年。
フレヤの護衛となる。
おそろしいほどの身体能力の持ち主であり、
特に剣の扱いにたけている。
元々は孤児だったがアルハフ族に拾われ、
族長にまで上り詰めた。
ヘレナ……フレヤの妹姫。
非常に美しい少女で、姉姫とは違って、人魚の声をほとんど受け継いでいないため、
人魚のような容姿の姉姫とは違い、
金髪碧眼の人間らしい美しい美貌をもつ。
数年前からひそかに姉の婚約者ステファンと恋仲であり、
ことが露見してからは、ステファンと正式に婚約することとなった。
イルグ王……コペンハヴン国の王であり、フレヤとヘレナの父でもある。
妃をなくしてからは、その性格はあらゆる物事に攻撃的になり、
政治は、家臣に任せきりにしていて、現在は良き王とは言えない。
国には貧しいものが増え始めているが、一向に直そうとせず、
狩りなどの荒々しい娯楽に明け暮れている。
ステファン……隣国オスロ国の第一王子であったが、
現在は新王として、日々政務に励んでいる。
物腰が柔らかく、穏やかな美青年。
フレヤの婚約者だったが、実は彼女の妹姫である
ヘレナとひそかに恋仲であった。